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泉にて  作者: 文音
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 こんなところで迷うなど……?

 日の暮れる前には帰りついていたいのに!


 家路を急いでいたフィリアは、もう半刻も森の中をさまよっていた。

 こんなに遠出をしたのは久方ぶりだ。だが収穫はあった。

 わざわざこんな僻地まで出向いた甲斐があった、と年甲斐もなく少々浮かれていたかもしれない。




「ミシュア神には、我らの業を背負わせてしまいました。あなたにも、あなたのご家族にも……すまないと思っています」

 気難しいことで知られるサリエ神は、急な訪問にも関わらずこちらが恐縮するほど神妙にフィリアをもてなしてくれた。


 知恵を司る神、サリエ。彼はもう何百年も神域のあちこちに別宅を設けてそちらを転々としていて、レストゥールリアの丘にある彼の居館にいることは少ない。丘に戻ってくるのは、なにか重要なはかりごとがあって、彼の知恵を借りるため神々に呼び出されたときくらいだ。

 近年サリエがリスルの森の別宅に滞在しているという情報を聞きつけたフィリアは彼が存外近くにいたことに喜んだ。そして気まぐれな神が居所を移してしまわないうちにと、フィリアは矢も楯もたまらずその翌朝早くにリスルへと急ぎ向かった。


 丁重に迎えられたサリエの仕事部屋の質素だが拵えのいい長椅子にひとまず腰を落ち着けて、フィリアは部屋の様子と眼前のサリエを観察した。

 館の外観こそ簡素だが屋内に入ってみれば意外に堅牢な造りであることに気付く。潔いほどに装飾を排除しているためよけいにそう感じるのだろうか。

『変わり者』だという噂もある。

 客間ではなくいきなり仕事部屋に通された。案外、はじめから客間などこの館には用意されていないのかもしれない。

 その仕事部屋だがすいぶんと広い。このこじんまりとした館の三分の一の面積は占めているのではなかろうか。

 いったい何の研究をしているのか? まず圧倒されるのは部屋の二面の壁の天井近くまである書架をうめつくすおびただしい書物の量。それでも足りずにいくつも連ねた机上にも山積みされている。別の机の上には見たこともない器具や薬品の入った瓶がこれまたびっしりと並び、また別の机には図面が何枚も広げられていた。扉のある壁側の一角の床には製作中とみられる大がかりな異様な物体とそれに使うらしい資材やら道具やらが所狭しと置かれなんとも形容しがたい。それでいて整然とした印象を受けるのは、いっそ不思議ですらある。


 一一で、卓をはさんで目の前の椅子にゆったりと座る男神。サリエは一言でいうなら、普通の若者の姿をした男神だった。

 普通といっても神々の例にもれず美形なのだが、知恵の神というからにはもっと神経質で気難しい、近寄りがたい雰囲気を纏った、もしかしたら珍しく年老いた姿をとった神なのではと想像していたのだが、彼は違った。

 意外にも顔色は健康的で肌の色艶もいい。どちらかといえば細身なほうだがキトンの下からのぞく腕や足は適度に筋肉質で痩せているわけではない。どうやらこの本でうめつくされた部屋に閉じこもりっきりで研究にふけっているのでもなさそうだ。背中まで伸びた明るい栗色の髪は綺麗に整えられ、首の後ろで一つにたばねている。落ち着いた風貌のなかで藍色の双眸がちらりと突然の来訪者にその理由を問うてきた。



「レストゥールリアの中央の神々からも信の厚いサリエ様のお耳にはすでに入っていることでしょう? 今日はミシュア神の代替わりのことでご相談に参りました」

 やはりこちらの用向きの見当はついていたのか。

 サリエはさして驚きもぜず、フィリアの菫色の瞳をじっと見つめ先をうながす。

 それなら……話は早い。同時にフィリアは、改めて覚悟を決めた。

 この神を信用してすべてを話そう。そうでなければ、一一望む答えは得られない。

「サリエ様は、代替わりしたりプエ神をお育てになったと聞きました。二代目のミシュア神がたち七十年を経てまいりましたが、ミシュア神は間もなく代替わりいたします。ミシュア神の代替わりは、この次で……もう二度目になります」

 沈黙が落ちる。フィリアは話しながら自分の声が震えているのに途中で気付いて愕然としていた。


 何度も何度も頭の中で、練習してきた。

 サリエ神に出会うことができたなら、伝える言葉を。思いを。

 『知恵の神』を相手に下手な駆け引きなどするべきではない。

 ただ真摯に、正直に。

 一一あれほど何度も何度も、繰り返し……覚悟を決めてこの場に臨んだはずなのに!


 サリエの視線をフィリアはその身にひしひしと感じていた。

 彼は何も言わず辛抱強くフィリアが次の言葉を紡ぎ出すのを待っていてくれている。


 膝の上で両手を強く握りしめ、ようやくフィリアは重い口を再び開いた。

「わたくしは今度こそはうまくいくものと愚かにも思っておりました。ミシュア神を産み、育て……ミシュア達の母として、……わたくしはいったいなにを間違ったのか? どうしていればよかったのか、正直わからないでいるのです。じきにわたくしの胎は次代のミシュアを育みます。また同じことを繰り返してしまうのではないかと、わたくしは……」

 フィリアはそれ以上は怖ろしくて口にすることはできなかった。

 両手で顔を覆い俯いてしまう。

 子を一一産みたくないなどと。


「あなたの夫、『時の神』クロエ神はあなたの胎に大層な仕掛けをしたようですね」

「……」

 フィリアは覆っていた手からわずかに顔を上げた。恐る恐る、サリエの表情をうかがう。

 今の、……たったこれだけの話で、すべて悟ったというのだろうか?


 サリエの元を訪れる前、フィリアは藁にもすがる思いで『予知・予言の女神』ティリアの居館を尋ねていた。ティリアもまた秘されている神の代替わりを知る数少ない神であり、フィリアの知己でもあった。

 チィリアは柔和な表情に時折かすかに難しい色をのぞかせながらも、フィリアの訴えを聞いてくれた。そして一週間後には福音をもたらしてくれた。

 一一『鍵は、知恵の神が握っている』一一と。


 サリエはさながら、そこに落ちていたなんでもない小石をたまたま見つけた。かのごとくに淡々とした表情をしていた。そこに己の見識の高さを自慢するような得意げな様子はない。彼の端正な顔はただ静かにフィリアを見つめている。

 フィリアはいとも簡単に言い当てたサリエに感嘆していた。

 さすが! としか言いようがない。

「リプエ神も代替わりした他の神も違う胎、初代とは異なる父母から産まれています。ところがミシュア神だけは、初代も二代目もあなたから産まれている。しかも三代目もあなたから産まれると、今あなたは確かにおっしゃった。クロエ神が身罷られてから、あなたはずっと独り身で過ごされてきたというのに」

 二代目までなら偶然で済んだ。夫の死から数年を経ていたが、神々には稀に妊娠期間が異常に長い例が他にもあった。それで、面妖なこともあるものよ。と済まされてきた。

 しかしフィリアは七年前にも、一柱の女神を産んでいた。その娘一一イリナはミシュア神ではないが、その時も不思議がられたものだ。

 もっとも、貞淑そうなふりをして誰にも知られず実はこっそり男と通じていたのではないか? と邪推されてしまったのだが。フィリアもあえてそれを否定したりはしなかった。そうとられるのが自然であったし、なかには相手は誰かと遠回しに聞いてくる者もいて腹立たしい思いをしたこともあった。だがとりあえずそう思わせておけばそれ以上あれこれと、こちらが踏み込んでほしくないところまで詮索をされないだろうと判断したからだ。

 『禍神』として封印されたクロエ神の子供一一。その事実を白日のもとにさらしイリナとこれから産まれてくるミシュア神に負わせるのはつらい。それでなくとも二度目の代替わりが避けられない状況となり、この異例の事態にミシュア神に対する神々の心象は決して良いとは言えなかった。




「正直に申し上げるなら、わたしは養い親としてリプエ神には申し訳ないことをしたと思っているのです」

 だからどこまでお役にたてるかは、一一と前置きをしてサリエは静かに語り出した。


 ミシュア神達の母にして旧時代の神々の一柱、フィリア。面と向かうのは今日が初めてだが、旧友であった夫のクロエからたびたび話には聞いていた。

 妙に達観したところのあったあいつにしては珍しく、とにかく美しい妻を自慢していたが、こうして近くで接してみるとなるほどと思わせられる。


 一一きみの自慢を認めるよ。クロエ。

 たおやかで、とてもこれまでに四柱もの子をなしたとは思えない。見事な銀の髪に縁どられた精緻な造りの顔はサリエをして目を瞠るほどだ。今は母性をたたえて揺らめく菫色の瞳が、女として夫に向けられたときはどのようであったのか? クロエの妻への執着を知るサリエはついそんなことまで想像してしまい、心中で苦笑してしまった。美貌を称えられる女神達とくらべても遜色はない。むしろ自我の強すぎるきらいがあるそうした美女達を相手にするよりよっぽど好ましいと言えた。


「二代目のリプエ神を預かるにあたり、わたしはまず初代の死に至った原因について考察しました」




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