勝率は5%以下です
「だとしたら襲われる心配はない……のか?」
《過信は禁物です。スキルがどの程度まで通用するのかは不明ですから》
確かに害獣除けの件もある。
血に飢えた唐獅子には結局、こちらへの接触を忌避させてダメージを軽減させることができただけだった。
虫除けも「一定の効果はあるものの絶対ではない」と考えた方が良さそうだ。
ちらりと振り返れば入道蜘蛛は確かに一定の距離を保ったまま決して近づこうとはしてこない。
だが同時に解散する様子もなく、カサカサと追跡を続けている。
やはり彼らは虫除けスキルが及ばない位置まで距離をとっているだけ。
それさえなければ好奇心や食欲の赴くままに襲いかかってやる、という腹づもりが窺える。
つまり今現在は、スキルの効果と本能とがうまい具合に均衡を保っている非常にデリケートな状況だ。
興奮させたり怒らせたりすると抑制が効かなくなって雪崩れ込んでくる恐れも十分にある。
「刺激するような行動はとらないほうが無難だな」
《触らぬ入道に祟りなしです》
ていうか彼奴らどこまで追いかけてくるんだ?
あんなキモい化け物に群がられて生きたまま喰われるなんて最悪だ。
想像するだけで鳥肌が立ってくる。
今すぐにでも走り出したい。
けど猛スピードで追ってきた挙句、その興奮のまま襲いかかられる可能性もゼロではないのでぐっと堪えて強歩を続ける。
エスカレーターの傍を通り過ぎた。
一瞬だけちらりと下りのエスカレーターの標識に地下二階《おかず広場 食料品各種》の文字が目に入ったがそれどころではないので無視する。
そしてなんとか商業施設と連絡路の境目に辿り着いた。
「扉だ……よし開いてるな」
ガラス扉の向こうに見える連絡路は左右へと伸びている。
どちらに進むのが正解だろう。
《地上への出口へは右折です。ちなみに左は地下鉄の改札に通じています》
「そういえば最初は地下鉄の確認に来たんだった――」
ガラス扉を押し開けると、ふいに音が飛び込んでくる。
まるで地の底から何かが押し寄せてくるような震えにも似たそれは左側の通路からだ。
はっきりと断言はできない。
けれど地下鉄を電車が通過した後の残響にも思えなくもなかった。
《御主人様、あの音は?》
「いや……こんな状況でメトロが運行してるはずがない。……このまま地上に戻ろう」
《了解です》
「もうこんな場所一秒だって……おっ?」
右の連絡路に目指すべき出口の階段が見えた。
地上の光がうっすらとだが差し込んできている。
《出口ですね》
「後もう少しで地上ーー……⁉︎」
通路の先にある暗闇からぼんやりと赤い灯が出現した。
目を凝らすと一際巨大な双眸を持った個体が鎮座しているのが分かった。
「おいおいなんで先回りしてるんだよ……いや別個体か?」
《地下全体が彼ら蜘蛛族の縄張りなのでしょう》
「うえーあんなのがあちこちで繁殖しているのかよ……地下ヤバ過ぎるな」
入道蜘蛛にとってこの暗くジメジメとした地下の環境は生存に適しているのかもしれない。
などと考えているとクオヴァディスが記事を提示してくる。
《何々、日本に生息する蜘蛛の多くは夜行性で薄暗い場所を好む習性があるようです》
「はいはい裏付け有難うございます。でも今はそれどころじゃーーいや……つまり裏を返せば太陽が苦手なんじゃないか?」
《だとすれば勝機はありますね》
地上まで出ることができれば入道蜘蛛たちからは逃げ切れる。
ゴール地点さえ見えれば後はどうやってそこに辿り着くかを考えて行動するだけだ。
「問題はあの大蜘蛛だな。あれが居座っている以上、あの階段を昇るのは難しい」
《別の出口を目指す方が得策かもしれません》
「だな今から引き返して地下鉄改札方面の通路を経由して――をおおっっと⁉︎」
振り返ると地下商店街の扉からゾロゾロと無数の赤い灯が現れて通路をふさいでいく。
思ったよりも早いペースで蜘蛛の群れが追いついてきたのだ。
おかげで挟み撃ちで退路を塞がれてしまった。これでは引き返して別ルートを行くのは不可能だ。
「クオヴァディス、迂回路は?」
《ご覧の通りありません》
「どうすれば」
《こうなったら地上への階段に向かって前進するルートしかありません》
前進ルートって、大入道蜘蛛が居座っている目の前を通りぬけろってことか。
いやいやそれはさすがに自殺行為だろ。
《入道雲の大群を相手に大乱闘するよりはマシなはずです》
「……だったらあの大蜘蛛をなんとかできる勝算でもあるのか?」
意を決して手に入れたばかりの拳銃を握りしめる。
さっきは肉体強化というスキルも手に入れた。
もしかしたら全く勝ち目がないとも言えないのではないだろうか。
《残念ながら戦闘での勝率は5%以下です》
「ごぱー⁉ 低くない?」
《銃器アシスト系スキルもなく、メンテナンスしてない銃器で素人が銃撃戦をするわけですから》
確かに現時点では安全装置がどこにあるかもわからない有り様なので扱えるわけがない。
「ナイフ術を更に強化すればどうだろう」
《可能性はゼロではないですが基本的にヒトが単身で大型野生動物に勝つのは至難の技です》
「そりゃあそうだけどさ。つまりこの状況はもはや詰んでるってことじゃん」
全然駄目なんじゃん。
勝算なんかないんじゃん。
やっぱりこのゲーム設定ハードモードになってるだろ。
つかゲームバランスおかし過ぎだろ。
序盤なら経験値稼ぎ用の雑魚敵のみ配置しとくべきなのでは?
背後からカサカサワラワラと音が聞こえていた。
振り向いたら負けと判ってもついつい見てしまい絶望感が特盛りに上乗せされる。
入道蜘蛛たちが通路に続々と押し寄せて完全に退路を絶たれてしまっている。
どんだけついてきてたんだよ。
《勝ち目はありませんがそもそも我々の目的は戦闘での勝利ではありません。生存です》
「……そこまで言うなら具体的な攻略方法があるんだろうな?」
《現在最も生存率の高いのは『六十秒以内に肉体強化を最大まで引き上げて、階段ダッシュ』です》
今すぐ大蜘蛛のわきを走り抜けて地上に出ろってことね。
どうせ戦って勝てないならクオヴァディスの提案通り、真っ直ぐ進んで地上に出るのが正解か。
《但しこちらの動きに触発されて大蜘蛛が攻撃してくる可能性は大いにあります》
「上手く避けろと?」
《いえ当たってもいいのでバックパックを盾にして最低限死なないでください》
「うわ……もっと無茶な要求されてしまった」
攻撃を受けるのが前提のプランだった。
確かにバックパックは缶詰が詰まってるのである程度衝撃は防げそうだね。
一回くらいなら攻撃喰らっても死なないかもね。
「うーん……」
確かに良い案ではあるけれどリスクが大きい。
本当に肉体強化を最大まで上げてから全速力で駆け抜けるのが正解だろうか。
走って向かってくれば間違いなく相手を煽ることになるよな。
向こうは襲いかかってきたと思って攻撃してくる。
じっくり観察すれば大蜘蛛の前脚の先端には大鎌のような爪があった。
あんなもので斬りかかられたらバックパックのなかの缶詰は無事では済まないだろう。
防御しきれる自信がないし怪我をして痛いのもちょっと御免だし何より――
「何より……? おいおい……僕はこの期に及んで何を考えてるんだ」
それは棺桶に片足を突っ込んでいるこの状況下で、あまりにも似つかわしくない欲求だ。
思わず笑いが込み上げてくる。
《御主人様?》
「全くどうかしている。正気の沙汰じゃないな。……いやちょっと待てよ。もしかしたらこの場を逃げ切れるかもしれないぞクオヴァディス」
次回で池袋ダンジョン「地下一階」決着。
本日21時頃に更新します。




