ハゲ、シャナウェルの王
前回までのあらすじ!
最終戦を前にしてハゲの肩こりが電撃魔法で解消された!
だがもう帯電で逆立つ毛はない!
大きな、大きな天幕の中――。
その男は黒髪に白髪の交じった中年だった。
年の頃は六十代といったところか。衰えの始まった肉体は宝飾の施された荘厳華麗な王冠や、シャナウェル王家の紋様の刺繍が入った煌びやかな外衣を以てしても、隠せるものではなくなっていた。
シャナウェル王、ヒュブリス・リーン――。
かつてこの大陸に存在していた六国のうち、魔人国家であるゲオルパレスを除く五国までを武力にて併合した大いなる覇王。
昨今では旗下にあった港湾国家ウィルテラの独立により、その多大なる影響に衰えが見え始めたかと言われているが、そうではない。
泳がせているのだ。港湾国家が成長し、レアルガルド大陸との橋渡しができるまで。
それでも――。
うなだれ。背もたれに背すら預けず、ヒュブリス・リーンはただうなだれ。
座っていた。静かに。眠るように。
けれども、老いた瞳は向けられる。強固に守られていたはずの本陣営の真正面から、背筋と胸を張り、堂々と歩き来たふたりの客人へと。
「……ウィルテラの勇者デレク・アーカイムではなかったか」
ひとりは羽毛田甚五郎。
およそ一月前、三〇〇もの王国騎士らの包囲網を少数の仲間とともに破り、シャナウェル王女シャルロット・リーンを連れ去った男だ。
五〇〇〇近くもの騎士らを突破してきたというのに、傷はおろか疲労すらない。
もうひとりはヒュブリスの実子シャルロット・リーン。
老いた瞳が瞬きを繰り返し、ひっそりと細められる。
しばらく見ぬうちに、よくぞ似てきたものだ、と。
寂しげに。懐かしげに。優しげに。そして、憎しげに。
「おまえがヒュブリス・リーンか。私の名は――」
「羽毛田甚五郎。知っておる。何をしに来たのかね?」
威圧。国内の誰もがこの声に屈するというのに、この頭髪なき男は意にも介さない。それどころか、まるで魔物――否、古竜のごとき威圧を返してくる。
「知れたこと。愚かなる侵略行為を今すぐに取りやめ、王位を退けと伝えに来た」
「用件がそれだけなら、去ね」
ヒュブリスがにべもなく突き放す。
だが、甚五郎が自ら退くことはない。
「ならば力尽くで引きずり下ろすが、よろしいか?」
「ふん。老体を相手に勇ましきことだ」
「フ、オイタを働くものであれば、老体だろうが幼児だろうが叱ってやるのが大人というものだ」
叱る。叱る、か。これもまた懐かしきものだ。なるほど。おもしろい男だ。ハゲだが。
ヒュブリスが肩を揺らして少し笑った。
そうして男の隣に立つ娘に視線を向けた。
「シャルロット」
「はい。お父様」
睨めば怯え、シャナウェル城の主塔では目すら合わせようとはしなかった籠の鳥が、今や正面からこちらを見据えて立っている。
美しく成長した。
「おまえを変えたのは、おまえを動かしたのは、その男か?」
「はい。お父様も変わるべきときがきたのです」
言う。言う。その姿で。その声で。だから愛おしい。だから憎々しい。
だから――恐れた。閉じ込めた。シャナウェル城の主塔に。
ため息をついて背もたれに背中を預けると、甚五郎が発達しすぎて気持ち悪い大胸筋の前で両腕を組んだ。
「王位を退くつもりも、侵略を止めるつもりもないということか?」
「ない」
シャーリーが甚五郎とヒュブリスの間に身を入れて、大声で叫ぶ。
「もはやお父様を守る騎士はいません! 本営の騎士らはみんな逃げ出してしまいましたから! だから降参してください!」
「何度も言わせるな、シャルロット。これが最後なのだ。……最後の遠征なのだ」
甚五郎が眉をひそめた。
「どういうことだ? おまえは病にでも冒されているのか?」
「違う。儂が遠征を果たす意味での話だ」
甚五郎とシャーリーが顔を見合わせる。
「くく、問うなよ。時間の無駄だ。話す気はない。どうしても知りたくば、儂を絞め上げて吐かせてみるのだな」
呟き、老いた王が仮設された簡素な王座から立ち上がる。そうして自らの手を外衣の内側に入れて、赤い液体の詰まった小瓶を取り出した。
「ぬッ!? そ、そ、それはもしや、エリクサーかッ!!」
甚五郎が大きく目を見開き、激しく取り乱した。自らの頭皮に手をやって、ごくりと喉を動かす。
「ちょ、ちょっとジンサマ!? ここまで来て卑怯な取引なんかに応じないでくださいね!?」
「わ、わわわかっている! わかってはいるがッ!」
ヒュブリスは指先で木の栓を抜くと、甚五郎が止める間もなく自らの口へと赤い液体を流し込んだ。
「――あああぁぁぁぁっ!? 私のエリクサーがあああああっ!」
「ジンサマのじゃありませんから! あきらめてください!」
ヒュブリスの筋張った喉が、ゆっくりと嚥下する。
そうしてヒュブリス王は空になった小瓶を投げ捨てた。
「伝説のエリクサーとは違うものだ。病も欠損も、何も治りはせんよ」
「なんだとっ!? 私の毛も生えないのか!?」
シャーリーが真顔に戻って非難するような視線を甚五郎へと向けたが、甚五郎も老王もそれには気づかない。
「生えぬ。民間伝承になっておるエリクサーとは、今は亡き古竜種銀竜族の血液だ。もはや何者にも手に入れることなどできはせぬ。この小さな大陸ではもちろんのこと、レアルガルド大陸ですら滅んだと聞いておる。まあ、海を行く商人の与太話ではだが」
大胸筋で組まれていた甚五郎の両腕が、力なくするりと滑り落ちた。愕然として落ち込む甚五郎の横で、シャーリーがヒュブリスへと尋ねる。
「では、今お父様がお飲みになられたのは……?」
「別種のエリクサーだ。黄金竜の死骸より、一滴を手にした商人から奪い取ったもの」
ヒュブリス王の顔から、汗の玉が滲み出た。脈打つ血管を浮き上がらせ、苦しげに呻き声を上げる。
「銀竜族の血液とは違い、身体の異常を収めるものではなく――」
どくん、どくん、心音が響いている。
甚五郎やシャーリーの耳にすら届くほどに、破裂しそうなほどに。否。血管は破れ、ヒュブリス王の肉体は壊れ始めていた。
「――異形なる存在へと変じさせ、新たなる力を持ち主に与えるもの」
皮膚は破れ、肉は裂け、瞳は血走り――。
「お、お父様……?」
「銀竜族が血を分け与えたものを自らの主とし、生涯をかけて守り抜くのとは逆に、黄金竜はその血を分け与えたものを盟約で縛りつけると同時に、大いなる力を発現させる。そうして己を守る竜人を創り出すのだ」
ヒュブリス王は王冠と外衣を無造作に投げ捨てると、老いた肉体を肥大化させた。身にまとっていた着衣が一気に破れ、その姿が露わとなる。
「お……父……様……?」
鱗。全身を黄金色の鎧で覆って輝かせ。
顔。まるで伝説の古竜のごとく、人いなざるものへと変じさせ。
「本来であるならば、黄金竜に盟約で縛られた僕と化すものではあるが、幸いにしてこの血液の主はすでに死んでおる」
声。若々しく変化して。
体。力強き魔人をも凌駕して。
「姿を戻すことはできぬゆえ、できれば使いとうはなかったものだが、やむを得んといったところだろう」
威圧。甚五郎の肌が粟立つほどに。
殺気。戦場を包み込むほどの。
「ああ……。だが、そうだな。この姿ではもはやシャナウェル王には戻れんか。喜ぶがいい。一つ懸念を減らしてやったぞ、シャルロットに羽毛田甚五郎。王位は退こう。だが、ゲオルパレスへの侵攻は続ける。たとえ儂一人になろうともだ」
途切れ途切れに甚五郎が呟いた。
「……なぜ……そこまでして――」
「言ったはずだ。儂を絞め上げて吐かせてみろ、と」
竜人ヒュブリスが甚五郎を睨む。
シャーリーが大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出した。そうしてレイピアを抜いて、風精の風を己の周囲へと巻き付けてゆく。
だが、甚五郎はシャーリーの肩を片手でつかんで強引に自らの背後へと下がらせた。
「下がっていろ、シャーリー」
「やれます」
シャーリーが素早く呟く。
「だめだ」
「もう足手まといにはなりません! これ以上わたくしを置いていかないで!」
「そういう問題ではない。あれはキミの父親だ。刃など向けるものではない。生涯背負う、心の疵になる」
「そんなことを言っている場合ですか!? こんな威圧、まるでグリイナ――」
「――私を信じろ! 大丈夫だ!」
細い両肩をつかみ、甚五郎は力を込めてシャーリーを強引にその場に座らせた。
「そこで座って見ていろ」
そうしてわずかにネクタイを弛めながら、くたびれた革靴で歩き出す。
竜人ヒュブリスの前へと――。
「待たせたな、ヒュブリス王よ」
「……感謝する……」
ヒュブリスは呟く。小さく、小さく。甚五郎にだけ聞こえるように。シャルロットには決して聞こえぬように。
甚五郎の眉がぴくりと動く。
「……愛しているのだ。このような姿になった今も……」
ヒュブリスは繰り返す。不安そうにこちらを見ているシャーリーを見つめながら。
「……愛している……」
寂しい瞳で。懐かしい幻影でも見るかのように。
「だから、殺し合ってくれ。儂を止めてみせろ。――羽毛田甚五郎ッ!!」
跳躍。回避する暇などなかった。黄金色の鱗に覆われた拳が、筋肉に包まれた両腕へと突き刺さる。
「――ぬがっ!?」
交叉した甚五郎の両腕が弾かれ、ガードがこじ開けられる。革靴が後方へと勢いよく滑り、砂埃を立てた。
拳を放ったままの体勢で、ヒュブリスが哀しげに呟く。
「くだらぬ情で手など抜いてくれるなよ、若造」
甚五郎の毛話にも正面からちゃんと付き合ってくれるヒュブリス王!
マジ天使!




