ハゲ、もうわけわからんことになる
前回までのあらすじ!
勇者様暴走中!
アイリアの手数が増えてゆく。
瞳を上弦の月のような形状にして、口もとに笑みを浮かべ、左の妖刀でデレクの光の剣を押さえながら、右の妖刀をその首へと振るった。
「――ッ」
デレクが首を倒して妖刀をやり過ごし、肉体をぐるりと回転させて後ろ回し蹴りを放つ。低く跳ねて躱したアイリアへと、今度は光の剣を薙ぎ払う。
アイリアは身体を大地に倒して光波をやり過ごし、前の大きく開いたスカートを翻してデレクの腹部を蹴った。その瞬間、デレクの進行が初めて止まった。
かはぁ~と艶やかな唇から不気味な吐息が漏れる。
直後、跳ね起きたアイリアは両脚を限界まで曲げて、高く跳躍する。まるで野生の獣のような動きに、デレクの視線が初めて甚五郎から魔人狩りの女へと向けられた。
二振りの短刀を空からデレクの頭部に突き下ろすが、デレクは青白く輝く刀身でそれを受け止め、左腕一本で力任せにアイリアを再び空へと高く跳ね上げた。
「……!」
アイリアの肉体が空に弾かれた直後、デレクが浮いた彼女へと光波を放つ。
アイリアは空中で長い足を振った勢いで体勢を変え、かろうじて光波を躱し、両手両足をも使用して大地に降り立つ。
「す……ごい……」
シャーリーが大きく目を見開く。
片腕、利き腕の機能を失っているとはいえ、デレク・アーカイムは紛うことなき人類最強の勇者だと言われている。
だが、食い下がる――!
軽い身のこなしで光波を躱し、妖刀を振るい、スカートを翻して蹴りを放ちながら。褐色肌の娼婦は、この場に産まれた三体目の獣のように地を駆けるのだ。
あるいはデレク・アーカイムの利き腕が動いていたら、こうはならなかったかもしれない。けれどもアイリア・メイゼスは、二振りの妖刀を携えて踊り狂う。
だが、もはや彼女はデレクの左腕を狙ってはいなかった。首を、心の臓を、動脈を、正中を狙って短刀を振るっている。
殺すことは不本意なのだ。それでもやらなければならない。そんなことは見守ることしかできなくなったシャーリーにだって、わかっていた。
シャーリーはただ地面に立って歯がみする。力の無さを悔しく思う。甚五郎やデレク、魔人ヘドロはおろか、ライバルであるアイリアにさえも遠く及ばない。
戦いに加わることさえできない。
泣きそうな顔を上げた瞬間、ほんの一瞬だけ正気の瞳を取り戻したアイリアが、責めるような視線をこちらに向けた。
「……」
「あ……」
光波を躱し損ねたアイリアの左腕から、旅の服の布きれが焦げ散った。だが両足を大地につけると同時に、アイリアはデレクの心臓をめがけて妖刀をかまえ、走り出す。
腕。左腕――わざと?
意図を悟る。アイリアは躱し損ねたのではない。わざと掠らせたのだ。
左腕を狙え、と。自分が全身全霊で戦っているうちに、デレクの左腕を貫け、と。
決して手を抜いているわけではないだろう。そんなことをすれば殺される。つまりアイリアは、自分がデレクの命を絶つより先に、デレクの左腕の機能を奪いなさいと伝えていたのだ。
やる。やるしかない。そうでなくては、もうあの方との旅を続ける資格がない。
シャーリーが薄い胸に大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出した。緑の風が徐々にその色を濃くしてゆく。
「――お願い、シルフ。力を貸してください」
とてもではないが、混ざれない。あの剣戟には。ならば一瞬にかけるしかない。
アイリアがデレクの脇腹へと妖刀を突き立てるも、デレクは前蹴りで彼女の腹を押す。後方によろけたアイリアに、光波が飛ぶ。
アイリアが跳躍でそれを躱した直後、またしてもヘドロの背中に光波が直撃した。
「ぎゃああああぁぁぁっ!」
爆音が響き、魔人肉の焦げる嫌な臭いが漂った。
「あ……が……っ……」
ヘドロが白目を剥く。一瞬、甚五郎の左腕を拘束していたヘドロの緑色の両腕が弛んだ。
甚五郎が動き出す――!
だが。
「ッてえなコラァ……! ンのやろ、いい加減にしやがれてめェらコラァ! 次あたったらおれ様ほんっとに逃げッからなァ! ボケカスコラァッ!!」
ヘドロは背部から黒の血を流しながらも、必死の形相で叫んで甚五郎の左腕を再び深く抱え込んだ。
あちらも限界が近い。
シャーリーはレイピアの切っ先を高速で動き続けるデレクの左腕に照準し、膝を深く曲げた。
アイリアは曲芸のように飛び回り、次々と斬撃を繰り出している。その中心で、デレクは光の剣を振るう。
火花、音、呼吸――。
シャーリーが瞳をすぅっと細めた。緑の風がシャーリーの足下に集中してゆく。
つま先に体重をのせて、レイピアの刃に左手を添える。
集中。集中。集中……。
「ふー……ふー……」
右の妖刀を回避し、左の妖刀をデレクが青白き刃で受け止めた瞬間――!
風が吹いた。ほとんど無意識に大地を蹴ったシャーリーは、金狼をも凌駕する速度で一歩。たったの一歩で、長い距離を詰める。レイピアの切っ先を突き出しながら。
銀色の切っ先が、デレクの左上腕二頭筋を貫いた。
「……やった!」
だが、肉を貫いた細い切っ先などものともせず、上腕を引き千切りながらデレクがシャーリーの首へと刃を振るう。
アイリアの瞳が歪む――。
「シャ――ッ」
間に合わない。
だが、次の瞬間、青白き刃は赤熱の刃によって叩き落とされ、大地を光波で抉っていた。
「ハァァァ!」
燃えるような赤の髪をなびかせ、突如として躍り込んできた剣士――いや、騎士は、弧を描くように赤熱の剣を振るう。
デレクが、アイリアが、とっさに飛び退いて距離を取った。
そこにいたのは、シャナウェルの近衛騎士メル・ヤルハナだった。
「な、何事だ、これは!? なぜシャルロット姫と勇者殿が殺し合っている!?」
「メル!? デレクは正気を失っています!」
シャーリーの叫びに、メルがデレクに視線を向けた。
デレクは取り落とした光の剣を左手でつかもうとしているが、上腕部を貫かれているためか、血まみれの柄をうまくつかめずにいた。
メルが静かに呟く。
「サラマンダー。力を貸せ」
彼女の左手に小さな球体状の炎が浮いた。メルはデレクに歩み寄ると、その鼻先で炎を破裂させる。
瞬間、デレクがびくんと震えて、まるで深い夢から覚めたかのように、ゆっくりと視線を上げた。
針葉樹にもたれ、腰砕けとなって呟く。
「な、なん……だ……? おれは……何をしていた……? ――シャルロット……? そこにいるのはシャルロット姫か……?」
「話は後です、デレク」
シャーリーが胸を撫で下ろし、メルに告げる。
「メル、ジンサマにもお願いします。あの……色々あって恨む気持ちはわかりますが、どうか今だけは」
「……ご命令とあらば」
その段になって、アイリアがようやく二振りの妖刀を腰の鞘へと収めた。両膝をついて四つん這いとなり、全身から汗を流しながら胃液を吐き出す。
口もとを拭い、アイリアがメルに声をかけた。
「何……それ……? ジンさんに変なことしないでよ……」
「安心しろ、魔人狩り。精神のみに作用する炎だ。人をある程度なら操ることもできないではないが、正気に戻すこともできる」
呟きながら、ヘドロに拘束されていた甚五郎へとメルが歩み寄る。ヘドロとメルの視線が交叉した。
「く! ま、魔人ではないかっ! しかも貴様、羽毛田甚五郎に手を貸して先日シャナウェルを急襲した個体か!」
「ああ? さっさとやれやコラ? 殺すぞ人間コラァ!」
メルが不快そうな表情で、赤熱の刃をヘドロへと向ける。
シャナウェルの騎士と魔人は、種族の対立以上に互いを憎み合っている。
「おい、おいおいおいおいコラ! おま、何する気だコラァ!」
「決まっている。魔人は人類の敵だ」
ヘドロが緑色の汗をだらだら流しながら、涙目で首を左右に振った。
「バ、バカかてめぇ! 状況わかってんのかコラァ!?」
「メル! だめです! ヘドロさんは良い魔人さんですから!」
「あ~ん? 誰が良い魔人だとォォ? 勘違いしてんじゃねえぞボケ娘ェ! 適当なことぶっこいてっと、ぐちゃみそにしてやんぞコラァ!」
なぜか粋がってしまったヘドロの首筋に、赤熱の刃がわずかに触れた。じゅう、と黒煙が上がる。
「あひっ!?」
「貴様! たかが魔人の分際で、我が国の姫になんという無礼な口を――」
「あ、熱い! ちょっと、やめて、やめ、やめさせてくださいコラァ! おれ様が今ジンゴロを離したら、てめえらマジ全滅すっからなッ!?」
「ほんと、ほんとなんです、メル! その魔人さんの言うことを信じてください! デレク同様、ジンサマも正気を失ってます!」
メルの問いかけるような視線にシャーリーがうなずいた後、メル・ヤルハナは大きなため息をついて左手に炎の玉を浮かべた。
甚五郎の鼻先で、炎の玉が弾ける。
甚五郎の全身がびくんと震えた。血と傷だらけのハゲ頭をぶるんぶるんと振って、視線を周囲に散らす。
「……む? ん?」
「お……? ジンゴロ、ようやく正気に戻りやがったかよコラァ」
ヘドロがわずかに笑みを浮かべた。
「ヘドロか?」
「へへ、よせやい、礼なんざいらね――」
ヘドロがようやく甚五郎の左腕を拘束していた両手を弛めた瞬間、甚五郎は緑色の頭部を鷲づかみにして、高く持ち上げる。
「貴ッ様ァァ、このハゲ魔人がッ! いきなり何をするかぁぁぁぁッ!!」
「おへ? あっ!? ちょ――っ!?」
怒号一発。ヘドロの頭部を針葉樹林の大地へと叩きつける。
どごん、という凄まじい音と震動がした後、ヘドロは上半身を樹林の大地に埋め込まれていた。
「まったく。ヘドロめ」
シャーリーとアイリアが同時に白目を剥いて、半身を埋めた緑色魔人に合掌する。ごめんなさい、と心の中で謝りながら。
「……油断も隙もない……魔人…………だ………………」
力を使い果たしたのか、甚五郎がその場で前後に揺れて、突然樹林の大地に背中から傾いた。
「ジンサマ!」
シャーリーが大あわてで駆け寄って甚五郎の巨体を全身で受け止め、ゆっくりと大地に寝かせる。
数秒後、シャーリーの膝にハゲ頭をのせて、甚五郎は静かに寝息を立て始めた。
メル・ヤルハナは眉をひそめて視線を回す。
数百名もの王国騎士を張り倒した大犯罪者、羽毛田甚五郎。
シャナウェル王国の姫、シャルロット・リーン。
行方不明だったはずの伝説の魔人狩り、アイリア・メイゼス。
魔人王を屠るために旅立った大陸最強の勇者、デレク・アーカイム。
王国騎士数十名をわずか数十秒の間に薙ぎ払った緑色魔人、ヘドロ。
古竜種に次ぐ巨額の手配魔獣、金狼。
その背に乗っているのは魔人と人間のあいの子のようだ。
人間。魔人。魔獣。性別や種族はおろか、正義と悪までごちゃ混ぜだ。
メルが指先でこめかみを押さえ、うめくように呟いた。
「……何がどうなってこのようなことになっているのだ……。まったく、貴様らと関わっていると、わたしの頭がおかしくなりそうだ……」
なんかもうごめんな、ヘドロ……。




