ハゲ、ハゲvsハゲ魚
前回までのあらすじ!
た~のしいた~のしい、ピィィィィクニィィィィッッッックゥゥ!!
甚五郎が砂浜を蹴るたびに、その足下で砂がまるで爆発でもしているかのように高く跳ね上がった。
「うぬぅぅぅぅ――ッ! シャーリーッ!! 後ろだッ!!」
海水に腰まで浸していたシャーリーが、満面の笑みで振り返って手を振った。
「……く、気づかんかっ」
鬼面となって身を低くし、前傾姿勢でさらに疾走速度を上げる。筋肉だるまのハゲオヤジの疾走力としては、若干気持ち悪いくらいだ。
視界のなかでは、水辺で戯れる乙女の背後に大口を開けた怪物が沖合から迫っていた。大人ひとり分はあろうかという巨大なヒレはおろか、分厚い皮で包まれた胴体の半分まで水面から出し――!
叫ぶ。声の限りに。
「シャァァーーーーリィィィーーーーーーーー! 逃げろッ、逃げるのだッ!!」
サメ。それも、幼少期に映画でしか見たことがないほどの巨体を持つ怪物。
銀髪の少女は、ハゲのただならぬ様子にようやく気づく。腰まで海に浸かっていたシャーリーがあわてて陸へ上がろうともがき始めた。
「――ッ!?」
間に合わない。シャーリーが瞳を閉じて両手を交叉した。
むろん、そのような細腕での防御などに意味はない。組み敷かれれば、あるいは噛み付かれれば、あっさりと彼女の肉体は肉塊へと化すだろう。
それほどまでの体躯の差があるのだ。あのサメと小娘では。
サメは浅瀬などものともせず、その腹で海底の砂を抉りながらシャーリーの背後からのこぎりのような歯を突き立て――る直前、輝くハゲの筋肉が美しく躍動した。
「羽毛田式殺人術のひとつ、拳骨スクリュー・ドライバーッ!!」
鍛え抜かれたハゲの裸体が、青空の下を華麗に舞う。きらきらと頭皮と汗を反射させ、肉体をスクリューのごとく回転させながらシャーリーを飛び越えて。
「とぉぉ~~~~ぅ!!」
ハゲの拳がサメの脳天へと突き刺さる。
だが、たわんだ。サメの大口こそシャーリーから逸れて海底を抉らせたものの、甚五郎の拳はまるで分厚いゴムの塊でも殴ったかのように、その弾力に跳ね返されてしまったのだ。
海面が爆発し海水が飛散する勢いで、シャーリーが砂浜のほうへと波に押し出された。
「きゃああああっ!」
だが、サメの頭部で跳ねた甚五郎の身体は、その勢いのままに沖のほうへと投げ出される。
「ジンサマッ!!」
どぼん、と甚五郎の全身が海中に沈んだ。
空気の泡に視界を遮られた瞬間、甚五郎の真横を巨大な何かが通過した。先ほどのサメだ。
泳ぐサメの勢いに巻かれて、甚五郎の巨体が海中で大きく揺らいだ。
ぬぅ……!
でかい。甚五郎の肉体の、ゆうに倍はある。小型の船程度であれば、その大口で喰い破ってしまいそうなほどに。
陸を目指して泳ぎ始めた甚五郎を品定めするように、巨大なサメがその周囲を泳ぎ、行く手を阻む。
く……!
サメは何度か甚五郎の肉体に己の肉体を並べたあと、格下と判断したのか突如として牙を剥いた。
甚五郎すら丸呑みにしてしまいそうな大口を開けて、正面から襲いかかってきたのだ。
とっさに右手の指をたたんで、海中で迫り来るサメの鼻面へと、掌打を叩き込む。
――昇天張り手!
だが、踏ん張りもなく水の抵抗のある海中では、さしもの殺人術といえど効果は半減する。直撃したにもかかわらず、倒れるどころか怯みもせず、サメは直進する勢いのまま甚五郎を跳ね飛ばした。
サメの弱点は獲物を捕らえるための感覚器官がある鼻だ。それを知っていたからこそ狙ってはみたものの、このバカげたサイズの個体では、どうやら効果は望めないらしい。
水中で前後左右を見失い、甚五郎の肉体が海底の砂を巻き上げて浮かんだ。
視線を散らして水面を見上げると、先ほどまでよりも高い位置にあった。どうやらずいぶんと沖のほうへ押し出されてしまったようだ。
呼吸をすべく、大急ぎで浮上する。
だが、海面から顔を出した瞬間、同じく海面から跳ね上がったサメの降下攻撃を受けそうになり、あわてて首を引っ込めた。
「ぬぁッ!?」
サメの着水と同時に海面が爆発し、泡だらけの海中を甚五郎の鍛え上げられた肉体が為す術もなく押し流され、回転する。
かろうじて空気は吸えたが、どうしたものか。
海中を漂い、今や完全に甚五郎を餌と決めたサメへと視線を向ける。考える暇もなく、周囲を泳いでいたサメが再び牙を剥いて直進してきた。
……ッ!
肉体を背後に倒して大口をやり過ごすと同時に、渾身の力を込めた右脚でサメの腹を強く蹴り上げる。
どむ、と鈍い音が響き、サメは少し嫌がるように身をよじらせはしたものの、やはり致命傷はおろか撃退することもできない。
それどころか――。
サメは獰猛さを増して、怒りを露わに先ほどまでよりも激しく襲いかかってくる。
全身を大きく曲げて進行方向を変え、前後左右に上下まで加え、すべての方角から遠慮も何もなく牙を剥く。いかに地上で無敵を誇るハゲとはいえ、これには為す術もない。
ちぃ……!
尖った歯が腕を掠め、赤い血が海中に散った。
その瞬間、サメはさらに狂ったように全身を躍動させる。大口をかろうじて躱した甚五郎を尾ひれで叩きのめし、頭部から丸かじりにしようと上方から迫った。
~~ッ!?
とっさにサメの頬を叩き、その反動で身を躱す。
ごぉっと水の流れが変わって、再び為す術もなく甚五郎の肉体が回転した。
一度噛まれれば終わりだ。このとんでもない大きさを誇るサメの顎は、おそらくリキドウザン先生の咀嚼力をも凌駕しているだろう。
頭皮どころか首ごと持って行かれかねない。
だが――。
甚五郎が立ち泳ぎで両腕を大きく広げ、血走った瞳を見開いた。
貴様、今、私の頭皮を狙ったな……。
ごぼり、とその口から大きな泡が溢れ出る。
鱗すらないハゲ魚の分際で、生意気にも我が頭皮に生きる長き友らを狙うとはな。……ふ、わかっているさ。嫉妬だろう。貴様はうらやましいのだろう。
――私の髪がァァッ!!
両手の指を海中で鳴らして、ハゲたサメへと甚五郎は優越感に満ちた嘲笑を浮かべる。
ならばかかってこい。そろそろ決着をつけようではないか。
過度な酸欠状態に陥ったためか、かなり珍妙な妄想をして見当外れなことを考えた甚五郎へと、巨大なサメが再び大口を開けて迫った。
貴様の動きはすでに読めている!
獲物を狩る際には直進からの攻撃だ。腕も足もないサメは、牙でしか獲物を仕留めることができない。
そうとわかっていれば、たとえ水中といえども回避は難しくない。それはむろん、人並外れた胆力と鍛え上げた肉体への自信に満ちた羽毛田甚五郎という人物であるからこその分析ではあるのだが。
甚五郎は迫り来たサメの顎を脚で蹴って反動で身を背後に倒し、大口をやり過ごした瞬間に右腕を勢いよく突き出した。
指をわちゃわちゃと動かしながら突き出された腕は、まっすぐにサメのエラのなかへと侵入し、呼吸器官を力強くつかむ。
サメの動きが変わった。あきらかに先ほどまでとは違い、全身をくねらせてどうにか甚五郎を振り解こうと海底へと向けて舵を取る。
ぐぅ……!
甚五郎はもう左手でエラの表面をつかみながら、右腕をぐじゅぐじゅとさらに奥深くへと侵入させてゆく。
内部器官をつかみ、握力で握りつぶし、引き千切って捨て、また突き入れてはかき回し、つかみ、そして引き千切る。
サメは狂ったように動き回るが、寄生した甚五郎は決して離れない。
私の呼吸が尽きるのが先か、貴様の命が尽きるのが先か――!
胸躍る。四角いリングの上で肉体の限界を超えて戦っていた頃よりも、さらに。敗北が死に直結するこの戦いを、絶対的不利な状況ですら楽しいと感じていた。
まるで伝説の狂戦士のごとく、己の死の間際で相手を破壊し続ける。不敵な笑みすら浮かべてだ。
やがて、サメから抵抗する力が失われてゆく。それでも甚五郎は、サメのエラから頭部を抉り続けた。
数十秒後、海底深くへと引きずり込まれていたはずの甚五郎の頭部は、太陽の光を受けて水面で燦々と輝いていた。
サメを仕留めたハゲが、その巨体を引き上げたのだ。遙かな海底から、煌びやかな海面まで。
「フ……」
薄く笑ったあと、空へと向かって獣のように吼える。獰猛なるハゲの叫びが、海面を滑って四方へと雷轟のように響き渡った。
私は無事だ、と、砂浜で彼を待つふたりの女性に届くように。
その雄々しき姿、まるで海坊主のごとく。
そうして甚五郎は悠々と陸へと泳ぐ。右腕で巨大すぎるサメの死体を引きながら。
ようやく足のつくところまで戻ってくると、泣き崩れていたシャーリーとアイリアが同時に飛び込んできた。
ふたりを受け止め、甚五郎は右腕一本で己の倍はあろうかというサメを空高く持ち上げて、堂々と仁王立ちするのだった。
濱口オーラが見えました。




