第6話:助けて、お兄さん!
シマウマかトムソンガゼル。
言うなれば俺はそのどちらかである。対して真桜は、
チーターかライオン。
俺が動物奇○天外を見て手に入れた知識では、必ずしもシマウマたちがライオンたちに捕まる訳ではない……むしろ、逃げ切れる展開の方が多かった気がするが、
――ピーンポーンパーンポーン
『あー東雲さん、魔王陛下から伝達です。準備完了、今から行動を開始する。だそうです』
――ピーンポーンパーンポーン
ご苦労さま、放送委員。でも、ありがたくないから。
あの番組だとシマウマが逃げ切る展開の方が多かった気がするが、あいにく俺の肉体スペックはシマウマ以下、ガゼル以下。そして真桜の肉体スペックはチーター以上、ライオン以上だ。
はい、絶望的です。
「しかし――負けんぞっ!」
ただいま廊下を爆走中。宮水沢学園高等部の西棟、ホームルームなどを行う通常教室が集まる棟だ。
放課後の通常教室に残る生徒はほとんどいない。大抵は部活の為にグラウンド、あるいは各部活の部室が集まる東棟に移動している。残っている生徒は相当の暇人、もしくは居残り授業組くらいか。
ちなみに生徒会室があるのは南棟。保健室や職員室なんかも南棟だ。
西棟最奥の階段を一気に下ればそこは昇降口。校外にさえ出られれば真桜も止まってくれるだろう。
真桜は学校内の出来事と学校外の出来事を分けて考えている。
校内で怒らせても校外では何も言わないし、逆に校外で怒らせても校内では普通だ。
それでいて校内の出来事を校外で謝ってもちゃんと聞いてくれる。逆もしかり。
まあ、怒らせた理由が全面的に俺の所為なら意味はないが、今回は一姫が余計な言葉を掛けたのが原因だ。ちゃんと説明すれば許してくれない訳はない、はず。
と言う訳でこの鬼ごっこは、俺が校外に出れば俺の勝ち。できなければ俺の負け(=死)ということになる。
そんなことを考えながら廊下を中程まで進んだ時――
「はい、追い付いた」
「――ッ!?」
な、なんだと!? いつの間に……足音一つしなかったぞ! それなのに、真横に!?
「潰れなさい」
「ぬおあっ!」
ブンッ、とまるでバットでも振り回したかのような風切り音とともに、真桜の回し蹴りが顔面に繰り出される。
とっさに前転回避! 避けきったぜ……!
「よく避けたわね。それだけは褒めてあげるわ」
「お褒めに預かり光栄です……」
が、現状は大ピンチ。動きが止まっている上、俺は今座っている。対して真桜は、
「でも、この程度なら……ここまでする必要はなかったかしら」
真桜の格好から察するに、本気の50%だ。
肩に背負った暗紫色の竹刀袋。履いているのは上履きではなく、金属色が物々しい安全靴。ブレザーの上に羽織った漆黒のロングコートがマントのように揺れている。
安全靴とロングコートは朝持ってたジェラルミンケースの中身。さらに言えばロングコートは防弾防刃、さらに内部には金属板が入っているという特別仕様。
そんな超重量装備を纏って、足音一つ立てずに全速力の俺に軽々追い付く……。うわ、勝ち目ねぇ。
本気の80%なら竹刀袋の中身を取り出してくるのだが、さすがにそこまではしないようだ。……シャレじゃないよ?
「それじゃあ懺悔は済んだかしら?」
「済んでないから見逃して!」
お願い!
「私が見逃すとでも?」
「思ってな、ういぃぃぃぃ!?」
高速の蹴り上げを頭を反らして回避。てか速! 安全靴履いてるのに速!
「パ、パンツ見えんぞ!」
「短パン穿いてるから問題ない」
蹴られても役得なしかよっ!
「フッ――!」
「にゃにゅわっ!?」
そのまま連携で放たれた踵落としを横に転がって避ける。が――
「ぐぼっ!?」
廊下の壁に頭をぶつけて自爆。イテーよ、おい!
「どうやら年貢の納め時のようね」
うわーん、お百姓さんを苛めるなぁ!
真桜の蹴りが俺の頭蓋骨を粉砕する為、放たれる。
ブンッ、という風切り音。魔王キックが無慈悲にも俺の頭蓋を破壊する――
「なにやってるの、二人とも?」
――寸前で止まった。
「う……」
「おうっ!」
こ、これは、最後の最後で大逆転? 奇跡の助っ人参上ですか!?
「蒼兄ぃ、たーすーけーてー!」
恥も外聞もなく泣き付きますよ、ええっ!
目の前にいる男子生徒、その名を倉里 蒼樹。
苗字から分かる通り真桜の兄であり、魔王陛下が唯一頭が上がらない人物だ。
身長は俺よりも高く、多分174センチくらい。性格は温厚で、ルックスはかなりいい。が、勉強も運動も正に“平均”で特に突出している物もないので、モテモテという訳ではない。なぜか狭い範囲において異様にモテるが……。
俺達より1つ年上だが、高等部進学の前に1年間海外に行っていたので学年は一緒だ。俺は蒼兄という昔からの呼び方を変えてないが。
俺に泣き付かれて蒼兄は困惑顔になる。
「真桜? また義裕をイジめたの?」
「ち、違っ……イジめてなんかない!」
蒼兄の声は柔らかい疑問の声だったが、真桜はとんでもなく慌てた顔で弁解している。ホント普段と違うな……。
真桜は蒼兄と話すときだけキャラが違う。
普段は冷静沈着クールな魔王陛下だが、蒼兄に対しては態度も喋り方も幼い子供みたいになる。
ぶっちゃけブラコンだが、それを言ったら俺も似たようなものなので言わない。
蒼兄は真桜の否定の声を聞き、思案顔で今度は俺を見てくる。
「じゃあ義裕。義裕はイジめられた?」
……ここで仮に『はい』と言ったら、あとで真桜の攻撃が容赦なく入るだろう。そしてその時、蒼兄はいないので助けはない。
逆に『いいえ』と言ったあと、蒼兄に先程の状況を説明すれば真桜を説得してくれるかもしれない。そうすりゃ円満解決だ。
「いや、イジめられたんじゃなくて、ちょっと誤解があって……」
「誤解?」
かくかくしかじかと状況を説明。そもそもの原因は一姫であると力説する。
蒼兄は、うーんと唸ったあと、真桜に向かって話し掛ける。
「真桜、今の聞いた?」
「う、うん」
「義裕はね、裏切ってなんかないんだって。ずーっと真桜の味方だって」
蒼兄、なんか脚色してない? つーか脚色しすぎじゃない?
「だから仲直りしよう。はい、握手」
そう言って、俺と真桜の右手を繋がせて無理矢理握手させる。
仲直りの握手って子供じゃないんだから……。
「これで仲直りだね」
だが、そう言って笑顔を向けられると何も言えない。真桜も同じらしく、曖昧な笑みを返していた。
話が一段落して、真桜が話し掛ける。
「あの、お兄ちゃん。私たち今から帰るけど……一緒に帰る?」
「ん? んー……」
む、蒼兄が悩んでいる。俺としては一緒に帰ってほしいのだが……。
「自分はちょっと用事があるから、遠慮するよ」
あらら、残念。
俺としては真桜と二人だけで帰るという、ある意味危険な行為は避けたいのだが、ワガママ言って迷惑を掛ける訳にもいかない。
荷物はご丁寧なことに真桜が生徒会室から持って来てくれていたので、すぐに下校できる。
……あの超重量装備に加え鞄まで抱えていたという事実に肝がさらに冷える。具体的に言えば15度くらい冷える。
あ、ついでに補足すると蒼兄は自分のことを『自分』と呼ぶ。ややこしいなぁ。
「それじゃ二人とも、ケンカしないで帰るんだよ?」
「うん」
「じゃ、蒼兄も気をつけてー」
蒼兄が去って行くのを見送る。
ううむ、さすが蒼兄。歩き方もキレイだ。言うなればビューティフル。
「行くわよ」
廊下の先に蒼兄が消えると、真桜のキャラが元に戻る。
蒼兄がいなくなったからといって再処刑とは言わないようだ。よかったよかった。
ズンズン廊下を歩いていく真桜を、俺は無言で追いかけた。
◆
――生徒会室。
「体育委員長、保健室に運んできましたよ」
「ご苦労」
「お疲れ様」
「ご苦労様です」
宮水沢 紳が生徒会室に戻ると三者三様の労いの言葉が返ってきた。
紳はこの場の4人の中では最も役職が上の副会長だが、残りは全員女子であり体育委員長のような大柄の男を運ぶには不適当だった。よって唯一の男手である紳が気絶した体育委員長の運搬を任されたのである。
もっともこの場に義裕がいれば、体育委員長の運搬は彼に一任されただろう。副会長補佐は別称『便利屋』である。(そして通称は『生贄』)
「……倉里先輩と東雲先輩は戻ってませんか」
紳が室内を見回しても両者の姿はない。
「後者に関しては『戻って来れない』のかもしれませんわね」
その原因を作った一姫がしれっと言う。その顔は薄い微笑を浮かべていた。
「生きてるですかねー?」
「死んではない……だからといって『生きている』というのは早計」
何気なく放たれた風月の疑問に、蜜柑が微妙な返答をする。
「なるほど……植物状態を果たして『生きている』と言えるかどうか、そういう話ですわね」
「わたし、『生きている』に一票です」
「私も」
『女三人寄れば姦しい』と言うが実際にそうなのだな、と傍で聞いている紳は思う。
正直、唯一の男子である紳は肩身が狭い。
そんな時――
「こんにちは」
ガラガラとドアを開く音と共に、声。
「あ、蒼樹先輩!? こんにちは!」
その声、その姿に紳は驚愕するも即座に挨拶を返す。
生徒会室に現れたのは役員ではない、かつての役員ですらない、部外者。だけどそれは対外的な話。
ここにいる生徒会メンバー全員、少なからず彼とは関係がある。
倉里 蒼樹。
現・副会長である倉里 真桜の兄であり、紳の尊敬する先輩であり、一姫の大切な幼馴染であり、風月の憧れのお兄さんであり、蜜柑の最高の仕事仲間。
元々は何らかの形で生徒会のポストに入るはずだったのに辞退した人。
唐突な蒼樹の登場に三人娘も口を閉じる。
「え、えーと今日はどうしたんですか?」
蒼樹は普段生徒会室に来ることはない。たとえ彼の妹である真桜が再三出頭を要請しても。
その彼がワザワザ生徒会室に顔を出しているのだ。何かあったには違いなかった。
「ん。大した事じゃないけどね」
そうは言うが、蒼樹がここにいる時点で既に大事である。
「姫ちゃん」
「は、はい!?」
呼ばれたのは夜帳 一姫。
蒼樹は幼い頃の愛称で一姫を呼ぶ。後にも先にも、一姫をそう呼ぶのは蒼樹だけだ。
返事をする一姫の声が裏返った。
「今そこで真桜と義裕に会ってきたんだけど」
「え、ええ……」
そこで蒼樹は少しムッとした顔をして、
「仲間を傷つけるようなことは言っちゃダメだよ」
「え、ええっと……」
「ん。姫ちゃんは毒舌だって言われるけど、ちゃんと相手を選んで話す内容を変えてるのは知ってるよ。問題は、その言葉を周りの人が聞いても大丈夫かってこと」
言葉は精神的な力。悪口は暴力。
言葉を向けられた当人は傷付かなくても、その言葉を聞いてしまった周りの人間に影響を与えることもある。
例えるならそう、本人達にとってはじゃれ合いにしか過ぎない頭を叩く動作が遠目には酷い暴力に見える、そのようなこと。
「真桜は裏切りとか誰かがいなくなるとか、そういうのを嫌うから……。気を付けてあげて」
「あ……はい! 真桜はわたくしにとっても親友ですから、当然ですわ!」
「ん。やっぱり姫ちゃんはいい子だよね」
一姫が力強く答えると、蒼樹はそう笑った。
「さて、それじゃ自分は帰るよ」
話は済ませたので蒼樹が生徒会室から出ようとすると、
「蒼先輩! ちょ、ちょっと待ってです!」
「ん?」
声を上げたのは今まで黙っていた風月。
「え、えとー、そのぉ……お、お暇ならお茶でもどうでしょう? わたしたち、今からお茶会しますが」
生徒会室の備品である電気ポットを抱えて言う。
「んー……」
蒼樹はたっぷり3秒ぐらい溜めてから言った。
「喜んで」
その言葉に風月は微笑み、他の生徒会メンバーはグッジョブ風月、と心の中でガッツポーズを決めるのだった。
第六話、なんとか投稿。
そんなわけで魔王陛下のお兄さん登場の巻。
蒼樹は典型的ラブコメ主人公の素質を備えている凄い人。彼を主人公にすればこの物語のジャンルが全く違ったものになってしまいます。
明日から大学が本格的に始まります。うぅ、あと一話くらい連続で投稿したい……。