ハゲ、試される
前回までのあらすじ!
ハゲが魔人王にこねくり回されて死亡したぞ!
頭蓋の中で、音が反響していた……。
瞼が重くて開かない。指先ひとつ動かせない。全身が痺れていて、呼吸をしている感覚さえない。これではまるで、魂だけの生物になってしまったかのようだ。
敗北した。魔人王グリイナレイに。
最期の記憶は、大地に足をつけたまま逆さになった視界。直前に頸骨の外れる感覚があった気がする。まずもって、あれでは助かるまい。
なのになぜ意識がある。
闇。虚無。何も見えない。無秩序な音だけが響いている。
いや、生きているのか? 本当に?
壊れかけの聴覚以外は何もない。
訪れるは静かなる安らぎか。それとも、退屈な世界への帰還だろうか。
諦観の念にとらわれ、沈み込もうとする意識を、無秩序に鳴り響く音だけが繋ぎ止めている。最後に残った唯一の感覚だ。
ああ、これは音ではないな。声、そう、声だ。
すべての意識を聴覚に注ぎ込む。エントロピーが収束する。
「……んごろ……っ……、……んで……の……で……っ」
ルー。ルーか。
無事であったか。よかった。
ふいに唇にだけ感覚が戻った。ぬくもりだ。柔らかく、あたたかなぬくもりが、己にはまだ首が残っているのだと教えてくれた。
「だめ……っ……口移……こぼれ……っ。……いやよ……おねが……、……おいていかないで……っ」
アイリアの声。貴女もいたのか。まったくシャーリーめ。アイリアとともに隠れていろと言ったのに、私の後をつけてきたな。
困った娘だ。
次に聞こえた声は、当然のようにシャーリーのものだった。
「……どいて…………さいっ……、……喉……切り開……直……流し……っ」
ぐんと、揺れた気がしたあと、喉もとに熱を感じた。熱は喉、首から急速に広がり、胸にまで達し、腹へと広がってゆく。
破れた内臓から零れた熱は、千切れた血管に混ざり込み、全身に行き渡ってゆく。
ドゴンッ、という凄まじい音が響き、爆発するかのように心臓が脈打った。
喉もとから侵入した熱を排除するかのように、さらなる熱が肉体のそこかしこから溢れ始める。筋肉が、これまで鍛え続けてきた美しき筋肉たちが、力を取り戻そうと足掻いているのがわかった。
瞬間、痛覚を取り戻し、その激痛に悲鳴を上げる。
「……ぅ……ぐが……ッがあああぁぁぁッ!?」
「ジンサマ! 誰かジンサマを押さえて! 手もとが狂う!」
甚五郎の肉体が跳ね上がった。だが、すぐさま凄まじい力で割れたフロアへと押さえつけられる。どれだけ跳ね除けようとしても、まるで動かない。
やがて、痛みが徐々に引き始めた。
呼吸。自らの肺が呼吸をしているのを感じる。
眉間に皺が寄り、瞼が揺れた。
瞳を開く。
最初に見た光景は見慣れたレイピアだった。切っ先が己の喉に突き刺さっている。もちろんレイピアを握っているのは――。
「ジ、ジンサマ?」
左手に空の小瓶を持って立つシャーリーの姿だった。
シャーリーがレイピアを引き抜く。喉にちくりとした痛みが走って、甚五郎は顔をしかめた。
彼女の隣では、魔人王グリイナレイが片手で甚五郎の胸を押さえ込んでいた。
「……あ……?」
視線を回す。
レイピアを持つ手を小刻みに震わせ、肩で荒い息をしているシャーリー。
弱々しく崩れ落ち、涙に濡れた瞳でこちらを見ているアイリア。
涙と鼻水だらけの顔で笑ったルー。
そして、魔人王グリイナレイ。
シャーリーのレイピアの切っ先からは、血液がぽたぽたと滴っていた。
どう……なっている……?
「~~……ッ」
何かを喋ろうとすると、喉から空気が漏れた。
シャーリーのレイピアが、彼女の足もとへと転がる。
「ジンサマッ!!」
直後、シャーリーが首もとに飛びついてきた。同時にアイリアが這いずりながら腹にしがみつき、ルーが大声で泣きながら腕にしがみつく。
「ジンさん……ッ」
「じんごろぉぉぉー!」
大切なぬくもりを感じながら、甚五郎は首を傾げる。
先ほどまで存在した激痛は消えていた。それどころか粉砕された左腕の形状は戻り、頸骨もちゃんと繋がっている。
私は……本当に生きているのか……。
「シャルロットがあんたの喉を切り開いて、魔人王のエリクサーを直接体内へと流し込んだんだ」
「ふ、ふん、つくづく悪運の強い男だ。わたしを陵辱するまで、勝手に死ぬことはゆるさんぞ、羽毛田甚五郎」
二種類の声に振り返る。そこには金髪ロン毛の勇者デレク・アーカイムと、赤毛の女騎士メル・ヤルハナが立っていた。
「デレク! それに、メル! なぜここに……ぬ? うぬ、声が……」
喉を触ると、傷はすでに塞がっていた。
エリクサーとはこれほどのものだったのか。だがしかし、なぜ。エリクサーは魔人王の所有物だったはずだが。
甚五郎はグリイナレイに視線を向けた。
「なんだ? どうなっている?」
「……人間を、試した……」
魔人王の言葉だけでは何ひとつわからない。
「グリイナレイ」
「……?」
「エリクサーのこともだが、なぜ私を生かした? なぜ勇者デレクと貴女がともにいる? ルーを返さないと言っておきながら、どうして会わせた?」
グリイナレイが困ったように額に縦皺を刻み、視線をきょろきょろと左右に振った。半壊した魔人王の館をぺたぺたと歩き、崩れ残っていた壁の前に立つ。
突如として拳を握りしめ、グリイナレイが石壁を貫いた。
「――うぎぇあ!?」
そうして壁の裏に潜んでいた緑の物体を引きずり出す。
緑色魔人ヘドロだ。
「てめっ! 痛っ! な、なな何しやがるっ!!」
己の倍以上はあろうかという巨体のヘドロの首根っこをつかんで引きずり、ぺたぺたと歩いて戻ってきて、甚五郎の前へとヘドロの顔を突き出した。
「……ヘドリウヌス、話して……」
「おう? おうコラ? 何かってに決めてんだコラ? 魔人王コラ?」
首根っこをつかまれたまま、ヘドロが顎をしゃくって魔人王を威嚇する。
「なんでおれ様がよォ? そんなめんどくせえことをよォ? しなきゃいけね――」
「……うる、さい……」
ヘドロの鳩尾へと、グリイナレイの膝が鋭角に突き刺さった。ヘドロの肉体が折れ、ごぼり、と黒の血液を吐いた。
「おごぶッろろろろ……ッ!?」
ヘドロが情けない表情で弱々しい声を出す。
「待っ、待っ! ご、ごめんよ、母ちゃん。も、も、もう口答えしねえよォ?」
「……ん……」
数秒の沈黙。
甚五郎以下五名が漏れなく白目を剥いた。
母ちゃん――。
ヘドロの甚五郎にも劣らぬ体躯は、母親であるグリイナレイの倍以上はある。どこをどう間違えば、あのような親子ができるというのか。
グリイナレイは体型も細く小さく、声までもが幼いため、すっかり少女とばかりに思っていたのだが。
グリイナレイに首をつかまれたまま、ヘドロが語り出す。
「まぁよ。つーわけよ。おれ様ァよ、実は魔人のエッリィ~ト王子様――ぅぎぅぅ!?」
グリイナレイがヘドロの首を握力だけで細く絞める。
「……バカ息子、本題……」
「お、おう」
有無を言わさぬ教育方針に、甚五郎がごくりと喉を鳴らした。
母は強し、だ。
ヘドロが大きなため息をついて口を開く。
「まあ、ぶっちゃけ言うとだな、ゲオルパレスはシャナウェルとの戦いを望んじゃいねえ。おれたちゃ共存も敵対もするつもりはねえのさ。だが、今回シャナウェル王は五〇〇〇の手勢を率いてゲオルパレスの制圧に乗り出しやがった」
「魔人砦の報告では、三〇〇〇とお聞きしましたが」
シャーリーの呟きに、ヘドロが両手を広げた。
「シャナウェルを発った王国騎士の数が三〇〇〇だとよ。そこに冒険者ギルドや勢力下の町や村から民を徴兵して民兵団を加え、すでに五〇〇〇に膨れあがってやがる。そいつらが今、魔人砦の魔人一〇〇体と交戦中だ」
「冒険者ギルドも?」
アイリアが眉をひそめる。
「てめえなら身に覚えがあんだろ、魔人狩り。シャナウェルでは最初っから魔人は悪だと教え込まれる。討伐隊を組むになんの不思議があるってんだ、オゥ?」
「ヘドロ。試した、というのはどういうことだ?」
甚五郎の問いに、ヘドロではなくデレクがこたえた。
「甚五郎、グリイナレイは全面戦争を望んでいない。だが、このままではシャナウェル軍は魔人砦を今日にも突破するだろう」
「あぁん? 今日にもだとォ? 今にもだボケ勇者コラァ!」
「ああ、そうだな。それだけの勢力が侵攻してきている。魔人砦が陥落すれば、ゲオルパレスを守るため、魔人王グリイナレイも戦場に立たねばならなくなる。ここまで話せば、彼女の強さを肌で感じたあんたなら予想がつくんじゃないか」
ぞくり、と背筋が凍った。
予想も何も、こたえは決まっている。
「――シャナウェル軍五〇〇〇は全滅だ。ひとたまりもない」
たった一体の魔人王を相手に、シャナウェル軍は全滅する。確信がある。
己ではグリイナレイの底を見ることさえかなわなかった。たかが王国騎士や民兵が束になったところで何ができるものか。
グリイナレイが黒髪をそっと掻き上げ、静かに囁く。
「……ゲオルパレスに侵攻するものに、わたしは加減しない……」
「それだけじゃあねぇぞコラ。魔人に喧嘩売った人間種をよォ、他の魔人がゆるすと思うか、あぁ? たとえ母ちゃ――あ、いや、魔人王グリイナレイがそこで戦いの手を止めても、すべての魔人がそれに従うわけじゃあねえ。気性の荒い魔人は王であるグリイナレイの目を盗み、徒党を組んで王国騎士のいなくなったシャナウェルに乗り込むぜェ?」
たしかに戦火はそこに留まることはないだろう。
魔人たちは王と五〇〇〇の兵力を失ったシャナウェルを呑み込み、やがてはウィルテラの人間にも災いが降りかかる。
そうなれば、どちらかの種族が滅ぶまで終わらない全面戦争になる。
最悪のシナリオだ。
「いくら魔人王とはいえ、すべての魔人を従えるなんざ不可能だコラ」
「……おまえが言うな……家出息子……」
グリイナレイがヘドロの首を絞める。
「ンきゅ――」
「……続き……」
「わーってるよ、くそがッ! いちいち首を絞めてんじゃあねぇよォ? あ……、嘘、今の嘘、ごめん!」
「いや、もういいぞ。ヘドロよ」
甚五郎が立ち上がる。
肉体に欠損はない。痛みもない。少々、腹が減ってはいるが、問題はなさそうだ。
「ああ? 最後まで聞けやボケェ! てめえらの種族の問題だろォがよ!?」
「いや、もういい。シャナウェル軍五〇〇〇は、私が止める」
アイリアとシャーリーが目を見開き、腕を組んで壁を背に聞いていたメルが、石壁から背中を離した。
「なんだと? 羽毛田甚五郎ッ、貴様ッ、今なんと言ったッ?」
メルの質問を黙殺し、甚五郎は魔人王グリイナレイへと視線を向ける。
「要はゲオルパレスが戦火に巻き込まれる前に、人間である我々の手でシャナウェル軍を潰せということだろう。それができなければ、魔人王自らが五〇〇〇のシャナウェル軍を皆殺しにする。――そういうことだな、グリイナレイ?」
金属の光沢を持つグリイナレイがうなずいた。
「……あなたにそれが可能かを、試した……」
「貴女の目から見て、私はどうだ?」
甚五郎が全力で戦っていたときのように、にっかりと笑いながらグリイナレイに尋ねた。グリイナレイは屈託のない笑みで返す。
「……あなただけでは、絶対に無理……」
「ふははっ、まあそうであろうな。――デレク!」
金髪ロン毛の勇者が、口もとに不敵な笑みを浮かべた。
「最初からそのつもりだよ、甚五郎。半分は持つ。と言いたいが、それぞれ二五〇〇が相手では、さすがに生き残れる自信はない。――そうだろ、魔人狩り殿?」
アイリアが額を押さえて苦笑いを浮かべた。
「あぁん、もう。せっかく命が助かったのに、なんて話を振るのよ。あんたたち、ほんとにバカじゃないの。言っとくけど、あたしは二〇〇も無理だからね。――仔猫の手でも借りたいくらいよ」
アイリアの視線を受けて、シャーリーが鼻息を荒げた。
「やります! サポートならお任せください! 置いて行かれるよりはずっとましですっ! あんな思いは二度としたくありません!」
唯一の王国騎士であるメルが、凄まじい形相で目を剥いて叫ぶ。
「き、貴様ら、正気なのか!? 貴様らは人間だろう! それなのに全員が魔人の味方となり、シャナウェル王に弓を引くつもりなのか! ならばわたしは――ッ!」
メルが懐に手を入れて、王家の紋章を取り出した。
視線を落とし、固く目を閉じ、強く握りしめ、思いを断ち切るように力いっぱい投げ捨てる。
そうして両脇を締め、乙女のごとく叫んだ。
「わ、わたしだって、騎士なんてやめて、ふ、ふつうの女の子に戻るんだからねっ!!」
全員が思った。
いや、あんた、ある意味一番ふつうじゃないから。
魔人種唯一の萌えキャラ(のつもりで書いた)グリイナレイさん。
なぜあんな緑の物体を産んでしまったの……。
※『燃えよドラゴン侍!』という一人の侍と一体の竜の連載物語を開始しました。
よろしければこちらのほうも覗いていただけると嬉しいです。
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(ハゲと世界観を同じくする、まったく別の物語です)
人斬り侍とドラゴン嬢が斬って殺して殺して斬って、旅をする物語です。




