後始末
エイン砦の最奥にある一際豪華な部屋。未だに僅かな刺激臭が立ち込める中での一人作業は精神的にちょっと来るものがある。砦を落としたのが一昨日で内部の換気に昨日丸一日かけてもこの臭いだ。
護衛は部屋の外で待機だ。ハイエルフが使っていたと思しき部屋で余計な文書とか見たくないんだとさ。
刺激臭の原因は言わずもがな、砦のこれでもかと投げ込んだ毒ガスが原因だ。しかし……、
「大佐が毒ガスを投げ込んだ本当の理由聞いたら、ブチキレるれるだろうなぁ。」
本音を半分織り交ぜた嘘でごまかしたけど、大量の“塩素”の処分に困ったからなんて絶対に言えないな。作戦中、顔めっちゃ険しかったし。
塩素、黄緑色で空気よりも重く消毒に漂白と幅広い用途で使われている。その一方で毒性があり換気が不十分な場所で使用すると体調不良などを引き起こし、最悪死に至る。
第一次世界大戦では毒ガス兵器としても利用された。目や粘膜に影響を与え、呼吸困難から死に至る窒息型と呼ばれるものだ。
さて、なぜ塩素があんなに大量にあったのかというと、何かと使い道の多い水酸化ナトリウムを大量に作ったからだ。
メティヒルデに骨格標本を依頼したときにも処理剤として使用したし、人口結晶の“元”を溶かすときにも使っている。
水酸化ナトリウムは強アルカリ性で物騒な割には作り方は非常にシンプルだ。塩水を電気分解するだけ。以上!
問題は、その過程でどうしても塩素と水素が発生する。水素はともかく塩素はその辺に垂れ流すわけにもいかなくて、回収していたらちょっとやそっとで処分できない量がいつのまにか溜まっていた。
エイン砦の名前が出るまでは橋の上に建っているクロノヘス砦を落とそうと考えていた。
橋下駄を爆破すれば中身ごと流れていくし、新型のゴーレム使えば簡単に橋ごと砦を建て直せると思ったからだ。それも鉄骨製で。
廃坑で中が入り組んでいるエイン砦の概要を聞いた瞬間に、俺は塩素を処分できる、帝国は難攻不落の砦を無傷で手に入れられる。win-winじゃね?となったわけだ。
エルフ?知らんな。
そうそう、投げ込んだ塩素の入った球体もある意味ゴーレムだ。液化した塩素の入った球体にゴーレムのコアをくっつけて、“条件を満たしたら穴を開けろ”と刻み込んでおいた。
投げ込まれた衝撃でコアが破損して作動しなかったものがいくつか見受けられてけど、予想の範囲内だ。
予想外が合ったとすれば、
「どれもこれもまともに読めないな……。」
塩素の漂白作用で文書のインクが脱色されていることだ。いやぁ、完全に失念してたね。
よく見れば部屋の調度品からも色が抜けている。こういうのって財源の一部になるんだよね?飾られている絵なんて、誰がどう見ても色が落ちて価値が下がっている。
「ベンノがうるさくなるな……。」
見なかったことにしよう。
新型ゴーレムも課題が見えた。
道中はカモフラージュのために土を纏わせたけど、二度は通用しないだろうし魔力の消費から考えても次はやらないだろう。土が剥がれないように行軍速度も落とさないといけないし。
人工結晶も魔石として十分に効果があった。天然の結晶に比べれば質は一段劣るけれど、それでも量を確保できるのは大きい。今もオートクレーブ(高温、高圧を可能とする装置)で栽培中だ。
魔石をバッテリー代わりにすれば稼働時間も伸びるし、魔石ごと交換すれば魔力の補給もかなり楽だ。
欠点はゴーレムの構造上の弱点と旧来の術式だ。
土のゴーレムは魔力と材料がある限り修復し続けるんだけれど、新型は鉄製でおまけに“関節”を採用している。
この修復が厄介で、ちょっとした傷や金属骨格の歪みを“常に修復”し続けてる。一見いいことのように思えるけれど、これが魔力を馬鹿みたいに消費する。
こっちは多少の傷や歪みを考えて設計にしているのにコアがそれを許容していないものだから、活動に支障のない損傷を修復してガス欠になった機体がチラホラあったりする。
ベアトリクスと一緒に新しい術式を模索しないといけない。
あー、そうだ。大佐とベンノにもう一人、お説教リストに追加される予定の人物が。
ごめん、優一くん。銃器作っちゃった。
召喚された日に散々、“火縄銃なんて意味がない”なんて説教しておいてだからね。正確には火縄銃じゃないから……は通用しないだろうな。
実際のところ火縄銃の効果はこの世界じゃ薄いことは確かだ。
火縄銃の利点といえば弓より訓練期間が短く、音と光で相手を威嚇し、数を揃えることによる面制圧能力だろうか。
魔法がある以上、この利点は全て吹き飛んでいる。魔道具を用意できれば訓練期間と数の暴力はどうにでもなるし、音と光も魔法の方が派手だ。
重火器で圧倒したいなら連射の利く自動小銃くらいを引っ張り出してこないと難しいだろう。だが、そうなると今度は火薬が問題になってくる。
誰もが一度は作り方を調べたことのあるであろう黒色火薬は、実はあまり銃火器に向いていない。
というのも、黒色火薬は反応が早く、“すす”も多い。
すすの量は無視するとしても反応の速さはかなりの問題だ。
反応が早いほうが良いように思えるだろうけど、これがそうでもない。拳銃のように銃身が短く火薬の量が少ない物や、火縄銃のようにライフリングされていないで弾を押し出す時の抵抗が比較的少ない物なら大丈夫だろう。
でもこれが銃身が長く、ライフリングされていて抵抗が大きく、火薬量の多い銃になると相性は最悪だ。
弾を撃ち出しても火薬の燃焼が先に終わってしまって銃身に弾が残ってしまったり、薬莢から弾が出る前に火薬が全部反応して暴発することになる。くびれの付いたライフル用の薬莢に黒色火薬を詰めようものなら爆発必須だ。
用途としては爆薬に向いている。
黒色火薬の燃焼速度を調節した“褐色火薬”というのもあるけれど、発生した衝撃波で離れた火薬も連鎖発火する「爆轟」と呼ばれる現象の解決はできていない。
じゃあ銃に向いている反応の遅い無煙火薬を作ったのかというとそうでもない。製法を知っている無煙火薬なんてニトロセルロースぐらいしか知らないし、あんな摩擦熱で発火するような危険物なんて使いたくない。
ニトロセルロースからより銃に向いているB火薬なるものを作れるそうだけれど、手続きだとかもろもろ面倒で手を出したことがない。
ゴーレムに搭載したのは獣人の国から脱出する際に使用してぶっ壊した“女神の道”の改良版だ。
機能は急激な熱移動を引き起こすオリジナルのものを再現している。
それを小型化して、威力を引き換えに射程と精密性を上げた。正直、あんなマップ兵器みたいな威力は必要ない。一発で人を無力化できる威力があればそれで十分だ。
発砲音もなければ弾道も見えない。いきなり着弾点が爆発する物騒な代物に出来上がったけど、個人的にはかなり満足している。……ちょっとロマン成分が足りないけど。
火薬武器とも違うから便宜上「ブラスター」って呼称している。
優一君とはそう遠くないうちに何らかの形で連絡を取りたいと思っているから、その時に渡して誤魔化そう……。誤魔化されてくれ!
「あの~、失礼します。」
考え事をしながらも無事だったり比較的軽傷の文書をより分けていたら、部屋に誰かやって来た。
扉の方を見れば豪華な扉が少しだけ開いて、そこから顔だけ出してこっちを見ている女性の妖狐と目が合った。
「入っても大丈夫ですか?」
「ミヤコか。問題ないから入ってこい。」
おずおずとミヤコが入ってくるとその後ろから当然の様に男性の妖狐がくっついて来る。
男の方はナオフミでミヤコの夫だ。二人とも髪と尾が黒く、着ている軍服も黒いから全身真っ黒だ。
妖狐の夫婦と俺が着ている新調した軍服は旧ドイツ軍親衛隊のものを模している。厨二病と言われればそうではあるんだけれど、ちゃんと考えあってのことだ。
このデザインを採用したのは“ブランド”として成功しているからだ。
ナチスと言えば“悪”のイメージだが、このイメージが固定化されたのは恐らく戦後に彼らが行ったことが明るみに出てからか、或いは戦時中のプロパガンダの影響だろう。
未だに映画に出てくる悪役の制服が旧ドイツ軍の制服をデザインとして取り入れている。一番有名なのはスター・ウォーズの銀河帝国軍の制服だろうか。監督のジョージ・ルーカスも「あれは旧ナチスのものだ」と認めている。
ここで重要なのは制服を見ただけで“ナチス”と判断できて“悪”というイメージを連想させていることだ。それだけデザインとして優れていて“人々の印象に残りやすい”ブランドになっている事でもある。
この世界で通用するかどうかは解らないが一からデザインする手間を考えると、取り敢えず真似して改良していくほうが手っ取り早い。
目的としては「あの制服を着ている連中は危険だ」と印象づけることだ。味方にも安心感を与えられる。
因みに、この夫婦が作戦中に触っていた装置はゴーレムの操作端末だ。通信範囲も短くてやり取りできる情報もかなり限定されている。“作戦を次の段階に移せ”とか魔力の残量を青黄赤の三色で表示したりだ。
本当は自分で全部制御しようと思っていたんだけどね。細かい調節のためにたまたま屋敷に装置を持ち帰ったらこの二人がものすごい食いついてきて、そのままオペレーターとして採用することにしたのだ。
そういう才能があったのか、ふたりとも結構やり手だ。
「帝国からの援軍が到着したみたいです。」
ナオフミからの報告に眉間に皺が寄る。
「伝令を出したのって昨日の換気作業中だよな?早すぎないか?」
帝国との距離と援軍を準備する期間を考えれば四~五日はかかるはずだ。
俺のところは総数三千ほどしか兵が居ないのに五百近くもこの砦に常備しておく余裕はない。その五百も砦の機能を最低限運用できる人数だから、実際にはもっと必要だ。
そんなわけで人に余裕がある連中を呼んで、とっとと管理を移譲したかったんだけど……。
「ルーカス大佐が呼んでいますので一度来ていただいてもよろしいですか?」
ミヤコの言葉にちょっとゲンナリする。
大佐がわざわざ呼び出すってことは面倒事なんだろう。
気は重いけど無視するわけにも行かないか。
そのままハイエルフの部屋を後にしてミヤコ達に着いていく。
行き先は一番見晴らしのいい指揮所のようだ。
指揮所に入って大佐のでかい背中が真っ先に目に入ってくるが、いつも感じる武人然とした覇気がない。
取り敢えず大佐の横に立って同じように眼前の光景を見る。
確かに帝国の旗を掲げた軍勢が谷底の一本道を通ってこっちに向かって歩いてきている。パッと見ただけで確実に三千は超えている。
道が砦に向かってゆっくりと下っているから、隊列のどのあたりに何がいるのかがはっきり見て取れる。ゴーレムじゃなかったら被害は相当なものになっただろう。
「お主、一体何をやったのだ?」
「何もしてないはずだけど。」
大佐がすごい疑ってきてる。
「……城の連中に何と言ったのだ?」
「ちょっとゴーレムの実験してくる。」
「実験……。いやそれはいい。書状などはどうした?」
「グチグチ言われるのが嫌だからアーミラに封書渡して、出立した次の日に届けさせた。」
いつも影みたいについてくるアーミラが居ないのはそのせいだ。
「……アーミラには行き先を伝えておったか?」
「………言った記憶が無いな。」
「……そうか。隊列の先頭をよく見てみろ。」
そう言われて視力を強化して先頭を見る。……アーミラ様がいらっしゃいますね。帝国の軍服着てるから覇気がすごい。
それと見覚えがあるような無いような……そんな隊列旗が見える。
「あの旗は皇太子殿下のものじゃな。」
既視感があるのは城で見たからか。あれ……冷や汗が止まらないぞ。
「お主、一度本気で怒られてこい。」
………………やべぇ!
■◆■◆■◆■◆■◆■◆■◆
「わはははははは!」
「笑い事ではありません父上!」
目の前で大口を開けて笑っているのは皇帝ディーター・ライムント・ヴィルヘルムで、それを諌めているのが砦まで俺を迎えに来た第一皇太子エッカルトだ。
今いるのは塩素臭いエイン砦ではなく帝都の城、その晩餐会場。ここで行われているのはエイン砦を落とした祝勝会だ。
テーブルマナーがさっぱりだから誤魔化しが利く立食形式で行われている。というかお願いした。
エイン砦を落としてから既に一週間経っている。
さて、何故に皇帝が大笑いしているかというと、
「難攻不落の砦を落とした功労者が部下に平謝りするほど怒られるなぞ聞いたことがないぞ。くくくく……。灸をすえるためにエッカルトをやったが、とんだ無駄足であったな。」
そういうことだ。アーミラにそれはもう、こっぴどく怒られた。
どのくらいの怒りようだったかは、皇帝の苦言を伝えに来たはずの皇太子が仲裁に入らないと話が進まないぐらいだったと言えばなんとなく察してくれるんじゃないだろうか?
吊り目の美人だからこえーのなんのって。
「まぁ笑い話で終わってよかった。流石に賢者殿がエイン砦に向かったと聞いた時は我も肝を冷やしたからな。」
そう。あの時皇太子が率いてきた軍勢は五千を超えて、全て俺の救援のために派兵されたものだった。
わずか五百ぽっちの軍勢で難攻不落の砦に挑むというのは前代未聞だ。
アーミラから直接封書を受け取った宰相はその場で悲鳴を上げたらしい。
急遽、派兵が決定されて動員できる数を可能な限りかき集めて、俺達より二日遅れで出立したそうだ。
因みに俺が出した伝令は大軍をみてビビって、さらに皇太子の旗を見て失神したんだと。
伝令が起きるまで皇太子達は完全にお通夜モードになっていたとか。
アーミラの説教の後は砦の管理を皇太子が率いた軍勢に丸投げして、今に至るというわけだ。
酒と食事が進み、気づけばどうやって砦を落としたかを周囲に話すことになっていた。
ゴーレムの仕組みや毒ガスのことなど。女神の道の完全修復ももちろん。
なんというか、こういう豪華な会場で酒を飲みながら立食パーティーをして、さらに自分の研究内容を披露していると海外の学会を思い出す。
学会の最終日には大体こんな風に立食パーティーの場が設けられる。
会場のスケールがぶっ飛んでいるのが違うところか。
殆どのパーティーが博物館だとか科学館を借り上げて行われる。それも結構な大きさの。
参加したもので過去最大だったのがアメリカ、首都ワシントンにある国立航空宇宙博物館を貸し切ったものだ。正直、頭おかしいとしか言いようがない。
「ところで賢者殿は大隊の方針を決めましたか?いつまでも第八というのは変ですし、ゴーレム大隊……は違いますよね。」
エッカルト皇太子が唐突に聞いてきた。
そう言えば帝国の大隊は運用方針が決まっていたか。
ゴーレム大隊は絶対に嫌だな。実験大隊……もなんか違う。これからのロードマップを考えると、かなり電撃的な動きをする感じになるだろうから……
「機動性の高い部隊……機動大隊になるんでしょうか?」
「なる、ほど?」
周りに居る人達の頭の上にクエスチョンマークが見える。
理解されてないな、これは。
しかし、機動大隊か……。意外にしっくり来ていいな。
…………………
……………
……
「やっぱ何人か良い顔してなかったな。」
お手洗いで用を足しながら独り呟く。当然……と言うのはおかしい気もするが、要人が利用する個室だ。叫ばない限り声が漏れることはない。
大隊長のハンネスのような軍の上層部は少なくとも見かけは祝福してくれていた。腹の中では何を考えているかは別として。
問題はほとんど接点の無い軍の中間層だ。ポジション的にはルーカス大佐が一番近いだろう。
あの辺の連中は嫌悪感を隠そうともしていなかった。彼らからすればぽっと出の俺が大手柄を立てたのが面白くないんだろうけれど。
「まぁ、分かりやすくていいか。」
何かしら足を引っ張ってきそうな連中が居るって判明したのは良いことだ。こっちも相談して対策を立てられる。
今度、宰相にでも“貴人流の自衛の仕方”を聞いてみよう。
「もういっちょ、大手柄を立てるっていうのもいいかも。」
エイン砦経由で裏に回って、“クロノヘス砦爆破解体計画”を実行するのも良いかもしれない。
他と連携しないといけないけれど。
声をかけるならハンネスだろうか。
出すもの出してスッキリして廊下に出る。もちろん手も洗った。
VIPエリアだからか、はたまたたまたまだからか人がいない。会場に続く扉からくぐもった音楽と歓談の声だけが聞こえる。見張りはこちら側ではなく会場側だ。
廊下の反対側は城の空中庭園に繋がっている。
魔道具の薄い灯りだけで照らされた廊下は影が多く、まるで照明の落とされた校舎のような不気味さがある。
「幽霊が出てきそうだ。」
そう言って一歩踏み出したところで、
こつん。
会場につながる扉とは反対方向、確か庭園がある方向から物音がした。
お手洗いから出た時は誰もいなかったはず……。
視線は会場への扉。物音は背後の庭園からだ。
幽霊?いや、まさかそんな馬鹿な。風で何かが揺れたんだろう。質の悪い怪談小説でもあるまいし。
そう思って振り返れば、
目が合った。
人が居た。真紅の目。白い髪。年の頃十五、六の少女。まるで陶器のような生気のない白い肌。
少女は俺と目が合ったことに驚き、そのまま庭園の暗がりに消えていった。
「ありえ……ない。」
酔っていたはずの頭は妙に冷たく、心臓の鼓動は嫌というほどうるさく思考がまとまらない。
そう、あり得ない。
あの少女の顔は………、
死んだはずの元部長、白柳 香菜と同じだった。
お読みいただきありがとうございます。
さて、年内の更新はこれが最後になります。
今後の予定に関しましては活動報告に上げていますので、興味がある方はご覧になってください。
それでは少し早いですが、良いお年を。
感想とかはいつでも受け付けてますよ!




