星の忌み子
広い銀河。螺旋渦巻く星雲。白濁の川はミルキーウェイ。
遠くで星が生まれ、また、死んでゆく音がする。
幽けき音。
自然環境が人間に極めて適合したとある惑星。
肥沃な大地、尽きない水。
銀糸の縫い取り刺繍をした緑の衣の、長い白髪の少女が、細い滝の流れ落ちる川、すぐ傍の小岩に腰かけて歌を口ずさんでいる。古くから彼女の家に伝わる歌だ。少女は祖母からそれを学んだ。学んだと言うより、子守唄に歌ってもらう内に憶えた、と言ったほうが正しい。
葉擦れの音に調和するようにそれは響く。
あけくれ ゆきくれ つれゆけば
いつしか ねむりが おとずれる
ねむりのなかでは はながさく
ねむりのなかでは ほしがさく
よかぜに こころを ゆだねよう
あけくれ ゆきくれ つれゆけば
いつしか ねむりが おとずれる
ひかりのあさを ゆめにみて
いまはひとみを ただとざせ
青と赤茶色の混じった羽を持つ小鳥が、少女の傍らに降り立ち、彼女を見上げる。小首を傾げる様が愛らしい。深緑の森の奥から、一人の少年が出てきた。少女と同じく、薬草摘みを生業とする彼は、薄い青紫の縫い取り刺繍を施した焦げ茶色の衣を着ている。
「動物が寄ってきてる」
「うん」
「気をつけろよ。時々、熊とかもいるから」
そう言って少年はちりんちりん、と熊除けの鈴を鳴らす。少女の横の岩に腰を下ろして、彼は草笛を吹いた。その旋律もまた、動物や虫を呼ぶもので、少女は自分にはああ言っておきながら、と微苦笑する思いでそれを聴いていた。
草笛の旋律に紛れ、ふ、と少女の心に広がるヴィジョン。この星の者であれば多かれ少なかれ、特殊な力を持つ。
それは眠れる巨石が纏う命。森の深く、奥深く。少女も少年も辿り着いたことのない最深部にいる。微睡みが、もうすぐ破れるのだと少女は察した。
少年も感知したらしい。草笛を吹くのを止めて、はるか遠くを視る眼差しをしている。
少年と少女は顔を見合わせて頷くと、二人で森の奥を目指した。
途中には青く輝く鱗粉を撒き散らす蝶の群れがいたり、赤い目をした純白の蛇が悠然と寛いでいたりした。時々、この星の古代の遺跡と思われる石のオブジェが転がって、少女たちには解読不能な文字が陽に照らされていた。
行き着いた森の終着点。
岩で出来た、巨躯を縮めて眠る巨人がいた。半分だけ開いた目が、赤と青に明滅している。少年の制止も聞かず、少女が巨人にそっと触れると、その目が綺麗なアーモンド型を成した。瞳は、今では赤と青が混じり合った紫に落ち着いている。岩のみで出来たと思ったのはどうやら勘違いだったらしいと少女は思う。触れた感触は温かく、流動するものを感じさせた。恐らく古代の人が、戦の為に作り上げた巨兵であろう。
哀れな存在の長の眠りを邪魔したかと、少女は胸を痛めた。
少年の心持ちはやや違ったようで、蹲る巨兵の足を大胆にもよじ登り、胸元にまで達した。
「……扉がある」
「え?」
「幾つかボタンがあって、これを正しい手順で押せば開くらしい」
少年の行動に眉をひそめていた少女は、その言葉に驚いた。どうやらこの巨兵は、人が乗り込むようになっているようなのだ。
「出来るの?」
少年がにっ、と笑う。
「誰に言ってるんだ?」
少年はこうした起動装置のからくりを読み解く能力を持っていた。一分と経たず、扉が開錠する音が鳴る。男の子の性か早速、少年は扉を開けてコックピットに乗り込もうとしている。
「危ないわ」
「平気だよ」
「〝兵器だよ〟? 見れば判るわ。だから危ないって言ってるんじゃない」
「……いや、平気っつった。お前って時々、ボケるのな」
少女の言葉を受け入れたのか、乗り込む手前で少年はしばらく扉を弄っていた。扉のあらゆる機能を調べているらしい。一通り見て、満足した彼はふう、と息を吐き、少女を見た。
少年が少女に手を差し伸べる。
「来いよ。二人くらい入れそうだ」
「でも」
ふ、と少年の藍色の瞳が和やかになる。
「おいで、フィーシャ」
少年の他には、誰も呼ばない少女の名前。祖母を除けば家族ですら。
少女は生まれ落ちた時、占者に忌み子の烙印を押された。いずれ星に災いをもたらすだろうと。ゆえに少女の周囲の人々は、彼女を遠ざけて蔑んだ。唯一、祖母とこの少年を例外として。
岩のような巨兵の足は緩い凹凸があり、少年程に機敏でなくても登れそうだった。
少女は恐る恐る、巨兵の足をよじ登ると、コックピットまで辿り着いた。
『主。我が主。貴方を待っていました』
突然、口を開けた巨兵の声は朗々として、森中に響くようだった。鳥が羽ばたく音があちこちから聴こえる。巨兵の唇は滑らかな工芸品のようで、全体として見てもこの巨兵が鑑賞に耐え得るものだと思わせるに十分だった。荒々しい美が宿っている。
この美しさが嘗ては戦場を舞っていたのだ。
「私は貴方の主ではないわ」
『いいえ。私には解る。一度、途絶えた命。誉れ高き星の英雄。新たなる命を以て貴方は今、ここにおられるのです』
「……それって勇者セルフィーシャのことか」
『はい。我が主はセルフィーシャ』
少年の問いに、巨兵が首肯する。首の上下運動は流れるようで、大きな音を立てない。
勇者セルフィーシャとは古代の英雄だ。
この星の創生の時代、緑を薙ごうとする科学を標榜する者と、緑を守り、それと共存しようとする者とに世界は二分した。セルフィーシャは緑を守り共存しようとした者の一人で、自然から創り出した巨兵に乗り、敵と戦い、味方を勝利へと導いたのだという。知らぬ者とてない古代の伝説における英雄を、巨兵は少女と言い指しているのだ。
途方もない話に、少女も少年も当惑する。
とりわけ少女は、忌み子と呼ばれ続け強い劣等感がある為、語られる英雄像と自分との余りのギャップに軽い恐慌状態にさえ陥っていた。少年が気遣う瞳を少女に向ける。
巨兵の紫の目が、そんな二人のいる胸部、コックピットを見下ろす。彼らはコックピットの中にいるので、視認は出来ないが体内にいるのだ。感じ取れはするのだろう。
「私は英雄なんかじゃない」
『いいえ。貴方は紛れもなく英雄・セルフィーシャの魂を持つ者』
「英雄なんかじゃないわ!」
「フィーシャ」
少女の目尻が熱くなり、濡れる感触がする。
慕われ、敬われ、崇められる。
少女はそんな境遇からはるか遠い場所にいた。ぽつねんと、独りで。
祖母と少年のみを寄る辺として。少なくともセルフィーシャは皆から疎外されたりはしなかっただろう。自分とは違う。
「フィーシャ」
少年が少女の肩に手を置く。いたいけな雛鳥を労わるように。
『主よ。貴方は、悲しんでいる。貴方を悲しませる者はどこですか。貴方の敵はどこですか』
一瞬、少女の脳裏に自分を疎外し続けてきた人々の面影が浮かぶ。
けれど少女の胸にあるのは敵意ではなく悲しみであり、虚しさだった。憎しみに、憎しみを返したいとは思わない。セルフィーシャも感情に任せて、この巨兵に乗ったのではないだろう。
少女は弱々しく笑う。
「いないわ。私の敵は、どこにもいないのよ」
チチチチ、と鳥の囀りが外から聴こえる。少女も少年も少しの間、無言だった。
「敵、ね。強いて言うなら隣の惑星の奴らか」
「カイリ」
「この星の、潤沢な資源を狙って好戦的だ。勇者セルフィーシャなら、ここで立ち上がっただろう」
「無理よ、カイリ」
銀の刺繍がぐるりと囲んだ鹿革のバングルを嵌めた両手で、少年は少女の肩を掴んだ。
「間違ってたんだよ、フィーシャ。占者の予言は。お前は災いなんかじゃない。それどころか、この星を救う救世主になるかもしれない」
紅潮した少年の頬、煌めく藍色の双眸に、少女の困惑は増すばかり。争いや諍いは怖い。今までの自分の人生で、虐げられることはあっても、争うことはなかった。隣の惑星の脅威に晒される人々の怯えを見ながら、少女もまた、不穏なものを感じてはいた。だが、セルフィーシャと違い戦士でもない自分が、この巨兵の主となって戦い得るだろうか。少女はコックピットの中をぐるりと見回す。測るように。レバーやモニター、各種、ボタンやメーターなどが並んでいる。
森を想い花を想い風を想った。
この美しい星を。
「私は本当にセルフィーシャの生まれ変わりなの」
『間違いありません。現に貴方と私は共鳴しています』
共鳴。
確かに。先程から少女は、この巨兵の感じるところ、そして初めて見る筈のコックピット内のあらゆる機器をどのように扱えば良いのかまで、すんなりと理解出来ていた。それは少年の持つ能力とは異なる、もっと自然に少女の胸の内から生まれ出でるものだ。
戦える。
この巨兵で、私は。
そう確信した少女の胸に、次に湧いたのはより生々しい恐れだった。人の血臭に肉迫する恐怖。まだ年若い少女には狩猟の他、武器を取り人と戦った経験もない。
「カイリ」
「何だ」
「お願いがあるの」
「うん」
「私と一緒に戦って……」
弱気な声は尻すぼみとなり、少女はそれに合わせて顔を俯けた。長い白髪の髪がくしゃくしゃと掻き撫でられる。
「フィーシャ。俺が一人でお前を行かせるだなんて思ってたのか」
少女の草色の瞳が揺れて潤む。
草色は豊穣の大地を思わせて、こんな少女がどうして星の災いになるものかと少年は思った。
「彼と共に、私はありたい。それでも良いかしら、巨兵さん」
『私は主に従います。そして私のことはインゴと呼んでください』
「解ったわ、インゴ」
その晩は、二人して帰らず、コックピットの中で寄り添い眠った。夕食は森で獲った兎肉を焼いたものと持っていたパンを食べ、皮袋に詰めていた葡萄酒を飲んだ。コックピットの中のモニターからは外が一望出来るようになっており、満天の星々を、少女と少年は黙って眺めて、眺め尽してから、瞳を閉じた。寄り添い合う体温を感じながら。
やがて一人の少女と一人の少年が、隣の星との戦いに勝利したのは後の話。
少女は確かに、隣の惑星にとっては忌み子、災いであったのだ。
そして今日も少女は子守唄を歌い、少年は草笛を吹く。
永遠という名の平和の旋律を奏でながら。
<完>