ハゲ、完全無欠の敵
前回までのあらすじ!
世紀末ごっこに興じている場合じゃなかった!
なんかすごいのがいるぞ!
愛している、初めてそう告げられた直後のことだった。
歩き去ろうとするその背中へと、シャーリーは無意識に手を伸ばしていた。
言葉はなく、とても届かない距離で。
掌が甚五郎の広い背中を覆い隠した瞬間、彼女は彼を見失った。まるでその巨体が、夜に引きずり込まれたかのように。
「――?」
影、落ちて。空、見上げる。
そこには悪鬼羅刹と化した怪物がいた。
中空でジャケットを脱ぎ捨て、凄まじい高熱を発する筋肉を限界まで肥大化させ、男は全身をしならせるように拳を引いて跳躍していた。
「ジンサ――!」
己にではない。己の背後。
「ぬぅがああああぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーっ!!」
甚五郎は銀髪の少女を飛び越え、その背後の何者かへと豪腕を繰り出していた。殺人術でも何でもない、ただのぶつけるためだけの野蛮なる拳を。
直後、轟く――。
およそ人体からではあり得ない。まるで分厚い金属をぶつけ合ったかのような、重く冷たい音が空間を震わせ、大地が鳴動した。
「~~ッ!?」
その場に立ち尽くしていたシャーリーとルーが、降り積もった雪ごと衝撃波で吹っ飛ばされる。
「きゃあっ!?」
「わあああっ!」
大きく吹っ飛んだルーに空中で手を伸ばしながら、シャーリーは呪文を唱える。
「――シャルロット・リーンの名に於いて命じる! 旧き盟約に応じよ、汝、風の精霊シルフ!」
渦巻いた緑の風に乗って、今にも頭から叩きつけられんとしていたルーのローブをつかんだ。身を翻して着地し、銀製の具足で雪の大地を滑る。
い、いったい何が――!
雪煙の中、停められていた魔車が遙か遠方でひっくり返っている。信号魔人たちの姿は見あたらない。おそらくは衝撃波に吹っ飛ばされたのだろう。
アイリア・メイゼスの姿も。
「きゃッ!」
再び衝撃波が叩きつけられ、ルーを抱えたシャーリーの足が雪の大地を後方へと滑った。だが、先ほどのように吹っ飛んだりはしない。
精霊が彼女を守っているからだ。
何度も、何度も、衝撃波は襲い来る。魔車がみるみるうちに破壊され、木の残骸となって砕け散ってゆく。
その視線の先――。
シャーリーは悪夢のような光景を見ていた。
魔人砦の大鉄扉すら貫いたハゲの拳が、ただのか細い少女の手――否、指先一本によって受け止められていたのだ。
甚五郎は周囲の雪を体熱のみで溶かし付けながら、何度も拳を繰り出す。それを少女が右の人差し指ですべて受け止める。
そのたびに、衝撃波と音波が周囲に散っているのだ。
「がああああぁぁぁぁッ!!」
ハゲの力が失われたわけではない。
少女の立つ大地は砕け、その先、森林地区の樹木は折れ曲がり、放たれた拳の暴風に根から引き抜かれて転がっている。けれどその少女の足は、ほんの一歩の後退はおろか、後方に滑ることもない。
理解できない。
あきれるほどに紳士だったはずの羽毛田甚五郎が女性に手を上げていることも、その全力がことごとく受け止められていることも、あの少女が何者であるのかさえも。
「何、これ……っ」
魔車の残骸が作り出した影から顕現したかのように、女が跳躍し、少女の頭部へと一瞬の躊躇いもなく妖刀を突き下ろす。
「アイリアさ――!」
「……」
けれども奇妙な少女は見上げることもなく、妖刀の刃先を左の人差し指と中指で挟んだ。その顔面へと向けて振り抜かれたハゲの拳を、右の人差し指一本で受け止めながら。
アイリアがもう片方の妖刀でその首を掻き斬ろうと振り抜く。
「~~ッ」
いない。アイリアが着地すると同時にハゲが叫んだ。
「後ろだアイリアッ!」
だが、その瞬間には、アイリアはすでに雪の失われた堅い大地でうつ伏せに倒れ込んでいた。
動かない。ぴくりとも。呻き声すらなく。
「貴ッ様ァァァァッ!!」
激昂した甚五郎が少女へと蹴りを放つ。だが少女は躊躇うことなく今度は掌を開き、胸の中央でそれを受け止めた。
凄まじい金属音が轟き、発生した衝撃波が少女の身体を貫いて、その背後にあった石の家屋をも突き崩す。
崩れゆく家屋から魔人らしき影が、大あわてで逃げ去ってゆくのが見えた。
「――」
「バ、バカな……!」
だが、それだけだ。
甚五郎の渾身の蹴りを受け止めた少女の足は、数センチ、後方へと滑った。それだけだった。
「……強いのね……」
それは、まだ幼さを残した甘やかな声だった。
直後、少女はグイと甚五郎の蹴り足を押し返した。甚五郎が腰砕けのようになって、大地に膝をつく。
「……あなたとは……戦いたくない……。……戦ってあげない……」
放心。甚五郎は目と口を見開いたまま、立ち上がろうとはしなかった。
シャーリーには何が起こっているのか、まるで理解できないまま、戦いは終わった。
風が吹いて、倒れたままだったアイリアの左手から妖刀が音を立てて転がり落ちる。
「アイ……リア……さ……?」
ぞくり――。
恐怖を感じた。叫び、泣き、逃げ出したい衝動に駆られた。今になってようやく、先ほど交わしていた甚五郎とアイリアの会話がどういうものだったのかを理解できた。
こんなの、戦いにさえならない……!
がちがちと、歯が鳴り出す。
少女。すなわち魔人の少女だった。
全身の皮膚は金属のような光沢を放ち、みすぼらしいボロ布を胸と腰に巻き付けた魔人の少女は、ヒトの髪と二本の角を持っていた。
体型に優れたものはない。甚五郎はおろか、アイリアほどの練もなく、その矮躯はむしろ自らとさえ近しいものだった。
魔人少女は妖刀の片割れを持ったままだった二本の指先に力を込め、少しだけ表情を歪める。
「……折れない……。……魔人の精気を吸う妖刀か……」
おもしろくもなさそうに呟いて、少女は手にした妖刀をアイリアの横へと投げ捨てた。雪を失った堅い大地に妖刀が突き刺さる。
「……かえす……」
甚五郎は――。
あれほど傲慢だった男は、目を大きく見開いたまま顔面から大量の汗を滴らせ、両腕をだらりと下げて大地に両膝を置いたままだった。
肩で荒い息をするたびに凍った息が吐き出され――はらはらと、その頭部から残った髪が少しずつ抜けてゆく。
その表情からは、すでに戦意が失われていた。
……勝てない……。ジンサマでも……。だめ……。だめ……だ……。
シャーリーはルーを背中に隠し、レイピアの剣先を少女へと向けた。
震えは収まらない。歯もがちがちと鳴ったままだ。万に一つの勝ち目だってない。
それでも、こっちを向いたから。
魔人少女は甚五郎に対して無防備に背中を向け、シャーリーに視線を注いでいた。
冷水を浴びせかけられたかのように全身はおろか呼吸さえ震えて、息を整えることさえできないほどの重圧が襲いかかる。
「……こ……んな……」
「シャ、シャーリーねーさんっ」
外衣にしがみつこうとしたルーの手を払う。
「だめ、だめです。下がっていてください。わたくしから離れて」
狙いは、おそらく自分だ。
シャナウェル王国の王女だから。
「で、でも、ルーもみんなと――」
歯を食いしばり、一喝する。
「下がりなさいッ!!」
ルーを気遣う余裕はなかった。
背後へと微かに遠ざかる足音を聞きながら、深く息を吸って、限界まで吐き出す。
集中。集中だ。大丈夫。風精の力を借りれば、誰もわたくしには追いつけない。あのデレク・アーカイムの腕だって貫けた。今なら金狼より速く動くことだってできる。
足。あの魔人の足を貫けば、追ってはこられない。ジンサマは頭以外は幸い無傷。アイリアさんを抱えて走ることならできる。
息を吸い、止める。
やるんだ。自分が。もうわたくししかいないのだから。
荷重をつま先にかけ、大地を蹴――っ。
「……あなたじゃない……」
地面を蹴る直前、魔人少女の瞳が間近にあった。会話すれば凍った息が鼻先にかかるほどに、いいや、喋れば唇の先が微かに触れ合うほどに。
そして次の瞬間には、再び少女を見失っていた。
背後――!
「……おいで……行こう……」
「ひ……っ、やだ……」
ルーが息を呑んだ瞬間、シャーリーは無我夢中で大地を蹴っていた。ルーへと手を伸ばした魔人少女の近くから、凄まじい速度で離脱する。
「いやだっ、ルーはじんごろーといる! こないでー!」
魔人少女はルーのローブを片手でつかみ、遠ざかってゆくシャーリーの姿を視線だけで追った。
逃走。違う。そうではない。
大地を蹴り、家屋を蹴り、樹木を蹴り。シャーリーは十二分に速度を得てから弧を描くように魔人少女の背後へと回り込む。
積もった雪すら反応を示さぬほどの速度。風をも追い抜く、絶対速度。
駆ける、駆ける、駆ける――!
首を回し、眼球を動かし、シャーリーの姿を追っていた魔人少女の視線が遅れ、ついにはその視線を切る。
今――ッ!
渾身の力を込め、レイピアの切っ先を光沢を放つ少女の太ももを目掛けて刺突する。
「――っ!?」
だが、切っ先は虚空を貫いていた。
魔人少女はルーを小脇に抱え、石の家屋の上に立っていた。
「はなせ! はなせー! ルーは、ルーはねーさんたちとぉぉ!」
「待――っ」
シャーリーが緑の風に乗って家屋の屋根に足を付けた瞬間には、少女はルーを片手に、すでに遙か遠方へと駆けていた。
屋根を蹴って雪の地面に着地したときには、すでにその姿はなく。
緑の風が霧散し、シャーリーの足がよろめきながら数歩進んで止まった。
「う……そ……」
奪われた。大切な仲間と、愛する人の頭髪を。
……この際もう髪のことはええやん……。
※『燃えよドラゴン侍!』という一人の侍と一体の竜の連載物語を開始しました。
よろしければこちらのほうも覗いていただけると嬉しいです。
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(ハゲと世界観を同じくする、まったく別の物語です)




