ハゲ、炎の自由騎士
前回までのあらすじ!
私はハゲて人間やめました!
寒い。
荒れ狂う海を前にして立ち、赤髪の女は赤熱の剣を抜いた。
別段敵が来たからというわけではない。寒いからだ。
「暖かい……」
刀身に炎を宿すロングソードは、煌々と光と熱を放っている。
波打ち際からはそこそこ離れているというのに、吹き荒ぶ寒風のせいで飛沫が飛んでくる。おまけに雪まで降り出したとあっては。
メル・ヤルハナは周囲を断崖絶壁に囲まれた入り江の砂浜にいた。
シャナウェル軍が魔人砦を迂回して海路を使うとすれば、上陸可能な場所は限られてくる。
ゲオルパレスは山脈と海に面した断崖に守られた地だ。断崖絶壁ばかりの海岸線において船をつけられる場所は、魔人が漁場に使用しているこの名もなき入り江くらいしかない。
メルは視線を巡らせる。
いくつか漁船らしきものは浜にあるが、謎の刺々しい装飾が施されているあたり、どう見ても頭の悪そうな魔人種のものだ。少なくともまともな人間ならば、あのような意味のない、くそダサい不細工な装飾を施したりはしないだろう。
「ああもう、来るなら早く来てよぉ……」
赤熱の剣を砂浜に突き刺し、焚き火にあたるかのように手をかざす。
作戦通りに事が運んでいるならば、今頃、魔人砦とゲオルパレスの中間に位置する渓谷は、デレク・アーカイムとアイリア・メイゼスがふたりで防衛していることになる。
むろん、シャナウェル軍に防衛ラインを抜かれるのは時間の問題だ。けれどもそれはこの戦いに集う五人の人間が渓谷にそろったところで結果は変わらない。
常識的に考えて、五〇〇〇の軍勢を五名で留めるなど、地理的優位があろうともバカげた話だ。あの羽毛田甚五郎やデレク・アーカイムがいたとしても現実的ではない。
だから、広範囲を最も補える光波という攻撃手段を持つデレクを渓谷に残し、単独での突破力が最も高い甚五郎にシャナウェル王を討ちに行かせる、というのがデレクの立てた作戦だった。
シャルロット王女が甚五郎について行ったのは、王を討つことの正当性を王国騎士らに知らしめるためだ。半分とはいえ、王家の血筋には利用価値がある。
問題は海路だった。
シャナウェル軍が海路にどれほどの人数を割いているかがわからなかったため、炎精召喚でアイリア・メイゼスよりも広範囲に攻撃を行える己が、この砂浜に配置されることになった。
まったくもって隙のない作戦だと言える。いや、隙はないが人数的にはザルだ。投網で川の流れが止められるものか。しかし同時に、これ以上の采配ももはや望めない。
そう思っていた――のだけれど。
「あぁぁぁ、甚五郎様についていきたかった……」
ていうかぁ、あいつらわたしの扱い、なんかひどくない? みんなわたしのことを仲間はずれにしようとしてない?
こんなくっそ寒いところをたったひとりで防衛しろだなんて、ひどすぎない? わたしもう騎士やめたんですけど? ふつうの女の子なんですけど? なんでこんなことさせられてるの?
「……もう帰ろかな……」
ローブの中で太ももを擦り合わせ、砂浜に突き刺したロングソードの柄に手をやり、気づく。
船――!
荒波を乗り越えて、一艘の船が近づいてきている。
赤熱の剣を抜いて鞘に収め、くっそダサい趣味の悪い魔人漁船の中へと飛び込み、身を屈める。
大きい。予想よりも遙かに大きな船だ。おそらく三十名は乗っている。
三十名。そんな数の王国騎士を己ひとりで防がなければならない。
ごくり、と喉が動いた。
いや、無理無理無理無理! 死ぬ! 絶対死ぬ! 人間離れした野獣のような強さを持つ羽毛田甚五郎や、救国の勇者デレク・アーカイムと一緒にされても困る!
いっそ入り江につくまでに波に呑まれてくれないかとも思ったが、シャナウェル王国の紋章を刻んだ船は大きく揺られながらも、浅瀬にその身を乗り上げた。
「……だめだ。逃げよう」
そう思った。なのに、気づけばメルは雪の砂浜に足を下ろし、赤熱の剣を抜き放っていた。
船を漕いでいた王国騎士たちが、一斉に浅瀬に飛び込み、上陸してくる。その数、およそ三十。
先頭の王国騎士がこちらを見るなり、眉をひそめた。
「副長? 近衛騎士隊副長のメル・ヤルハナ殿でありますか?」
「あ……え……」
そうか、と気づく。
どうやら裏切ったことは、まだ王国騎士たちに知られてはいないらしい。
今ならばまだ間に合う。けれど同時に、今さら魔人に剣を向ける気にもなれない。適当に話を合わせて、さっさと逃げるべきだ。それ以外に何ができるものか。
ごくり、と嚥下する。
「そ、そうだ。遠征任務ご苦労。荒波に呑まれず、よくここまで辿り着いたな」
王国騎士らは次々と砂浜に駆け上がってきて、メルの前で横列を作った。
「ハッ。ありがたきお言葉。他の船は沈んでしまいましたが、我々にはどうやら女神リリフレイアの加護があったようです」
炎と騎士を司る戦女神リリフレイアを信仰する騎士は多い。メル自身もまた、リリフレイアの信徒である。
「我々第二師団は、これより魔人砦を裏側より急襲し、本軍との合流を目指します」
「……魔人砦ならば陥落済みだ。シャナウェル王国騎士団はすでに、ゲオルパレス近くにまで進軍している」
王国騎士たちが一斉に「おお!」と歓喜の声を上げた。
「ならばあとはゲオルパレスへ攻め込むのみでありますね」
「……」
王国騎士らが次々に勇ましき言葉を口に出す。
「醜い魔人どもを蹂躙してやりましょう」
「根絶やしにしてやる。一匹残らず」
「オンナやガキも殺すのか?」
「薄気味悪い魔人の女なんざ、どうだっていいだろ。溜まってんのか、バァカ」
「そ、そういう意味じゃねえよ」
笑う。一斉に。
黙していたことが気になったのか、第二師団の師団長らしき騎士が怪訝な顔つきでこちらを見ていた。
「ヤルハナ副長?」
「あ、ああ……」
「我々はこれよりゲオルパレスに一足先に潜入します。副長はいかがなさいますか?」
「わたしは……他の任務がある……から……」
師団長が敬礼する。
「了解しました。それでは、ご武運を」
「……ああ」
師団長を先頭にして、王国騎士らが砂浜を歩き出す。立ち尽くすメルの左右を通り過ぎて。
メルは抜き身の剣の柄を強く握りしめる。
やるなら今。彼らが無防備に背中を見せた今しかない。
卑怯? 知ったことか。すでに騎士を辞した己に、騎士道などという上等な口上は必要ない。いきなり斬りかかってでも、人数を減らすべきだ。
振り返る。そうして身を屈めて雪と砂を踏みしめ、歯を食いしばり――口を開けていた。
「…………ッ……! 待て、おまえたち!」
やってしまった。騎士道など捨てたつもりが、これだ。
最後尾の王国騎士が振り返った。
「ヤルハナ副長? え、え?」
「全員抜けッ。自由騎士メル・ヤルハナの名にかけて、ゲオルパレスには誰ひとり行かせはしないッ」
びゅうと、海風が吹いた。
終わった。死んだわ、これ。絶対無理だ。わたしのバカ。
瞬間、海風を貫き飛来した槍を、首を倒して躱す。
「く!」
先頭を歩いていたはずの師団長が、なぜか後列近くにいた。
「様子がおかしいと思ったんですよ、副長。いや、自由騎士を名乗ったということは、あなたはすでにシャナウェル王国騎士団所属ではないということですね」
にやにやと笑いながら。
他の王国騎士らが一斉に槍や剣を抜く。
槍を投げた師団長が、腰から抜いた剣の先をメルへと向けて号令を発した。
「王国騎士第二師団、裏切り者に制裁を与えよ! 魔人の女を品定めする必要はないぞ! ここにいるのは人間の女なのだからな!」
逡巡。王国騎士らに戸惑いが伝播した後、騎士たちから鬨の声が上がった。
品定めでもするかのように血走った視線を向け、次々と剣や槍を引き抜く。
「女だ……」
「オンナ……」
「……いいのか、ほんとに……」
けれどそのときには、メルはすでに雪と砂の大地を蹴っていた。
「……ッ! この愚か者どもめ! それが女神リリフレイアを信仰する誇り高き騎士の言葉かッ!!」
まっすぐに最後尾の騎士を目掛け、赤熱の剣を振るう。
「やッ!」
「か……っ!?」
ばぎん、と金属音がして王国騎士の鎧が砕け、騎士が派手に雪と砂を巻き上げて転がった。すかさず駆け寄り、地に伏す騎士の太ももを刃で貫く。
じゅっと肉の焦げる臭いが広がった。
「があああああぁぁぁっ!?」
ここに来て、ようやく王国騎士らが動き出す。
メルは追いすがる騎士らの獲物をバックステップで下がりながら躱し、追いついてきた騎士の足を剣で払う。足を斬られた騎士が派手に頭から転がった。
囲まれるまでが勝負――!
「――メル・ヤルハナの名に於いて! 古の盟約に応じよ、其は炎の精霊サラマンダー!」
赤熱の剣の持つ炎色の光が、高く立ち上る。
前方から三名同時に飛びかかってきていた王国騎士へと、メルが炎を放つロングソードを横薙ぎに振った。
炎はまるで意志を持ったかのように形を変え、三名の騎士へと取り憑く。
「あ、ぎゃあああっ!」
己の肉体で躍る炎でパニックになった騎士を蹴り飛ばし、その奥にいた別の騎士へと剣を突く。
如何に頑強なる鎧で防ごうとも、意志ある炎は浸食する。不燃物たる金属さえも、燃やしながら。炎に取り憑かれた王国騎士らは雪面を転がるが、炎精の炎は雪や砂でさえも燃やすのだ。
そういえば、羽毛田甚五郎は気合いで精霊の炎を薙ぎ払っていたっけ。あれはむちゃくちゃだった。まるで理解できない。
そんなことを思い出し、少し笑った。
「我が炎に殺されたくなくば、武器と鎧を捨てて海へ行け!」
振り下ろされた剣を赤熱の剣で防ぎ、叫ぶ。
殺す必要はない。足を斬って動きを奪い、あるいは武装を灼いて解除させ、零下の海で凍えさせてしまえばそれで済む。
「囲めッ囲めッ!」
「副長とはいえ、たかが女ひとりだ!」
走り、斬り、また走り、防ぎ、蹴る。
何人倒した!? 残りは何人!?
赤熱の剣が重い。足が重い。
「はっ、はっ、はっ……!」
突き出された槍を払い、身体を回転させながら王国騎士の鎧を打つ。炎を騎士の鎧に移し、別の騎士に薙ぎ払われた剣を炎色の刀身で受けた瞬間、雪で足を滑らせた。
「く……あ……っ」
背中から転がりすぐさま膝を立てた瞬間には、周囲を取り囲まれていた。背後の騎士にローブを投げつけて目隠しにし、前方へと斬り込む。
まだだ――!
渾身の力を込めて振るった剣は、しかし師団長の水色の剣に受け止められていた。じゅうと音がして、赤熱の剣の炎色がわずかに失われた。
「魔法剣――!?」
「ふん、当然であろう! 魔人どもを相手にするのだ! 師団長クラスには魔法剣が支給されている! それにどうやら、あなたの剣とは相性がいいらしい!」
だが、剣技ならば負けん――!
一度飛び退いて肩越しに柄を引き、すぐさま深く踏み込む。
炎色の剣先が、師団長の胸鎧に迫る。しかし剣先が胸鎧に達するよりも早く、背中に鋭い痛みを感じてメルはつんのめった。
「あ……?」
そのまま数歩。よろよろと歩き、師団長の前で力を失った膝を折る。
斬られた。背中を。灼けつく痛み。
「今だ! 罪人メル・ヤルハナの武器を取り上げろ!」
赤熱の剣が弾かれ、砂浜の雪を溶かしながら転がる。
「まったく、とんでもない女だ。本戦前に仲間をこんなに減らしやがって……!」
メルは膝を折ったまま視線を巡らせる。視界はすでにぼやけているが、立っている人数がわからないほどではない。
後方二名。前方は師団長一名。右方二名に左方一名。計六名。
なんだ……やればできるもんだな……。……もう少し……だったか……。
瞼が重い。もはや声を出すのも億劫だ。
「……脱がせ。景気づけだ。なぁに、報告の必要はない。事が終われば殺して海にでも流してしまえばいい」
くそ……、嫌だな……。数に負けて……。こんなやつらに……。どうせなら……一対一で敗北して……奪われたかった……。
瞼が落ちる。
思い出すは、野獣のように荒々しき逞しい腕。今この場で己を屈服させたのがあの方だったなら、どれほどよかったことか。
ああ、だめだ……眠い……。
「ぎゃああああっ!」
悲鳴。失われかけていた意識が唐突に覚醒し、メルは瞼をこじ開ける。
「こ、このハゲがッ! ぎゃぐ!?」
「ごぼぁッ!?」
視界の中。恐ろしく逞しき腕に薙ぎ払われた師団長が、派手に吹っ飛んだ。残る五名が一斉に武器を向けるも、その武器すらも怪力でへし折って、あっさりと王国騎士らを投げ捨てる。
そうして、男は跪いたままのメルにゆっくりと手を伸ばした。その腕は太く、固く、たとえば炎精の炎でさえも払ってしまうほどで。
とくん、と胸が高鳴る。
「おうコラ人間コラ人間コラァ? 立てるかよ? あぁン?」
メルが視線を上げた。
そこには、照れながらも精悍な微笑みを浮かべる緑色の顔があった。
白目を剥いたメルが、げんなりとした口調で呟く。
「……帰れ、おまえじゃない」
「なんで人間ってそういうことすぐ平気で言うのォォォ!?」
ヘ、ヘ、ヘドロォォォォォーーーーーーーーーーッ!!(ノД`)・゜・。




