ハゲ、白銀の姫騎士
前回までのあらすじ!
ぷーくすくす!
ヘドロ、幸福感の沸点低すぎ!
各所で上がる悲鳴。パニックは伝播する。
男は少女を連れてただ歩く。力強く雪を踏みしめ、目の前にあるすべてを豪腕にて薙ぎ払い、悪鬼羅刹の形相をむき出しにして。
「き、来たぞ! 止めろ、止めろ!」
「おまえが行けよ!」
次第に――騎士らは及び腰になる。
「じょ、冗談じゃない」
「ひ……」
そうしてしばらくの後には。
「かはぁぁぁ~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!」
立ち向かうもの、もはや皆無。
王国騎士らは爽やかなる緑の風をまといし人間離れした男に、自然と道を開くようになっていた。
穂先や剣先こそ向けてはいるものの、斬りかかるものは誰もいない。
その刃はすでに敵を殲滅する勇気の剣ではなく、己が身のみを守る臆病なる盾であった。
「こ、殺される……」
「お、おい、もっと下がれ!」
「押すなよ!」
「だ、だめだ、あんなの!」
王国騎士たちが密集する渓谷にあって、男の前に立ちはだかるものはもういない。
なぜならば少女を連れたその男、羽毛田甚五郎の通ってきた渓谷には、屈強なる騎士らが死屍累々の状況に陥っていたからだ。
死屍累々――否。正確には違う。
羽毛田甚五郎もその連れである少女シャルロット・リーンも、ただのひとりたりとも命を奪ってはいない。だが、そのようなことは傍目にはわからない。
騎士らの瞳には、つかみ、投げ、叩きつけられた仲間が、動かなくなって横たわる姿しか見えていないのだから。
そのような有様だけをまざまざと見せつけられては身も竦もうというもの。
そう、脅える騎士らは知らないのだ。プロレスラーと呼ばれる人種のことを。
魅せる戦い。痛みを視覚化する技能。衝撃をより響く音に変換させる技能。肉体を損傷させることなく、動きのみを確実に奪う技能に長けたものたち。
それら知識がなくば、脅えるも無理からぬことである。
「ひ、ひぃあ!」
がちがちと歯を鳴らしながら腰を抜かした騎士の前を、羽毛田甚五郎とシャーリーは一瞥さえくれることなく通り過ぎる。
騎士はふたりを見送るだけだ。
ましてや全身から蒸気を立ち上らせ、周囲の雪すらも蒸発させながら歩く悪鬼羅刹を目の前にしては。
「こ、こんな……違う!」
およそ一月前、甚五郎とシャーリーがシャナウェル王国の南門を破った際に刃と拳を交えた王国騎士でさえも、足を震わせる。
かつてお筋肉様の鎧を勇敢に穂先で貫き、その動きを止めたことのある騎士ロイドが、後ずさりながら上擦った声を出した。
「こんなにも化け物だったか……!? ま、まるで別物ではないか……」
一月前、仲間の手を借りねばおよそ三〇〇程度の王国騎士団を突破できなかった男は――羽毛田甚五郎は、わずかの時を置いた今、二〇〇〇の騎士らを薙ぎ払いながら悠然と進んでいる。
あのときでさえ夢ではないかと我が意を疑ったというのに、今この場で起こっている事態が悪夢でないのだとしたら、一体なんだというのか。
見た目でわかる違いなど、横髪と後ろ髪を失っている程度のもの――。
「……毛が、とてつもなく重かったとでも言うつもりかッ!?」
呟いた。ロイドは呟いてしまった。不幸にも。
それまで左右に避けた騎士などには目もくれず、ただ前だけを向いて歩いていた男の瞳が唐突にぎょろりと動いた。
「……くッ」
そうして足を止め、お筋肉様の鎧に包まれた上体を斜めに傾けるように不気味に折り曲げ、血走った瞳で勇敢なる騎士ロイドを覗き込んだ。
「んんッ!? いぃ~まのはぁ……貴様かぁ……ッ?」
地の底より鳴動するかのような低い声。他人様に物を尋ねるにしては、少々異様ともいえるポージング。
「あ……はぁ!? ひ、ひ、あああぁぁぁ……」
声にならない声。かまえた槍の穂先が押さえようもないほどにガクガクと震え、やがては両手の力を失って雪上へと取り落とす。
涙腺が役割を果たさず、涙が自然と流れ出る。
「あ、あひ……」
甚五郎は意識を手放し倒れ込みかけた騎士ロイドに丸太のような手を伸ばし、巨大な掌で騎士の兜に包まれた頭部を鷲づかみにする。
「おおっと、危ない」
強引に意識を引き戻されたロイドが、全身の穴という穴から液体を噴出した。鎧の隙間からありとあらゆる汁が漏れ出す。
「お……ご……ぇ……あ……」
もはや言葉にもならない。
だが次の瞬間だった。甚五郎が悪鬼羅刹の表情から、人懐っこい表情に変じたのは。
「フ、毛の重さ……か。やはりわかるか、同士よ。そう。私にとっても頭髪とは、とても重きを置く存在だ。産まれいずる瞬間より共にあった我が最古の友であり、朽ちるときにも共にあるべき存在だった」
何言い出した、こいつ……?
脅えるロイドはそんなことを考えた。
いや、ロイドよりもむしろ、羽毛田甚五郎の背後に立つ少女の表情こそが、雄弁にそう物語っていた。
少女は眉根を寄せ、首を微かに傾けていて。
だが甚五郎はそんな様子には気づかず、拳を握りしめて語り出す。
「嬉しきときは共に喜び、悲しきときは共に哀しんだ。富めるときも貧しきときも、病めるときも健やかなるときも、死が我らを別つまで、愛し、慈しみ、背負い、語り、笑い合い、そよぎ、生涯を共にあらんとした」
「ジンサマ、ちょっと、そんなことをしている時間は――」
シャーリーが甚五郎のジャケットを引っ張るも、甚五郎は少年のごとく瞳を輝かせ、頑として動かない。むしろ引っ張られていることにさえ気づいていない。
「しかし度重なる激しき戦いの中、長き友はひとり、またひとりと散っていった。どれだけ守ろうと手を広げても、指の隙間から抜け落ちてゆく生命。……そうして私はすべての頭髪を失ったのだ……」
「ほとんどルーさんが引き抜いちゃったんじゃないですかっ」
筋肉量の差なのか、少女が引いても甚五郎は微動だにしない。
「私に、強く生きよ、というメッセージだけを残してな」
「それは気のせいです! 妄言吐いてないで、ほら、いい加減行きますよ!」
「だがな、騎士よ――」
甚五郎は苦渋の表情をした後、優しき笑顔を浮かべる。
「だが私には心の毛がまだ二本も残っていた。それは私のようなものを慕ってくれる大切な仲間だ」
「わたくしはジンサマの毛ではありませんからね!? 妻ですからね!?」
「だから貴様も、少しばかり頭皮が不自由なくらいで落ち込むんじゃあない。毛というものが貴様にとってどれほど重きを置く存在であろうとも――」
甚五郎が発達しすぎて張り出した大胸筋を、力強く拳でどんと叩いた。
「――ここに毛がある限り、まだまだ生きるのだ! 私は、毛と共に!」
「……」
誰か通訳をしてくれぇぇ!
ロイドはそんな表情をしている。
「フ、おっと。勘違いされては困る。胸毛の話ではないぞ。心だ。守るべきは頭の毛ではなく、心の毛だった。……むろん、頭髪も生えるにこしたことはないのだが……」
王国騎士ロイドは、かつて味わったことのない大いなる不安と、あまりにバカげた話と、最大限まで膨れあがった恐怖の余り、涙を流し続けた。
甚五郎は己の胸にロイドの頭部をそっと抱えこむ。
「もういい。もう泣くな、毛に重きを置く同士よ。今日この日、苦しみ続けてきた過去を、その頭皮を蒸らす兜ごと脱ぎ捨てる日がやってきたのだ。そして、ありのままの貴様を白日のもとにさらせ。さあ、勇気を持って」
甚五郎が優しく王国騎士の兜に手を伸ばした。
「心配するな。頭髪がなくとも、心に毛を持てばそれだけで生きていける。私のように。……むろん頭にもあるにこしたことはないが……」
そうして甚五郎は、ゆっくり、ゆっくりと、騎士の兜を持ち上げて――白目を剥いた。
流れるようなブラウン・ヘアーが、ふぁっさぁ~っと首筋を覆ったからだ。むろん、頭頂部にのみ頭髪がないなどということもなく。
むしろ毛量は多いほうであり。
「……」
「……」
数秒の沈黙――。
か~っと甚五郎の顔色が羞恥に染まった。両手に持った兜を、ぺしゃりと挟み込んで圧縮する。
「………………ふっさふさではないかっ!! このロン毛野郎! 私を騙すとは良い度胸だ!」
気づけば王国騎士ロイドは、地面に落ちるまでの間、わけのわからぬままに空を舞っていた。
甚五郎は両手をぱたぱたと叩いて、再び進行方向へと視線を戻す。
「なんと卑劣にて狡猾。油断も隙もない。む――」
そこには漆黒の鎧に身を包む三十名からなる一団がいた。その手には、魔法剣らしき様々な色に輝く剣が握られている。
「ジンサマ、近衛騎士団です」
「うむ。威圧程度では退きそうにないな。シャーリーは下がっていなさい」
シャーリーの足もとで渦巻く緑の風が、少女の外衣と長い銀髪を激しく巻き上げた。
少女は碧眼で漆黒の一団を睨み、微かな微笑みを浮かべて唇を動かす。
「お断りします。なぜでしょうか。今は不思議と負ける気がしません」
「グリイナレイの気にあてられたか?」
「はい。あの程度の方々に、ほんの少し前まで足が竦んでいただなんて」
少女は苦笑いを浮かべたあと、自信に満ちた表情で触媒レイピアの切っ先を近衛騎士団へと向けた。
その様子に、甚五郎は微かに瞳を細める。
「ならば共に征こう」
魔人王グリイナレイには感謝をせねばならない。
もとよりシャーリーは潜在する能力的に、それほど弱い騎士ではなかった。風精シルフが生み出す恐るべき速さは、刺突攻撃においては力の無さを補うに余りあるものだ。
その上で、最前線で戦う羽毛田甚五郎の背中を長く見続け、彼女と同じく力で劣るはずのアイリア・メイゼスの戦い方を見続け、多くのことを学んできた。無意識にでも、知識として確実に蓄積してきたのだ。
それがうまく発揮されなかったのは臆病さゆえ。産まれの不遇から来る扱いにより、染みついてしまった臆病さゆえだ。
だが、グリイナレイにアイリアが倒され、甚五郎が膝をつき、ルーが連れ去られかけたとき、シャーリーはついに己を縛っていた恐怖を打ち破った。
「いいえ」
そうして少女は変わった。
シャルロット・リーンは生まれ変わった。さなぎが蝶になるように。
ゆえに――。
「わたくしが先陣を切ります」
踏み出す。その第一歩を。
卑劣な王国騎士め、純粋なハゲを騙しやがってぇぇぇ!




