第11話:養護教諭東雲紗百合
「ううぅ……お、俺は、もうダメだ……」
「しっかりしろ、クラスメイトA。お前はまだ五体満足だ」
こちら東雲義裕! 地獄特訓により使い物にならなくなったクラスメイトを保健室に移送中! 応援求む!
……そんな訳で只今クラスメイトAを担いで移動中です。
俺はフラフラしてるが、比較的体が動くので運搬係。
フラフラしているとはいえ、俺はかなり無事な方。実際他の連中は露骨に死にかけている。
普段から真桜に蹴ったり殴ったりされる俺にとって、地獄の特訓はほんの少し厳しくなったシゴキにすぎない。自慢になってないけど……。
「失礼しまーす」
小声で断りながら保健室のドアを開け、
「あっ、ヒロくんだー」
「コイツお願いしまーす」
クラスメイトAを置いて、急速離脱!
「待ったー」
「ぬおおおおうっ!?」
何事!? 突然世界が逆さまに! そうか、これは――遂に世界の終わりが始まったのか!
「また馬鹿みたいなこと、考えてるでしょー?」
間延びした声がなにやら失礼なことを言ってる気がしますが、気がするだけです。実際には何も聞こえてません。
はいはい、俺の耳には何の声も届きませんよ。母の声なんて当然のことながら聞こえません。
「お母さんを無視して帰ろうとするなんて……なんてイヤな息子なのー?」
「きこえなーい、きこえないー! 俺は何にも聞っこえないー!」
そう、今聞こえてるのは空耳。空耳ケ○キなんだ! 懐かしい……。
落ち着いてよく見ると、俺はロープによって片足を引っ張られ、宙吊り状態になっているようだ。何て古典的なトラップに引っかかってるんだ、俺……。
「ねーねーヒロくん。ヒマだからお話でもしないー?」
「先生! クラスメイトAをお願いします!」
「じゃあ、歌でも歌うねー」
無視された!? てか、なんで歌?
「ペキン、ベルリン、ダブリン、ダブリだ♪ わたしの息子は留年寸前ー♪」
「歌うなあああああああああぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「でも涙が出ない♪ だって諦めてるんだもん☆」
「ひどい!」
なんつーか、精神的に嫌な攻撃だよ! ピンポイントに弱点を突いてきてるよ!?
「それじゃ、お話しましょ?」
「イエス、マイマザー……」
毎度のことながら周囲の女性陣に対し拒否権を持てない俺、涙!
我が母、東雲 紗百合は保健の先生である。
見た目は20代にしか見えず、さらにどこまでも優しく包容力もあるので生徒からの人気も高い。
が、俺は自慢できる母とは思っていない。その原因が母の趣味にある。
母の趣味……それは『トラップ製作』。
今俺が引っかかっている古典的なロープの罠から始まり、難度の低いものではバナナの皮や落とし穴、高いものでは対人地雷やレーザーなど……古今東西、和洋折衷のトラップをこよなく愛しているからこその所業の数々。
という訳で、東雲家はトラップ満載。
空き巣に入ったコソ泥が、トリモチトラップに引っかかって泣きながら助けを求めてきたこともあった。玄関先のレーザーに細切れにされなかっただけ運がいいと言える。
かく言う俺もトリモチに引っかかったことがある。その時はそのまま1日放置された……。真桜が発見してくれなかったら、十中八九ミイラになっていただろう。母さんは仕掛けはするが解除はしない。
ちなみに真桜はそんなトラップを全て力ずくで突破できる。ロープは切断、トリモチは撃墜、バナナは素通り、地雷は地面ごと抉り飛ばす。レーザートラップですら発射口を破壊して回避する。……思えばアレが一番金かかってるトラップだった。
まあ、そんな訳で俺は母さんが苦手だ。
「で、話って何するの?」
クラスメイトAを保健室のベッドに寝かせてから、一応訊いておく。
余談だが1つのベッドに2‐6男子が5人ほど、ひしめき合うようにギュウギュウ詰めになっている。見ていて美しくない光景だ。
「じゃー、真面目な話をしようか」
母さんが真面目な話をすることは、確率としては5%くらい。たいていの場合他愛ない話で終わる。
つまり、この前振りも意味なく終わるだろう。
「ヒロくん、ダブりそうだねー」
「それは肝に銘じているから言わなくてもいい!」
ホントに真面目な話をしてきた。最悪だ……。
「あと1回遅刻したら留年だったっけー?」
「…………」
俺はノーコメントを貫くぜ!
「ヒロくん? 聞いてるー?」
「…………」
ノーコメントを貫く!
「あ、ユーフォー」
引っかからんぞ! 貫く!
「あ、真桜ちゃん」
なにいいいいぃぃぃぃぃ!? って引っかかるか! 貫け!
「聞いてよー、真桜ちゃん。ヒロくんったら無視するんだよー」
「とんだ親不孝者ですね」
「…………」
あれ?
首を真後ろに回すとそこに真桜がいた。ガーン……!
「そして今まさに真桜ちゃんを無視しようと」
「シテナイヨ」
「してたのね。声で分かるわ」
ハハハ、イヤダナー。ソンナわけナイジャないカ。
「……用があったんですけど、やっぱりいいです。失礼します」
「ばいばーい」
……何しに来たんだろう。
「真桜ちゃんはやっぱり優しいねー」
どこが?
「ああ、ヒロくん。さっきの続きだけどー」
「…………」
まだ続くんかい!
「遅刻1回でダブるんだったら、授業を休んでもダブるんじゃない?」
…………。
「ほわたああぁぁぁぁ!」
「わー、まるで北斗の人みたい」
あたたたたたたたたたたたたたたたたたた! ひでぶっ! ――じゃない!
「マズイ! こんな所でグズグズしているヒマはなかった!」
時計を見れば、6限目の授業開始まであと1分。
「真桜ちゃんはきっと呼びに来てくれたんだよー。いい子だねー」
そ、そうだったのか……!
くっ、こうしちゃおれん! すぐに教室に戻らなければ!
「真桜ちゃんに謝るんだよー」
まあ、わざわざ呼びに来てくれたのに無視するようなことをしたからな。謝るのは当然。
了解だ、マイマザー。こうなったのは全面的にアンタのせいな気がしないでもないが――その依頼、たしかに受けたぜ……!
俺はフラフラの体にムチ打って、教室に向かった。
ちなみに。
「真桜おぉぉぉ! せっかく呼びに来てくれたのに無視してゴメンよおぉぉぉぉっ!」
教室に授業開始前に戻り、保健室での出来事を真桜に謝ると、
「は? 別にあなたを呼びに行った訳じゃないけど」
……なんか冷たい返答が返ってきた。
「一姫が紙で指切ってね。絆創膏があれば貰おうかと思って立ち寄っただけよ」
母さん。真桜が優しいのは認めるが、俺に優しいわけじゃない。
謝ったのを後悔したくなる瞬間だよ。
「…………」
ん? 件の一姫が何やら俺のことを睨んできてる。
「えーと……なに?」
「……何でもありませんわ。貴方のカマドウマ並みの馬鹿さ加減に厭倦しているだけですの」
カマドウマ……いや、俺、そこまで言われるような馬鹿なことしたっけ? エンケンって、また難しい言葉を使ってまでして……。
「理由が分からないから馬鹿なのですわ。まあ、貴方が馬鹿なのはいつものことですが」
ううぅ、ありがちなセリフだけど心が痛い。しかしいつまでも馬鹿扱いは嫌だな。
……ここは他力本願で! ビビビビッ、電波発信!
誰かぁ! 電波なテレパスさんでもいい、俺に答えを教えてくれ! 正解者には豪華粗品が贈呈されるぞ! ……俺も正解は分からないから訊いてんだけど。
「…………」
……当然のように誰も答えてくれないのね。
微妙に短い気がするけど、今までちょくちょく出てた東雲母、紗百合さんメインの話。
うーむ、後半微妙にシリアスってる。ホントに微妙にだけど。
義裕が馬鹿呼ばわりされてしまうのは、真桜の言葉を鵜呑みにしてしまう点にあります。
彼がそれに気付く頃には物語が終わりに向かっているでしょう。むしろ気付いたら終わりとも言う。
まあ、シリアスなのは今回くらいで、次回からはいつものようにコメディな日常が続きます。
次回は義裕に全面的に優しくしてくれる貴重な人が登場です。