ハゲ、さよならは言わせない㊤
前回までのあらすじ!
ハゲのなけなしの努力は無駄に終わった!
頭髪、未だ生えず……!
雪の山道を歩く。
降り積もった雪を踏みしめる音は三人分。背負う荷物も三人分だ。
雪は降っていない。明け方まで降り続いていた粉雪は、微かなぬくもりを伝える陽光へと変化していた。
男は瞳を細めて振り返り、遙か眼下に見える魔都ゲオルパレスへと視線を向けた。
「結局、私たちだけなのだな」
「あら、美女と美少女の同行だけではご不満?」
隣を歩く女が、長い黒髪を風に揺らしながら悪戯な笑みを浮かべる。
フードは被っていない。雪は降っていないし、もはや正体を隠す必要性も感じていないからだ。かつての娼婦としても、伝説の魔人狩りとしても。今はただの女。
男にとってはそれが嬉しい。ありのままに生きられる彼女を見ることが嬉しい。
甚五郎を挟み、逆隣を行く少女が寂しげに呟く。
「そうではないですよ、アイリアさん。ジンサマはルーさんのことを心配しておられるのです。ほら、見送りにも来ていなかったから」
「それこそ言っても仕方のないことよ。ルーは無事に親もとに帰れた。それでいいじゃない。これ以上の結末は望めなかったわ。でしょ、ジンさん?」
「ああ、そうだとも」
今頃は我々のことなど忘れ、本物の家族とともに笑って過ごしているさ。
それでいい。それがいい。
甚五郎は思いを振り払うように山道を歩き続けた。
やがて魔人砦に差し掛かり、足を止める。灼け焦げ、半壊した魔人砦の屋上に、見慣れた二本角の黒魔人が立っていた。
どうやら魔人砦の補修作業を指揮しているらしい。二十体ほどの魔人が石材や木材を運んでいる。信号魔人もどうやら無事だったらしく、トンカチを持って大忙しだ。
甚五郎は息を吸って美しき大胸筋を膨らませ、黒魔人へと声をかけた。
「おい、ブリーフ!」
「んぁ~? だ~れがそんなおパンティーみてえな名前だ。俺様の名はブリィフィ――って、なんだ、あんたらかよ。魔人王と闘ったって?」
「ああ、ボロ雑巾のようにされた。強いな、おまえたちの王は」
ブリィフィが腹を抱えて笑った。
「はっは! だろうなぁ。あんなナリでも魔人の王だからなぁ。こちとら生きてるだけで驚きだ」
晴れ晴れとした顔でひとしきり笑い合い、甚五郎が告げる。
「通らせてもらうぞ」
「へいへい、好きにしな。この有様だ、もう砦の意味もなさねえ残骸だしな。仮に大鉄扉があったって、あんたはどうせまた強引に通るんだろ」
「失敬な、ちゃ~んとノックはするぞ。私は紳士だからなっ」
ブリィフィが顔をしかめた。
「かっ! 言ってろっ。てめえが大鉄扉を破壊さえしてなきゃ、シャナウェル軍五〇〇〇の足止めだって、もうちょいやれたっつーのっ」
「やかましいわ。貴様がさっさと門を開かんから悪いのだ」
「……最近の人間ってのは常識ねえのかよ」
甚五郎がシャーリーとアイリアの背中を軽く押して、三人同時に大鉄扉の設置されていた大門をくぐり抜けた。
屋根の上にいたはずのブリィフィが、覗き窓のあった場所から顔をひょいと出す。
「――ああ、そうだ。今後の方針かなんか知らんが、この補修で大鉄扉は戻さねえそうだが、あんたら、なんか知ってるかい?」
シャーリーが少し笑って口を開く。
「もはや戦争の時代ではなくなったのです。人類と魔人の争いは終わりました。わたくしたちが知っているのは、それだけです」
ブリィフィは窓から出した顔を歪める。
「そりゃいいや。しみったれた魔都も、人間どもの行き来ができりゃ多少はマシになるだろうよ。ありがとよ、お姫さん。……じゃあな、てめえら」
「ああ。では、な」
後ろ手を振って去る。
甚五郎が大あくびで身体を伸ばすと、アイリアがあきれたような苦笑いで呟いた。
「ジンさん。気が抜けるのはわかるけど、ここは魔物の多発地帯よ。オーガはともかく、イエティなんかも出るんだから、しっかりしてよね」
「ん。うむ、そうだな。――む」
「どうしました?」
甚五郎はマサイ族並みの視力で、遙か前方にそれを発見した。
「……イエティの死骸が散らばっているぞ」
「え、嘘、どこ?」
「わたくしには見えませんが……」
シャーリーとアイリアが同時に目を細めて首を傾げる。雪面に溶け込む体色のイエティでは、少々血が流れていたところで並みの視力では発見さえ困難だ。
しかししばらく歩くと、次第にそれらの全容が見えてきた。
七体。どの個体も首筋をひと噛みされて絶命している。
「この噛み口は見覚えがありますね」
「十中八九、リキドウザン先生ねえ」
「うむ。やれやれ、あやつめ。餞別のつもりか」
甚五郎がにやりと笑った。
さすがにレアルガルド大陸に連れては行けないが、この大陸にまだ狼の群れが残っているならば、血筋が絶えることはないだろう。
たった一体の金狼と銀狼率いる狼の群れを隔てていた魔人砦は、もうすぐ旅人専用の公衆便所になるのだから。可能であるならば、どうにかしてこの手で引き合わせてやりたいところではあったけれど。
「……気配はないわね」
アイリアが寂しそうに呟く。
「故郷の森へ戻ってしまったのかもしれんな」
「急ぐ旅ではありませんし、森まで迎えに行って銀狼の群れと引き合わせてから海を渡りますか? 金貨袋の回収もしなければなりませんし」
「ずいぶんな遠回りになっちゃうわね。でも、あたしたちの決断がリキドウザン先生の血筋に関わってくるなら、仕方ないか。ずいぶん助けてもらったもの」
「うむ。他に頼める輩はみな忙しかろう」
ヘドロはゲオルパレスに残り、甚五郎が傷を癒している間にデレクとメルは一足早く旅立った。おそらくメルはもう船上だろうし、デレクはウィルテラの暫定国王としてシャナウェル新王との会談を執り行っているはずだ。
いくらか金銭を積んでそこらの商人に頼んだところで、リキドウザン先生のあの風体だ。へたをすれば報奨金目当てに討伐隊に売り渡されかねない。
甚五郎が苦笑いで呟いた。
「まったく、あやつめ。おとなしく待っていろと言ったのに」
「ま、こんな雪山じゃあろくに食べ物もないから、こればっかりは仕方ないわよ」
「わたくしたちだって無事に帰って来られる保証もありませんでしたしね。とりあえず今日はルーさんと出逢った廃屋まで歩いて、そこで一泊しましょう」
雪と風の止んだ穏やかな海岸線を、足並みを揃えて歩く。
出逢った頃からの想い出を語りながら、笑い合って。
ふたりの女がひとりの男を取り合って、牽制しながら。けれども男は、その会話さえ楽しむようにのらりくらりと躱して。
そうして日が暮れる頃、ようやく甚五郎の視界に廃屋が見えてきた。往路に比べればずいぶんとスムーズに到着できたのは、天候のおかげだろう。
だが、近づくほどに。
甚五郎は目を見開き、足早になってゆく。早足で、それを確かめるように小走りになって。そうして確信を得る。
「ジンさん、この気配」
「ああ。リキドウザン先生だな。こんなところで待っていたのか」
「……こっちに気づいてますね」
シャーリーの呟きに、甚五郎とアイリアが少女に視線を向けた。
まだ視界に金狼の姿はない。にもかかわらずシャーリーはその存在に気がついたのだ。
「あ……、なんとなく……です。……今、ちょっと動きました……?」
「わかるのか、シャーリー?」
「はい。ほんとになんとなくなのですが。……念のため、危険が潜んでいないか風精を先行させますね」
いつの間にか、少女は気配を読めるようになっていた。
実戦に勝る訓練はない。少女は誰よりも早く成長してゆく。大人である甚五郎やアイリアが思うよりも、ずっとずっと早く。
やがてシャーリーは碧眼を上げて、にっこり笑った。
「危険はありません。ですが、リキドウザン先生だけではなさそうです」
そうして先頭に立って走り出す。甚五郎とアイリアが、外衣をなびかせて走るシャーリーに続いた。
廃屋の裏庭へと回り込み、その光景を見る。
四肢を折りながらも千切れんばかりに尻尾を振り、こちらを見つめている巨大な金狼と。
「リキドウザン先生! それに――」
座したる金狼に巻かれるようにして眠っている、金髪ふわ毛の幼女の姿だ。シャーリーが毛布で縫った、薄汚れた旅のローブをまとっている。
「ルー!?」
「……ふぇ……?」
ルーが両手で目を擦りながら、ぽかんとした表情で甚五郎を見上げた。
「じんごろー!」
数秒が経過する。強い海風が崩れかけの廃屋を揺らして。
ルーに駆け寄ろうとしたシャーリーを手で制し、甚五郎が鬼面を作り出すのと同時に威嚇するような冷たい声を絞り出した。
「……このようなところで何をしている。おまえは何をしにきた、ルー。言ったはずだ。私におまえを育てる気など最初からなかったと。今すぐゲオルパレスに帰れ。これ以上子供の面倒など見切れんわ」
「ジンサ――」
シャーリーの口をアイリアが片手で塞ぎ、無言で首を左右に振る。
「本物のご両親が心配している。魔人砦までは私が送ろう。だが勘違いするなよ、ルー。これはおまえのためではなく、リキドウザン先生を狼の群れへ引き合わせるためだ。そこで今度こそさよならだ」
素っ気なく呟いて。
甚五郎はあっさりとルーに背中を向ける。
「……だからもう、金輪際、私につきまとうんじゃあない……」
涙を溜めて下唇を噛み、ルーが喉から絞り出すような弱々しい声を出した。
「じ、じんごろー……」
みんな甚五郎に引っ張られて、少しずつ変わってきている。
それはルーも例外ではなく。
※次回、いよいよ最終回。
ここまでの長いお付き合い、ありがとうございます。




