ハゲ、忘れ得ぬもの ~第五部完~
前回までのあらすじ!
念願の毛生え薬、エリクサーを口から呑まされてしまったハゲ!
違うんだッ、私は頭皮に塗って欲しかったんだァァァ!
魔人砦が突破されたと報告を受けたのは、それからすぐのことだった。
黒魔人ブリィフィ以下およそ一〇〇体は行方不明。魔人ゆえの生命力ならば、捕らわれて処理されぬ限りは生きているはずだ。
シャナウェル軍の行軍速度は馬車や魔車とは比べようもなく遅いとはいえ、一両日中にはゲオルパレスへと到達するだろう。
魔人王グリイナレイは石の王座に座し、ただひとり呼びつけた人間の男に視線を向けた。
「……甚五郎……」
魔人砦にいた魔人は兵士だ。任務の最中に命を落とすことがあったとして、それを理由に人間と全面的に事をかまえる必要性はない。
だが、ゲオルパレスには魔人種とはいえ一〇〇〇体近くの民間人が棲んでいる。彼らをひとりでも殺された暁には、この種の王として報復に乗り出さなければならない。そうでなければ兵士や民間人を問わず、魔人種は王たる己に従うことを拒絶し、自らの意志で人間種の駆逐に動き始めるだろう。
そうなればもはや全面戦争は止められない。
「ああ、わかっている。我々がそうはさせない。人間の行軍は人間の手で止める。ゲオルパレスへの侵入前にな」
頭皮に角も髪も持たぬ強靱なる人間はそう言った。両腕を、魔人をも遙かに凌ぐほどに発達した大胸筋の前で組んで、威風堂々と。
「……ん……。……わかってるなら、いい……」
まるで――まるで違う。
ほんの少し前まで、「なぜほんの数滴でもいいから、頭皮にエリクサーを塗ってくれなかったのだ……ッ」と叫びながら割れたフロアに突っ伏し、むせび泣いていた男とは。
珍妙なる生物だ。本当に。
あれほどの力と、あれほどの女の両方を手に入れたのだ。もはや髪などという組織など不要だろうに。
「だが、グリイナレイよ。ルーを返せぬとはどういうことだ? 返答如何によっては、私はシャナウェル軍を追い返したあとに、もう一度貴女に挑まねばならない」
物怖じせぬ物言い。
我が手に最後残ったエリクサーの一本を使わねば、命を繋ぎ止めることすらできないほどに痛めつけてやったというのに。命が惜しくないと見える。
だが、シャナウェル軍とともに、ではなく、シャナウェル軍を追い返したあとに、と言ったところには好感が持てる。
「フ、当然だ。我が拳と私の技は正義のためにある。シャナウェル王は悪。一瞬たりとも手を組むなどあり得ん。だがそれは――」
甚五郎の右手がすぅっと上がり、その人差し指がグリイナレイへと向けられた。
「貴女にも言える。魔人王グリイナレイよ。貴女が悪だと判断すれば、私はこの命ある限り、勝利するまで貴女とも戦うぞ」
ぞくり――。
……痺れた。やはりこの人間、無惨なる頭皮の割にはなかなかの漢だ。
亡き夫を思い出した。初代魔人王。最強の魔人でありながら平和を好み、ゲオルパレスを建国した亡き夫を。
金属色の肌が粟立つ。身体中に熱き血潮が滾った。
だが、そんなことはつゆ知らず、甚五郎は続ける。
「もしもルーを人質に取ることが、私をシャナウェル軍と強制的にぶつけるための策略であるならば、今すぐにルーを解放してもらう。そのような必要はないし、誰が相手であろうとも私は逃げも隠れもしない。正義を執行するのみだ」
不屈の闘志に、魔人をも凌駕する肉体。
徐々に殺気と闘気が膨れあがってゆく。
「それに、ルーはもはや私の家族。家族に手をかけるものに、私は容赦しない。貴女がゲオルパレスを守ろうとするのと同じに、な」
正直なところ、先の戦いもそれほど余裕があったわけではなかった。この男は気づいていないようだが、グリイナレイは甚五郎を生かして押さえつけ、屈服させることができなかったのだ。
この漢を、このハゲを止めるには、その命を奪わざるを得なかった。
おかげで最後のエリクサーを使わされてしまった。だが、種の存続の危機であることを考えればそれも相応しき対価だったと言える。
この漢には、それを払うだけの価値があった。
グリイナレイは王座の肘起きに肘を置いて、頬を乗せた。
「……フフ……」
この漢は、いい男だ。外見はかなりアレでソレだが。
「何がおかしい?」
「……ちが、う……」
グリイナレイが拳を持ち上げて、石の肘起きを中指の第二関節で叩いた。
コォンと音が響き魔人王の背後、半壊した魔人王の館の、崩れ残っていた扉から一体の魔人が姿を現した。
「……ハッ。ここに」
一角の、なんの変哲もない魔人だ。群青色の――顔色をしている。体色ではない。顔色だ。なぜならばその魔人マリーニアは、服を着込んで靴を履いていたからだ。
甚五郎が大きく目を見開く――。
群青魔人マリーニアの背後に、金色の巻き髪をした女性を目にして。それもそのはず。なぜなら彼女は人間だったのだから。
「……魔人マリーニアと、人間の女ミヒアル……」
魔人王グリイナレイの風に散ってしまいそうなその小さな声は、甚五郎に届いただろうか。わからない。
けれど甚五郎は気がついた。気づいてしまったのだ。
「まさか……そんな……! おまえたちは……!」
小さな家族との――別れの時が訪れたことを。
似ているのだ。ミヒアルの顔が、幼き家族に。
「そう……か……」
甚五郎がうつむき、幾分沈んだ声で呟きながら目頭を押さえた。そうしてグリイナレイへと尋ねる。
「生きていたのだな……。だから返せぬ、と」
「……ん……」
群青魔人マリーニアと人間の女性ミヒアルが同時に深々と頭を下げた。
マリーニアとミヒアルは、娘であるルーを連れてゲオルパレスから船で魔人砦を迂回後、亡命のためにウィルテラを目指した。
その途中、食料調達の際にルーを廃宿に残し、亀裂の入った廃宿の古い小舟で漁に出て嵐に呑まれた。
そして小舟は転覆。どうにか小舟にしがみつき、流された先は皮肉にも捨てたはずの故郷ゲオルパレスだった。
グリイナレイ個人としての意見はさておき、魔人が国を捨てて表向き敵性国家であるウィルテラに移住しようとしたこの一件は、ゲオルパレスを統治下に置く魔人王としては、決して看過することのできない事件となってしまった。
ゆえに夫婦を拘束せざるを得なかった。
置き去りにしてしまったという娘のことを気にかけながらも、グリイナレイ個人にはどうすることもできなかったのだ。
なぜなら彼らが娘の捜索に出ることをゆるしてしまえば、ゲオルパレスの秩序が崩壊してしまうから。
「だから、生きていながらもルーを迎えに出てこられなかったのか」
相好を崩した甚五郎の瞳から、安堵の涙が溢れ出した。
「おっと。フ、私もずいぶんと涙もろくなったな……」
「……今後も、ゲオルパレスからは、出せない……けれど、ん……ここでなら、ともに暮らすことは、できる……から……」
ゲオルパレスでは、群青魔人であるマリーニアはともかく、人間であるミヒアルや半魔人のルーへの風当たりは強い。その暮らしは、おそらく厳しいものになる。だから亡命を図ったのだから。
けれども、ともに生きることはできる。ルーにとって何が幸せに繋がるかなど、考えるまでもなく明白だ。
グリイナレイは考える。
己の拙い言葉でうまく伝えることができただろうか。昔から腕っ節とは正反対に言葉が苦手だった。亡き夫は両方を兼ね備えていたのに。
けれども――。
けれども、男は玉座へと歩み寄り、戸惑う魔人王グリイナレイの手を、その倍以上はあろうかという両の掌で力強く包み込み、騎士のように片膝を落とした。
「――貴女に感謝する、魔人王グリイナレイよ」
恥も外聞もなく、くしゃくしゃに顔を歪めて涙をぼろぼろと流しながら。それでも男は真っ白な歯をむき出しにして、笑顔を浮かべながら。
「私の家族を救ってくれて、ありがとう……っ」
「……いいえ……あなたが、ルーを、連れてきてくれた……感謝、してる……」
やがて話を終えた頃、別の魔人がルーを王座の間へと連れてきた。
甚五郎を見るなり、ルーが嬉しそうにぴょんと跳ねる。
「じんごろー! シャーリーねーさんが、またうわきかーって、ちまなこになってさがして……た……ぞ――」
ルーは甚五郎を見つけて駆け寄ろうとして、その背後に立っていたマリーニアとミヒアルに視線を向けた。
大きく、大きく目を見開き、口を開け、数秒――。
幼き胸の中で止まっていた刻が、ゆっくりと動き出す。
甚五郎に負けぬくらいにくしゃくしゃに顔を歪め、空にまで轟くようなあらん限りの声で――言葉にならない声で叫んだ。
両手を広げて走り、瓦礫に躓いて転がり、立ち上がって、また走る。懸命に、短い手足を動かす。
反射的に手を伸ばしかけた甚五郎を、素通りして――。
そうしてミヒアルに飛びついた。飛びつき、顔を埋め、大声で泣いた。マリーニアの大きな指を、小さな掌でつかんでいた。
言葉にならない声で、泣きながら叫び続けていた。
どれくらい、その光景を見ていただろうか。
やがて男は、満足げに呟く。
「グリイナレイ、頼みがある。私がシャナウェル王を王位から引きずり下ろし、この世界にある人種の境界線を一度破壊する。人も、魔人も、ともに生きられる世界に。だから貴女もどうか、新たな途を模索してほしい」
「……約束は、できない……。……でも、やってみても、いい……」
「今はそれでいい」
そうして羽毛田甚五郎は魔人の一家と魔人王に背中を向けて、力強く歩き出した。
「やれやれ。私はもう誰にも負けられんな。魔人王よ。貴女にそれだけの理由をもらった。……フ、欲を言えば、エリクサーを頭皮にも少量塗って欲しかったがな……」
冗談とも本気ともつかぬ言葉を自嘲気味に残した男の背中を、魔人王グリイナレイは王座で見送る。口もとをわずかに弛めながら。
だから、彼を呼び止めたのは魔人王ではなかった。
「じんごろぉぉぉー!」
男は振り向かない。振り向ける顔ではないことくらい、簡単に想像できた。
けれど、足を止めた。
「じんご――」
「やかましいぞ、ルー。もう馴れ馴れしく私の名を呼ぶんじゃあない。どうせおまえも長き友らと同様、私から去るのだろう。あんなにもよくしてやったというのに、まったく」
ルーが口もとを引き結んだ。
「ゆえに、心を残す言葉など不要。面倒なだけだ。もともと私には、おまえを最後まで育てるつもりなどなかったのだからな。フ、ちょうどよかった。肩の荷が下りた気分だ」
くたびれた革靴が、再び進み出す。
「じんごろー! ルーは――」
「黙れッ! やかましいと言ったはずだ! 私はおまえに奪われた横髪の恨みを忘れてはいない! いいか、絶対にゆるさ――ッ」
だが、朗々と響く甚五郎の大声すらも遮り、ルーは金切り声で叫んでいた。
「――ルーはッ!!」
王座の間に沈黙が訪れる。
ルーが毛布のローブの袖で涙を拭いて、去りゆく甚五郎の背中を見つめる。
震え、揺れる、幼い声。
「ルーはな? ルーは、じんごろーのことばのいみがわからんほど、こどもじゃないからなっ?」
こつん……。
再び足が止まった。
「ちゃんと、わかってるからな? ルーは、そんなにばかじゃないからなっ? ありが……ありがとな? わす、わすれ、わすれないから、な……?」
広い肩が震えた。崩れた天井を見上げ、男は静かに呟く。
「……さらばだ、ルー。健勝であれよ」
そうして男は王座の間を去った。
仲間を引き連れ、最終戦場へと向かうために――。
頭髪が全滅した上に、心の毛も残り二本になったぞ!
最終話まで守りきれるのか!?
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(ハゲと世界観を同じくする、まったく別の物語です)
いつも空腹で飢えてる人斬り侍と、のんきなドラゴン嬢の旅物語です。




