ハゲ、心に深き傷を負う
前回までのあらすじ!
モフ毛イエティ、死すべし!
そこから先の戦いは、もはや一方的なものだった。
ボスイエティの亡骸を片手で武器にしてぶん回し、甚五郎が他のイエティたちを追い立てている様たるや、もはやどちらが獣かわからないほどに凄惨だった。
「かはぁ~……! ――ハゲを嗤いしもの、死すべしッ! 死すべしッ!」
亡骸の片足をつかみ、棍棒のような扱いで他のイエティたちを殴りつける。
肉を叩きつけられる音を響かせた後、巨体のイエティたちが次々に軽々と宙を舞って大地に落ちる。
――ギョホォッ!? ゴフゥホホホホホォッ!?
「うぬがァッ! まだ嗤うか! そんなに可笑しいか! 友を失いし私がッ、私の頭皮がそんなにも可笑しいかァァァッ!!」
巨大な金狼と魔人狩りを相手にどうにか戦型を保っていたイエティたちも、悪鬼羅刹のごとき表情でツルッパゲが自虐の涙を流しながら己らのボスの亡骸を振り回し、襲いかかって来る様には当然のごとく恐慌を来した。
――ホホ、ホッホホーゥッ!?
散り散りばらばらとなって逃げ出す。
「うぬッ! 逃げるか、この卑怯者めらがッ! ――んどりゃあ!」
最後尾の一体へと向けてボスイエティの亡骸をぶつけ、ずっこけたところで背中から腕を回して持ち上げる。
――ホホッ、ホホヒィィッ!?
「羽毛田式八つ当たり術のひとつ、超☆絶、ハゲっぱなしジャーマンスープレェェックスッ!!」
己の全身を全力で反らせ、でたらめな筋力で背後の樹林へと向けてぶん投げる。
岩に頭部からぶつかって跳ね上がったイエティが、大地でもう一度大きく跳ね上がり、断末魔の悲鳴もなく肉塊と化した。
だが、ここまでだった。
他のイエティたちは樹林に飛び込み、樹上へと駆け上がって木々を伝い、あっという間に姿を消してしまったのだ。
すべてのイエティが逃げ去った後、甚五郎は肩で大きく息を整えながら袖口で涙を拭った。
細かに震えるその大きな背に、声をかけられるものはいない。
あまりに、惨めで。
ルーの全身からは、冷たい汗が滲み出ていた。
「じ、じんごろー……?」
「――ッ」
振り向いた哀しげ顔に、ルーは自らの頭を短い手で抱えた。
「ごめんっ、じんごろーっ! ル、ルーは――」
そのまま金髪のふわ毛をわしっと両手でつかみ、めいっぱい引く。大きな瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ルーが、ルーがじんごろーのともだち、ぬいたから! ふわげなんていらん! ハゲておわびだっ! まってろ、じんごろー、ルーもすぐにハゲるからな!? ハゲなかまだ!」
冷静に眺めていたアイリアは見逃さない。ルーが「ハゲ」と言うたびに、甚五郎が白目を剥いてびくん、びくんと震えているのを。
「……だから、ルーのことをすてないで……」
だが、ただの一本。ただの一本たりとも引き抜かせることなく、漢は小さな両腕に己の大きな手を素早く重ねた。
「よさないか、ルー」
「でも! ルーはもうハゲるしかない!」
「ハゲるな、ルー! 今日ハゲたら――!」
甚五郎が涙を流しながら、苦しげにうめく。
「――明日から、ずっとハゲ続ける人生になってしまう……」
アイリアは心のなかでつっこんだ。
ジンさんじゃないんだから、ハゲ続けるわけないでしょ、と。
ルーの手をふわ毛から強引に引き離すと、甚五郎は白目を剥きながらも、ごん太い両腕で彼女の小さな身体を掻き抱いた。
「だから頼む。そのような哀しいことを、もう私の前で言わないでくれ。おまえまで友を失うことはない」
「でもぉ……」
シャーリーがレイピアを鞘に収め、ルーの肩に手を置く。
「落ち着いてください。たとえルーさんがハゲても、ジンサマの髪が戻ってくるわけではありません」
とどめとも言うべき言葉に、甚五郎の全身が一層激しく痙攣した。両の眼から涙がどぶしゃあと溢れ出す。
アイリアは思う。
もうそのへんでその話題やめてあげなさいよ、と。
「それでも、ルーは……」
銀色の髪を掻き上げてからシャーリーはルーの身体に手を回し、ゆっくりと優しく甚五郎から引き離しながら、ふわりと抱きしめた。
頬を寄せ、シャーリーが優しく口を開く。
「大丈夫。大丈夫ですよ。エリクサーさえあれば、すべてもとに戻せますから。みんなで力を合わせて、ジンサマの長き友たちを助けましょう、ね?」
「ぅぅ、シャーリーねーさん……」
シャーリーは瞳を細めて穏やかな表情でうなずくと、ルーの耳に唇をつけてそっと静かに囁いた。
「……あと、どさくさでジンサマに抱きしめられるのはやめてくださいます? 次やったら、すっごいことになりますよ……?」
突如としてひん剥かれるぎょろりとした三白眼に、ルーの喉がこくりと動いた。
「お、おおぅ……。……あい……」
背筋に寒気を感じたルーが、がくがくと首を縦に振る。
アイリアは心から思った。
なんだ、この茶番は。
――ウォウ!
「ん、どうしたの、先生?」
茶番を尻目に、アイリアが金狼リキドウザン先生の頬を撫でた。
リキドウザン先生はいつの間にか雪のやんでいた南の空を見上げている。そこには長く連なる山脈の山間に造られた、大きな砦があった。
甚五郎が眉をひそめる。
「ぬ、旅人のための公衆便所か」
「アトラス山脈の魔人砦よ。常に一〇〇体ほどの魔人が詰めてるわ」
渾身のボケをスルーして、アイリアが静かにこたえた。
ゲオルパレスへの入口、アトラス山脈。
このアトラス山脈は、北東に位置するシャナウェルからも、北西に位置するウィルテラからも、避けては通れない天然の要塞と言われている。
つまりシャナウェルから大軍が送り込まれてきた場合、軍は危険を承知でアトラス山脈を越えるか、この砦を攻め落とすかの二通りしかないということだ。
砦は唯一の山間に造られたものだ。
あるいはシャナウェルが海に重きを置く国であるならば海路という手もあるにはあるが、あいにくとシャナウェルには荒れた海を渡れるほどの海軍は存在しない。
種族的対立が存在する魔人の国ゲオルパレスがシャナウェルの侵攻にさらされなかった原因は、この地形にあると言われている。
「ゲオルパレスは氷の山脈と荒れた海に守られた、天然の要塞国家なのよ」
「ふむ。アイリアは以前ゲオルパレスに侵入したことがあると言っていたな?」
長い黒髪をひとまとめにして、アイリアが背中に落ちていたローブのフードを被り直した。
「ええ。そのときは海路でね。冒険者ギルドに海賊だった仲間がいたから。でも、ゲオルパレス付近の海路はいつも荒れてるのよ。おかげで海に落ちる仲間が出たり、船酔いでそこら中に吐き散らされたりで散々だったわ」
甚五郎が苦笑いを浮かべた。
「デレクやメルがそうなっていなければいいのだがな」
「あの方々なら船から落ちようが、吐瀉物の海に沈もうが、わたくしは困りません。むしろ両方合わせて荒れた吐瀉物の海に沈めばいいと思います」
ふんす、と鼻息を荒くしてシャーリーが不穏なことを口走った。
生暖かい視線を向けられると、シャーリーは首を傾げてにっこりと微笑む。
「あはっ、もちろん冗談ですよ、ジンサマ。少なくともメルとかいう気持ち悪いお便所虫さんには、曲がりなりにも助けられましたからねっ」
「……シャ、シャーリーねーさぁぁ~~ん……」
甚五郎が咳払いで視線を集めた。
「まあ、我々は正面から行くのだから、氷の山も荒れた海も関係ない。魔人砦に向かう」
「はいっ、ジンサマ! あ、でも喧嘩はだめですよ? 一応はシャナウェルとの和平交渉を提案するという目的もありますので」
「ふははっ、何を言う。あたりまえではないか。この紳士たる私から手を出すことなどあり得んさ」
シャーリーが人差し指を立てて念を押す。
「頭皮のことを笑われてもですよ、ジンサマ? 絶対に手を出さないでくださいね?」
「――ッ!?」
目を見開く斑ハゲ。
「だ・め・で・す・よ?」
「う、うぐぅむ。ま、前向きに善処いたしたい所存だ」
シャーリーが満足げにうなずいた。
しかし対照的に、アイリアはひとり、冷静に額を押さえてうつむく。
あ、こりゃだめだわー……。またやるわー……。絶対やるフラグだわー……。
それに――。
「…………素直に通してくれればいいんだけどね」
アイリアがぼそりと呟いた声は、風に掻き消された。
甚五郎が巨大な金狼の胸部を腕でどんと叩く。
「そんなわけでリキドウザン先生、あの砦まで同行できるか? ルーをのせてやって欲しいのだ」
――ウォウ。
巨大な金狼が口を開け、ルーの毛布のローブを咥えて空へと放り投げた。
「お、おおっ」
ルーがふわりと浮いて、金狼リキドウザン先生の背中に着地する。
「よし! では、魔人砦へ、いざ行かんッ!」
そうして一行は甚五郎を先頭に、魔人砦へと向けて雪の街道を歩き出すのだった。
もう不安しかない……。




