黒獅子の娘
悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴!
街々が壊される音!!!
あたしはその恐ろしい音を遥か上で聞いていた。
耳を塞ぎたくなる。
徐々に悲鳴が小さくなっていくのは決して上が安全になったからではない。
だって街々が壊れていく音は小さくなるどころか大きくなっていくのだから。
「痛いよう…ママ…パパ…」
そんななか、あたしは生きていた。
空から降ってきた骨が頭を掠めて大量の血が吹き出た時はもうダメだって思ったけど、街を守る勇敢な騎士様が助けてくださり、ひとまず安全と思われる下水道に身を寄せていた。
ここにはあたし同様騎士様に助けて貰った人達がいる。
たくさんはいないけど、ここには生きている人がいるってことに勇気付けられる。
「大丈夫かい?お嬢ちゃん」
肩から肉が焼ける匂いを漂わせているおじさんが声をかけてくれた。
あたしは猫人族でおじさんは犬人族。
普段は仲が悪いもの同士だけど、今はそんなこと気にもならない。
犬も猫も助け合わなくては生き残れないから。
「大丈夫…!」
「ほら、薬。痛み止めだ。」
渡されたのは小さな錠剤。
「でも!」
これはおじさんのだ。
これをあたしが飲んだらおじさんが痛いのを我慢しなくちゃならなくなる。
薬は貴重。
ここにいる怪我人全員に行き渡るほどないのだ。
「おじさんこんなの飲んでも効かないからな。
お嬢ちゃんがお飲み。」
優しくあたしの手を取り薬をもたせてくれた。
あたしは少し考えて思い切って薬を飲む。
ふわりとおじさんは笑ってくれた。
「大丈夫、この国にはエドワード様がいらっしゃる。
すぐにあんな奴ら国から追い出してくださるさ!」
そうだ!
あたしは思い出した!
かつて魔界には悪い魔王がいた。
その魔王を倒したのが勇者様。
その勇者様に付き従い魔王に共に挑んだ英雄がエドワード様!
この国の王太子様だ!!
そう、きっと!!
そんな時、あたしの耳とおじさんの耳が同時にピクっと動いた。
おじさんの背後から誰かがゆっくりと近づく足音がする。
ゆっくりゆっくり…
奥の暗闇から出てきたのは…
騎士様!
手に誰かを抱えてらっしゃる!
また一人お助けになられたようだ!!
「すまない!また一人生きてる人を見つけた!
面倒を見てやってくれないか!?」
「私が見ましょう!」
優しい犬のおじさんが騎士様に近づき…腕の中を覗いて息をのむ。
「これは…!」
「信じられないが見ての通りまだ生きている!
あと、物資だ。頼んだぞ!」
騎士様はおじさんに手の中の人と皮袋を渡してすぐさま去って行った。
また誰かを助けに行ったのだろう。
おじさんはまじまじと腕の中をみている。
「そんな風に見るな。目障りだ。」
「す、すまない!」
腕の中の誰かが怒りに溢れた声をだす。
まだ子供の声。
おじさんはこちらに戻ってきた。
そしてあたしの横にくると腕の中での人をそっと下ろした。
「!?」
あたしは息をのんだ。
最初顔を見たが、その右目が抉られたようにぽっかりと穴があいていた。
血がこぽっと流れていく。
その部分ばかりを見てはダメだと視線を下に下ろせば右手と右足が引きちぎられたかのように喪失していた。
たくさんの血が流れていきむせ返るような鉄臭さが溢れる。
おじさんが皮袋から綺麗なガーゼを取り出し血で汚れた頬を拭く。
その過程で血でべちゃりと汚れた黒髪を動かせば、右耳も無い事がわかる。
重傷、重体を通り越して即死レベルの怪我人だ。
なのに、この子は生きているどころか気絶さえもしていない。
痛みで頭が朦朧としている気配もない。
頭は正常そのもの、平時と変わらない働きをしているようだった。
それは紛れもなく異常なこと。
あたしは自分より小さな子に一瞬恐怖を感じる。
「ちょっと痛いかもだが、すまんな。」
おじさんが薬を目に塗り込む。
見ただけで痛そうなのに、この子は眉ひとつ動かさない。
おじさんはガーゼを当て包帯を巻く。
耳にも手にも足にも同じ事をしていく。
血は止まらず包帯はすぐに赤くなるが、限られた物資なので簡単に変えることは出来ない。
しかし、この子は血が止まらない事に対して無頓着だ。
「…よくも…!この屈辱!必ず晴らしてやる!」
次節呟かれる恨み言。
威勢はいいが子供…いや、幼子であるこの子に何かが出来るはずもない。
そうでなくても満身創痍なのだ。
勿論、気持ちはわかる。
あたしも傷を負い、家族を失った。
叶うならば復讐をしたい。
だけどその為の力が何ひとつない。
「大丈夫だよ、エドワード様が仇を取ってくれるさ。」
「あんな子猫に何が出来る?」
はっと鼻で笑い返してくれる。
「誰の手でもない、この手で晴らしてくれるわ。」
幼子に似合わぬ憤怒の表情で言われあたしとおじさんは思わず顔を見合わせる。
「この子何者なんだろう?」
こそっとこの子に聞こえないような小声でおじさんに言う。
「わからんが…黒髪だし…着ている服も上等だ。
もしかしたら黒獅子公爵様の娘様かもしれん。」
おじさんもこそっと言い返してくる。
黒獅子公爵様!
あたしのような市民でもその名とお姿くらいは存じている。
獣人の国の建国に際し尽力を尽くした美しき黒毛の獅子の一族。
今は10代目の立派な武人様。
確かに公爵様のお家では娘様がいると聞いた事がある。
でも何故このような場所に?
黒獅子様は?
「お、お父様はどちらに?」
あたしは思わず少女に聞いた。
「知らぬわ!どこぞで生きておろう!」
こちらをちらりとも見ずに言い放つ。
黒獅子様と違い娘様は市民なんてものにご興味がないようだ。
いや、言い方的に黒獅子様にもご興味がない様子。
「おい、ここはどこじゃ?」
じろりと残った左目であたしを睨む。
恐怖で身が竦む。
「は、え、こ、ここは王都西地区5番の下水道です…!」
「…ちっ!」
娘様が舌打ちをした。
何が気に入らなかったのだろう。
あたしは泣きたくなった。
「暫く動けそうもないか…!忌々しい!!」
暫くどころじゃないと思うんだけど口を挟む勇気はない。
「ところで一体何があったのじゃ。」
「えっとあたしもよくわからないんだけど…」
ちらりとおじさんを見る。
「魔族が侵攻してきたんだよ。」
「ほう?」
少女は左目を細める。
「たくさんの竜が攻めてきてこの有様だ。」
「脆いのぅ。かくも獣人の街とは脆いのか。」
少女は憮然と言う。
「そうか、お嬢ちゃんは小さいからこんな事初めてか。」
「そうだな、初めてよ。」
場違いな笑みを浮かべる。
「しかし、これは僥倖。」
「何か言ったか?」
「いや、何も。」
少女は首をふるがあたしには聞こえた。
多分、おじさんにも聞こえたはず。
僥倖?
僥倖って何?
これのどこがラッキーなのよ!
あたしの頭に血がのぼるがすぐにくらっときてしまう。
おじさんが支えてくれた。
それでも少女を睨むのをあたしはやめない。
だけど少女はあたしに興味がないようで視線がこちらに来ることはない。
「今日1日がヤマか。」
「じゃあ、大丈夫、エドワード様がすぐに片付けてくれるさ。」
「そっちではない。」
吐き捨てるように言う。
「ヤマとはこの怪我の事を言っておる。」
「それはさすがに1日じゃ…」
どがん!
『!?』
激しく揺れて動揺がはしる。
悲鳴があちらこちらから漏れる。
あたしもカタカタ体が震える。
今のは何?
「だ、大丈夫だ!きっとエドワード様がお倒しになった竜が堕ちてきたんだ!」
あ、そうか、そうだよね…!
周りから安堵の息が漏れる。
薄ら笑いすら聞こえてきた。
「な、わけなかろう。」
冷たい声がすぐ近くから聞こえた。
「な!」
少女は無理矢理立ち上がった。
片足だし、片手だし、実に不安定で思わず肩を貸してしまう。
少女はそれに少し驚いたようだが、気にせず前に進もうとする。
行き先は…少女が入ってきた入口兼出口。
「ど、どこへ…」
「ここにいたら危険なのはわかるじゃろ?」
「な、何言って…!」
「理屈ではない、本能で感じよ。獣の本能は己で思うより優秀と知れ。」
『….!』
その一言で動けるものは動かないものを支えて進む。
歩く度に血が落ちてそれが導となる。
歩いて行く最中も小ぶりの揺れが度々襲い恐怖に突き動かされる。
しかし、行動が遅かったと入口兼出口について悟る。
そこは瓦礫のヤマとなり最早猫の子一匹通る隙間はない。
「そんな!」
ざわりと周りから動揺が広がる。
外は危険だがここにいつまでもいられない。
いつ、ここが崩れるともしれないし、食料や薬だってないのだから。
「ここは下水道なのじゃろ?ならば他にも出口はあるはずじゃ。」
「そ、そうだよな!」
努めて明るくおじさんは言う。
周りも頷く。
「で?それはどこに?」
「…」
「…」
無言が答えだ。
だって知らない。
正直道の下に川が流れていることも今日初めて知ったのだから。
「適当に進めば出口がある…と、思ったら大間違いなのじゃろなぁ…」
少女はずるりとしゃがむ。
慌てて腰を落として彼女をゆっくりとおろしてあげる。
「まあ、今日1日持てばいいから慌てる必要は…」
どがん!
先程のような大きな揺れが襲った!
悲鳴が漏れる。
「………あるかもな…」
少女はため息をついたのだった。