ハゲ、円形脱毛からの脱出
前回までのあらすじ!
ゲイの山賊にまでフラグを立ててしまったハゲ!
夜道に気をつけろ!
磯の臭いが風にのり、街道の旅人たちを撫でて流れてゆく。
港湾都市に近づくほどに、街道は活気が満ちてゆく。まだ都市には入っていないにもかかわらず、商人らは露店を広げて客を呼び込んでいるのだ。
食材店はもちろんのこと、その場で調理して出している屋台のようなものまである。
歩いてきた街道を油断なく振り返って警戒する甚五郎を、シャーリーが上目遣いで見上げた。
「ジンサマ、もう少し肩の力を抜いても平気ですよ。ここまで来れば、シャナウェルの王国騎士たちはほとんど追いかけてはきません。個人的な恨みでも買っていない限りはですが」
嫌みったらしい近衛騎士ジラールの顔を思い浮かべながらも、甚五郎はシャーリーに問い返す。
「そうなのか?」
「はい。王都シャナウェルの統治権は、港湾都市ウィルテラまで及んでいないのです。つまり、ここはもう別の国です」
「ふむ」
甚五郎を中心として逆隣を歩いていたはずのアイリアが、いつの間にか露店から買い取った果実を袋からひとつ取り出して甚五郎に差し出した。
「この前の山賊騒ぎがあった山間部が国境よ。シャナウェルにせよウィルテラにせよ、国境付近の手を出しづらい位置だから山賊なんてものが巣くったんでしょうね」
「おお、カレー味のリンゴではないか。かたじけない」
カレー味のリンゴを片手で受け取り、甚五郎は皮ごと口に運ぶ。
シャリっと音がして、口内にスパイシー且つふくよかな香りが広がってゆく。喉を潤すほどもない果汁は、しかしカレールゥのような刺激的な味がして癖になる。
これをスライスして、ナハハハハァ~ンというナンのようなパンに挟んで食べると、ナハハハハァ~ンから染み出した菜種油と混ざり合ってさらにカレーへと近づく。
もっとも、今はナハハハハァ~ンは手に入りそうにはないけれど。
「ウィルテラには王はいないのか?」
「はい。統治会と呼ばれる一般市民から選出された七名の方々が、決められた着任期間、港湾都市ウィルテラの代表を名乗って決定権を有することになっています」
「ふむ。民主主義国家か」
「いつまでその体制が続くかはわかんないけどね」
アイリアが細い肩をすくめた。
「どういう意味だ?」
「王都シャナウェルの王は、大陸全土の支配を望んでいるってことよ。隣接してる国家は日々戦々恐々としてるのよ。軍事力で遙かに劣るウィルテラでは、太刀打ちできないでしょうねえ」
シャーリーが恥じ入るようにうつむく。
木の実に差したストローから白い果汁だけを吸って、アイリアは続けた。
「とはいえ、港湾都市は大陸だけじゃなく、西方諸国や北方民族とも繋がりがあるから、シャナウェルとしてもそう簡単には手を出しづらい部分はあるけど」
「いずれにしても、市民の方々には至極迷惑な話です。……情けない……」
吐き捨てるように呟いたシャーリーの肩に、甚五郎の背後を回り込んだアイリアが自らの肩をこつんとぶつけた。
「キティが思い悩むことじゃないでしょ。もしかしたら、あんたが婚約者から逃げ回っているおかげで、シャナウェルが他国に攻め入らないのかもしんないわよ。例の婚約者、ひとりで絶大な力を持っているんでしょ?」
「はあ……、まあ……」
シャーリーが浮かない顔で返事を濁す。
甚五郎がシャーリーの銀髪に大きな手をのせた。
「ま、そういったことは抜きにしても、望まぬところに嫁ぐ必要などなかろう」
シャーリーが柔らかい笑みを浮かべてうなずく。
「はい、ジンサマ」
「あ、ちょっと待って」
アイリアがぱたぱたと走り、街道右に出ていた露店へと駆け寄っていく。
「さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 西方諸国より持ち込まれし世にも珍しい刀剣類だよ! 逸品珍品勢揃い! 斬れ味抜群、野菜も魔獣も人もバッサバッサ――お、そこいくちょいと刺激的なオネエサン! どうだい、ちょっくら見てってよ!」
「気に入ったのがあったら安くしてくれる?」
若いのに髭を蓄えた露店主にひとつウィンクをして、アイリアが地べたに並べられた刀剣類へと視線を落とす。
「はいーはいっ、もちろんですとも!」
揉み手でターバンを巻いた主人が、革袋から取り出した刀剣類を次々と並べていく。
最初から数十本は並べられていたというのに、あっという間にその規模が倍に広がった。
アイリアは一本一本を手に取り、柄を持って鞘から抜いて刃を確認してから、チン、と音を立てて再び鞘へと滑り込ませる。
「どうだい、そいつは西方王マックウェル家に伝わる魔法のかかった宝剣だ! 鞘とはいえヘタに滑らせちゃあ切れて落ちちまうってなもんよ」
無言でチンと音を鳴らし、アイリアは元あった位置へと置き戻す。
「う~ん」
「おや、お気に召さないか。恋人へのプレゼントかい?」
「まさか。自分で使うのよ。冒険者だから」
「冒険者? あんたがかい? とても信じられないねえ」
「一応よ、一応。ギルドのロックシティ支部に問い合わせればわかるわ。除籍されてなきゃ、まだ名簿に名前くらいは残ってるはずよ」
ロックシティ支部という言葉に、店主が眉をひそめた。視線をアイリアの顔に向け、頭に向け、身体に向け、静かに尋ねる。
「…………あんたまさか、魔人狩りのアイリア・メイゼスか?」
その言葉に、甚五郎とシャーリーが同時に眉をひそめた。
魔人狩り……?
「さ、三年前に引退したって聞いたが……」
「色々あって復帰したのよ。といっても、魔法剣がなくちゃ魔人狩りも狩られる側でしかないのよね。ある事件に巻き込まれて、それを思い知らされたってわけ」
アイリアが甚五郎へと視線を向け、片目を閉じて舌を出す。
店主が歯を食いしばって片手で両目を覆った。
「あいたぁ! 本物ですかい! そいつぁ悪かった。……贋作で誤魔化せるお人じゃあなさそうだ……」
声をひそめた店主に、アイリアが口もとに笑みを浮かべて右手を差し出す。
「じゃ、本物をお願いね」
「この店で一番いい剣を――と言いてえところだが、すまねえ、アイリアさん。さすがにうちみたいなちっぽけな露店じゃあ、魔法剣は取り扱ってないよ」
アイリアが残念そうに手を下ろす。
「そ。やっぱり港湾都市まで行ってみるしかないか」
「ああ、ちょっと待って……えっと……」
店主が日に焼けて黄ばんだ紙を取り出し、何やら甚五郎には読めない文字を書き始めた。
「ええい、もそもそして書きにくい!」
店主が顎に蓄えた髭に手をやって、べりっと剥がした。
瞬間、甚五郎がくわっと目を見開く――!
そしてうずうずと懐を探り始めた。
アイリアが店主に尋ねる。
「付け髭だったの?」
「へへっ、おれぁまだ十代だからね。舐められて足下を見られないように、ちょいと年齢を誤魔化してたんでさ」
そうこうしている間に、店主は何かを書き終えたのか、万年筆のようなペンをしまった。
「よし。こいつを港湾都市の南口にある武器屋のオヤジに渡しな。名前はテンジ。港湾都市に武器屋は数あれど、最も信頼できる堅物オヤジだ。上物の魔法剣もあるぜ」
アイリアが紙切れを受け取って立ち上がる。
「ありがとね」
「いえいえ。その代わりにこの店の品揃えに関しちゃあ……」
唇の前に人差し指を立て、悪巧みでもするかのような表情をした露店主に、アイリアが苦笑いを浮かべた。
「大丈夫よ。お役人には言わないから。頑張ってね、贋作売りさん」
「や、姐さん? 一応斬れるからね!? うちの剣は贋作だが、ちゃぁ~んと斬れるからね!?」
必至で言い逃れをする店主にスカートを翻して背を向け、アイリアは笑いながら歩き出す。
その後をシャーリーがあわてて続いた。
「ア、アイリアさん、待ってください。さっきの話って――」
だが、甚五郎は動かない。露店で立ち止まったままだ。
アイリアとシャーリーの背が遠ざかっても、甚五郎はその巨体で威圧するかのように、露店主の少年を見下ろしていた。
「な、なんだい、お客さん? えっと、贋作でもよけりゃ刀剣類は売る……けど?」
「いや、武具は必要ない。それは売り物か?」
甚五郎が、少年の手にある付け髭を指さす。
「え? は?」
男は渋く低い声で呟いた。
「私にそれを売ってはもらえないだろうか」
「え、はぁ。ま、いいけど……」
甚五郎は左手に握りしめていた金貨を一枚、素早く少年の掌へと押しつける。
「うぇっ!? ちょ、ちょっと、オッサン、こんなにもらえねえって! こんなもん、おれの髪の毛から作った原価もかかってねえ付け髭だぜ!? 詐欺ってレベルじゃねえだろ!」
甚五郎は優しき瞳で静かにうなずく。
「良いのだ。とっておきたまえ」
そうして少年から付け髭を受け取ると、甚五郎は後頭部の巨大な円形脱毛箇所へとぺたりと貼り付けた。
不自然に長くなった後ろ髪が、海沿いの潮風になびく。
甚五郎は恍惚とした表情で空を見上げて瞳を閉じた。
「……ああぁ~……、風に……風になびく……」
閉ざされた瞳の隙間から、一筋の涙が伝う。
露店主の少年は陸に打ち上げられた魚のように、濁った瞳でその様子を眺めていた。
なんかこのオッサンを見てると不安な気持ちになってくる……。
そんなことを考えながら。
擬毛では根本的解決にはなっていないぞ。




