ハゲ、久々のバイオレンス
前回までのあらすじ!
ようやく手に入れた新たなる頭皮を五分で破られたハゲ!
ハゲの怒りが有頂天(※)だ!
※誤用です。
「ハッ、ハハ……」
黒騎士が引きつった笑みを浮かべた後、ひどく醜く表情を歪める。
甚五郎とアイリアは、未だシャーリーに視線を向けたまま呆然としていた。
「こいつは傑作だッ! 王家の恥さらしが、まだ王都にいたとはなッ!」
シャーリーが歯を食いしばってうつむく。
「貴女のような下賤の姫でも、おとなしく王の決めた婚姻を結んでさえいれば、勘当されることもなかったろうよ!」
「やめて!」
こんなところで、ジンサマの前でそんなことを言わないで。
「おお、そうだ! 今からでも遅くはない! この近衛騎士ジラールが王に口利きをしてやってもかまいませんぞ」
黒騎士が剣を鞘に収め、両手を広げた。
下卑た表情だと、少女は考える。そうやって王に取り入ろうとしているのだろう。わたくしを利用して、地位を上げたいと思っているのだろう。
そんなことのために、あんな家に戻ってたまるものか。そんなことのために、あんな男に嫁いでなどやるものか。
心のなかのさざ波が突如として高くうねり、少女はキッと睨みながら口を開く。
「ふざけ――ッ」
「シャーリー、もう殴ってもかまわんか?」
だが、この男は空気というものを読まない。読まないのだ。読むに値しない、くだらぬ茶番など。
野獣のように歯を剥き、今にも飛びかからんばかりの目つきで、男は低く唸る。
黒騎士が剣の柄に手をやって、不気味な甚五郎を恐れるようにわずかに後退する。
「……やめておけ、蛮族。王立軍近衛騎士を敵に回すということは、王を敵に回すに等しい。そして王を敵に回せば、この国にはいられなくなる」
だが、だからこそ少女は――。
大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。
少女は、冷静さを取り戻すことができた。
自分よりも怒ってくれる人が、隣にいてくれるから。
「……だめです、ジンサマ。この男の言っていることは真実です。今や王都を動かしているのは王立軍、その中枢にあるのが近衛騎士団なのです。彼らに手を出せば、王国騎士の全員を敵に回すことになります」
「その通り。さすがは半身とはいえ、リーン家の血を引く姫君。妾の子にしてはよくご存じでいらっしゃる」
何度も深呼吸を繰り返し、シャーリーが空を見上げて大きく息を吐いた。
真っ青な空に白い雲がゆっくりと流れている。
早くギルドに向かおう。そして次の仕事を得て、また旅に出る。こんな街にはもう一秒だっていたくはない。
「ジラール。興味がありません。必要とあらば、わたくしは王都を去ります。王には好きにお伝えなさい」
「…………後悔しますよ、シャルロット姫……」
低く、不気味に揺れる声だった。
シャーリーは視線を戻し、意図的に黒騎士ジラールを見ないようにして、甚五郎の腕とアイリアの手を両手でつかむ。
「行きましょう。ジンサマ、アイリアさん」
だが。
引いた手は、動かない。ぴくりとも。
ただただ額に青筋を立て、肉体から噴出する蒸気をスーツのジャケットから立ち上らせていて。
「もういいか、シャーリー? 話は終わったか?」
「ジンサマ……? だめ、絶対だめです! 放っておきましょう!」
甚五郎だけではなく、アイリアまでも動こうとはしなかった。
「放っておくって……そんなの、聞いちゃったらもう無理よね、ジンさん。ま、あたしはどっちでもいいんだけどさ」
アイリアが視線を回し、黒騎士ジラールで止めた。
「ねえ、そこのジラールとかいう坊や。この羽毛田甚五郎という男の正義に対する想いはね、世界一の娼婦の誘惑を断ち切るくらい堅いものなのよ。なのに、さっきからぺらっぺら余計なことを喋ってくれちゃって。あんた、どうしてくれるのよ」
剣の柄を持ったまま、ジラールが眉をひそめる。
「ふん、下賤の女が。何を言っているのかわからんぞ。俺の妾になりたいのであれば――」
「わかんない? バカね、あんた。あくどいことを言ったから、ぶっ飛ばされるわよって忠告したのよ」
とたんにジラールが嘲笑する。
「ハハ、ハハハハッ! できるものかッ、阿呆がッ!! リーン家を――王都を敵に回すということがどういうことかわかっているのか? そこのハゲは!」
甚五郎がつま先に体重をのせて、もう一度尋ねる。
「シャーリー、いいか?」
「……」
シャーリーは戸惑う。
今、甚五郎は禁句にも反応を示さなかった。そのようなことなどどうでもよくなるくらい、他のことで怒っているということだ。
ねえ、それは誰のため?
ジラールが演技口調で高らかと叫ぶ。
「今ならばそこの下民どもの無礼な言動や行動は忘れて差し上げましょう! さあ、シャルロット姫! 王のもとへ戻りましょう!」
感情をすべて抑えた声で、甚五郎が再び呟く。
「シャーリー」
「……わたくしが戻れば、このふたりは見逃してくれるということですね?」
剣の柄から手を放し、ジラールが右手を胸にあてて片膝をついた。
騎士の誓いだ。
「いかにも! このジラール、騎士の誇りにかけて偽りは申しませぬ!」
「そう……ですか」
甚五郎もアイリアも微動だにしない。
シャーリーが長い長いため息をつきながらうつむく。
それはつまり、戻らなければふたりはなんらかの刑に処されるということだ。
ジラールは勘違いしている。選択肢は初めからふたつしかない。
ジラールを殴って立ち去るか、ジラールを殴らずに立ち去るかだ。どのみちふたりがゆるされないのであれば、すべてをこの男に託してみたい。
わたくしはこの人に、恋をしているのだから。
「やむを得ませんね。残念です、ジラール……」
「それでは、王のもとへ参りましょうか。姫」
そうして満面の笑みで顔を上げ、銀色の髪を振って声高に言い放つのだ。
「ジンサマ、もういいですよ」
言うや否や、甚五郎が石畳を蹴って跳躍した。ジラールが剣を抜き放つよりも早く、黒き鎧の胸部へと甚五郎の掌打が炸裂する。
重く鈍い音が響く――!
「――ッ!?」
金属の鎧は、どれほどの威力を秘めようとも素手での一撃など決して通さない。
けれども、違う。違うのだ。この男の一撃は。
初撃、二段階目。炸裂と同時に肩を入れ、関節を入れ、ねじり込みながら金属の鎧に守られた肉体へと衝撃を通す。
「ごぼがッ!?」
驚くほどの距離を吹っ飛ばされ、背中から石畳に落ち、何度も何度も転がりながら街路樹でようやく止まったジラールの瞳に、恐るべき野獣の姿が映し出された。
「は……は……、ひ……っ」
「――羽毛田式殺人術のひとつ、昇天張り手」
低くはない気温のなか、可視可能なほどの白い息を吐きながら歩み寄ってくる野獣の――悪鬼羅刹の姿が。
「手は抜いておいた。立てるはずだ。さっさと立て。そして抜くがいい。今のは貴様に商品を盗まれた、八百屋かなんかよくわからん食べ物屋のオヤジの分だ」
ジラールが街路樹を背負って震えながら中腰となり、反射的に剣を抜く。
「ひ、ひ、ひぃぃ!」
そうして剣筋など忘れたのか、迫り来る野獣へとでたらめに振り回す。
「よ、寄るな! 来るなぁぁぁぁ!」
「たったの一撃でもう心が折れたか。ふん、敵の技を受けてなお立ち上がるレスラーと比べれば、騎士とはこれほど脆弱なものなのか」
「ひ、ひいぃぃぃ!」
甚五郎が飛び交う白刃を素手で無造作に払い除けた。
「小賢しいわ!」
白刃があっさりと弾かれ、音を立てて街路樹の横へと転がる。
「これは無残にも貴様に破られ、投げ捨てられた我が分身、頭皮の分だ!」
中腰のジラールに覆い被さるかのようにして片手で逆さにつかみ上げ、もう片方の手で首をホールドしながら高く持ち上げる。
石畳の地に、ふたり分の影が落ちた。
「ひ、ひ……や、やめ――」
「――羽毛田式殺人術のひとつ、噴飯ブレーンバスタァァァァーーーーーーッ!!」
甚五郎が軽くその場で跳躍し、ジラールを逆さに抱えたまま、自ら背後へと倒れ込む。当然、甚五郎以上の高度から落とされるジラールのダメージは生半可なものではない。
石畳で鎧の砕ける金属音と、肉の拉げる嫌な音が同時に響く。
「かはッ! おごぐぅ……ごぼ……っ」
背中から落とされたジラールが石畳で身を丸めてうめき、その口から昼に食べたと思しき食料をどろりと吐き出した。
「おご……ぼあ……おえっ……」
だが、甚五郎は立ち上がると同時にジラールの両足を脇に挟み、凄惨な笑みを浮かべる。
「そしてこれは、貴様に名誉を傷つけられたシャーリーの分だ」
「ひ……」
甚五郎がジラールの両足を脇で挟んだまま、反時計回りに回転し始める。
「羽毛田式殺人術のひとつ、ポイ捨て禁止ジャイアントスイング。――おおお……っ、ふん……ふん……ふん、ふん、ふん――っ」
石畳にこすれる後頭部を手甲で守っていたジラールだったが、やがてその後頭部すらも地面から離れ、ただただ振り回されるだけとなった。
振り回すたびにジラールの涎や涙や鼻水が飛び散って、アイリアとシャーリーがわずかに距離を取る。
「ふん、ふん、ふんふんふんふんふんふふふふふふふンふぅぅん――ッそぉい!」
回転の勢いが最高潮に達したとき、甚五郎は容赦なくジラールの両足を放した。
子供に投げ捨てられた玩具のように吹っ飛んだジラールが、大量の水しぶきを上げながら頭から小川へと落ちる。
それを見届け、甚五郎が大胸筋の前で両腕を組んで、いつものごとく捨て台詞を吐く。
「これに懲りたら、もう私の仲間には近づか――あっ」
その視線が石畳で砕け散ったカレー味のリンゴの破片へと向けられる。
甚五郎が小川へと小走りに近づき、半身を沈めてぐったりとしていたジラールの髪を――つかもうとして躊躇し、首根っこをつかんで持ち上げた。
もはやジラールに抵抗する気力など残っていないのか、悲鳴すら上げず、されるがままとなっている。
「えーっと、これはあれだ。貴様に粉砕されたカレー味のリンゴの痛みと、それをぶつけられた私の額の分だ。まあ、額とか毛も生えぬ無駄な箇所はどうだって良いのだがな」
そうして甚五郎はポイっとジラールを街路樹近くへと投げ捨てる。がしゃん、と音がして、ジラールが転がった。
騎士の誇りである鎧すら半壊したジラールは、もはやぴくりとも動かなくなっていた。
シャーリーは思った。
ああ、この人、仇を言う順番を間違えたんだな、と。
違うから! このままじゃ溺れちゃうって思っただけだから!




