ハゲ、あきらめぬ心
前回までのあらすじ!
ヒュブリス王にまで心配される頭皮!
だがまだだ! まだ終わってはいない!
人知れず、人間と魔人の両種族による全面戦争を防いだ漢の戦いは終わった。
魔都ゲオルパレスの直前にまで進軍していたシャナウェル軍は、戦中に消息不明となったヒュブリス王の捜索を理由に、王都シャナウェル方面へと撤退していった。
寂れた国に宴はない。
今はただ粛々と、シャナウェルとゲオルパレスを隔てるアトラス山脈の、魔人砦再建に取りかかるのみだ。
魔都ゲオルパレス最奥に位置する魔人王の館もまた、半壊したままだった。
吹き抜けと化した一角に、漢の仲間である戦士たちが集う。
「……そう……だったのですね……」
「ああ。ヒュブリスはキミの母君を愛していた。愛の深さゆえに暴君とならざるを得なかったのだ」
銀色の長い髪をした少女は、木造のテーブルに手をついてうつむく。
ただ、うつむく。
「……父は母のことなどもう忘れてしまったのだと……、……それが……」
固く目を閉じて、小さなため息をついて。
「……ごめんなさい……言葉が出てこないです……。……わたくし……なんて言ったらいいのか……」
「何も言う必要はない。ヒュブリスがキミにした仕打ちはゆるされるものではない。だから私からゆるしてやれと言うつもりもない。ただ――」
甚五郎は相好を崩す。
「伝えたかった。やつの本心を。そしてもうひとつ、キミに伝えたいことがある」
シャーリーが碧眼を上げた。その喉がぐびっと奇妙な音を立てる。
「……こ、こ、こ、告白?」
「違う。ヒュブリスからの伝言だ。母君、エカテリーナを己の代わりに捜索して欲しいとのことだ」
「わたくしが?」
「そうだ」
「そんなのあたりまえじゃないですか。お父様ったら何を仰っているのか」
不思議そうな顔での呟きに、甚五郎が瞳を細める。
そこに父と娘を置いて去った女への、憎しみや恨みの感情はない。それがひどく眩しい。鏡に映る己の頭皮よりもずっとだ。
だから愛おしい。
「とにかく、この地の危機はもう去ったということよね、ジンさん?」
テーブルに行儀悪く腰掛け、褐色の長い脚を組んだアイリアが視線を甚五郎へと向けた。
「うむ。そういうことだ。私はエリクサーとエカテリーナを捜すため、シャーリーを連れてこの地を去る。――アイリア、ともに来るか?」
アイリアがじろりと甚五郎を睨み、吐き捨てるように言った。
「訊き方!」
「ふはは。そうだな。すまない。――当然来るだろう?」
アイリアが端正に整った顔を幸せそうに歪めた。
「もちろんよ」
甚五郎の隣でシャーリーが平たい胸を撫で下ろす。
「あらぁ~? あんた、あたしにジンさんを譲る気にでもなったの? てっきりがっかりするものだとばかりに思ってたんだけど」
「べ、別にそういうわけでは!」
やいやい言い争いを始めた傍らで、長い金色の髪を持つ勇者デレクがあきらめたようにため息をついた。
「甚五郎。もうしばらくシャルロットは預けておくよ」
「む? なんだ、デレク。貴様もまた悪を捜してどこぞへ旅立つものと思っていたが、この地に残るのか?」
デレクが少し寂しげに呟く。
「ああ。しばらくの間はな。シャナウェルの新王とゲオルパレスの魔人王との間を取り持つ役割が必要だろ」
甚五郎が静かにうなずいた。
「そうだな」
「ウィルテラはおれが独立させた国だ。まだまだ戦力も整っていない小さな国だが、きっと両国の緩衝材になれる。国交が正常化されたら、おれもまたこの地を去ることにするよ。だからそのときには、またおまえたちとも――」
「デレクは誘ってませんから! 気持ち悪いんでちょっと黙っててくださいます?」
アイリアと言い争いをしていたシャーリーが、便所虫でも見るかのような視線で救国の勇者へと吐き捨てる。
「おがごぅっ!?」
雷にでも打たれたかのようにぶるりと震えた勇者が白目を剥き、その場に膝をついた。
「わたしはレアルガルド大陸へ渡るぞ。甚五郎……様」
赤髪の自由騎士メル・ヤルハナがため息交じりに呟いた。
「嘆かわしいことに、シャナウェルではわたしも今や立派なお尋ね者。もはや王都には戻れん。ウィルテラからレアルガルド大陸に渡り、リリフレイア神殿へ一度戻ろうと思っている」
「ふむ。メルはリリフレイア神殿から派遣されていたのか?」
たしかリリフレイアは、戦と騎士の女神といったか。
「そうだ。神殿からシャナウェルに監視の意味を込めて派遣され、ヒュブリス王に仕えていた」
アイリアがうなずく。
「だと思ったわ。そうでなきゃ近衛騎士隊の副長ともあろうものが、こんな有事に自由に本国を離れたりできるわけないのよね。神殿騎士の特権でしょ」
「そういうことだ。もっとも、わたしの任務は監視であってシャナウェルの解体でも暴走の阻止でもない。このような事態に陥ってしまったことは、リリフレイア神殿にとっても想定外のことだ。それゆえ、一度リリフレイアの啓示を仰ぎに向かうつもりだ」
シャーリーが顎をしゃくり、歯を剥き出しにして心底嫌そうな表情で言った。
「あ、でもメルはわたくしたちとは違う船便で旅立ってくださいね! 変態はお断りですっ! イーッ!」
「ぅぐっ!? な、何よ!? そ、そんなこと言わなくたっていいじゃない!」
メルが泣きそうなへの字口になる。
王国騎士を辞めた瞬間から、乙女化する癖が悪化したように思える。
「そうだっ、いいこと思いつきました! 気持ち悪いもの同士、またデレクと一緒に行動をしたらどうでしょうか!」
「はぐふぅ!?」
煽りを受けて、床に崩れていた勇者デレクがガクガクと身体を震わせる。
なおも追い打ちをかけようとするシャーリーの頭に、アイリアが手刀を入れた。
「ぅだっ!? な、何をするんですかっ」
「あんた、全方向に喧嘩売るのはやめなさい。そんなだからジンさんに女扱いしてもらえないのよ」
「う~……」
こらえきれないといったふうに、甚五郎が肩を揺らして豪快に笑った。
「くくっ、はーっはっはっはっはっ!」
ひとしきり笑って、視線を背後へと向ける。
そこには心なしか表情が柔らかくなった、角のない緑色ハゲ魔人が壁にもたれていた。
「ヘドロ、貴様はどうするのだ?」
「……へ! 残念ながらデレクと一緒よォ。おれ様もしばらく間は退屈なゲオルパレスの再建に手を貸す。その後は野となれ山となれ。自由に旅立つぜェ」
「そうか。残念だ」
甚五郎のその言葉に、ゲオルパレスの魔人王の館に、汚え緑の花が咲いた。
そうして膝を曲げ。
「だから、おめえとの決着はよォ」
「ああ、お預けだな」
甚五郎がそう呟き、背中を見せた瞬間、ヘドロがギザ歯を剥き出しにして叫んだ。
「――今この場でつけてやんぜコラァッ!! 死ねコラァ!」
「うぬっ!? 卑怯なっ!」
甚五郎が反応したときにはもう遅い。
ヘドロはすでに天井なき空へと跳躍していて――が、超速で突然飛び込んできた金属色の小さな影に顔面をつかまれて。
「ふがっ!? ひっ!? か、母ちゃ――勘弁!」
そのまま石の床へと、後頭部から凄まじい勢いで深く埋め込まれた。
魔人王の館、さらに崩れる。
濛々と立ち籠めた砂煙の中で、魔人少女――否、魔人王グリイナレイが両手を腰にあててため息をついた。
「……これ以上……おうち……壊さない……。……ばか息子……」
瓦礫の中から顔を上げ、黒の鼻血を流しながらヘドロが呟く。
「か、母ちゃんのほうがよっぽど壊してんだろ! つか、ほっっっとんど、母ちゃんとジンゴロが壊したんじゃねえかよ!?」
「……うる……さい……」
その後頭部を容赦なく金属色の裸足が踏み貫く。
ごごん、と大地が震動して、ヘドロの上半身が岩の床へと再び埋め込まれた。
そうしてグリイナレイは、集まる人間たちの注目に苦笑いを浮かべる。照れ臭そうに人差し指を下に向けて。
「……うふふ、教育……」
:彡⌒:|
(´・ω:|
ヽつ::|
ヽ :;|
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深夜、常冬の国であるゲオルパレスに命の音はない。あるのはただ吹き抜ける風の音と、引いては寄せる波の音くらいのものだ。
激しき一騎打ちで半壊した魔人王の館の中庭を、人影が足音を忍ばせて歩いていた。地を這うように移動し、音を立てぬように瓦礫を押しのけ、両手を大地に擦りつけるようにして探す。
探しているのだ、何かを。凍った息を吐きながら。
館の主が、皆が、寝静まったのを見計らって。
やがて男は手にその感触を見つけ、小さな空の小瓶を指先で拾い上げていた。
それは魔人王のエリクサーだった。もちろん、甚五郎が飲み干したもので、中にはもう何も入っていない。それどころか空き瓶は栓すらされておらず、瓦礫とともにただ無惨に打ち棄てられていたものだ。
価値などない。あろうはずもない。
だが男は両手で大切そうにそれを包み込むと、愛用のビジネスバッグから水の入ったペットボトルを取り出した。
キャップを回して開け、慎重に水を流し込む。
そうして指で空き瓶の口を塞ぎ、ペットボトルをビジネスバッグへと戻した。
「……羽毛田式おもてなし術のひとつ、ふりふりシェイキング」
ぽつりと呟くと、甚五郎は必至の形相で小瓶を振り始めた。渇いていようともエリクサーの成分がほんの一滴でも残っていれば、何かが起こる。そう信じて。
振って、振って、振って――。
やがてその腕を止める。
瓶は透明なままだ。だが、甚五郎は右手に持った小瓶の中身を左手に流し、そして。
ぴしゃり!
己が頭皮の頭頂部へと左手を叩きつけた。しっかりと染み込ませるように、何度も何度も頭皮を叩き、擦りつける。
「来い……来い……来い……! さあ、来るのだ……!」
呪文のように唱えながら。
しばらくして甚五郎は、肩を落としながら魔人王グリイナレイに与えられた寝所へと足を忍ばせながら戻っていった。
その光景を偶然見ていた館の主グリイナレイは、なぜか戦慄したという。
魔人王を戦慄させる奇行!
これぞハゲ!




