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泉にて  作者: 文音
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 サリエはリプエ神のある重大な秘密については伏せたまま話を進めた。フィリアの知りたがっている内容に直接関係がないうえに、クロエ神の伴侶であったフィリアは恐らく知らされていないだろう。


「初代のリプエ神は強大な戦神でしたが、ややもすると猪突猛進の傾向がありました。まぁ、端的に言うと、考えるより先に体が動くタイプです」

 我ながらすいぶん端折ったものだと、サリエは話しながら自分でも呆れた。

 初代のリプエ神が聞いていたら、さぞ憤慨したに違いない。

 俺はそこまで単純な男ではない! と。


「……戦神の特徴としては、一言で表現するなら攻撃特化タイプです。攻めることには凄まじい強さを発揮しましたが、そのいっぽうで守勢にまわると……。短期決戦が得意で、持久戦は苦手としていました。ですが、それでもよかったのです。ある時までは」

 ここでサリエは、一呼吸おいた。深く息を吸って。

「あの大戦で、マイエ神と敵対することになるまでは」

 

 フィリアが息を飲むのがわかった。

 あの大戦。あれが起きなければ、クロエが命を失うこともなかったろう?

 今も続くミシュア神が抱える苦しみも、或いは……。


「マイエ神はあなたもご存じのとおり、当時最強とうたわれた戦神です。攻撃に関してはリプエ神に一歩を譲るとしても、彼は攻守のバランスに優れていた。しかも頭脳も明晰。リプエ神はマイエ神と組むことで己の力をいかんなく発揮することができていたわけです」


「あの時まではこの二柱の戦神が神域の防衛の主力を担っていました。後衛に控えることが多く出番の少なかった他の三柱の戦神は結果として実戦経験に乏しくなってしまい、彼らが束になってかかっても戦い慣れしたマイエ神に敵わなかったのは、わたしが言うまでもなく……」

 ここでサリエは口をつぐんだ。


 やはり、……彼女には酷だったか……。

 フィリアは深く項垂れてしまい、腰まで届く髪に隠されてその表情をうかがい知ることはできない。だが小さな窓から差し込む光に輝きゆらめくフィリアの清冽な銀色の髪が、彼女の心情を表しているような気がした。

 サリエが養育した当代のリプエ神の教育方針に関わる部分だったので、ふれないわけにはいかなかったのだが。それでももう少し、他に言いようはあったかもしれない。


 これ以上この話を続けることもなかろうと、サリエは一気に本題へと話を飛ばした。

「彼が単独でも戦える戦神に育て上げること。これがわたしが第一に掲げる二代目のリプエ神の教育方針でした」

 ここでやっとフィリアが俯いていた面を上げた。

 涙をこらえていたのか。彼女の菫色の瞳は潤み悩ましい光をたたえている。

 思わず腰を浮かしかけて、サリエはぐっと膝を握りしめ踏みとどまった。


 こらえろ! 彼女はクロエの妻だ!

 いかな『知恵の神』とて男である。ましてフィリアのような女性に、……サリエは弱かった。

 そうでなければさっきの話も、まだ続けていたかもしれない。

 好みかどうかというよりも、単にどう扱っていいかわからない?

 あんな顔を見せられては、男としてほうっておけない。……と思うのは、一一ごく自然の感情なのではないか。

 涼しい顔を装いながら、サリエは自分に言い訳をする。

 彼はさりげなくフィリアの顔から視線を逸らした。


「わたしがリプエ神をこの手に引き取ったのは、彼が三歳の時でした。それはもうかわいくて。この子が本当にあのリプエ神の二代目なのか? と何度も首を傾げてました」

 フィリアの顔がほころぶ。この場の雰囲気が瞬時に和らいだのを気配だけで感じ取り、まさに花が開いたようだとサリエは思った。

「子供は本当に可愛いものです。そんな年頃なら特に……」

 頷いて、サリエはふと思いついて訊いていた。

「当代のリプエ神にお会いになったことは?」

「いいえ」

 サリエが話を脱線することは滅多にない。これは、……興がのったということだろうか?


「あなたにもお見えせしたいくらいですよ。見た目だけなら、まさに最高傑作です! わたしもそこに貢献したという自負はもちろん持ってますよ。なにしろ彼を一見した誰もが、『知的に見える』と評しているのですから」

 サリエは少々大袈裟に手ぶりもまじえ悪戯っぽく笑ってみせた。

 『知恵の神』のそんな仕種に意表をつかれたのか、フィリアは目を丸くしてきょとんとしていたがすぐに口に手をあてて笑い出した。彼女の明るい笑顔に、サリエも満足そうに微笑む。


「リプエ神の課題は、感情のコントロール。知的に物事をとらえ考え行動する。わたしが預かった彼の戦神としての素質は申し分のないものでした。細かいことは省きますが、この点をクリアできれば、わたしの理想とする戦神に彼をかなり近く育てることができるのでは、とわたしは考えていたのです」

「……代替わりとは言っても、その子ならではの個性もあるのでは?」

 フィリアの母親らしい意見に、サリエは目を細めた。

「もちろん、その点も考慮し彼をつぶさに観察しました。だが本質は変わっていない一一これが当時の……わたしの結論でした」

 サリエはおもむろに卓の上の茶器に手を伸ばした。自分が手をつけないせいで、フィリアが何も口にできていないことに気付いたからだ。彼女は園からここまでやって来たのだ。喉も乾いているだろうし、お腹もすいているかもしれない。

 

『一一先生は夢中になるとすぐ寝食忘れるんだから』

『うるさい! それはお前も同じだろうが!』

 お茶はすっかり冷めてしまっていたが、そのかすかな芳香は懐かしい記憶を呼び覚ました。リプエはなぜかお茶だけは淹れるのがうまかった。サリエが研究に没頭していると、よく差し入れに持ってきてくれたものだ。


 彼につられるように、フィリアもその繊細な指で茶器をとり、美味しそうに口に含んだ。

 やはり、喉が渇いていたのだろう。

 こくりと動く彼女の細く白い首に見入ってしまう。サリエはこの一瞬でびっしょり汗をかいていた。

 喉を潤したばかりだというのに、もう喉がからからに乾いている。

 軽く咳払いをしてどうにか気を鎮めると、サリエはなに食わぬ顔で話を再開した。


「わたしが第一に掲げていた感情のコントロール。これは幼少期に教育するのが最も有効です。その時期わたしは徹底してその一点に注力しました。他のことは後回しにしても。もともと彼はリプエ神の代替わりとして産まれてきた。初代のリプエ神の戦闘におけるセンスは戦神達のなかでも突出していましたし。わたしは彼が不足な、苦手としていた部分を補ってやればいいと。わたしはそう短絡的にとらえていたのです」

 手のなかの茶器の水面を見つめるサリエの瞳は愁いを帯びているように感じられて、フィリアははっとした。

「だからこそ、これはわたしにしかできない。……という自惚れもあったのですよ」

 サリエの声は自嘲めいて聞こえた。


 『知恵の神』でもこのように惑うこともあるのか。

 一一つとフィリアの脳裏を過ぎる記憶。

 『予知・予言の女神』の居館で……。

 そういえば、ティリアも言っていた。

『わたし達は、なんらあなた達と変わらない』

 超越した存在でもなんでもないのだと。



「彼はよくできた生徒でした。わたしの思っていた以上に、頭もよかった。彼の養育期間は当初十七歳までと決められていました。わたしは綿密に彼の教育スケジュールを組み上げそれに沿って彼を育てていたのです」

 サリエは一息に残りのお茶を飲み干し、もう一杯お茶を注いだ。

 お茶が茶器に当たる軽やかな音が耳に心地よく響く。

「しかし。そうそう予定通りに事が運ばないのは、世の常であるというのに一一。わたしとしたことが、そのことをついうっかり失念していました。幼かったあの子を連れヴェルガの山中に引きこもって、……神生初の慣れない子育てに夢中になっていたものですから」


 もしかしたらこの神は、神生初の子育てを経験して丸くなったのではないだろうか?

 噂に聞いていた『気難しい』『気まぐれ』というサリエの評判と先ほどからの彼の対応がかみあわなくて、フィリアは頭の隅でずっと不思議に思っていたのだが、そう考えればしっくりくる。

 と同時に親しみがわいた。


「あれはリプエが十三歳になった年。三柱の戦神達だけではいよいよ戦局を支えきれなくなったと知らせがきました」

 フィリアの顔から血の気がひく。

「……まさか?」

 知らず声も震えていた。

「はい。十三の子供に戦陣に加われと」

 その時のことを思いだしているのか。

 常に穏やかな空気を纏っていたサリエの顔からすっと表情が消える。その顔はフィリアを震撼させるほどの迫力があった。

「わたしもさすがにぶちきれて、使者を追い返してやりたかったが。……そんな子供を頼らなければならぬほどに、事態は切迫していた……」

 そこでサリエは呆然と青ざめたフィリアの様子に気がついた。彼の言葉だけに衝撃を受けているのではない。リプエですら怖いと嘆いていた表情を初対面の彼女の前で見せてしまっていたことに自分で驚く。

 サリエはことさらおどけた調子で言葉を継いだ。

「十三と言ってもそこは並の子供とは違ってて。背丈なんかもうわたしとほとんど変わりないくらいでしたし、力なんかぜんぜんわたしより強かったですけどね」


 雲が通ったのだろうか? 窓から差し込んでいた日の光がとぎれ、室内が薄暗がりに包まれる。


「……そして彼の初陣で、わたしは自分が致命的なミスを犯してしまっていたことに気付かされたのです」





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