ハゲ、しばし髪のことを忘れる
前回までのあらすじ!
ハゲVS金髪ロン毛、頂上決戦!
辿り着く。金狼の背に乗った幼い少女の案内で。
けれども眼前に広がったその光景は、まるで小さな頃に寝物語で読み聞かされた、神々の戦いの様相を呈していた。
「やめてぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
少女の声は届かない。
シャナウェルの森の守護獣である金狼は尾を丸めて震え、百戦錬磨魔人狩りの娼婦ですら息を呑んで立ち尽くす。
デレクの顔面を大きな手でつかみ、甚五郎が雄叫びを上げながら後頭部を割れた岩石へと叩きつける。
ぐしゃり、と嫌な音がしてデレクの背部から血液が散った直後、光の剣が甚五郎の胸部を灼き斬って巨体を大きく吹っ飛ばす。
「ぐぅ……!」
甚五郎の類い希なる――否、でたらめとも言える筋肉がなければ、肉体は今の斬撃で真っ二つだ。だが、強固な鎧にも似た筋肉は斬撃を防ぐ。
何本もの針葉樹林を背中で折って大地に転がるも、甚五郎は片手で跳ね上がって両足を大地につけ、走り迫っていたデレクの追撃を躱すと同時に肘をその背中に叩きつけた。
血を吐き、うつ伏せとなってデレクが大地で跳ね上がって勢いのままに転がる。
「~~ッ!」
「――ッ!」
雄叫び。違う。そのようなものなど、とうの昔に尽きていた。気合いの声も、痛みによる悲鳴やうめきも、強がりさえすでに出てこない。
声はない。ないのだ。風の音よりも響かない。
戦いを止めようとする、銀髪の少女の声以外は。
「もうやめて! やめてください!」
むろん、届かない。目の前にいる獲物以外のすべての情報を遮断した、二体の獣には。
魔人狩りの女が腰に差さったままの妖刀の鞘に両手をあて、歯がみする。
動けない。手出しなどできようはずもない。光の剣や光波はもちろんのこと、拳や蹴りであってすら、触れれば即死する。
桁が違う。
へし折れた巨大な針葉樹を片足で蹴り上げて、甚五郎が右脇に抱えた。高く持ち上げ、大地に転がったままだったデレクを叩き潰すべく、躊躇なく振り下ろす。
だがデレクはそれを横に転がって躱すと、下半身を振り上げた勢いで立ち上がって光波を放った。
光をまとう巨大な刃が甚五郎の腹部へと迫る。
回避は間に合わない。寸前で判断した甚五郎は、光波を右肘と左膝で挟んで受け止め、力任せに消滅させる。その腕が、膝が、光に浸食されて焦げ付く。
それでも。
声なき嗤いが響く――。
禍々しき鬼神のような甚五郎の笑みと、悪魔のごとき凄惨なる表情をしたデレクの笑みが、静かに交叉する。
戦場が静まったほんの一瞬、二体の獣を止めようとして飛び出しかけたシャーリーを、アイリアが両手でつかんだ。
「だめ!」
「なんで止め――!?」
シャーリーがアイリアを睨みつけた直後、再び甚五郎とデレクが地を蹴って激突した。空気が激しく波打ち、針葉樹が微震に揺れる。
「だめよ。飛び込んだら殺される。今のジンさんは、あたしたちのことさえ見えてない。……あたしたちだけじゃ止められない」
金狼は尾を丸めたまま後ろ脚を震えさせ、今にも腰を落としてしまいそうだ。その背中のルーは、不穏な空気を感じて泣いている。
デレクの蹴りを側頭部に受け、甚五郎が大きく吹っ飛ばされた。その甚五郎へと向けて、デレクが光波を放つ。甚五郎は砕けた岩石の塊を片手で引き寄せて盾にし、光波を防ぐと同時に、切断面が灼けて赤く変化した岩の塊をデレクへと投げつける。
砕けた岩の欠片ひとつ――たったひとつ直撃しただけでも、シャーリーの肉体などあっさりと壊れてしまうだろう。
飛び込めるわけがない。
でも、だからといって。
シャーリーが叫ぶ。
「だったらどうすればいいんですかッ! このまま指をくわえてどちらかが死ぬのを待つくらいなら、行きますっ!」
「だめだって言ってるでしょ! 足りないのよ!」
「……足りない?」
シャーリーの問いに、アイリアが爪を噛んで悔しげに呟く。
光の剣が甚五郎の右腕を貫き、血液が噴出した。だが、甚五郎は怯むどころか左の拳を持ち上げ、デレクの右腕を叩き折る。
ぶつん、と骨の千切れる嫌な音がして、デレクの右腕から光の剣がこぼれ落ちるも、デレクはそれを左手でつかみ、甚五郎へと逆袈裟に振るった。
甚五郎は貫かれた右腕の傷を押さえながら、バックステップで距離を取る。
互いに右腕の機能を失ってすら、異様な笑みは絶やさない。
「あんたとあたしなら、あの若い男を正気に戻すことができる。でも、ジンさんのほうは無理」
「どうしてですかっ!」
「相性が悪いのよ! 正気に戻すには動きを拘束する必要がある! あんたにそれができるっ!? あの怪力をどうやって止めたらいいのよ!」
シャーリーが絶句する。
右腕をだらりと下げた獣が二体、再び交叉した。血液が弾け飛び、周囲の地形をどんどん変えてゆく。
「でも……だって……こんな……」
命が徐々に肉体が弾け飛んでゆくのがわかる。少しずつ、少しずつ。
シャーリーがうつむいた直後、どこかから舌打ちが聞こえた。アイリアが針葉樹の枝に視線を跳ね上げ、とっさに妖刀を二刀引き抜いた。
「く、こんなときに――ッ」
緑色の魔人ヘドロだ。
ヘドロは遙か高所から飛び降りると、音を立てず静かに着地した。
「へっ、なんだオイ。てめえ、今日はまともじゃねえかよコラ。まァ、まともじゃあねえのもひとりいやがるが」
ヘドロが鬼神のような表情をした甚五郎へと視線を向けて吐き捨てた。
「バカが。もう一匹は勇者デレクかよ。人間同士で何やってんだ」
「……何しに来たの? 絡むつもりなら殺すけど?」
アイリアから殺気がみなぎる。
けれどその横からシャーリーが飛び出して、ヘドロの前で両膝を折った。
「ちょ、ちょっと、キティ?」
「助けてくださいッ! ジンサマを止めてくださいッ!」
ヘドロが両腕を組んで顔を勢いよく背ける。
「ハッ、やなこった!」
「お願い……お願いします……」
「冗談じゃねえ。こちとら魔人王様を狙う勇者と、恨みの積もったジンゴロが相打ちになってくれんなら万々歳だ。いい気味だぜ。――そのままくたばっちまいなッ!!」
シャーリーが地面に額をあてる。
「お願い……」
風が吹いた。嫌な風だ。鉄さびのような臭いをのせた、腐った風だった。
ヘドロが角のない頭を掻いて、小声で吐き捨てる。
「……じゃねえだろ」
「え?」
シャーリーが顔を上げる。
「そうじゃねえだろうがッ! さっさと言えコラァ! てめぇバカかッ! オラ、早く言いやがれクルァ!?」
「え、え?」
戸惑うシャーリーを尻目に、アイリアが眉をひそめて妖刀を持ち上げる。
「もういい。殺そう、キティ。こいつ、うるさい。思考の邪魔になる」
「ああ!? ンだとコラァ?」
アイリアに向けられたヘドロの視線に殺気が満ちた瞬間、シャーリーが目を見開く。
「あ……っ!」
シャーリーが早口で言い放った。
「ヘドロさん、負けっぱなしでいいんですか!? 全力のジンサマと戦いたいんじゃなかったんですか!?」
「そう! それだよそれェ! ……そうなんだよなァ。おれ様、非っ常ぉ~に残念ながら全力のジンゴロをぶっ殺がしてやりてェんだよ。横髪を引き抜いて、後ろ髪も引き抜いて、泣いておれ様に謝るジンゴロの首を最後にズッポシ引き抜くのが望みなんだよなァ」
ヘドロが神に祈るように両手の指を組んで、手首をくるくると回した。
「しゃーねえなコラァ。かわいい凶暴なやつも今はおとなしいことだし、嫌々助けてやらァ――」
「うっさい! 女々しいことごちゃごちゃ言ってないでさっさと行けバカ!」
「ンだとコ――」
いったん距離を取ったアイリアが、ヘドロの背中に向かって走り、両足をそろえて跳躍する。
「はぁぁぁ! ――ハゲタ式殺人術の真似、三二文ロケット砲!」
アイリアの跳び蹴りがヘドロの背中へと炸裂した。
「おぐぁ!? てて……っ」
軽く前によろけたヘドロが、とてとてと走りながら甚五郎の前へと飛び出した。
そうして甚五郎の左腕を両手でつかみ、動きを拘束すべく跳躍と同時に両足を振り上げて首へと巻き付ける。
右腕は使えない。左腕の関節を決めてしまえば、甚五郎は事実上戦闘不能となる。
「くかかッ! よォ、ジンゴロ、ついにトチ狂いやがったか! いい気味だぜェ!」
「……!?」
甚五郎が、首に取り付いたヘドロの重量でぐらつく。
だが、その甚五郎とヘドロへと向けてデレクが光の剣をかまえ、走り出した。
「うわ、わ、おい~~~~~~~~~っ!? そ、そいつなんとかしろコラァ!」
「わかってるわよ! キティ!」
「はいっ!」
緑の風を足下に発生させ、シャーリーが凄まじい速度でデレクの前へと飛び出した。触媒レイピアで光の剣を受け止め、しかし身体ごと弾き飛ばされる。
「きゃあっ」
「上等!」
シャーリーが稼いだ時間は一瞬。けれど、それで十分だった。一瞬遅れで飛び込んだアイリアが、右の妖刀で光の剣を弾く。
だがデレクは弾かれた勢いのまま身体を回転させ、アイリアに背中を向けてから光の剣を逆方向から薙ぎ払う。
「く……!」
アイリアが光を放つ刀身ではなくデレクの腕を蹴って斬撃を止めた。刀身を受けても、発生する光波が防げないからだ。
それでもデレクの突進は止まらない。勢いこそ弱まったものの、正面からまとわりつくアイリアを引きずるように、デレクは拘束された甚五郎へと近づいてゆく。
「おい、おいおいおいおいおい! コラ娼婦コラァ! しっかり止めろよォ! おれ様まで死んじゃうでしょォォ!?」
「うっさい黙って……ッ!! キティ、左腕狙って!」
「は、はい!」
シャーリーが立ち上がり、デレクの左腕を狙ってレイピアを刺突する。しかしデレクは半分意識を失いながらもレイピアを切っ先を蹴り上げ、光の剣を横薙ぎに払った。
「きゃああぁぁっ」
アイリアがとっさに屈んで回避する。
「おわーっ!?」
ヘドロの背中に光波が直撃し、一瞬息を呑んだ。しかし。
「バカ、バカ、ほんとに死んじゃうだろォォ? おれ様、いざとなったらジンゴロ放っといて逃げっからなコラァ娼婦コラァ!?」
無事だ。もちろん、ヘドロを盾にしている甚五郎も。
頑丈な魔人だったことが幸いした。ヘドロの皮膚は灼け焦げながらも、その傷は浅い。
「だめ、止まらない……!」
「ジンサマ、ジンサマ……!」
正面からアイリアが妖刀で、側面からレイピアでシャーリーがデレクの左腕を集中して狙うも、さすがは人類最強の勇者と称される存在。小傷こそ付けられても、機能を奪うまでには至らない。
しかも、片腕を失った状態でだ。魔人狩りと恐れられた女を相手に。
アイリアが悔しげに顔を歪めた。そうして強い意志を込めた瞳で呟く。
「ごめんなさい。救えない。今からあなたを殺す――」
その瞳の形状が変質してゆく。まるで妖刀に取り憑かれたかのように、不気味に。
魔人の扱いェ……。




