ハゲ、砂漠の中心で怒りを叫ぶ
前回までのあらすじ!
常時モザイクがかかりそうなモンスターを、ハゲが妖しげな手技で昇天させたのだった!
いくつものラクダの足音と、人が砂を踏みしめる音が響く。
陽光は強く砂に降り注ぎ、行く手に視線をやれば陽炎で景色が歪んでいる。
王国騎士らは鎧をすべて外して馬車に載せ、ラクダに乗って先行している。金属製の鎧は砂漠越えには不向きだ。
けれども冒険者ギルドの面々は、ラクダや馬車すら用意できなかったのか、比較的軽装とはいえ胸当てや肘当てを装着したまま、徒歩で砂を踏みしめていた。
「格差社会か」
ペットボトルの水で喉を潤し、甚五郎はビジネスバッグで頭皮を覆って直射日光を遮った。
先ほどの戦いで酸性の粘液を頭皮に浴び、生え際がまた少し後退してしまった。今となっては毛根が生き存えてくれていることを祈るしかない。
呼吸を荒くして、フードを深く被ったシャーリーが呟く。
「しょうがないです。王国騎士たちは、王都の王様からの支援を受けているのですから。その代わり、先行してサンドワームなんかを排除してくれていますもん」
「冒険者ギルドは支援されていないのか?」
「冒険者ギルドは襲いかかってくる魔物から自分たちの身を守るため、一部の貴族の力を借りて一般市民ら有志が出資しあって成り立っている組織なので、そもそもの体系が違うのです。資金にあまり余裕はありません」
甚五郎が深いため息をつく。
「出資者の差か。まるで国家公務員と非政府組織だな」
「……?」
「なんでもない。気にするな」
シャーリーの歩調に合わせて歩いているから、隊列からは少し遅れ気味になってしまっている。それ以前にこれほど隊列が伸びているというのに、ラクダに乗った王国騎士たちが立ち止まって待つことさえしない時点で、両組織の仲が垣間見れる。
「よくもまあ、これで合同討伐隊などができたものだ」
「わかるのですか?」
「連携など取れたものではなかろう」
シャーリーが苦笑いを浮かべた。
「そうですね。ですが、連携は取れずとも数の上では有利になれますし、足の速い彼らはこうして冒険者ギルドの露払いもしてくれているので。自分たちの身を守るためでもあるのでしょうけれど」
「ありがたいというのは同じか」
「はい」
「結果論だな」
「そうですね」
しかし、行けども行けども砂の大地だ。サボテンすらほとんど見ない。
シャーリーの歩調に合わせ、しばらく無言で歩く。
また少し隊列が伸びたか。
いつの間にか最後尾になってしまっている。
「シャーリー」
「はい?」
「平気か?」
「はい。大丈夫です」
シャーリーの足取りは重い。革袋に口を付ける間隔も短くなってきている。
王国騎士団はもちろんのこと、見たところおそらく冒険者ギルドのなかにあってさえ、彼女は最年少だ。同世代では少年すらいない。
十四歳……。
剣技の基本くらいは習得できたとしても、根本的な体力はやはりまだ備わっていないのだろう。なのに、どうしてこのように危険な仕事を選んだのか。
今は尋ねても、こたえる余裕などないのだろうけれど。
「ごめんなさい、ジンサマ。もしでしたら先に行って砂漠の街で待っていてください。宿の名前は砂の魚亭で、わたくしの部屋番号は101です」
「ふははっ、私も少々疲れて足が上がらんのでな。ゆっくり付き合わせてもらうさ」
そう言って、シャーリーの細い背中を軽く叩く。
「ふふ、年ですね、ジンサマ」
「……むぐう……。シャーリーに言われると反論もできん……」
「ふふ」
小さく、小さく――。
熱砂の風に消え入るような声で「ありがとうございます」と呟いたシャーリーの言葉に、甚五郎は気づかない。
太陽はまだ高い。黄土色の景色に変化はない。ペットボトルの水はもうわずかだ。
確かに王国騎士らが露払いをしてくれなければ、砂漠越え自体難しかったかもしれない。もっとも、鎧を運ぶ馬車に少女ひとりくらい乗せてくれても良いとは思うのだが。
隊列はもう豆粒ほどの大きさとなっている。
今はまだ足跡が残っているけれど、風が吹くたびに消えてゆく。
「シャーリー、街の方角はわかるか?」
「……」
「シャーリー?」
「……え、あ、はい……。……今はもう……夕刻前のはずだから……太陽の沈む方角に……まっすぐ……です……」
「うむ」
まずいな。受け答えはしっかりしているが、声が揺れ始めている。限界が近い証拠だ。
足下が覚束ないまま、シャーリーはかろうじて歩いている。
「抱いてやろうか?」
「……え……。……ふふ……はい……嬉しい……砂漠の街……宿、着いたら……」
「ふははっ、何を言っているのだっ。それでは意味がなかろうっ」
「……あは……そっちの抱く……です…………か……」
笑ったシャーリーの身体が斜めに傾く。
素早く腕を差し出し、小さな身体を受け止めてから気づく。
腰に吊された水の革袋が空になってしまっている。
「……つまずき……ました……」
何度か余計な戦いに巻き込んでしまったことで、体力を無駄に消耗させてしまったのかもしれない。サンドワームはもちろんのこと、思い起こせばワイバーンやオーガとの戦いも、討伐隊で彼女だけが甚五郎を救うべく動いてくれていたのだから。
もしかしたら昨夜のサンドウィッチも、本当は彼女の夕食だったのではないだろうか。いや、そうに違いない。このように過酷な砂漠越えに、余計な荷物を積んでくる酔狂な輩などいるはずがないのだから。
――私はなんと愚かな大人なのだ!
「いつからだ?」
「……?」
「いつから水を飲んでいなかった?」
乾いてひび割れた唇から、弱々しい言葉が漏れる。
「……忘れ……ました……」
首を傾げたシャーリーの身体を片腕で支えながらその場に座り、甚五郎はビジネスバッグからペットボトルを取り出した。
キャップを口で固定し、片手で回して開ける。
残りの水はおよそ二〇〇ミリリットルといったところか。貴重な飲み水だが、そうも言ってはいられない。
「飲みなさい」
「……だめです……だってそれ……ジンサマの――」
「――飲めと言っているッ!!」
突然の怒号に、びくっと腕のなかでシャーリーが震えた。
甚五郎は安心させるかのように笑って銀色の髪を撫で、ゆっくりと語る。
「大きな声を出してすまなかった。だが、くだらないことで意地を張るもんじゃあない。キミは私の生命を救ってくれた。その借りを今返していると思えばいい」
「……」
「頼む。私の自己満足のためだと思って、この水を飲んでくれないか」
数秒の逡巡ののち、シャーリーが両手でペットボトルをつかみ、残った水を一気に喉へと流し込む。
「はぁ~……」
しかし次の瞬間、シャーリーは瞳を閉ざして気を失っていた。
甚五郎は空になったペットボトルを回収して彼女を背負うと、足跡と太陽の位置を確かめながら砂の大地を歩き出した。
隊列はもう見えない。
それよりも気になるのは頭髪のことだ。これまではビジネスバッグで強い直射日光を遮ってきたが、シャーリーを背負っていては両腕の自由は利かない。
ハンケチーフを被ることも考えたが、風に飛ばされてしまう。
「く、すまない。毛根たちよ。日暮れまでどうにか生き存えてくれ……ッ」
だが、進めども進めども黄土色の大地しか見えてこない。
ようやく日が暮れる頃には、足跡もすっかり消えてしまっていた。
体力には自信があったとはいえ、水分補給なしではさすがに手足が重い。喉も乾いて張り付く。もはや汗さえろくに出ない。むしろ寒くなってきたくらいだ。ましてやシャーリーを背負っているのだから、隊列について行けずとも不思議ではない。
肩で息をしながら、それでも足は止めない。毛根は絶滅を免れたが、シャーリーの生命まではまだ救えたわけではない。休んでいる時間などあるものか。
「まずいな。方向がわからん。シャーリーも目を覚まさんし」
背中に当たる胸当てが上下していることから、生きていることだけは確かだが。
太陽が落ちたことで景色がわからなくなった。月明かりだけでは何も見えない。せめて自分の足跡だけでも見えれば、それを頼りに直線で進むことができるのだが。
それでも、足を止めるわけにはいかない。
このまま朝を迎えては、おそらくもうふたりとも助からない。気温の下がる夜のうちに砂漠を越えなければ。
「砂漠とはここまでのものだったのか。今朝方もシャーリーに止めてもらわなければ、死んでいたかもしれんな」
呆然と呟きながら、足を引きずるようにして歩く。
「む? なんだ、あれは……」
ふいに斜め前方に赤い光が見えた。直線方向とは直角にずれているが、自らの方向感覚が正しいとはもはや思えない。
甚五郎はシャーリーを背負ったまま、思い切って光の方角へと歩き出した。
惚れてもいいんだぜ……?