ハゲ、またやりすぎた
前回までのあらすじ!
わたくしはまだ本気を出していないだけだったシャーリーが、ついに本気を出したぞ!
まどろみの中を漂っていた甚五郎は、再び物音を聞きつけてクワっと目を見開いた。
「――ッ」
同時に身を起こしたアイリアが、まるでしなやかな野生動物のように片膝を立てる。その手が己の腰のあたりで空を切った。
妖刀は魔人に奪われたままだ。
シャーリーとルーは眠っている。
甚五郎は胸の上で眠っていたルーをシャーリーの隣へと転がして、アイリアと視線を交えた。
無言のまま、同時にうなずく。
暖炉の炭が爆ぜる音に混じって足音が近づいているのだ。それも駆け足で。音がほとんど響かないのは裸足だからか。
ならば魔人だ。この寒さの中、腰ミノ一丁で動ける種族などやつらしかいない。この斑ハゲの漢を除けば、の話だが。
やがて鉄扉が開かれる。
「――ッ!?」
黒魔人ブリィフィが一歩踏み込み、その場で立ち止まった。
「ハ~イ、ブリィフィ。……夜這いかしら?」
アイリアが正面から黒魔人の注意を惹きつける。
ブリィフィの視線がアイリアに向けられた瞬間を狙って、鉄扉裏に身を隠していた甚五郎は己の掌をブリィフィの黒い頸部へと置いた。
コンマ数秒もあれば、握り潰せるように。
「このような深夜に何用かね? 子供らが眠っているのだが」
「……やめろボケが」
ブリィフィが甚五郎の手を無造作に払い除ける。甚五郎は素直に手を下げると、肩をすくめた。
ブリィフィからは殺気が出ていない。筋肉の強ばりや気負いもない。つまり、危険がないと判断したためだ。
ブリィフィが早口に吐き捨てる。
「状況が変わった。てめえらを今すぐゲオルパレスに移送する。わかったらガキとヒメさんを起こせや」
アイリアが端正に整った顔を歪めて、額に縦皺を刻む。
「……どういうこと? ゲオルパレスからの使者が到着するのは明日の夕方よね?」
「待つ余裕なんざねえよぅ。めんどくせえことにシャナウェル軍が動きやがったのさ。西方ウィルテラ方面じゃなく、南方ゲオルパレス方面にな。三日前に王国騎士団およそ三〇〇〇が移動を開始したとさ」
「――このタイミングで、ですか」
声。少女の声に、甚五郎とブリィフィ、そしてアイリアが同時に視線を向けた。
シャーリーだ。すでに身を起こしている。
銀色の髪に手を入れて、眠気を飛ばすように頭を左右に振った。
「いえ、違う。このタイミングだからこそ、か。今現在ウィルテラは指導的立場である勇者デレクが不在です。王国騎士団の留守を衝いてシャナウェルに攻め入るような大胆な決断ができるものは、老人だらけの評議会にはいないでしょう」
「なるほどな。デレクをゲオルパレスに向かわせたのも、それが狙いか」
「はい。おそらく」
甚五郎が胸もとで両腕を組んだ。
シャナウェル王の思惑を読み切ることができなかった。シャーリーはもちろん、己も、あのデレクですらも。急がねばならない。
ブリィフィの瞳が訝しげに歪む。
「てめえら、ほんとに何もんだぁ? ……や、こうなっちまっちゃあ、嬢ちゃんがモノホンのヒメさんかどうかは関係ねえ。モノホンだったら人質にするし、ニセモンだったらゲオルパレスで処刑されるだけだ」
「ご安心を。わたくしは本物ですよ。ただし、人質としての価値は微妙です」
シャーリーは物怖じすることなく、微笑みすら浮かべて堂々と述べる。
その様子を眺めてしばらく、ブリィフィが額に手を置いた。
「だろうと思ったよ……。あンのくそったれなシャナウェル王が和平交渉なんざ持ちかけてくるわきゃねえしな。おまけに勇者デレクまでゲオルパレスに侵入してやがるとは、これまたややこしいね」
ブリィフィが二本角の隙間をがりがりと爪で掻いて、大きなため息をつく。
「ま、いいや。考えんなぁ魔人王の仕事であって、俺様のやることじゃねえし。あんたらや勇者ごときに魔人王が殺されることもねえだろ。ま、あんたらも、せいぜい処刑されんように頑張れや」
「ふふ、ありがとうございます。ブリィフィさんも、シャナウェルの王国騎士団なんかに負けないでくださいね」
その言葉に黒魔人はなんとも味のある表情をして、苦々しい笑みを浮かべた。
「心配すんな。大鉄扉がぶっ壊されようが、魔人砦が陥落したこたぁ過去に一度たりともねえからよ」
甚五郎が毛布のローブにくるまって眠るルーを抱え上げた瞬間、赤魔人レディルガンドが駆け込んできた。
「馬車の準備ができたぜ、クソ上官殿」
「おう。んじゃ出発しろや。あと、こいつらに獲物を返してやれ」
「わーってますよ」
レディルガンドが片手に持っていたアイリアの妖刀とシャーリーのレイピアを、ぽ~んと投げた。
アイリアとシャーリーがそれを受けて、素早く己の腰へと巻き付ける。
ブリィフィとレディルガンドの後に続き、冷たい廊下を走る。
地上へと続く階段を駆け上がり、砦の中庭を通って裏側に出ると、そこには刺々しい装飾の施された中世の戦車であるかのような馬車が停められていた。
御者席は三つ。その背後にある数段高くなった位置には、屋根も何もない客車が繋がれている。どれもこれも世紀末を彷彿とさせるかのような刺々しい装飾が施されていた。
御者席にはすでに青魔人と黄魔人が座っている。
甚五郎は素早くアイリアの腰部を抱え上げて、客車へと押し上げた。アイリアは客車に乗るや否や手を差し伸べ、甚五郎からルーを受け取る。次に甚五郎はシャーリーを抱きかかえて、客車へと乗り込んだ。
「乗ったな。じゃ、行くぜ」
遅れてレディルガンドが御者中央席へと乗って、繋がれていた三頭の馬――のような角のある生物に鞭を当てた。
夜の闇に紛れ、魔人砦から一台の馬車が走り出す。
角のある馬のような生物は、降り積もった雪などものともせずに力強く突き進んでゆく。やがて振り返っても魔人砦の明かりが見えなくなる頃、馬車は深い森の中でその動きを停止させた。
どう見回しても街ではない。
アイリアが凍ったため息をつく。
「……やっぱりね。偶然こいつらが御者に選ばれるなんてこと、あり得ないと思ったわ」
「うむ」
御者の魔人、信号トリオがにやけながら雪の上に立った。
「降りろ、人間」
レディルガンドが顎をしゃくる。
甚五郎とアイリア、そしてシャーリーがため息交じりに立ち上がると、青魔人が両手を前にしてシャーリーに視線を向けた。
「ああ、ヒメさんはいいよぉ? あんたを殺したら、俺たちも魔人王様にぶっ殺されちゃうからさあ? でも、そっちのふたりは関係ないよねぇ?」
シャーリーが甚五郎に視線を向けると、甚五郎が深くうなずいた。
シャーリーは客車に腰を戻し、眠ったままのルーを抱える。
「ではお言葉に甘えて。お返しになのですが、ひとつ忠告して差し上げます」
「あん?」
レディルガンドが額に縦皺を刻み、鋭いギザ歯をむき出しにした。
「もう危ないですよ?」
星はもちろんのこと、月すらない曇天の空。影など落ちようもなかった。たとえ巨体の男が客車を蹴って高く舞い上がり、プリプリ~ンとした尻から降ってこようとも。
レディルガンドがようやく上空を見上げた瞬間には――桃尻、迫る!
「羽毛田式殺人術のひとつ、いやン猛烈ぅんヒップアタ~~~ットルネェェ~ド!」
「んごッ!?」
ぶにゃり、尻に魔人の顔面の感触を味わいながら、甚五郎は容赦なく全体重をかけてレディルガンドの頭部を雪面へと、横回転を加えながら叩きつける。
凄まじい震動と同時に、降り積もっていた雪が一気に舞い上がった。反動で跳躍した甚五郎へと、レディルガンドが血走った視線を向けた瞬間――。
「ぐっ、く、て……め……っ、卑……怯もの……が……ッ」
甚五郎は着地と同時にレディルガンドの両足をつかんで己の肩へとのせ、赤の巨体を高く高く持ち上げる。
「くおっ、放せ! は、放しやがれっ!!」
「フッ、貴様のような輩は嫌いではなかったぞ。死なん程度に手加減をしてやろう」
「うるせえッ! てめえは死ね斑ハゲがァァッ!」
レディルガンドの赤の拳が、甚五郎の頭部を穿った。凄まじい骨の音が響き渡り、甚五郎の首がわずかに下がった。
だが、崩れない。この程度の攻撃ではこの男の、このハゲの頑強なる肉体を崩すことなど到底不可能なのだ。しかし、そうではない箇所がある。この強き男にも、弱き部位があるのだ。頭ではない。壊滅状態の毛根でもない。
それは、精神――。
斑に残っていたわずかばかりの頭髪が、弾け飛ぶ――!
「あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!?」
ぴくり、ぴくりと、頬が痙攣した。猛き瞳から、美しき涙が一筋。
「……ぐ、く! 七……本……。七本も……! 貴ッ様ァァ、ゆるさんッ!」
革靴が大地を蹴った。
高く、高く、さらに高く。そうして叫ぶ。
「羽毛田式殺人術のひとつ、悶絶悶々、パゥワースラァァァ~~~~~ムッ!!」
上昇を終えたところで、甚五郎は落下と同時に己の全体重をのせ、レディルガンドの背部を体熱で雪の溶けた大地へと叩きつけていた。
揺れる大地。弾け飛ぶ雪と泥、吹き荒ぶ突風。
レディルガンドの下半身が、遅れて力なく大地に落ちる。
「……ぁ……が………………か…………」
両眼の縁から黒の体液を噴出させて白目を剥いた赤魔人は、生死の淵でその珍妙なる光景を見ていた。
斑ハゲが貧相な頭部を両手で抱え、両膝をついている。
「し、しまった! ついやりすぎてしまった! こ、このようなところで魔人を殺してしまっては、魔人王からエリクサーをもらいうける計画がぁぁっ!」
「つい、じゃないでしょ、ジンさん! 何回同じことをすれば学ぶのよ! 赤魔人の目ン玉、飛び出しちゃってるじゃない! ど、どうするのよ、これ!? ……オエ、気持ち悪ぅ……」
女の声。魔人狩りと呼ばれる女が、二振りの妖刀を鞘へと戻す。
その足もとには、すでに全身傷だらけとなった青色の魔人が、ぐったりと倒れ伏していた。
「いっそのこと埋めちゃいます? ルーさんも眠っていることですし」
人畜無害そうに見えたヒメを名乗る少女が、一番恐ろしいことを口走った。
太った黄色の魔人はといえば、馬車に寄りかかってガタガタと震えている。
「う、う~む。……ぶふぅっ、ぶふぉぉぉ~~っ、よく見ればデメキンみたいで超ウケるな、こやつの顔。――そうだ。目玉を押し込もう。魔人ゆえにこれで治るかもしれん」
「わあっ、良い考えですっ! さっすがジンサマですねっ!」
驚くほど狂った提案に、少女がパンと両手を合わせて満面の笑みを浮かべて同意した。
「え、ちょっと……発想がグロくてついてけないんですけど……」
魔人狩りと呼ばれた女が一番まともだ。むしろ優しそうでいい女だ。だからもっと全力で止めてくれ。その二体の狂った人間を。
「ジンさん!? やるのっ!? ほんとにやるのっ!?」
思い虚しく。
視界に巨大な手が重なり、ぐいぐいと目玉を頭へと押しつけられる。
赤魔人レディルガンドは、生まれて初めて後悔という言葉を知った。
魔人の扱いェ……。




