貴女の恋に終止符を。
「また城を抜け出してきたのですか? シュリレザン皇女様?」
「ラクエ、その名で呼ぶのはやめてくださいと何度も言っているでしょう?
シュリと呼んでください」
―――リュセン帝国 帝都イース郊外。
まだ歴史の浅いリュセン帝国に寄り添う形で聳えるリュード山。
麓を流れる[カシゼン河]の水面に映し出された双陽は、青空に煌々と輝いている。
傍らの草原では、白く美しい[カシミアの華]が点々と生息しており、そよ風のたびに緑の舞台で踊りだす。
そんな街から遠く離れた場所に、その家は建っている。
[シュリレザン・リュセン・カレッド]は、皇女の身でありながら、城をたびたび抜け出し、貧相なこの家に住むラクエを訪ねてくるのだ。
「では、シュリ。
見つかれば大変な騒ぎになります。
早く城に戻られたほうが良いのではないですか?」
ラクエと呼ばれた青年は、黒曜石のような真っ黒な瞳を閉じ、困ったように青々とした短髪に手をやる。
「ではラクエ。
貴方は、私が嫌いなのですか?」
森から直接調達した[シラウの木]で作った手作りの揺り椅子に身を預けながら、彼女は可愛らしく頬を膨らませてラクエを見る。
「そのようなことは申していません。
ただ貴女のような高貴な方がここにいらしては、私の市民権が剥奪されかねないのですよ」
ラクエがそういうと、彼女は薄紅の唇を華奢な白い手で隠しながら笑う。
「ふふっ、大丈夫ですよ!
その時は、私が貴方をかばってあげますから!」
「……そういわれましても……」
困るラクエを見るのも、彼女の楽しみの一つであった。
こうしていると、自分が皇女であることを忘れさせてくれるから。
姫というばかりで、真剣に自分を見てくれない。
心にもないお世辞を吐き出し、御託を並べる――そんな城の人間が、彼女は嫌いだった。
だから、こうしてラクエの困った顔を見ていると、自分が一人の人間だということを自覚できる。
私は宝石箱の翠黒石ではない、というのを、ラクエは一番よくわかってくれている。
だが、このやり取りをするために彼女はここに来たのではない。
勢いよく揺り椅子から立ち上がり、ラクエの方へ歩み寄る。
「さぁ、今日はどんなお話を聞かせてくれるのですか? ラクエ」
王家の血筋であることを示す、腰まである煌びやかな銀髪を揺らし、彼女はラクエの顔を覗き込む。
すると、彼の瞼で隠れていた片方の黒い瞳と目が合った。
「……しょうがないですね、シュリは」
それを聞いて、彼女はにっこりと笑いながら答える。
「しょうがないですよ? わたしは」
ラクエは嘆息をつき、口の端を少しゆがめて笑うと、手ごろな椅子に腰をおとした。
「では、リュセン帝国建国時のお話をしましょう」
「……え?でもそれなら―――――」
「―――知っている………というお顔ですね。
大丈夫です。 王室でも語られぬことのないお話を致しましょう」
彼はそういうと、唄でも歌うように物語を話し始める。
瞳を瞑り、昔を懐かしむかのように――――
―――旧帝国アルゼ・ロドム。
民を力で押さえつけ、あらゆる隣国を略奪した残酷非道な帝国。
ここ、現リュセン帝国ももともと旧帝国の支配下に置かれた国の一つ。
食料と言えば硬いクリドと蒸したヴァーゼ、そして塩辛いレクス程度。
食事は、これらを安価な葡萄酒で流し込む事を指す。
まずい発酵酒といえど高級品だったため、酒場でさえ葡萄酒か蜂蜜酒の水割り程度しか置かれていなかった。
貧しいものは、それらの食糧にすらあり付けぬ有様である。
そして今から約半世紀前。
税を貪る政治に耐えかねたリュセン帝国の国民は、旧帝国に反旗を翻した―――――
「ここまでは、シュリも知っていることでしょう?」
「先生に耳が痛くなるほど語られた話です……」
シュリは思い出したように、痛くもない耳を押さえる。
そんな彼女に、ラクエの表情はいつの間にか緩みきっていた。
「そうでしょう、この話は有名ですからね。
では、ここからが本編です」
彼は再び唄を語る。
微笑みを浮かべるラクエに、シュリは胸が暖かくなるのを感じた。
そしてラクエの瞳を眺めながら、自らも唄の世界に入り込む―――
反旧帝国軍の抵抗は凄まじいものだった。
もともとリュセン帝国軍の軍勢は、旧帝国軍の1割にも満たない。
ゆえ、あらゆる諸国と連合を結び、旧帝国軍との戦いに臨んだ。
反旧帝国軍 魔術師3000、歩兵5000、弓兵3000、騎兵4000
旧帝国軍 魔術師2000、歩兵3000、弓兵1000、騎兵2500
気がつけば旧帝国の半数の国が反旧帝国軍側に寝返り、軍勢では差が生まれていた。
追い詰められた旧帝国[愚王]ジーズ・アルゼ・ロドムは、少ない知恵を振り絞り、連合国の中でもっとも軍勢の少ないリュセン帝国を集中して攻撃する方針に切り替える。
おそらく、他国に助けを求めるためだったのだろう。
しかし、愚王は無知。
労働を知らず、放蕩し、努力などしてこなかった愚か者。
そんな彼は知る由もない。
{絶倫}と呼ばれる最高峰の魔術師が、戦乱の中に息を殺して潜んでいることを―――
その後、迫る1万もの軍勢をたった一つの呪文で壊滅に追いやったという話は、真実とも言われれば、偽りとも言われている。
ただ一つだけあるとすれば、彼という存在自体が、リュセン帝国を建国に導いたということだけだ―――
「――――そしてこの話は、彼が目立つことを嫌うことから語られぬこととなったのです」
語り終えた彼は、満足げにふぅと息を吐き出した。
「ふぅん……やはり吟遊詩人の名は伊達じゃないのですね」
からかうように笑うと、ラクエは穏やかな表情で返答する。
「旅をしていれば、秘匿された話でも小耳に挟むものですよ」
元々旅する吟遊詩人であったラクエは、旅の話をすると良く表情が緩む。
「ふふ、面白いお話でした!」
「シュリ、満足しましたか?」
頷く彼女に、ラクエは緩んだ表情のまま微笑んだ。
「えぇ、満足です。
……では仕方ありません、そろそろ戻りましょう」
「きっと陛下も心配しております、宜しければついていきましょうか?」
「いえ、大丈夫です」
彼女はゆっくりと席を立つと、建付けの悪い扉へ向かった。
満足した……満足したはずだ。
最後に彼の話を聴いて、面白い反応まで見れたのだから。
扉に手をかけて、ラクエの方へ振り返る。
「それではまた、シュリ」
微笑む彼の顔をあまり見ないようにした。
これ以上一緒にいては、離れられなくなってしまう気がしたからだ。
「えぇ、ではまた。ラクエ」
重い扉を開きながら、彼女は彼の家を出た。
――――――リュセン帝国 イース・ルザン城内
ラクエの家を訪れた時から数日立ったこの日。
彼女の政略結婚のお見合いであった。
歳17ともなれば、そろそろ結婚を考えねばならぬ歳である。
客室の扉が開かれ、顎に白髭を生やした初老の男と身長が高い赤毛の男が入ってきた。
「これはこれは、よくおいでなさいました。
どうぞ、おかけ下さい」
カーリ・リュセン・カレッドは笑顔でその男達を迎える。
しかし、その笑みは本心ではない。
政略結婚……と言えど、喜んで娘を差し出している訳では無いのは、彼女も分かっていた。
リュセン帝国は、今現在、財政難に直面している。
隣国、現カールド帝国は、確かに力を持った国であり、娘が嫁げば一時的に国は潤うことになるのだ。
しかし、かの国は独裁国家。
娘がそんな国の主へ嫁ぐとなれば、それは不安なことだろう。
できれば避けたいに決まっている。
「……お初にお目にかかります。
シュリレザン・リュセン・カレッドでございます」
微笑んで挨拶をするが、内心では笑みなど浮かべていない。
「これはどうも、お招き感謝致しますぞ。カーリ陛下」
「どうも、私、カールド帝国第一皇子 ダリス・カールド・ルイでございます。
以後、お見知りおきを」
二人の男は礼儀正しくお辞儀をするが、その口の端から愉悦が滲み出ているのが、よく見て取れた。
「シュリレザン殿下、噂通りの美しさだ。
今回のお見合い、光栄に思います」
「いいえ、私など……」
「そうご謙遜なさらないで下さい」
ダリスは微笑みを装うように語りかけてくる。
隣の男は隠しきれてない卑しい笑みを浮かべながら、彼女を見ていた。
「では、カーリ陛下。
早速、これからのリュセン帝国の話をしたいと思うのだが……」
隣の男……カールド帝国ラクセン皇帝と称される男は、カーリに話しかける。
「……陛下、その話はまだ良いのではないですか?」
父――――カーリが焦るように話を遮る。
すると、ラクセンは一瞬、眉間にしわを寄せた。
「ほう? 陛下は、我が国の支援を受けない……と申していますのかな? このままでは国が崩落するなど目に見えているというのに……」
「…………」
ぐっと、カーリの膝の上で握りこぶしが出来るのを、彼女は視界の端で捉えていた。
外に出すこともなく、ずっと宝石箱の中に閉じ込めていたのは、嫌っていたからではなく、大切だったからである。
だからこそ、父はこのような男に娘をやるのが惜しいのだろう。
「陛下。 私達にはもう、戯言を交わしている暇などないのです」
彼らの目的は、恐らくリュセン帝国の膨大な敷地。
独裁国家であるカールド帝国は、国の面積で悩んでいると聞いたことがあった。
それゆえ、思うように兵士を育てることが出来ぬのだと。
故に、リュセン帝国の皇女、シュリレザンを婚約者に選んだのだ。
「我が息子 ダリスを婿として迎なさるのであれば、貴方の国は再び豊かな国へと再生していくでしょう…………」
出された紅茶を口に運び、ラクセンはカーリに迫る。
「さぁ、ご決断を」
「……」
カーリは瞳を閉じる。
きっと腹をくくっているのだろう。
娘から見たその顔は、苦しげで、寂しげで、悲しげで……。
複雑な気持ちの中で、彼女もまた、意を決する。
もはや、幼い自分には戻れないのだと。
しばらくし、カーリは再び瞳を見開き、結論を出した。
「……いいでしょう。
カールド帝国 ダリス第一皇子に我が娘を任せます」
すると、二人は気持ち悪い笑みを浮かべる。
「そうです! よくご決断なされた」
ラクセンはカーリに握手を求め、カーリは大人しくそれに従った。
いや、従わざるえなかったのだ。
「ほら、シュリレザン。
改めて御挨拶を」
カーリは苦渋の決断にも笑顔で振る舞い、彼女の方を見た。
促され、彼女は立ち上がる。
そして、自らの考えた挨拶を述べた。
「……私は……嫌です」
ギョッと3人が彼女の顔を見た。
「シュ、シュリレザン?」
カーリの顔はもはや蒼白。
しかしそこまで言ってしまったからか、もう止まらなかった。
「私には、心に決めた殿方がいます。
残念ですが、今回の件は無かったことにしてください!」
一瞬、ポカンと頭を打ち付けられたように固まる3人。
しかし、相手側の二人はすぐに笑い出した。
「ふ…ふはははは! これは面白い!」
ラクセンはそれだけ言うと、パチンと指を鳴らした。
すると従者らしき人物が、ある1人の青年を連れてくる。
その青年に、彼女は目を見張った。
「貴方の申している者……というのはこの男でしょう?」
その青年とは、もう会うことがないだろうと思われた、ラクエその人だった。
「ラクエッ! どうして……」
「あなたが頻繁にこの下賤な男の家を訪ねていると聞きましてね。
もしや……と思いましたが、やはりそうでしたか」
ニヤニヤとした口元を隠さずに言う。
ラクセンはラクエに、おい、と語りかけた。
「さぁ、お前から要件を話せ」
ドンッと背中を押され、ラクエは彼女の元に歩み寄る。
「…殿下、また会いましたね」
「……ごめんなさい……。
まさか、こんなことになるなんて……」
「いえ、良いのです……。
それより―――――」
ただ頭を下げることしか出来ない彼女に、彼は告げる。
「―――――この度、私は貴方の恋に終止符を打ちにまいりました」
一瞬、彼女は何を言われたのか分からなかった。
いわゆる、失恋……という奴なのだろうか?
ラクセンの卑しい笑みの堀が深くなる。
「……え?」
「貴女が私に好意を懐いていることは知っておりました。
ですから、その恋を終わらせに参ったのです」
「ッ!……ラク…エ…」
なんの未練もないかのように告げるラクエに、彼女はどうしようもない絶望に囚われ、ガクリと膝をついてしまう。
そんな中、ラクセンは追い打ちをかけるように言った。
「姫はお忘れですか?
この国の法では、位の異なるものとは婚約してはならぬという決まりを……」
彼女を嘲笑うように、二人は嗤う。
悔しさと切なさが入り交じった涙が、彼女の頬を伝う。
「……ですから、あなた方にはこの場からの退場を願いましょう」
突然、人が変わったようにラクエは言い放った。
何事かと思ったのか、彼らは笑うのをやめてラクエを見る。
見れば、黒く優しい瞳の面影はどこにも無く、ただ不倶戴天の敵を見る目だけがそこに存在した。
そんな彼にラクセンは一瞬萎縮する。
が、すぐに喚いた。
「ッ!……き、貴様。 カールド帝国現皇帝である私に、退場しろだと!
ふざけるなよっ! たかが市民の分際で! 誰に向かって口を聞いている!」
しかし、そんな激昂にも動じずに、ラクエは答える。
「貴様こそ、誰に向かって口を聞いている?」
「何だとっ!」
面をくらったように、ラクセンは聞き返す。
そして、ラクエは唄うように唱えた。
「我が内に宿りし精霊よ、 我が身に傅きたまへ!」
刹那、彼が首から掛けていたネックレスが光り輝く。
その眩しさ故、その場にいた者全てが瞼を閉じる。
暫くすると、その光はだんだんと輝きを失っていった。
「な、なんだ今の光は……」
カーリは、思わずそんな呟きを漏らした。
そして、すぐに息を呑む。
そこには黒いローブを纏った魔術師が一人、立ち尽くしていた。
だが、その容貌はラクエとは全くの別物。
頬に刃で切りつけられたような一線の古傷があり、海のように青かった髪は、黒く染まっている。
そして何より、黒かった瞳は、揺らぐ焔のような緋色の瞳に成り代わっていた。
「な……なっ!
そ、その頬の傷……そしてその緋眼……
も、もしや……!」
先程までふんぞり返っていたラクセンは、顔を白くして膝を震わせ尻餅をつく。
ただ傍観していたダリスも、こればかりは驚かずにはいられない。
そんな中で、カーリは目を大きく見開きながらポツリと呟いた。
「{絶倫}……50年前の戦以降、姿を消したあなたが……なぜ……?」
しかし、{絶倫}と呼ばれた魔道師は、その質問に答えずにラクセンへ言い放つ。
「我が名はラクエ・エンリ・ヴェルディ。
人に縛られぬことのない者の名において、宣言する。
……彼女は貴様のような下賤な男が触れて良い女性ではない、すぐにその汚い手を退けろ!」
「ラ……ラクエ?」
呆気に取られる彼女に、魔術師は微笑んだ。
「言ったでしょう?
貴方の恋に終止符を……と」
「……っ!」
ようやくその意味を悟った彼女は、声すら出せずに、再びその大きな瞳から涙をこぼした。
「か……構うものかぁっ!
お前っ! こいつを殺せっ!」
よほど悔しかったのか、ラクセンは喚きたて、従者にラクエを殺すように命じる。
一瞬の戸惑いの後、従者は、懐から短刀を取り出した。
「ラクエッ!」
その襲撃に、シュリレザンはラクエの元へ駆け寄ろうとした。
が、すぐカーリに止められた。
次の瞬間、ラクエに白刃が振り下ろされた。
「逃げてッ! ラクエッ!」
しかし、そんな彼女に構うことなく、彼は冷静に呟きを洩らす。
「……愚王はいつの時代にもいるのもですね……」
そして、当然の如く迫る白刃を指の隙間で受け止める。
「……なっ!」
「こんな貧弱な武器で私を傷つけられるとでも思ったのか?
あまり……私を舐めるな」
睨みをきかせ、やや怒気を孕んだ声でそう言うと、木の枝でも折るように白刃をポキリと折ってしまった。
床に落ちた剣先が、カランと乾いた金属音を響かせる。
ラクセンは驚き半分怒り半分と言った様子の表情をしていた。
「なっ……んだと……!
いや……い、い!
どちらにせよこの国は終わりだ! いざ泣きついてきても私は知らぬぞ! ダリス! 行くぞ!
こんな国、もう二度と御免だ!」
咆えることしか能のない東の独裁者は、そのまま扉から出てゆく。
「は……はい!」
呆気に取られていたダリスは、名を呼ばれてハッとし、お付きの者を連れて去っていった。
一瞬訪れた静寂の後、カーリは口を開く。
「{絶倫}……貴方様が何故……?」
今度はラクエの目を見て、再び訪ねた。
しかし、ラクエはしれっとしたように答える。
「好きな人の為に頑張るのが男でしょう?」
呆気にとられるカーリなど眼中にないというように、ラクエはすぐにシュリレザンに歩み寄った。
そして、眉をひそめながら訊ねる。
「……怒っていますか?」
その質問に、彼女は目を丸くした。
「え……? 何故です?」
すると、ラクエはバツが悪そうに言う。
「私が正体を隠していたことです。
……貴女が私の正体を知ったら、もう会ってくれないのではないかと思いまして…………」
少し頬を染めているラクエ。
そんな彼の初めて見る表情に、彼女は驚きつつも彼の手を取り、そして笑った。
「いいえ。 形はどうあれ、あなたがラクエであることに変わりはありませんから……」
すると、彼は愛おしそうに、シュリのとった手をそのまま彼女の頬へ近づけ、まだ残っていた涙を拭ってやった。
「……ありがとうございます……シュリ」
そう言うと、ラクエは1度深呼吸をする。
そして、真っ直ぐにシュリを見つめる。
「シュリ。 私は、かつての魔術師……旧帝国軍を滅ぼした殺戮者に過ぎません」
静かに、そして荘厳に告げる。
「えぇ……知っています」
ラクエは、そのまま最後まで続けた。
自分の気持ちを全て吐き出すように―――――。
「――――正体を知ってなお、貴女は私を受け入れてくれますか?」
告白という名の終止符。
それは、終わりと同時に始まりでもあった。
「……」
しかし、彼女は何も答えない。
刹那、その返答と言わんばかりに、彼女の唇がラクエの口を塞いだ。
「ッ!……」
驚きつつも、ラクエは彼女の細い腰に腕をまわし、抱きしめた。
強く……壊れないように。
――――暫くして顔を離す。
彼女は子首をかしげて微笑んだ。
「……もう二度と、離しませんからね? 貴方」
満面の笑顔を咲かせる彼女は、双陽の光を一身に浴びて輝く、一輪のカシミアように美しかった。
カーリは一人、部屋を出た。
二人には気づかれぬよう、そっと。
今後、国はどうなるか分からない。
腹を立てたラクセンが、軍を編成して攻めて来るかもしれないし、旧帝国同様、食糧難による反乱が起こってもおかしくはない。
しかし今。
今、この一時だけは、一人の親として、娘の幸せを願いたいと思った。
赤い絨毯の敷かれた廊下の窓から、光が差し込んでいる。
見れば、雲一つない空に浮かんだ二つの洛陽が、カシゼン河の鏡面に映し出されていた――――――
―fin―
御一読ありがとうございますm(*_ _)m