ハゲ、最低の技を出す
前回までのあらすじ!
ハゲがそのどこまでも深い懐で、元娼婦を包み込んだぞ!
強い潮風に、シャーリーは両手で銀色の髪を押さえて瞳を細めた。
「海、大っきい……っ!」
ウィルテラ港には白い帆をいくつも立てた大きな船が停泊していた。
「船! 船ですよ! ジンサマ!」
シャーリーが甚五郎の手を引いて、一隻の帆船へと近寄っていく。甚五郎が引っ張られていく様を苦笑いで見つめ、その後をアイリアがゆっくりと続いた。
海の近くにきた瞬間から、シャーリーははしゃぎっぱなしだ。
木造のタラップを伝って様々な人種が乗降している。乗組員は年寄りや子供らに手を貸し、荷物を持って船へと彼らを導く。
そんな様子を眺めているだけでも、シャーリーの表情は甚五郎の頭皮並に輝いていた。
「船旅でしょうか。いいなあ、いいなあ」
「帆船か。我々の旅でも、いつかは乗ってみたいものだな」
甚五郎がぽんとシャーリーの肩に手をのせた。
遠くの海を、別の帆船が音もなく滑るように走っている。
「はいっ! ぜひっ!」
「だが、今は海を渡る必要はない。取り急ぎ必要なのは宿屋の手配だぞ、シャーリー」
ハゲの分際で、まるでアメリカ映画のようにお茶目なウィンクなどをしながら、甚五郎が戯けて呟く。
その態度に、シャーリーが我に返ったようにパッと頬を染めた。
「あはは、す、すみません。ちょっとはしゃぎ過ぎちゃいました。えへへ、恥ずかしいですね」
アイリアがまるで母親のように、にっこり微笑む。
「まあまあ。宿の手配が済んだらお弁当を買って、海岸で少し休みましょうか。いい? ジンさん?」
「うむ。私もそう提案しようと考えていたところだ。アポイントメェ~ンを取っているわけでもないし、武器屋は明日でもよかろう」
シャーリーの顔に再び花が咲いた。
「やった!」
両足をそろえてぴょんと跳ねたところで、微笑む甚五郎とアイリアの視線に気づき、再び恥じ入るように赤面する。
「ん、んんぅ!」
そうして咳払いをして、すまし顔で呟いた。
「それではおふたりとも。早く宿屋に参りましょう」
甚五郎とアイリアの背中を、細い腕でぐいぐい押しながら。
わたくしは一刻も早く海で遊びたいのです、とでも言わんばかりの態度に、甚五郎たちの表情筋は弛緩しっぱなしだ。
しかし歩き出してまもなく、港を抜けたあたりで一行の前に立ちはだかるものがいた。
小柄ではあるが、薄汚れた旅のローブに目深にまで下ろされたフード。他者を寄せ付けぬ異様な雰囲気はただ者ではないことを告げている。
現に、周囲を行く人々も彼女を避けているように見える。
その人物は、仄暗い視線を甚五郎へと向けて静かに囁いた。
「……我が偉大なる戦女神リリフレイア様、今一度お与えくださった機会に感謝いたします」
甚五郎とアイリアが目を丸くして首を傾げる。
「見つけたぞ、羽毛田甚五郎ッ! 王都シャナウェルを守る王国騎士の誇りに懸けて、貴様を処罰する――ッ!」
瞬間、弾かれたように甚五郎は身を屈め、アイリアは腰の短剣へと両手を伸ばす。が、その瞬間にはすでにローブの人物は、赤熱を発する剣を抜き放ち大地を蹴っていた。
甚五郎が歯がみする。
赤熱の刃を受けることはできない。さりとて、完全に回避するには出遅れた。
思考が凄まじい勢いで回転する。だが、導き出されたこたえは回避不能。アイリアの援護は間に合わない。ならば肉体のどこかを犠牲にして刃を貫通させて受け止め、カウンターを叩き込むしかない。
己も無傷というわけにはいかないだろう。だが、命と頭皮を守るためには。
方向性が定まると同時、鍛え続けた肉体は自動的に動き出す。
迫り来る赤熱の刃の切っ先が、とっさに持ち上げた左腕の皮膚へと触れた瞬間――!
「やあっ!」
ただひとり。薄汚れたローブを発見した瞬間から警戒を怠らなかったシャーリーのレイピアが、赤熱の刃の腹を弾き上げた。
眩い火花と甲高い音が港裏の倉庫街に響く。
「~~ッ!」
「シッ!」
シャーリーはレイピアを両手で持って、なおも小柄な影へと突いた。影はローブをシャーリーへと投げつけて、バックステップで後退する。
赤髪の女――!
甚五郎が目を見開く。
「シャナウェルの近衛騎士か!」
この段になって、ようやく周囲を歩いていた人々は剣戟に気がついた。悲鳴を上げて、我先にと転がるように一行から遠ざかる。
貫通したローブをレイピアを振って払い除け、シャーリーが早口で詠唱を開始した。
「――シャルロット・リーンの名に於いて命じる。旧き盟約に応じよ、汝、風の精霊シルフ!」
「――メル・ヤルハナの名に於いて。古の盟約に応じよ、其は炎の精霊サラマンダー」
シャーリーの足下に緑の風が渦巻くと同時に、メル・ヤルハナと名乗った赤髪の女の足下からは炎が立ち上った。
「剣をお下げなさい、シャルロット姫。わたしは誘拐されたあなたを救出に来ました」
甚五郎が眉をひそめる。
なるほど、そういうことになっているのか、と。
シャーリーが瞳に怒りを宿して叫んだ。
「お断りします!」
「ならば少々痛い目に遭っていただきます。動けぬ程度にであれば、王からの許可もいただいておりますので」
「ふざけないでください! ジンサマに剣を向けておいて勝手なことを!」
シャーリーとメル・ヤルハナが同時に大地を蹴った瞬間、ふたりの間に飛び込む影がふたつ。
「お手々の皺と皺を合わせて、白羽取りィ! 南ぁ~無ぅ~」
甚五郎がシャーリーのレイピアを両手で挟んで取り、その背中へと迫った赤熱の刃を、アイリアが二振りの短剣を十字に交叉して受け止める。
「はいよっと」
甚五郎の背後で、金属同士の弾ける甲高い音と大量の火花が散った。
メル・ヤルハナが顔をしかめ、歯を食いしばる。
「く……っ、こうもあっさり……! 何者だ、貴様っ!」
「元娼婦の町娘よ」
「ふざけるなっ!」
甚五郎はその様子を確かめることもせず、シャーリーからレイピアを力任せに奪い取り、両手でくるりと回転させて、シャーリーの腰の鞘へとすぅっと収めた。
「シャーリー。今のは助かった、礼を言うぞ」
「え……あ、はい……」
戸惑うシャーリーへと、甚五郎が困ったような笑顔で呟く。
「だが、キミはヒトに剣を向けてはならない。ずっとだ。私との約束だぞ?」
「はあ……」
毒気を抜かれたシャーリーが返事をした瞬間、メル・ヤルハナが呟く。
「くっ、どけ、女! ――サラマンダー!」
瞬間、メル・ヤルハナの足下から立ち上っていた炎が赤熱の刃へと這い上がってゆく。
「わ、わ、ちょ――」
一対二振りの短剣が、赤熱の刃の高熱によって溶かされていく。
「ジ、ジンさん、もういいっ? かなりまずいんだけど!」
「ああ。かたじけない、アイリア」
甚五郎が呟いた直後、アイリアが空中に全身を投げ出すようにして跳躍し、ひねりを加えて着地した。
その手のなかにあった二本の短剣の刃が、ぽろりと地面に落ちる。
「…………あらら、やっぱ安物はだめだわ」
メル・ヤルハナはアイリアを押しのけた勢いそのままに、両手で赤熱の剣をつかんだまま、ジャケットを脱ぎ捨てた甚五郎へと疾走する。
「ジンサマ!」
「うぬっ!!」
甚五郎は身を低くして、回避行動を取るどころか、近衛騎士メル・ヤルハナへと駆け出した。
赤熱の刃が、低く、横一文字に薙ぎ払われる。
炎の色を映し出す軌跡が、甚五郎へと迫った。
跳躍で躱す。そうするしかないはずだった。そして跳躍中は方向転換ができない。だから、剣を振り切ると同時に振り返り、着地したこの男へと背後から刃を突き刺す。間に合わなければ、隠し持った短刀を背中に投げてもいい。
メル・ヤルハナはそう考えていた。
だが――。
だが、この男は予想をあっさりと超える。
赤熱の剣を振り切る瞬間、メル・ヤルハナが視線をやや上へと向けた瞬間だ。
羽毛田甚五郎はさらに身を低く、背面で地面を滑ってメル・ヤルハナの足下へと潜り込んでいた。
ほとんどの戦士が鎧をまとうこの世界には存在しない、スライディングタックルだ。
混乱。メル・ヤルハナは混乱を来す。空には影がない。
直後、右足をつかまれて、初めて気づく。男がまるで毛のない頭皮のごとく、大地をつるりと滑っていたことに。
あわてて持ち手を変えた赤熱の剣を足下の甚五郎へと突き下ろすも、甚五郎は地面に寝そべったまま、革靴であっさりと赤の刃を蹴り上げていた。
赤熱の剣が空中で弧を描き、距離を取って戦いを眺めていた観客の足下へと突き刺さる。
「羽毛田式お仕置き術――」
そうして地面からスカートのなかを眺めながら、ハゲは呟く。
メル・ヤルハナの右足を両腕で拘束し、左足を両脚で拘束して。
「おおおおぉぉぉっ、――恥ずかし固めぇぇぇぇ!」
「へ? きゃあっ!」
悲鳴を上げた瞬間、強引に膝をたたまれたメル・ヤルハナは、地面に背中から倒されていた。甚五郎はメル・ヤルハナの下半身を拘束したまま両手両足に力を込め、彼女の股を大きく開く。
大・開・脚――ッ!
「ふははははっ、これは私が敬愛するIQレスラーと呼ばれる方の股裂き技だ! ダメージと同時に恥辱をも味わわせることもできる優れものだぞ! ――そら、そら、どうだ、そら!」
「やめ、やめろ! き、きき貴様、なななんのつもりだあぁぁぁぁっ!?」
メル・ヤルハナの顔色が、まるで彼女の赤髪のように美しく染まってゆく。
シャーリーは魂の抜けたような半眼で、その様子を呆然と眺めていた。アイリアは赤熱の剣を拾い上げ、口もとを手で押さえて笑っていたけれど。
「く、ぷくぅ、ぶふぉぉぉ! ふぁ、ふぁ~~~~~~~~っ! 何その恥ずかしい技! ふぁ、ふぁふぁ~~~~っ!! すっごいかっこ! ふぁふぁ~~~~~っ!!」
アイリアの引き笑いが響き渡り、戦々恐々と戦いの様子を眺めていたウィルテラの人々も、くすくすと笑い出す。
一部、男たちは凝視しているが。
メル・ヤルハナが瞳にいっぱい涙を溜めて、甚五郎のハゲ頭をぺちぺちと叩きながら大声で叫んだ。
「放せ! 放せぇぇ! もうやだ! ハゲ! 変態! エッチ! ハゲ! バカァ!」
「なんだと貴様ッ! 私はハゲではない、薄毛だぁ! ――そい、そい、そぉ~い!」
メル・ヤルハナの両足が、さらにこじ開けられてゆく。
力では到底敵わないのだ、この男には。
「わあ、わああああっ! こんな生き恥……! くっ殺せ! いっそ殴り殺せぇぇ! わああぁぁぁん!」
甚五郎がニヒルな笑みを浮かべた。
「フ、もう忘れたのか? 私は女を殴らん主義だ」
甚五郎がメル・ヤルハナの両足から両手両足をどけて、彼女を解放した。そうして勝利を確信した表情でゆっくりと立ち上がる。
なぜか満足げに、ほっこりした顔で。
ハゲェ……おまえ最低やな……。




