ハゲ、貫くべきは漢の意地
前回までのあらすじ!
武器商人のおっちゃんを釘のように床に刺しちゃったぞ!
型にはまった暮らしにはうんざりだった。
ガキの時分にゲオルパレスという約束されし安住の地を捨て、人の王が勝手に定めた種族領域を冒し、腕一本で思うがままに振る舞ってきた。
人も魔人も亜人も魔物も関係ねえ。
王国騎士を好き放題ぶん殴り、魔法使いを正面からぶっ飛ばし、冒険者ギルドの名のある賞金稼ぎどもを血祭りにして、凶暴で低脳な魔物どもを食い散らして生きてきた。
王に従えなどと、誰が決めた?
その地に根ざせなどと、誰が決めた?
神を崇めろなどと、誰が決めた?
安寧を求めろなどと、誰が決めた?
ハッ、くだらねえ! 何もかもがくだらねえ!
世界に出てみろ。
照りつける太陽の乾き、うねり狂う大海原の深淵、天を駆ける雷光の轟音、暴風の声すら嘲笑う大いなる大地――。
欲しいものはすべてここにある! わかるか?
てめえの限界を決めるのは、てめえ自身だ。魔人の王や人の王がもたもたしているうちに、おれ様はすべてを手に入れてやる。金も女も地位もだ。
てめえらはせいぜい残りカスでも抱きしめて眠っていろ、愚図どもが!
「そう思っていた時期が、おれ様にもありました……」
揺れる湖に寝ぼけ眼の顔を映して、魔人ヘドリウヌスは己の額に緑色の手をあてた。ひとりごとだ。誰も聞くものなどいない。
指先は、つるり、つるりと肌を滑るばかりで、今日も尖塔形の角が復活する気配はない。それどころか、毎晩、やつへの怒りがわいて眠れないためか、目の周囲にクマまでできてしまう始末だ。
ヘドリウヌスは大きなため息をついた。
清浄な水を片手ですくい、清潔に保つべく頭皮寄りの額を洗う。優しく、決して擦ったりせぬよう、そっと。
だが――。
「く、なぜだ……ッ! なぜ生えやがらねえ……ッ!」
何度も、何度も、水で手を浸しては額にあて、指先でとんとんとんと刺激する。
この世界の何もかもを手にするために旅立ったというのに、娼婦の愛すら手に入れられなかったどころか、角まで毟り取られた。
あの、ジンゴロとかいう野郎に――!
やつはおれ様の欲しいものをすべて持っている。金も、女も、少ないながら頭部から生えるモノでさえも。
その上、力まで負けるのか!? くそがッ、冗談じゃねえッ!
ガギィと歯を食いしばり、拳を握りしめる。
「人間ごとき劣等種が……ッ!」
緑色の鱗で守られた右腕の筋肉が膨張し、大きく肥大した。
あの夜。娼館街でジンゴロに敗れ去った夜以来、肉体を鍛え続けた。これまでは魔人のなかでも類い希とされていた才能と、産まれもっての筋力のみで戦ってきたが、今は違う。
肉体を鍛え、思考し、技を編み出した。
体内に循環する魔力を右腕へと収束させてゆく。
「すぅ……っ」
ヘドリウヌスは両脚をわずかに開き、裸足の指先で大地を強くつかむ。長く息を吐いて呼気を整え、胸一杯に吸い込むと同時。
「ハァァァァ――死ねコラァッ!」
左脚を踏み込みながら湖の水面と平行するように、右の拳を放った。
直後、湖面が爆発する。
暴風が巻き起こり水面が白の泡を大量に立てながら、高く高く。ヘドリウヌスの身長をも超える水柱が、湖面をふたつに割って遙か遠方にまで到達した。
ふたつに割れた湖面が水面へと戻る頃には、ヘドリウヌスはすでに呼気を整えて腕を下げ、不敵な笑みを浮かべていたのだった。
遅れて、湖の水が雨のように降り注ぐ。
「くく、この前までのおれ様だと思うなよ、ジンゴロ……」
必ず勝てる。確信がある。だが、問題はあのかわいい凶暴なやつだ。
ジンゴロに近づき過ぎると、必ずといって良いほどにどこからともなく現れ、頭から囓られ、振り回されて玩具にされ、気づけば気絶させられている上に、どこかの山奥とかゴミ集積場とか谷底とかに捨てられているのだ。
正直なところ、今ならばかわいい凶暴なやつにだって負ける気はしない。だが、どうにも気が乗らないのだ。
魔物など、これまでも散々ぶっ殺して食い散らしてきたというのにだ。
「だってあいつ、かわいいんだもんな~。すんげえ凶暴だしィ~……」
可能であれば殺したくはない。むしろジンゴロの動きを奪って残りの毛を一本ずつじっくりコトコト煮込むように引っこ抜き、絶望と失望のなかでぶっ殺した暁には、あいつを飼ってやろうとさえ思っている。
おれ様を見ると尻尾を振ってやがるから、あいつもおれ様のことが好きに違えねえぜ、などと、極めて自分にとって都合の良い妄想をしながら。
ヘドリウヌスは歩き出す。
「今日がてめえの最後の日だぜ、ジンゴロ……」
昨夜捕らえて喰らった牛頭の怪物ミノタウロスの大腿骨を持ち、まだ血の滴っている巨大な脚部を、棍棒のように無造作に振り回しながら。
丘を下る。
ウィルテラ南門は、いつもまばらだ。商業の中心地である港湾都市とは言っても、これより南方に存在する都市は魔人の国でしかない。
対立する種族同士、裏の小さな取引は常に続いているものの、国をあげての大きな取引は存在しない。
ゆえに、商人らが南門を使用することは、滅多にないのだ。
南門を守る自警団の目の届かないところまでいけば――。
丘を下ったヘドリウヌスは、三人の旅人の前で立ち止まった。
ひとりは大男。真昼の陽光を頭皮で反射させ、こちらを見るや否やその全身から魔力にも似た殺気を放った、人間のなかの突然変異種。金も女も頭皮から生えるモノも、何もかもを持つ男。
「フ……、ヘドロか」
「誰がヘドロだコラァ! おれ様の名はヘドリウヌスだコラァ!」
ひとりは小娘。こちらを見るや否や、このおれ様に馴れ馴れしく笑みを浮かべたやつ。
ちっ、シャナウェルでの助太刀に感謝してそうなのは、こいつだけかよ。あんな気まぐれ、起こすんじゃなかったぜ。
やめろ、そんな無邪気な笑みで頭なんざ下げてんじゃねえよ。
「あ、あの、ヘドロさん。あのときは……その――」
「けっ! 勘違いしてんじゃねえぞガキィ? おれ様はあの騒ぎにかこつけて、てめえらをぶッッッッ殺がしてやろうと思ってただけよォ!」
「え……、で、でも。あのときジンサマに、勝手にくたばられちゃあ困――」
やめてええええ! ジンゴロに聞かれちゃう!
銀髪をかわいらしく揺らしておずおずと吐かれた言葉を遮って、ヘドリウヌスは口を開けた。
「あと! おれ様はヘドロじゃねえ。ヘドリウヌス様だ。次間違えたらてめえも殺す」
おいおい、傷ついたような顔すんなよ。おれ様が悪いみたいじゃねえかよ。心がよォ、痛えんだよォ? 魔人だってよォ? なんかごめんねぇ!
もうひとりは一対二振りの短刀を抜いた美しき娼婦。
くう、今見てもいい女だぜ。……だが、おい。なんだ、あの不気味さは。娼館街で弄んだ頃とは別人のような表情をしている。目の周囲が曇ってるし、目は濁ってるし。
嗤った。口もとだけで。怖っ!
おいおい、なんで刀身べろべろ舐めてんだよ。おまえ怖えよ。どうなってんの? シャナウェル出てから、てめえにいったい何があったと言うの? ただの娼婦じゃなかったの? ねえ、お願いだからなんか喋って!?
ただの娼婦が凄まじく不気味な微笑みを浮かべてまま、だらりと短刀を持った両手を提げ、じゃりっと一歩街道の砂を踏みしめた。
「ンだてめえ、おれ様とやろうってのか? ああンッ!?」
美しかった娼婦の瞳が、上弦の月のような不気味な形状に変化する。
「……ァ、ァ、ァ、ァ、ッ……ァ……」
今度は声に出して嗤った。喉からほんのわずかずつ、空気を出すようにして。
ひぃっ!? なにあれ? すげえ嫌な予感がしやがるんですがッ!? 絶対なんかおかしな状態になってんだろ、あの女ッ!? ジンゴロのやつ、気づいてねえの!? ゾンビみてえな声出してんぞ!?
思わず身構えかけた瞬間、甚五郎の手が娼婦の肩にのせられた。
「フ、下がっていろ、アイリア」
瞬間的に濁っていた瞳に正気の光が戻った。
「あら、いいの? まあ、ジンさんが負けるとは思ってないけど」
そう言って、娼婦は二振りの短刀を腰の鞘へとあっさり戻す。
なんでだよ! なんでだよ! おまえの仲間絶対おかしいよ!
「私と決着をつけにきたのだろう、ヘドロ」
ヘドリウヌスが一度空を見上げて、悟りを開いたような表情をした。
呼び方などでいちいち腹を立てていては、いつまでも話が進みそうにない。
「……色々不満はあるがよォ、なんかもうヘドロでいいやぁ。そのとおりだぜ、ジンゴロ。おれ様はてめえに角を奪われたあの夜から、強くなった。鍛えに鍛えてな」
「そうか。ならばかかってこい。貴様の角を奪い取った私には、その挑戦を受け続ける義務がある。背負おう。その罪を――」
そうこなくっちゃよ。ほんと言うとよ、嫌いじゃねえぜ、てめえのこと。へへ。おれ様に兄弟ってもんがいたらよ、きっとこんな気分だったんだろうよ。
口には出せないことを考えて、ヘドリウヌス改めヘドロが微かな笑みを浮かべた。
「へへ……」
「フ……」
ヘドロが右手に持った巨大なミノタウロスの脚部を鈍器のように取り回し、大きく腰を回して背中まで引いた。
「くかかっ、出し尽くそうぜェェェ、ジンゴロ!」
「応! いつでも来るがいい、ヘドロ!」
互いの筋肉が膨張し、高熱を発し、白煙を上げた。甚五郎の革靴が、ヘドロの裸足が、同時に大地を強くつかむ――!
――ウォウ!
ヘドロの肩がびくん、と跳ね上がった。
「邪魔が入ったぜ。ちょっと待ってろ、ジンゴロ」
「よかろう。好きにするがいい」
振り返ると、そこには尻尾を千切れんばかりに振っている金狼の姿があった。
「へへ、かわいい凶暴なやつぅ。やっぱ来やがったかよ? だが、おれ様だってそう何度も囓られてばっかじゃねえぜ。今日はよ、てめえに土産を持ってきたのよォ」
ヘドロは甚五郎に背を向けると、右手に持っていた身の丈ほどもあるミノタウロスの脚部を軽く振って見せた。
――ウォフ!? ヘッ、ヘッ、ヘッ、ヘッ!
とたんに金狼リキドウザン先生がお座りをして、舌なめずりをした。
「どうよ! うまそうだろうがよッ! てめえのためによォ、おれ様が狩ってきてやったのよォ! コレステロールも脂肪もたっぷりだぜぇ? ほれ、ほれ、食いてえか? 食いてえだろォォ?」
ヘドロが左右に肉塊を振るたび、リキドウザン先生の視線も左右に揺れる。
勝機――!
「おらよォ! 取ってこぉぉぉ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ぃ――ンゴルアァァッッッシャァァァァッ!」
足を大きく振り上げ、腰をねじり、海側とは反対の丘方面へと、ヘドロが全力投球で肉塊をぶん投げた。肉塊は血を滴らせながら凄まじい勢いで空を駆け、丘向こうの窪地へと向けて飛んでゆく。
――ウォッフゥゥ~ン!
直後、リキドウザン先生の後ろ脚が大地を蹴った。金色の巨体が嬉しげに空を舞う。
へっ、しょせんは獣よ。飛距離は十分。あの大きさの塊なら、食い切るまでに時間もかかる。これでもう、ジンゴロとおれ様の戦いを邪魔するやつぁいね――ぇ?
そんなことを考えて甚五郎へと向き直ったヘドロの視界が、一瞬にして闇に包まれた。ぬめぬめした涎臭い空間に閉じ込められ、胸と背には刃を突き立てられるかのような痛みが訪れる。
「ひぎぃぃぃぃッ!? イダダダァ~~~イ! あぎぐぎぃぃ!?」
――ウォフ♪ ウォン♪
「あ、あ、あぁぁぁぁもおおおぉぉぉ――――………………」
そうしていつものように連れ去られ、気絶するまで囓られた後、どぶのような沼に半身を沈められた状態で、ヘドロは身を起こした。
辺りはすでに闇に包まれていた。
……その日、ヘドロは泣いた。
犬まっしぐら。




