科学者の拠り所
あれから数日経過してベンノが発注した家具や物資が届き始めた。これでなんとか“最低限の運用”から“普通の運用”に移行できる。
それでもまだ、完全には程遠いわけなんだけど。なにせこの練兵場、旧く手狭になったから使われなくなったとは言っても全寮制の高校と同じかそれ以上の敷地面積は持っている。
幸いというべきか兵の大半は未だ休暇中なので、そっちは後回しにして研究に必要なものと応接室や内装関係を優先している。
急な来客は心臓に悪い。
こっちはこっちでベアトリクスの指導の元、ひたすらゴーレム作りの基礎を習得していた。加工済みの琥珀の表面をちまちまと彫る作業は骨の折れる作業だけれど、おかげで原理は理解できた。
ついでに魔法言語の方も帝国と王国の違いを改めて実感した。
形が同じでも意味が全く違ったり、同じ意味で形が微妙に違っていたりと興味深い。それに伴ってか、魔法陣の構造も違っている。
OSが違えばプログラム言語も違うといえば良いのだろうか。処理の仕方に違いがあるだけで、性能そのものに差は殆ど無い。
残念ながら“漢字”を使っての魔法陣の起動は現状では不可能だった。やろうと思ったら基礎理論から研究しないといけない。
余程のひらめきでもない限り、そんなことをしている余裕はないので既存のものを利用、改良していく。
さて唐突だけれども、よく“科学者は無神論者だ”とか“科学は神を冒涜する行為だ”と言う声を耳にする。今は異世界だから“していた”が正確かもしれないけれど、そこは脇に置こう。
個人的な見解を言わせてもらうなら、答えは“ノー”だ。プロセスはどうあれ、科学者“も”神を信じている。
例えば、“悟り”或いは“涅槃”と呼ばれるものがある。残念ながらその境地に至ったことがないから、煩悩や欲といったものを削ぎ落とした先に見えるものとしておく。
もしも世界を神が作ったというのならば、当然ながら人もそこに含まれる。
なら、人の中には神が触れた“痕跡”がある筈だ。
長い修業の果てに煩悩や欲を削ぎ落としていき、最後にどうやっても削ぎ落とせない“何か”に触れた時、“神”という存在を垣間見て初めて“悟りを開く”のではないだろうか。
科学者も全く同じだ。そのプロセスが全く“正反対”なだけだ。
ありとあらゆるものをデータにして法則、公式を見出し、削ぎ落とすのではなく逆に取り込んで解き明かしていく。
そしてどの法則、公式にも当てはまらず天文学的な確立でも絶対に起こり得ない“何か”をデータの中から見つけたときに“神”の存在を初めて見出す。
言うならば無数の石をひっくり返して、そこに“製作者:神”と書かれているものを探すようなものだ。
内に神を見出すか、外に神を見出すか。その違いだけだ。
ではなぜ、“無神論者”だの“冒涜”だの言われるのだろうか。
「コウジ様宛に荷物が届いてますぞ。……運んできたのが第二研究室の連中でしたぞ?」
モーターもどきの魔道具を開発していた狼男、ウド・ゲルストナーがかなり大きめの木箱を5,6個抱えて練兵場の研究室に入ってきた。
その答えは、この箱の中に入っている。
「うぇー。」
「うっ!」
「こ、これは……骨?」
開けた箱を覗き込んだベアトリクス、アーミラ、ウドが三者三様の反応を見せる。
入っていたのは骨だ。ただし、人骨。
その答えは『宗教的な禁忌や倫理的内容に触れることが多い』からだ。
第二次世界大戦でナチス・ドイツは医学的倫理を逸脱した人体実験を数多く行った。後にニュルンベルク綱領という人体実験を行う上でのガイドラインのきっかけである。
内容は「被験者の同意なくして人体実験を行ってはならない」と言うものであって、人体実験そのものを禁止しているものでは無いということだけは言っておく。
その実験データの多くは戦後の医学、科学の発展に大きく貢献し今でも貴重な資料として保管されている。
何せ、“二度と行うことが出来ない”内容だからだ。有用性は計り知れない。
では現代における実験が全てクリーンなものかというと、実はそうでもない。グレーゾーンの中で行われているものもある。時には限りなく黒に近いグレーも。
代表的なのが、一般的に万能細胞と言われている胚性幹細胞だ。
このES細胞の材料は何なのか?
答えは“受精卵”だ。
より正確には受精卵が胚盤胞と呼ばれる段階まで発生したものを使用する。
要するに芽生えたばかりの命を材料にしているわけだ。
もちろん、実験のために女性から卵子を徴用するようなことはなく同意の上で行われているものではあるが、こういった部分が“科学者には心がない”などと言われている所以である。
とは言え再生医療という大きな可能性を封印するのは、これまた大きな損失であるのも確かだ。
現在では不妊治療で過剰に採取されて廃棄される卵子を使うなど、様々なアプローチで倫理的問題の回避に努めている。
尚、同じ万能細胞と呼ばれるもので京都大学の山中伸弥教授の率いるグループが発見したiPS細胞はES細胞のような倫理的問題は抱えていない。
iPS細胞は細胞の状態を初期化して、どんな細胞にでもなれる分化万能細胞にまで戻したものだ。
欠点があるとすれば、初期化にかかるコストが非常に高いことだろう。他人のiPS細胞を移植できないか実験しているのは、このコストを抑えるためだ。
まぁ、この世界にはニュルンベルク綱領も倫理委員会も存在しない。うるさいのはせいぜい宗教ぐらいだろう。
木箱に骨と一緒に入っていた木札を手に取り読み上げる。
「えーと、20代、男性、筋肉質、健康体。酒場の喧嘩で刺されて死亡。処理も丁寧に行われているな。」
骨格標本を作るなら弱アルカリ性で煮込むのが手っ取り早い。メティヒルデの所の第二研究室の連中が標本を欲しがっていると聞いたので協力してもらった。
一番確実なのは野ざらしにする方法なんだけれど、小さな骨が風に飛ばされたり野生動物に持って行かれたりと中々うまくいかない。
やり方教えるから作って、とお願いしたわけだ。
「これはさすがに女神様の罰が下るんじゃないかなー?それに遺族はー?」
ベアトリクスが中々面白いことを言う。
「女神が居るなら是非とも直々に罰を下しに来てほしいものだね。どういう理由で俺を異世界から遣わしたのか納得いくまで話し合いたいからな。それと、この骨に遺族はいない。全てスラムで発見された身寄りのない遺体だ。」
何かしらクレームが来ても国の研究機関も巻き込んでいるから、こっちだけが矢面に立つことは無いはず。
さて、この人骨。一体何に使うかというと、もちろん実験だ。
木箱の一つに骨が埋まる程度の土を被せる。
そこにゴーレムのコアを放り込んで起動させる。
出来上がったのは人の形に限りなく近いゴーレムだ。
そのまま起き上がって木箱から出てきた。
「おお!動きがスムーズですぞ!」
やっぱり頑丈な骨格があると本体を構成する土の量を減らせて、軽くなっただけ運動性能が上がっているみたいだ。
ついでに“関節”が出来たことも性能を上げた一因だろう。魔法で変形させる範囲をかなり限定できる。
軽量合金もなければ加工技術もないし、木製も考えたけれど発注してから出来上がるまでにどれだけ時間がかかるかわからない。骨なら軽くて丈夫だし、精密な加工技術がなくても手に入るからと思いつきで選んだけど、これはかなり“当たり”だな。
具体的な数値化はこれからやっていくとして、一番気になっていることを試しておこう。
「よいせっっと!」
棒立ちになっているゴーレムに足をかけて、そのまま蹴り倒す。
ゴーレムはそのまま後ろに倒れて……受け身も取らずに地面と激突してバラバラになってしまった。
「………コウジ様?」
「………あらー?」
「………何をしているのですぞ?」
やめてそんな目で見ないで。
「もっと倒れないように踏ん張ったり、受け身をとったりすると思っていたんだけどな。」
「そんなゴーレム聞いたことないわよー?」
俺が作ったのが失敗作だったのだろうか。
「障害物があっても踏み潰すわよー。それに、あの大きさを倒すのって中々大変よー?」
ただの理不尽だった。
しかし、これは厄介だな。オートバランサーみたいな機能がコアに備わっているのかと思ったけどそうじゃないみたいだ。
性能を上げれば学習機能も僅かに上がるけれど、一体一体に施していくのは現実的じゃない。
どうしようかね?
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