ハゲ、廃宿の一夜
前回までのあらすじ!
勇者デレクが小娘の毒舌に屈したぞ!
勇者デレクが首と手をだらりと下げ、力なく両膝をつく。ぼたぼたと大粒の涙と涎がこぼれ落ち、廃宿の床を黒く染めた。
アイリアが笑い必死でをこらえた顔で振り返る。
視線だけを動かして件の勇者様を観察すると、白目を剥いて気絶していた。
「はふぁ~……ん……うぅん! ま、まあそこらへんで。デレクはさておき、メルはキティを王都に連れ帰りたいのよね?」
「そのつもりだ。たとえ両者がこのように無惨に破談しようとも、シャルロット姫は連れ帰らせてもらう」
女騎士は、気絶した勇者を困った顔で見つめている。
「その命令、もう無視でいいんじゃない? どのみち、力尽くで連れ帰ろうとしたら、あたしやジンさんまで敵に回すことになるわよ。キティとあたしとジンさんの三人を相手に勝てるつもりなら別に言うことないけど」
「ふん、魔人狩りとはいえ、娼婦風情が聞いたような口を。わたしは誇り高き王国近衛騎士隊副長メル・ヤルハナ。騎士にとって、勝てるか勝てないかは重要ではない。自らの使命を全うすることこそが矜持なのだ」
咳払いをひとつ。メルがもじもじと両足を摺り合わせながら頬を染め、甚五郎に視線をちらりと流す。
「もっとも! ……その際に羽毛田甚五郎……様……が敵に回るというのであれば、わたしは敵わぬまでも立ち向かうだろう。たとえ力及ばず敗北し、この穢れ無き身を獣欲のままに激しく荒々しく何度も繰り返し弄ばれようとも、…………りょ、陵辱ごときでは騎士の矜持は決して曲がらないんだからねっ!?」
両手で頬を挟み、メルが乙女のように恥ずかしげにうつむいた。
シャーリーが病んだ視線でレイピアに手を伸ばす。
「……殺しましょう? やっぱりこの人、すごく気持ち悪いです……。なんだかおトイレにいる虫みたいです……」
にんまり笑うシャーリーを片手で制して、甚五郎が呟いた。
「よさないか、シャーリー。――メル・ヤルハナ。私には、おまえの矜持を奪うつもりはない」
メルの表情が一瞬で不満げなものに変化した。
「なぜだ!? 貴様、よもや、わたしのカラダでは不満だとでも言うつもりか!? やはり筋肉質だからか!?」
「……や、なんでそこ食い下がるのよ」
アイリアの呟きを黙殺し、甚五郎が続ける。
「フ、そうではない。おまえは十分に美しき女性だ」
メルの頬の色が、顔はおろか両手両足に至るまで、鮮明に染まってゆく。
「な、何をいきなり――」
「さればこそ、私はおまえに決して手を上げられないのだ。漢が女に手を上げるなど以ての外。私の正義がそれをゆるさん。それでもおまえは私を――私の長き友らを斬ろうとするのか?」
「そ、それは……く、騎士の矜持が……ゆるさない」
「そうだ。まず以てメル・ヤルハナは騎士の矜持があるゆえに、私を――私の長き友らを斬れない。そしておまえが私に危害を及ぼさぬのであれば、私はおまえと戦うことはない。むろん、この間のように辱めることもな」
メルが歯がみしてうつむく。対照的にシャーリーの表情には、無邪気な光が差した。
「ふふ、さすがはジンサマです。紳士的解決法ですね」
「そうであろう。ふははははっ!」
得体の知れない筋肉ハゲのほうが、救国の大勇者様よりよっぽど自信家じゃないの、と言いかけた言葉を呑み、アイリアは視線を窓の外に向けた。
諦観の入り交じった穏やかな表情で、瞳を細める。
これ、収拾付いたと言っていいのかしら……。
「ま、いいわ。とりあえずデレクを起こしましょう。これからどうするか、ちゃんと全員で話し合わないと、またどこかで戦いになっちゃうかもしれないから」
アイリアが呟くと、甚五郎がため息をついて立ち上がる。
「ふむ。任せておけ」
甚五郎がぐったりとうなだれたまま気絶しているデレクの背中に右膝をあて、背後から両腕をつかむ。
「どうするんですか、ジンサマ?」
「うむ。日本の禅宗にはこうやって喝を入れ、気絶から覚ます方法がある。な~に、任せておけ。……アニメではよくあることだ……」
言うや否や、甚五郎は両腕を力いっぱい引きながら右膝をデレクの背中へと差し込む。
「――かぁぁぁ~~~~~……ッ……喝ッッッ!!」
甚五郎の叫び声とデレクの背骨の鳴るゴギャっという音が廃宿の壁に反響し、空間を激しく震動させた。廃宿横で眠りについていた金狼リキドウザン先生とルーが、飛び跳ねて目を覚ます。
だが。
全員が目を見開く中、デレクだけが泡を吹いてがくりと首を倒していた。
「ちょ、ちょっとジンさん! 勇者くん、血の混じった泡吹いてるわよ!? ほんとに大丈夫なの!?」
「な、なぬ!?」
やり過ぎた。
彡 ノ ヽ
ノ ミ
ノノ ヽ 彡
〆⌒ ヽ彡 彡ミミミ
(´・ω・`)<ごめんねー (´・ω・`)<いいよー
立ち上がったデレクが自らの肉体を確かめるように、腰を回して膝を曲げ伸ばしする。
「よし、と。少し時間がかかったけど、もう大丈夫だ」
デレクが爽やかな微笑みを浮かべた。
「……人間離れしてるわね、あんた。さすがは勇者ってとこかしら」
アイリアの呟きに、デレクは長い金髪を首の後ろで束ねながら事も無げにこたえる。
「血流を魔力で操って患部の新陳代謝を高めているだけだ。修行をすれば誰だってできることだよ。――あんたもそうだろ、甚五郎?」
「ぬ? そうなのか?」
甚五郎のこたえに、デレクが眉をひそめる。
「甚五郎、あんた魔法は使えるんだろ?」
「いや、使えんぞ。精霊とやらも見たことがないし、魔力と言われてもなんのことやらさっぱりだ」
「……えっ!? だったら、どうやって治してるんだ!? いや、むしろどうやってあれだけの力を――え? 怖っ! え?」
「怖くなどありませんっ。ジンサマなら当然のことなのですっ」
なぜかシャーリーが得意げに胸を張った。
「すべては、お筋肉様のなせる技なのですっ」
「フ、その通りだ、シャーリー。美しき筋肉とは、如何なる剣よりも鋭く、如何なる盾よりも頑強で、如何なる薬よりも万能なのだ」
アイリアが半眼になってつるつるの頭皮を見つめ、冷たく言い放つ。
「……万能なら生やせばいいんじゃない」
「――うぐッ!? ……く……ぅ」
甚五郎の瞳が潤み、口がへの字に歪んだ。
「よせよ、魔人狩り殿。おれの魔力を利用した回復術でも、一度死んでしまった毛根を生き返らせることはできない。死者を生き返らせるなど、そうそう簡単にはいかないものだ。それに、他人の特徴をそうやって口に出すのはよくないぜ」
ぐうの音の出ない正論に、アイリアが肩をすくめる。
「ごめんね、ジンさん」
甚五郎がデレクに微笑みかけると、デレクは少し照れたように指で鼻を擦った。
「フ……」
「へへ……」
気を取り直したようにアイリアが両手をパンと合わせた。
「よし、じゃあ、とりあえずそれぞれの目的を整理するわね。メルはシャーリーを連れ帰りたいけど、方法がないから保留でいい?」
赤髪の騎士が視線を背けて小さくうなずく。
「やむを得んだろう」
「はい。じゃあ、ジンさんとあたし、それとシャーリーは、エリクサーを求めて魔人王に会いに行く。デレクは魔人王の討伐に向かう感じかしら。目的が違うから一緒には行動したくないわね」
「討伐ぅ? ブァカがッ!」
闇。廃宿の影が作り出す薄闇の中、それまで壁にもたれて動かず、ただ黙っていたヘドロがようやく声を出した。
「デレクっつったか? 身の程を知れやコラ? オウ?」
空気が張り詰める。
とたんにメルが赤熱の剣を抜――こうとした瞬間、デレクがその手を静かに押さえた。
「どういう意味だ?」
「てめえごときに勝てるわけねえっつーこった。かっ、あんにゃろう、思い出しても寒気がしやがるぜ」
甚五郎が口を開く。
「ヘドロ。貴様は魔人王と戦ったことがあるのか?」
「何度もな。だが一方的にやられるばっかりよ。ジンゴロ、おれ様はさっき両腕でてめぇの片腕を完璧に押さえ込んでやったがよォ、魔人王は腕どころか指すら押さえ込めねえ。押さえ込める自信もねえ。……古竜を数秒でくびり殺すようなやつはよォ」
ヘドロが緑色の気持ち悪い感じのする臭そうな汚らしい鱗のついたクソダサい右腕を、筋肉を軋ませながら肥大化させた。
それだけで廃宿に圧力が増す。
ただでさえひどく目つきの悪いヘドロが、さらに表情を険しくした。
「足りねえのさ。まだまだこんなもんじゃよォ。やつがその気になりゃあよ、シャナウェルもウィルテラもたった一晩で死滅させることだってできるぜ?」
「バカな。そんなことはおれがさせない」
険しい表情で吐き捨てたデレクを嘲笑うように、ヘドロが呟く。
「ジンゴロ、デレク、てめえらは確かに強え。おれ様と同等だと認めてやるぜ。娼婦――いや、魔人狩りか。てめえも足引っ張らねえ程度にゃやれんだろォがよォ、それでも魔人王とやる気なら、全ッ然足りてねえ」
ヘドロが角を失った額を押さえて、声高に嗤った。
「かかっ、ひゃはははははっ! エリクサーをもらう? 魔人王を討つ? 寝ぼけたこと言ってんじゃねえ。いいか? くたばりたくなきゃ、ゲオルパレスにゃ近づくなや!」
ヘドロが廃宿の窓枠へと片足をのせた。
シャーリーが呟く。
「ヘドロさん、それをわたくしたちに教えるためだけに、ここに……?」
ヘドロは渋い表情をしてこたえない。
「知るかよ。――忠告はしたぜ、ハゲ。じゃあな」
「待て、ハゲ魔人」
その言葉に、ふたつの怒気が急激に膨らんだ。
ベッドから立ち上がり、一瞬で筋肉を肥大化させた甚五郎がヘドロへと向けて拳を放つ。ほぼ同時に、同じく筋肉を肥大化させたヘドロが窓枠を蹴って甚五郎へと拳を放った。
ふたつの拳がぶつかり合い、轟音を響かせた後、暴風を巻き起こす――!
暴風は悲鳴を掻き消して、ぶつかり合った二体の怪物と勇者デレクだけをその場に残し、人も壁も等しく吹っ飛ばした。
「な――ッ!?」
デレクが驚愕に目を見開く。
互角――。
甚五郎とヘドロは、拳を突き合わせたままその場から一歩も動かず、同時に口もとを弛めていた。
「フ、また会おう。ハゲロよ」
「!? ヘドロだコラァ!?」
違う。ヘドリウヌス。




