ハゲ、その深き懐へ
前回までのあらすじ!
後ろ髭、ゲットだぜ!
その街は、潮の香りがした。
王都シャナウェルには様々な人種が行き交っていたが、港湾都市ウィルテラはそれにも増して、多様な特徴を持つ人々が闊歩していた。
シャーリーのような白人から、アイリアのような褐色肌の民族、さらにもっと黒を足したような黒人、甚五郎と同じ黄色人種はもちろんのこと、驚くべきことに獣の耳や尾を持つ人種や、おそらくは魔人と思しきものまでいる。
「……魔人が街中をぶらついているのか」
吹き抜ける強い風はやむことがなく、甚五郎の後ろ髪ならぬ後ろ髭をなびかせる。
シャーリーが何気なく視線を甚五郎の後頭部に向けてから、もう一度、今度は驚愕に目を見開いて凝視した。二度見だ。
「~~ッ!?」
「危険はないのか?」
だがしかし次の瞬間には、シャーリーは見て見ぬ振りをしながら呟いていた。
「魔人や、魔獣の血筋の混ざった亜人を徹底排除しているのはシャナウェルの統治領域だけです。本来であるならば、思想や性向の違いはあっても、言葉の通じる生物同士であれば共存は可能なはずなのに」
「もちろん、言っても聞かない個体には武力行使も必要ではあるけどね」
言葉を引き継ぐようにアイリアが呟く。そのアイリアもまた驚きの表情で、甚五郎の後頭部に貼り付いた髭にチラチラと視線を向けていた。
シャーリーがアイリアへと向けて唇に人差し指を立て、首を左右に振る。
アイリアが意を得たりとばかりに静かにうなずいた。
「はい。ですが、シャナウェルの王は警告や勧告すらなく、魔人や亜人に対して武力を行使してしまうのです」
「ふむ……」
嘆かわしいと、甚五郎は考える。だが差別主義者はどこの世界にも共通して存在するものだ。
獣の耳を持つ女性が、露店で野菜を手に取ってスンスンと鼻を動かしている。おそらくは彼女のような存在が亜人と呼ばれる種族なのだろう。
「魔人はともかくとして、亜人とやらはとても危険な存在には見えんな」
むしろ野性味溢れるその姿の、なんと力強く美しきことか。
亜人の女性はにっこり微笑むと、店主に銅貨を渡してパプリカのような野菜を五つ買った。踵を返して歩き去る後ろ姿には、獣の尾が垂れている。
甚五郎の視線が、シャーリーとは逆隣にいるアイリアへと向けられた。
「そういえば娼館街にも、魔人は客として現れていたのだったか」
「ええ。娼館街はシャナウェル統治領域であっても、本来有って無き街だったから、お役人も見て見ぬ振りだったのよ。……それでも魔人は気性が荒いから、なるべくなら客には取りたくなかったけどね」
苦笑いで付け加えたアイリアに、甚五郎はうかつな質問をしたことを後悔した。
陽光を反射させながらハゲ上がった頭を下げ、静かに呟く。
「すまない。余計なことを尋ねた」
「いいえ。けれど、とても大切なことよ、ジンさん。あたしたちが種族同士で戦っている相手は本当に敵なのかどうかは、ちゃんと見極める必要があるわ」
眩しげに瞳を細めつつも表情に翳りを見せたアイリアが、小さなため息をついた。
ふと、甚五郎は気づく。
「それはアイリアが魔人狩りを引退したことにも関係しているのか?」
「あ~……、うん……」
長い黒髪に手を入れて、アイリアが風に掻き消されそうな声で囁いた。
「そう……だったかな。どうだったんだろう……。でも、ちょっと疲れちゃったのよ」
アイリアのローブと黒髪が、強い潮風に揺れた。
「ロックシティも含めて、シャナウェルの住民はみんな魔人を恐れてる。あたしもそんななかで育ったから、剣を握れる頃には自然と魔人を敵と見なすようになってた。冒険者になって名を上げて、魔人を狩るようになって、戦って、戦って」
一度言葉を切る。
「……ん。でも、戦えば戦うほどにわからなくなっていったの」
表情を見せまいとしたのか、背中を向けて歩き出したアイリアに、甚五郎とシャーリーが続いた。
「その日の依頼は、砂漠のオアシスよりもさらに東にある小さな村を襲った魔人を退治するというものだったわ」
言葉を切り、また少し沈黙する。
買い物客らを呼び込む露店主の声や、子供たちの楽しげな声、行き交う人々の雑踏が響いていた。
「当該魔人が向こうから襲いかかってきたことで、あたしは剣を抜いて戦い、魔人を斬った。で、とどめを刺そうとしたとき――」
後ろ姿では表情は見えないが、アイリアは歩きながら髪に手をやって、少しだけ後頭部を掻いた。
「あたしが斬った魔人の前に立って、泣きながら両手を広げて庇う衰弱した小さな魔人が現れたの。その子は叫んだわ。――水を分けてもらうだけで、ほんの少しの食べ物を売ってもらうだけで、どうしてこんなひどいことをするのかって」
「そうか……」
「その魔人の親子は、港湾都市に向かう途中、砂漠に迷ってシャナウェル統治領域に迷い込んだだけだったのよ。親は砂漠越えで衰弱した子のために村に滞在し、水と食べ物を売ってもらおうと駆けずり回った。でも売ってもらえなくて、やむを得ず露店を襲った」
雑踏のなか、長いため息が聞こえた。
「その日のうちに、あたしは剣を置いたの。そしたらさ、何年か分の疲れが一気に来ちゃって、気づいたら娼館街にいたのよ。傷つけるよりも癒したいって思ったから……ううん、違うな……違う。罰が欲しかったのかも。……自分がしてきたことから逃げたのね、たぶん」
アイリアの悲しげな視線が、シャーリーへと向けられる。
「キティの言うとおりよ。言葉が通じるなら共存はできる。この港湾都市ウィルテラが、それを体現してるもの。と言っても、いけ好かない魔人もやっぱり多いけどね。あのヘドロみたいな」
「アイリアさん……」
なんとも言えない表情を向けたシャーリーに、突然アイリアが両手を広げて飛びかかった。
「こ~ら、シケたツラすんなあっ」
「ひゃっ!?」
そうして背中に手を回し、外衣の内側でうなじから臀部までをわしゃわしゃと両手でなで回す。
「そりゃあ! うりゃりゃぁ! ――娼婦式愛撫術ぅぅぅ!」
「ぎゃあああぁぁっ!? あ、あっ! え、嘘……待っ! わ、わあぁぁぁっ! …………っ……どーんっ!」
シャーリーがボディアタックでアイリアを跳ね返す。
そうして鎧の胸当てを押さえながら、大あわてで路地裏へと走っていった。
「ぬ? シャーリー?」
甚五郎が尋ねるよりも早く、アイリアが舌を出す。
「下着だけ外したのよ。今のうちにジンさんに言っときたいことがあって」
「む?」
「ジンさん、あたしを置いていこうなんて思わないでね。魔人狩りだったことを黙っていたのは、置いて行かれると思ったからなんだから」
甚五郎は瞳を閉じて、逞しき大胸筋の前で両腕を組んだ。
アイリアがすがるように繰り返す。震えた声で。
「……捨てないでくださいね。血と男の体液に塗れた情けない過去しかない女だけど、それでも――」
甚五郎の平手が持ち上がり、身を縮めて堅く目を閉ざしたアイリアの頬に、軽くぺちりとあてられた。
「ジ、ジンさ――?」
「みくびるんじゃあない、アイリア。貴女を情けない女だなどと思ったことは一度たりともないし、もはや誰も置いていくつもりはない」
そうして小指を差し出し、優しげな瞳で告げるのだ。この男は。ハゲの分際で。
「だからそのように自分を卑下することは、今日で最後にするのだぞ。私との約束だ」
数秒。アイリアの瞳が潤む。
そうしてアイリアは頬を染め、言葉にならない声で、「はい」と小さく呟いて、甚五郎の太い小指に自らの細い小指を絡めた。
もう一度、呟く。今度は穏やかな声で。
「はい。わかりました」
甚五郎が満足げにうなずいた。
「だが、身につまされる話だった。私は聞かせてくれたことに感謝している。これまで魔人と言えば、あの緑色の薄汚いヘンなヘドロしか見たことがなかったから、まあだいたいは便所に現れるゴキブリのようなものだと思っていた」
「あは……は……」
それはちょっと言い過ぎでしょうよ、と、さすがの魔人狩りも思う。
「だが、そうだな。今度ヘドロに遭遇した際には、会話でもって接してみよう」
「や、ヘドロは殴ってもいい魔人だと思うわよ。言っても聞かなさそうだし、頭も悪そうだし」
「いずれにせよ、私も一度考えを中立に戻す必要があるな」
アイリアがうなずく。
「あ、キティが戻ってきた。……。わあ、なんかすっごい形相してるわねぇ」
他人事のように呟いたアイリアの前へと、シャーリーが真っ赤に染まった怒りの表情で駆け戻ってきた。
「ア・イ・リ・ア・さんっ!?」
「はーい。どうしたのぉ? 何があったのぉ? あたしわかんなぁ~い!」
わざとらしく尋ねるアイリアに、しかしシャーリーは言葉を返せない。
着衣どころか鎧の上から下着を外されてしまったなどと、このような天下の往来で言える処女などそうはいないのだ。
「うぐ、う、うぅ~」
「でもさっきのキティ、なんかかわいかったわ。ね、ジンさん?」
「む?」
隣に立つ甚五郎の尻を、アイリアが指先でつねった。
「……っ……! そ、そうだな! 頬を赤らめていたあたり、なんとも言えぬ色香が漂っていたようなそうでもないようなそうだったらいいなとかなんとか!? ……おふぅ……」
尻の痛みが消え、安堵の息をつく。
アイリアを睨むと、彼女はすかさずそっぽを向いた。
「そ、そうです?」
シャーリーの表情から怒りだけが抜けて赤面が残った。
「ジ、ジンサマに喜んでいただけるのでしたら、あの、今度またふたりっきりになったときにでも……その……わ、わたくし…………脱………………」
途絶えることなき雑踏もあって、語尾あたりはウニャウニャ言ってて聞き取れなかった。
アイリアがパンと両手を合わせて注目を集め、誤魔化すように大きな声を出す。
「よし、じゃあ行きましょう! 目的は南門の武器屋だけど、ちょっと西側海岸を経由していきましょうか。宿屋はそこらへんに集まってるし、あと、キティはまだ海を見たことってないんじゃない?」
シャーリーが大きく目を見開いて片手をピンと挙げ、興奮したように大声で叫ぶ。
「――っ!! ありませんっ! 見たい! 見てみたいですっ! 海っ!」
「オッケー。じゃ、海沿いの宿屋を探しつつ、散歩がてらに武器屋さんを目指そうか」
「はいっ!」
「フ……」
甚五郎が薄く笑った。
現金なものだ。もう怒っていたことを忘れている。
けれど、ふたりのこういった様子を見るのは嫌いではない。むしろ嬉しく思う。
己の内よりわき出るふたりの女性への情は、すでに頭髪と並んで心の大部分を占めるにまで至っていることを、甚五郎は意識し始めていた。
頭髪と比べられる女たち。




