ハゲ、超越者
前回までのあらすじ!
ついに一本残らずハゲた!
へへっ、なんかごめんなっ!
頭髪を失った甚五郎が、幽鬼のようにゆらりと立ち上がった。
「ジン……サマ……?」
甚五郎は傍らで倒れていたアイリアの首筋に指先をあて、わずかに安堵の表情を浮かべる。そうして彼女を肩に担ぎ、呆然と立ち尽くしていたシャーリーのもとへと歩き出した。
「シャーリー」
敗北の直後。すなわちすべての頭髪を失った直後だというのに、喉から滑り出た声は、己自身でも驚くほどに穏やかなものだった。
シャーリーが視線を上げて目を見開き、両手で口もとを覆う。
いなくなった長き友らを案じてくれていることは、傍目にもわかった。自ら頭皮に触れて確かめるまでもない。横にも後ろにも、もう――友はいないことくらい、長年の薄毛経験からわかる。
頭皮をつるりと滑り抜けてゆく風が、それを教えてくれている。
だが、不思議と穏やかな気分だった。
甚五郎は、立ち尽くす少女の名をもう一度口にする。
「シャーリー」
「は……い……」
呆然としたまま、シャーリーが声を絞り出した。
甚五郎は肩に担いでいたアイリアを、そっと下ろす。そうして有無を言わさず、アイリアの身体をシャーリーの腕の中へと押しつけた。
その重さに、シャーリーは数歩よろけるように後退する。あわてたように風精の力を借り、どうにか身を立て直した。
「朝日が昇るまでにアイリアを連れて森に身を潜めろ。夕刻までに私とルーが戻らなければ、アイリアとともにここからできる限り離れるのだ。私もあとから必ず追いつく」
「……え……」
少女が眉間に皺を寄せた。
スキンヘッドと化した甚五郎が、お茶目に片目を閉じて人差し指を立てる。
「こらこら、しっかりするのだ。ここは魔人の王都ゲオルパレス。朝になれば魔人たちが家屋から出てくる。それにシャナウェル軍が近づいている。数日中には戦場となるだろう。わかったら、とにかく身を隠すのだぞ?」
それだけを告げて、甚五郎はシャーリーの背を向けた。
そうして歩き出す。
「……ジンサマ、まさか……」
「ルーをさらわれたままでは、和平交渉も何もあったものではないだろう。これから行って返してもらう」
「ジンサ――!」
「では、な」
「ま、待って……待ってください!」
悲壮感漂うシャーリーの声に、甚五郎はわずかに振り返って片手を挙げ、にっかり笑った。
「ああ、そうそう。私のジャケットを拾っておいてくれないか。戦いが終わってもお乳首様をさらしたままでは、紳士とは言い難いからな」
何かを言おうと口を開けたシャーリーは、しかし唇を微かに動かしただけで、悔しげに歯を噛みしめた。
止めても無駄であろうことを理解しているからだ。誰が何を言おうとも無駄なのだ。この男は。このハゲは。
己が一度決めたことは決して曲げることなく突き進む。
「ジンサマ……」
誰が泣こうが、誰が叫ぼうが、一切が無駄だ。そこに肉体の強弱はおろか、他者の意志の介在する隙間はない。それが羽毛田甚五郎という漢なのだ。
そしてそのことを、少女は嫌というほど身に染みて知っている。
だから見送るしかなかった。その大きな背中を。
「ジンサマ? ……帰……って……きますよね……?」
「フ、何をあたりまえなことを言っているのだ?」
もう振り返らない。
「ふはは、そう心配するな。ぶちのめしてでも取り返すッ」
甚五郎は歩く。魔人少女の消え去った方角、魔人王の館を目指して。
すっかりとハゲ上がってしまった自らの頭皮に手をあて、ため息をつきながら。
あてられた。
あてられたのだ。先ほどの戦いは。
戦うつもりなど毛頭どころか毛根までなかった。
あまりに強い殺気を叩きつけられ、肉体が勝手に反応してしまったのだ。防衛本能を強制的に起動させられたと言えば正しいか。勇者デレク・アーカイムと戦った、死霊の樹林のときのように。
おそらくはアイリアもだ。一定以上の実力者にのみわかる、恐怖と悪意によって。
我々は試されたのだ。あの魔人の少女に。
「……」
強かった。とんでもなく。
あの魔人少女は、己よりもデレクよりもヘドロよりも強い。肌で感じたのだからそれは間違いない。
だが、意識なき状態での全力など、全力ではない。己はレスラーであり、喧嘩屋などではないのだ。ゆえに勝つ可能性がないわけではない。
それでも、分の悪すぎる賭ではあるけれど。
少女の放つ色濃く不気味な気配は、今もまだ魔人王の館から漂っている。
魔人少女はあそこにいる。そしてそれ以上の気配は、この狭き町ゲオルパレスには存在していない。
おそらくは――。
「……彼女が魔人王か……」
人類の大いなる敵。我が長き友を根こそぎ奪いしもの。
性別が女性だなどと考えも及ばなかった。否、誰も知らなかったのだ。魔人狩りアイリア・メイゼスも、シャナウェル王も、勇者デレクも。あるいはヘドロであるならば、知っていたのかもしれないが。
じゃり、じゃり、くたびれた革靴が踏み固められた道を歩く。足取りに迷いはない。
アイリアが倒された瞬間、甚五郎は強固な精神力によって己の意志を取り戻していた。ゆえに最後に放った蹴りだけは、全力の一撃だったといえる。
それを片手で防がれたとき、己は初めて心が折れる音を聞いた。それゆえ、このつかむ場所なきつるつるの頭皮に最後まで必死でしがみついていた頭髪たちもまた、己の敗北を悟って自ら散っていったのだ。
「友を、裏切ったのは……私の弱き心だった……」
ふいに薄闇に光が射した。
夜明けだ。東の山脈から太陽が昇っている。
ぎらり、と頭皮が光った。
甚五郎は掌をかざして瞳を細め、歩き続ける。
持たざる者――……。
もはや失うものは何もない。敗北を悟った瞬間、そう思った。
……だが違った。それは、まったくもっての見当外れだった。
ルーを連れ去られてしまったときに、そのことに気づかされた。
帰る場所なき放浪の王女。過去を捨てて歩き始めた娼婦。親を失い途を見失った幼児。
「私は――」
彼女らの居場所になりたかった。帰る場所になりたかった。
髪を失った? だからどうした?
顔を上げろ。歩き続けろ。血潮を滾らせろ。私にはまだ大切な存在が残っているではないか。
持たざる者? 何もないだと? 腑抜けたことを抜かすなッ! 私には、まだ在るッ!
ざわり、ざわり、筋肉たちが騒いでいる。
館に、あの恐ろしい気配に近づくほどに血管を押し広げる血流は荒々しく熱を持ち、全身へと酸素を供給してゆく。
無意識に握りしめた拳から、骨の音が響いた。
筋肉が肥大化してゆく。全身に血管が浮き上がり、力がみなぎってゆく。
そうして男は立ち止まり、見上げた。まるで彼を招き入れるかのように、最初から開かれた巨大な石扉の前で。
魔人王の館を――。
「シャーリー、アイリア、ルー。すまなかった。このような簡単なこたえに辿り着くまでに、私はいったいどれほどの時間を無駄にしてしまったのだろう」
無駄。いいや、違う。それも違う。
無駄な瞬間など、一瞬たりともなかった。
この異世界に来てからの旅を思い出し、その瞳に穏やかなる微笑みを浮かべる。
砂漠のオアシスで少女に救われ、炎に灼かれた娼館街で愛を囁かれ、寂しき海岸で幼い子供と出逢った。
笑う彼女らを見てきた。泣いて叫ぶ彼女らに手を差し伸べたこともあったし、挫けそうだった心を救われた瞬間もあった。
何度も何度もあった。
緑の薄汚い鱗のある魔人とかいう臭いやつの角をへし折ってやったし、孤独となってしまった金色の狼を舐め回してやった。ストーキングしてくる赤毛のど変態女を公衆の面前で辱め、人類最強と名高い勇者もこの拳でぶん殴ってやった。
楽しかったッ!!
「もう充分だ。満たされた」
最後に一度だけ振り返り、ぽつり呟く。
視線の遙か先に、シャーリーの姿はもうなかった。
「ありがとう。私は、幸せ者だ」
長き友のように、彼女らまで失うわけにはいかない。
ひとりたりともだ! たとえこの身が爆ぜ、砕け散ろうとも!
石扉の向こう。いくつもの蝋燭の明かりが揺れる玄関広間には、ヒトの髪と二本の角を持つ少女がひとり。
否、一体、後ろ手を組んで待っていた。
「……ようこそ、魔人王の館へ……」
耳もとで囁くかのような小さな声で、魔人王が静かに右足を引き、右手を左胸にあてて仰々しく腰を折る。
「ノックは、必要なさそうだな」
魔人王が金属のような光沢を持つ顔で微かに笑った。
長き旅路の果てに、ようやく導き出したこたえ。
魔人王の館の石扉を抜けた甚五郎は、晴れやかな表情で三人の女性を想う。
――貴女たちこそが、私の守るべき頭髪だったッ!!
違うよ?
※『燃えよドラゴン侍!』という一人の侍と一体の竜の連載物語を開始しました。
よろしければこちらのほうも覗いていただけると嬉しいです。
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(ハゲと世界観を同じくする、まったく別の物語です)
人斬り侍とドラゴン嬢がいちゃいちゃ旅する話です。




