ハゲ、尊き仲間たち
前回までのあらすじ!
さらばだ、ルーよ……。
心の毛を自ら毟り取った男気に、全世界のハゲが号泣した!
――coming soon!
勇者デレク・アーカイムが木造のテーブルに大きな地図を広げた。
世界地図ではない。大陸の地図ですらない。王都シャナウェルや港湾都市ウィルテラの文字すらないのだから。
「これがアトラス山脈より南。つまりゲオルパレスの周辺地図だ」
金髪ロン毛を後頭部で縛り、デレクは手にした魔獣の羽根に赤のインクをつけた。そうして地図の最北端に×を書き込む。
「ここが昨日破られた魔人砦だ」
テーブルに広げられた地図を囲む一団が、一斉にうなずく。
羽毛田甚五郎、シャルロット・リーン、アイリア・メイゼス、メル・ヤルハナだ。シャナウェル軍五〇〇〇を相手取るには、あまりに頼りない人数だと言わざるを得ない。
だが、ここに集いしものらはすでに覚悟を決めている。
「行軍速度から推測して、今はこのあたり……」
デレクが地図の中央あたりを赤で塗りつぶす。
「もうそのようなところにまで来ているのか」
甚五郎が顎に手をあててうなった。
その横から褐色肌の手を伸ばし、アイリアが地図をなぞる。
「すぐにでも動くべきね。迎え撃つとするなら、この渓谷しかないわ」
深き雪と氷に覆われたアトラス山脈の中腹。切り立った岸壁と岸壁の合間を通らねばならない場所がある。
これより南方には広大なる森が広がっているだけだ。
この少人数だ。むろん森では迎え撃てない。
なぜならば甚五郎たちの目的はシャナウェル軍のゲオルパレス侵攻を防ぐことだが、シャナウェル軍の目的は五名の首ではなく、ゲオルパレスそのものだからだ。
いかに並外れた力で強固なる防衛ラインを作り出そうとも、シャナウェル軍が彼らにかまわずゲオルパレスまで走り抜けた場合、対処のしようがなくなる。
だからこその渓谷防衛だ。
シャーリーがごくりと喉を動かした。
「たったの五人で、五〇〇〇の兵と正面衝突ですか……」
「それは違うぞ、シャルロット。おそらくシャナウェル王は魔人砦を迂回するため、少数だとは思うが船も使っているはずだ。念のため、海岸線にも最低一名は人数を割いておきたい」
デレクが静かに首を横に振り、シャーリーを正面から見据えた。
決意を秘めた勇者の瞳は、何よりも澄み切っている。ともすれば、同じ男性ですらも吸い込まれそうなほどに美しく。
シャーリーの表情が歪む。
「事情はわかりましたが、馴れ馴れしくわたくしの名前を呼ばないでくださいます? あと視線がキモいのであまり見ないで?」
「はぐぅっ!?」
デレクが白目を剥いて、己の左胸を押さえた。
すかさずアイリアがシャーリーの銀髪に手刀を落とす。
「やめなさいってば。ごめんね、勇者くん。この娘、偏愛主義者だからあまり気にしちゃだめよ? あんたは十分強くてかっこいいから」
「お……ぁ……ぁ……い、いや……」
シャーリーが横目でアイリアを睨んでから、にやりと笑った。
「この爽やか顔しか取り柄のない勇者が欲しければ、どうぞ差し上げますよ、アイリアさん? わたくしはジンサマさえいれば満たされますから」
「や、あたしもいらないけど?」
「はぁぅッ」
デレクが両膝をがくがくと震わせた。唇の端から透明の涎が一筋流れ落ちる。
地図を眺め、腕組みをしてうなっていた甚五郎が、ため息をついて口を開けた。
「よさないか、おまえたち。戦う前にデレクの戦意をへし折るんじゃあない。デレクは爽やかで優しい、好き青年ではないか」
「お、おお……っ」
今にも崩れ落ちそうだったデレクが、その一言で瞳に黒目を取り戻す。若干顔色が青白くなっているのはご愛敬だ。
女騎士あらため村娘メル・ヤルハナが、少しばかり筋肉質の身体でしなを作って微笑みを浮かべた。
「くだらないわ。何よ、そんな男。ただ優しいだけじゃない。獣欲のごとき荒々しさが足りないわ。男性ならばもっと激しく生きればいいのに。勇者殿なんて甚五郎様の足もとにも及ばないわよ。――ね、甚五郎様?」
すかさずアイリアが額から黒髪を掻き上げ、表情を歪ませて呟く。
「あんた、ジンさんに迫るのは自由だけど、そのしゃべり方、もとに戻してくれない? なんか違和感だらけで気持ち悪いったらありゃしないんだけど」
「な――っ!? 何が違和感だ、魔人狩りめ! わたしを近衛騎士の座から引きずり下ろしておいて、女扱いさえしてくれないと言うのか!」
「そう、それ。それでいいの。メルはそれが一番。ね、ジンさん?」
アイリアに話を振られた甚五郎がおざなりにこたえる。
「む? ああ、いいんじゃないか?」
「そ、そんな、こと、あん……恥ずかしい……ですぅ~」
メルの全身が赤い髪に勝るとも劣らぬ色へと染まる。両腕で脇を締め、腰から上を左右に回してくねくねと。
すかさずシャーリーが、獲物を狙う猫科動物のごとく瞳孔を広げて睨み付けた。
「……そのまま自然に上半身ねじ切れてしまえばいいのに」
「よせよ、シャルロット。今日のキミは不機嫌さんなのかい?」
「は? だからデレクは馴れ馴れしくわたくしの名前を口に出さないでくれま――」
瞬間、作戦小屋にと使っていた石造りの民家のドアが勢いよく開け放たれた。
「――だあああああぁぁぁっ、もおおおおおおぉぉぉっ!! 見ちゃいらんねえぞコラ! おめえらどうなってんだァ? そろいもそろって正気かコラァ!?」
角を失いし緑色魔人ヘドロだ。
人間たちの迷惑そうな視線が、一斉に緑の魔人へと突き刺さった。
アイリアが面倒臭そうに片手を腰にあて、もう一方の手をぱたぱたと払った。
「なんだ、ヘドロか。邪ぁ~魔。何しにきたのよ。今回のことに魔人は関係ないでしょ。作戦会議で忙しいんだから、出て行ってくれる?」
だが、ヘドロはずかずかと民家に上がり込み、壁を背負ってくいっと顎をしゃくった。
「あん? おれ様にゃ作戦会議してるようには聞こえなかったぜえ? しっかりしろやボケェ。てめえらの防衛ラインが突破されたらよォ? この大陸全土が戦争状態になんだからよォ? ま、はぐれ魔人のおれ様にゃ関係のねえことだがよ」
しばらくの沈黙――。
人間たちが一斉にヘドロに背中を向けた。
「ねじ切れろとはなんだ、シャルロット姫……様! わ、わ、わたしだって、頑張って生きてるんだからねっ!」
「……なんですか? わたくしに対してその口の利き方は。王家を守るのが騎士の尊き務めなのでしょう?」
「まあまあ。あんたもやめてあげなさいって。このマゾヒストはもう王国騎士をやめたんだから」
「な――!? 誰がマゾヒストだと!? 矜持も持たない薄汚い賞金稼ぎごときがッ!」
「よせよ。職業に貴賎はないぜ、メル。我々はみんな支え合って生きてい――」
「デレクは黙っててくれます~? 爽やかぶって喋られても部屋の空気が汚れるので」
「ほぐぁ!?」
「てめえら無視すんなコラァ! そういうやり方が一番傷つくんだぞクルァ! 知らねえかんな、知らねえかんな! おれ様がみっともなく泣いてもいいんだなコラァ!?」
しばらく彼らの様子を眺めていた甚五郎が思わずといったふうに噴き出した。
「く、くく、ふははははははっ!」
全員の視線が甚五郎へと注がれた。
甚五郎はすべてをゆるすがごとく懐の深き視線で、この死地に集いし仲間たちを見つめていた。
幸せそうに、微笑みながら。
「いいぞ、その意気だ。おまえたちは強い。だから誰も死ぬんじゃあないぞ。……こんなことで誰も死なないでくれ。頼む」
暖かな沈黙が訪れる。
やがて、ひとり、またひとりと照れたような笑みを浮かべながら互いに顔を見合わせて。
が――。
「えらっそうに語ってんじゃねえぞハゲコラァ!」
「ぬぁんだと貴様ぁぁぁぁぁっ!! もう一度言ってみろッ!」
秒を待たずして戦闘体勢に移行した甚五郎が、ヘドロへと飛びかかった。
「何度でも言ってやらァ! ついにハゲやがったなァ! ざまぁみやがれってんだ!」
「貴様もハゲであろうがッ!」
ハゲた男はハゲた魔人の首をつかんで石造りの民家の壁を突き破り、ゲオルパレスの大通りへと転がり出る。
「ぐがッ……か――ひゃはァ! そうこなくっちゃよォォォ!」
地面に押さえつけられたヘドロが甚五郎を蹴り上げると、その巨体が空高く浮いた。
「ぬお――ッ」
「シャナウェル軍にてめえを殺させるくらいなら、今おれ様の手で――!」
ヘドロが空の甚五郎へと向けて、限界まで引き絞った右の拳を突き出した。
「――死ねコラァ!」
空間――歪み、迫る!
衝撃波だ。甚五郎がすかさず両腕を広げ、掌を開けた。
「お手々の皺と皺を合わせて~白羽取りィィ――!」
空中で衝撃波を挟んで散らし、甚五郎がヘドロの顔面へと膝を突き出しながら落下する。
「――南ぁ~無ぅ~!」
「それよ、それそれェ! ギヒャァ!」
ヘドロの顔が歓喜に歪むと同時、群青色のマントをなびかせて勇者デレク・アーカイムが甚五郎とヘドロの間へと飛び込み、掌の一押しで甚五郎の膝と、ヘドロの拳をすぅっと逸らせた。
神業だ。これほどの力同士のぶつかり合いを、静かに逸らすだなどと。
「ぬお!?」
「くっそがッ!」
攻撃を逸らされた甚五郎が大地に両脚をつけると同時、デレクがその身を回転させながら大地を滑って叫ぶ。
「よせよ、ふたりとも! 負けられない戦の前だぞ!」
「……邪魔してんじゃねえぞ勇者コラァ! てめえからぐちゃみそにしてやろうか、あぁン?」
「ふ、致し方ない。発散せねば収まらないのであれば、相手になろう」
ヘドロがデレクへと向き直り、甚五郎がヘドロへと跳躍しかけた瞬間。
三者の中心部を小さな影が突風のごとく駆け抜け、通り過ぎた。
同時。甚五郎、ヘドロ、デレクが頭部を押さえて膝をつく。
「……ッうぐぅ」
「な――くぁっ」
「ってえなコラ……ァ……? ――あ、あひぃ! か、か、母ちゃん!」
三者の前には、拳を握りしめた魔人王グリイナレイが、あきれた表情で立っていた。
「…………まじめに、やって……」
三者に一発ずつ落とした拳骨からは、ぶすぶすと黒い煙が上がっていた。
チームワーク抜群だぜッ!




