ハゲ、毛根なき傑物
前回までのあらすじ!
純情ハゲをハゲ仲間と偽り騙した卑劣なる王国騎士!
ハゲの哀しみが加速したぞ!
もう足手まといとは言わせない。
緑の疾風に乗って少女は漆黒の騎士たちへと距離を詰める。
この場にいるほとんどのものには見ることさえ叶わない、四枚の羽根を持つ小さな乙女、風精シルフが少女を先導していた。
風精の姿がこれまで以上にはっきりと見えている。薄緑の髪や、葉を数枚重ねて作られたスカートまで。
シルフの導きで少女は近衛騎士らの中央へと潜り込んだ。
騎士たちは、まだ前方を見ている。少女が足もとに潜り込んだのに、まだ、前方を。少女がついさっきまで走っていた箇所を見ているのだ。
不思議だった。少女には彼らが止まっているかのように見えた。
ゆっくりと、近衛騎士の首が回る。己の足もとへと。
けれどそのときには少女シャルロット・リーンの姿はすでにない。
背後――。
「ハッ!」
がら空きの背中。漆黒の鎧に覆われた背中ではなく、脚部具足。鎧の関節の継ぎ目に、すぅっとレイピアの切っ先が入った。
すかさず離脱。空へ。アイリア・メイゼスのように。
近衛騎士たちが背後を振り返ったときには、すでにシャーリーの姿はない。
風精に導かれ、外衣を翻して空を舞う。
どこを見ているの?
上空から眺め、そんなことを考えて思い直す。
自分はいつも背中を見てきた。傷だらけになって戦う大きな背中だ。優しさですべてを包み込むあの背中。お筋肉様が気味悪いくらいに発達した逞しき背中。
「あなたたちには、それがないのですね」
滞空中に呟く。
その声におよそ三十もの視線が上がった瞬間には、シャーリーはすでに地を這っている。
低く、低く。雪面の大地を蹴ると同時に肘、膝、貫いて。
赤に染まったレイピアの切っ先が弧を描き、少女は長い銀の髪と外衣をなびかせて背後へと離脱する。
三人、無力化した。ほんの一瞬の攻防で。
「シャーリー!」
甚五郎の声に視線を上げる。
漆黒の騎士らの最後尾。番えた矢を放った黒騎士。
近衛騎士ジラール!
ほんの少し前、王都シャナウェルにて、少女の最も敬愛する男の擬毛を無惨に破り捨てた男だ。
「ひ、ひひ!」
矢は騎士らの隙間を正確に抜け、シャーリーの喉もとへと迫った。
この至近距離では風精の暴風とて確実な防御法とは言い難い。喉からは逸らせても、わずか左右にある頸動脈を貫かれれば終わりだ。
だがシャーリーは。
「――っ」
躱す。
疾風よりも速く。銀色の髪が、鏃に裂かれて微かに散った。
近衛騎士の一団を挟んで、ガギリィと、同時に歯が鳴らされた。羽毛田甚五郎とシャルロット・リーンの歯が、同時に。
そうして少女は無数の騎士らがひしめく集団へと真正面から飛び込んだ。
赤や青に輝く魔法の力を帯びたロングソードの刃をかいくぐり、勢いのままに蹴り倒し、雪面を転がってレイピアを刺突、軽い跳躍で黄金色をまとった剣を避け――。
「ひ……っ」
アッシュグレイの髪と瞳をした近衛騎士の数歩手前へと降り立つ。
「ジラールゥゥッ!!」
風精の導きによって、降り注ぐ無数の刃を避けながら、シャーリーがレイピアを引く。狙いは四肢関節部すべて。
この男からは、すべての動きを奪わねば気が済まない――!
ジラールが大あわてで弓を捨て、ぱりぱりと金色に輝く光を放つブロードソードを抜き放った。
大地を蹴ったシャーリーの切っ先が、ジラールの持つ黄金色の剣と触れた瞬間、凄まじい音がしてシャーリーの肉体が硬直した。
「……ッ!?」
雷の剣――!
シャーリーの碧眼が大きく見開かれる。全身に痛みが走った。
それだけではない。全身が麻痺した。筋肉が収縮し、脳からの指令を拒絶する。声すら出せない。
直後、側方の景色が揺らいだ。大気中の酸素を取り込み、巨大な炎の壁がシャーリーへと迫り来る。
炎の魔法――っ!?
足、動かない。いやだ、こんなところで。
風精シルフが緑の風をどれだけ足もとへ送り込もうとも、全身の麻痺は解けない。それどころか視線を炎へ向けることさえ困難で。
やがて炎は少女を呑み込まんとして――。
「とうッ!!」
唐突に空から飛び込んできた大男の全身に食い止められた。丸太のような両腕を交叉して、真正面から炎精サラマンダーの突進を受け止めて。
言わずと知れた羽毛田甚五郎だ。
「小賢しいわッ!!」
野太い咆吼、炎をまとい猛進してきた炎精サラマンダーを弾き飛ばす。凄まじい爆発が起こり、爆風が周囲の雪をすべて吹き飛ばした。
甚五郎の瞳には見えぬものだが、雪面にひっくり返った蜥蜴のような炎精サラマンダーは、四肢をばたつかせながら脅えるようにその姿をすぅっと消した。
肉体に、否、スーツのジャケットに炎を宿し、男は寂しげな瞳を持ち上げる。
「……もはや我が身に守るものなし」
燃える部分など残っていない。太陽のごとき輝きを放つ頭皮には。このような爆発が起ころうとも、アフロになる心配もない。
炎を宿したジャケットを脱いで雪面に投げると、甚五郎は炎を放った近衛騎士へと向き直る。
「シャーリー、動けるか?」
「あ、はい。もう大丈夫みたいです」
シャーリーが瞳を細めた。
「申し訳ありません。結局ジンサマのお手を煩わせてしまいました」
「フ、気にするな。足などいくらでも引っ張ってくれてかまわん。……毛は勘弁だがな」
や~だ、引っ張る毛がもうないじゃないですかぁ~、と言いかけて、少女は口をつぐむ。
「そのようなことより、成長したな。シャーリー」
ぽっと、胸に暖かい明かりが灯る。
嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑って、シャーリーは頬を染めながら口を開けた。
「……はい」
甚五郎の視線の先には、漆黒の鎧に身を包み、しかし剣や槍、弓ではなく杖だけを持っている騎士がいた。
「気をつけてください、ジンサマ。近衛騎士団隊長ギシリア・ゲイル、生粋の魔法使いです。雷精、炎精、氷精の精霊を同時に使役する大魔法使いで、父シャナウェル王の側近です。……噂通りならデレクでも勝てるかどうか」
別段大したことはないとばかりに、甚五郎が鼻を鳴らす。
「デレクと同等だと? フ、おもしろいではないか」
そうして近衛騎士団とシャーリーが見守る中、甚五郎がひとり、近衛騎士団隊長ギシリアへと無防備に両手を広げて近づいた。
「ならば試してやろう」
「ちょ、ジンサマ――!?」
今甚五郎の身を守っているものは、左右のお乳首様の間で揺れるネクタイのみだ。魔法はおろか小刀でさえも防げたものではない。
「ふははっ、さあ、撃ってくるがいい! ギシ……? ギシアンとやら! まったく、卑猥な名前をしよってからに!」
ギシリア・ゲイルが杖を高く持ち上げる。
「ふん、恐れを知らぬ蛮族め。舐められたものだ。永久氷壁にて眠りにつくがいい」
直後、雪面がせり上がって密度を増し、透明の氷となって甚五郎の肉体へと足もとから這い上がる。
氷の棺に、甚五郎を閉じ込めんとして。
「氷精魔法! それも無詠唱だなんて……!」
水精魔法の上位種だ。おそらくこの大陸でこのような魔法を操れるものは、ギシリア・ゲイルただひとりだろう。
だが。
「ぐははははっ、どうしたどうしたぁ? 撃ってこんのかね?」
ゆらり、ゆらり。両手を広げてネクタイを揺らし、裸身を惜しげもなくさらして。
まるで気づきもしていないかのように、甚五郎は歩き続ける。薄氷など貼り付いた直後から溶けて割れ、有って無きようなものだ。
まったく予想外の事態に、ギシリアが首を傾げる。何度か杖を振って、もう一度氷精に命じて。
「? ……? どういうこと……だ?」
「んん? 貴様は魔法使いではないのか? 遠慮なく撃ってきてかまわんぞ?」
撃っている。完全に撃ちまくっている。だが止まらないのだ。この男は。このハゲは。
再び甚五郎の足もとから氷が這い上がる。
甚五郎は止まらない。平然と氷を体熱で溶かし、歩くことで砕いて。
「な、なんという化け物だ……っ、禍々しき存在め!」
「うぬ!? ハゲただけで化け物扱いだと!? 貴っ様ァ……そういう差別的発言が、全世界のハゲを苦しめているとわからんか!」
シャーリーにはむしろ、甚五郎は今、自分が何をされているのかさえ気づいていないように見える。思いっきり、魔法攻撃を喰らっているのだが。
「我々とて好きでハゲたわけではないというのにッ! ゆるさんぞ……っ」
ずん、ずん、進む。
ごくり、とギシリアの喉が大きく動いた。
「ならばこれでどうだッ!」
掲げられた杖の先から黄金色の雷が迸る。何者とて回避など不能。ましてや雪面。雷を阻む絶縁体などどこにもない。
「む!?」
「ジンサマ!」
甚五郎の肉体が、バチバチと音を立てて弾けた。
血管が破裂し、全身内側から灼かれて心筋をも収縮させるほどの電流である。
だが。それはあくまでも常人であるならば、の話だ。
「おごおおおおっ、おふぅ~……。――くくっ、むしろ肩こりが取れるわァ!」
悪鬼羅刹。
舌をべろべろと出し、血走った目をむき出しにして、それでも甚五郎は歩き続ける。ゆっくりではあるが、確実に。
「……? ……!? ……っ!?」
ギシリアの表情が変化した。あきらかなる困惑。否、恐慌。
そうして甚五郎は、掲げた杖から炎精の炎を出したギシリアの前に立った。
見えていないはずの蜥蜴のような形状をした炎精サラマンダーを、巨大な片手でぐちゃりと握りつぶして。
――ピギュゥ~………………。
ギシリアが目の前に立ちはだかった巨大な怪物を見上げ、雪面に震えながら腰を落とした。
その頭部を片手でつかみ、甚五郎は悪鬼の顔を近づける。
「まだ、やるかね? 大魔法使い様とやら」
「…………ま、まいっ……た……」
にっこり微笑み、甚五郎がうなずく。
「うむっ」
だが直後、ギシリアを黒鎧ごとわしづかみにして高く持ち上げ――。
「だがゆるさんッ! ――おおおおおおるぅぅぅぁぁぁぁぁっ!!」
「ひああああぁぁぁぁぁ~~~~~~………………!」
超高速でぶん投げられたギシリアが、ジラールを中心とした多数の近衛騎士らを巻き込んで、雪面へと派手に叩きつけられた。
粉雪が舞い上がる――。
ぱん、ぱん、と甚五郎が両手を払った。
「ふん、貴様がデレクと同等だと? 金髪ロン毛の毛根はおろか毛先にも及ばん。――私の仲間に手を出したこと、地獄で悔いるがいい」
辺りには漆黒の鎧だった金属片と、気絶した近衛騎士らが無惨に倒れている。無傷で立つ残りの近衛騎士らも、すでに突っ立っているだけだ。剣をかまえるものなどいない。
「フ、どうやら快く通してくれるらしい」
魔法剣であろうが魔法であろうが、もはや関係ないのだ。この男には。このハゲには。
この怪ぶ――傑物には。
音をひそめた戦場で、少女はとてとてと甚五郎に駆け寄った。
その足もとに、隊長ギシリアを直接ぶつけられ、鎧のほとんどを砕かれて血塗れで昏倒した近衛騎士ジラールを置き去りにして。
シャーリーは思った。
ああ、この人まだ擬毛の恨み忘れてなかったんだな~、と。
「よし、征くぞ。シャーリー。もはや本陣は目の前だ。キミのお父上には少々反省をしてもらわねばならん」
「は~い」
少女は鼻唄でも歌うかのように後ろ手を組み、静まりかえった戦場を歩く。
大きな背中を追いかけて。
電撃は回復魔法じゃないから……。




