ハゲ、森の守護獣さん
前回までのあらすじ!
金色のフサフ……モフモフにハゲが狂おしく嫉妬をした!
松明の明かりを頼りに、深き森を進む。
まだ夜は浅いが、鬱蒼と茂った樹木は空の光をあまり通さない。
甚五郎が松明を持って歩き、その隣をロックシティで買った地図を広げながらシャーリーが、そして殿をアイリアが務めている。
正確には、その背後にも巨大な獣の息づかいが聞こえているのだけれど。
「シャーリー、ルートの修正はできそうか?」
「森を抜けるためのだいたいの方角はわかるのですが、水場をピンポイントで目指すというのは少し難しくなってしまったかもしれません。こうも目印となるものがないようでは……申し訳ありません、ジンサマ」
銀色の髪を揺らして、シャーリーが頭を下げた。
甚五郎が低く渋い声でうめくように呟く。
「いや、私が金狼のことを調べようと言い出したのだ。墓作りで思った以上に時間を取ってしまった。シャーリーが謝る必要はない。すまなかった」
甚五郎が松明を持たないほうの手でシダ植物を掻き分けて、シャーリーとアイリアを先に通らせる。
「そんなっ! わたくし、狼さんの埋葬ができて本当に良かったと思っています! だってあんなふうになった自分の姿は、たぶんジンサマ……ううん、もう誰にも見られたくはないから」
「……そうだな。朽ちてゆく姿を金狼に見られたくはなかっただろう」
最後尾からアイリアを抜かして、再び甚五郎はシャーリーの隣に立った。
進行方向の地形を松明の明かりで確認し、シャーリーは再び歩き出す。
「とはいえ、困ったわね。もうすぐ本格的に夜になってしまうわよ。少なくとも、狼をあんなふうに……潰せるだけの力を持つ何者かがこの森に潜んでいるとなると、ちょっとゾッとしないわね」
潰せる。そう。斬れるや、叩き殺せる、ではない。狼の背部は原形をとどめぬほどに潰れていたのだ。まるで重い落石にでも遭ったかのように。
アイリアのほうを振り返って、甚五郎が小さくうなった。
「うむぅ。理想を言えば水場で休憩して、少々無理をしてでも集落とやらまで進みたいが……」
木筒の水はすでに空だ。砂漠ほどではないとはいえ、水がなければ人間は徐々に動けなくなってしまう。
歩き通しの一日だった上に、さらに墓作りまで手伝ってくれたシャーリーとアイリアの疲労を考えれば、無茶はできない。
「それに……」
姿を見せぬまま、付かず離れず背後からついてくる獣の気配。
いや、正体はすでにわかっているのだが。
甚五郎がため息混じりに呟く。
「かまってはいかんぞ」
「……?」
シャーリーが首を傾げると、アイリアがクスっと笑った。
「生き物を飼うほど余裕はないし、あれが一緒じゃ集落はもちろん王都にだって入れないものね」
「うむ」
「え? え?」
甚五郎とアイリアに代わる代わる視線をやって、シャーリーが眉をひそめた。
外衣に包まれた背中に、甚五郎の大きな手がそっと添えられる。
「金狼だ。我々についてきている。ずっとな」
「え……、うそ、どうして……?」
「ま、食べるためではないでしょ。ジンさん堅そうだし」
「ふははっ、私の石頭をかみ砕けるものならかみ砕いてみ――」
そこまで呟いて、甚五郎の表情が急激に曇った。
「……穴を空けられたのだった……。……くそう、あやつめ。私の後頭部にいた長き友らを何本も奪いおってからに……。……むう! やはりもう二、三発、どついておけばよかったわ!」
「やめときなさいって。三人がかりでも勝てなかったんだから」
「ぬう……」
甚五郎の後頭部と額には、アイリアの持っていた傷薬が塗られ、上から包帯が巻かれていた。
「まったくッ。これで包帯を取ったときに一本でも長き友がへばり付いていてみろ。あやつの美しきパツキンを毟り取って、毛根ごと我が毛穴に埋め込んでくれるわ」
「だめですよ、ジンサマ。毟るという字は少ない毛なのでしょう? それにそういうの、なんか根暗です。わたくし好きじゃありませんっ」
「あはっ、ジンさんに金髪はまったく似合わないわよ?」
すかさず飛び出した乙女ふたりの批判に、甚五郎がへの字口をした。
「むぐう…………。……む?」
ふいに甚五郎が立ち止まると、アイリアが大きな背中にぶつかった。
「わっ! きゃっ! ど、どしたの、ジンさん?」
尋ねるアイリアに、甚五郎は瞳を閉じて唇の前に人差し指を立てる。
シャーリーが振り返って首を傾げた。
「どうかなさったのですか、ジンサマ?」
「静かに」
アイリアとシャーリーが顔を見合わせながらも、その指示に従った。
音……。
ざあ、ざあ、木の葉のざわめき。木々の隙間を抜ける微かな風。もっともっと小さく響くは、闇に潜む獣の息づかい。
これは金狼か。どこまでついてくるつもりなのか。
やがて甚五郎は瞳を開けて、ため息混じりに呟いた。
「むう……。水の音が聞こえるのだが、遠すぎて方角がわからん。これまで通ってきた方角と反対なのは確実だから、進行方向正面か右手寄りか左手寄りのどれかだが」
「ああ、それなら松明の火を見て、ジンさん。微々たるものだけど、火がわずかに倒れているのとは反対方向が風上でしょ。正確にはよくわかんないけど、音は風に流されるから風上方向に歩いて行けばいいんじゃない?」
「おおっ、それだ」
「へえぇ……アイリアさん、すごい……」
アイリアが両手を腰にあて、大きな胸を張って得意げな表情をした。
「でっしょー? 冒険者稼業も結構長かったからねえ」
進行方向をわずかに右手寄りにずらし、再び歩き始める。
苔むした低い崖を滑らぬように注意を払いながらよじ登り、甚五郎はふたりの乙女に手を差し伸べる。
「つかむのだ」
「わあ、ありがとうございます、ジンサマ」
「ありがと、ジンさん」
片手にひとりずつ。同時に軽々と持ち上げて崖上へと導き、ふと気づく。
背後から金狼の気配が消えていた。
「ふむ。見送りだったか。いや、ここまで守ってくれていたのかもしれんな」
アイリアが瞳を細めて、闇に閉ざされた森を眺める。
「あら、いなくなっちゃったわね」
「金狼さん、もうついてきていないのですか? うう~、わたくしも一回くらい抱きついてモフモフしておけばよかったです」
シャーリーが心底残念そうな表情をした。
まるでペットショップでペットをほしがる子供のようだと、ふと考えて甚五郎が相好を崩した。
甚五郎が、シャーリーとアイリアの背中を軽く叩く。
「礼を言うべきだな。いくら静かな森だとて、獣や魔物に襲われることもなくここまで順調に進めたのは、おそらく金狼が我々を背後から守ってくれていたからだろう」
「あ……」
シャーリーが今さらながらに目を見開く。
「森の主が威圧してたんじゃあ、あたしたちを狙うやつも一目散に退散ってとこか。ん。そーね」
アイリアが胸一杯に空気を吸い込んで、大声で叫んだ。
「ありがとおおおおおぉぉぉ~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」
「わっ、びっくりしました! せっかくなのでわたくしも! ――ありがとうございましたっ!! またいつかお会いしましょぉぉぉぉ~~~~~~~~~っ!!」
アイリアとシャーリーが目を見合わせて、同時に大きな声で笑った。
深い森に楽しげな女性ふたりの笑い声が響き渡る。
しばらく笑って、ふと、シャーリーから笑顔が抜け落ちた。
「けど、金狼さんこれからどうするのでしょう。この森には、金狼さんが守りたかった狼はもういないのに……」
「一匹で朽ちるまで生きていくのかもしれないわね」
アイリアが神妙な顔つきで呟と、シャーリーが寂しそうに囁いた。
「そんなの寂しいです……」
「ふははっ、わからんぞ。案外、狼以外の種族も守っているのやもしれん。この森がこれまで平穏でいられたのは、おそらく金狼という森の守護獣がいたからだ。あやつにとって守るべきものは、森そのものなのかもしれん」
その言葉が詭弁であるとわからないほどには、少女は幼くない。
そして、男の言葉が少女を慰めようとして言ったものであることも、少女は理解している。
「そう……ですね……」
どれほどまでに心を悩ませようとも、明確な正解など出てこないのだから。
これからどうするかは、金狼自身が決めることだ。
「フ、シャーリーが気になるというなら、時々は狼の墓参りも兼ねてあやつの様子も見に行ってやろうではないか」
少女は笑顔を取り繕って顔を上げた。
「はいっ、そうですね!」
仕方がない。仕方がないのだから。そう心のなかで何度も呟きながら。
その様子に瞳を細め、甚五郎が口を開く。
「フ、では行こうか」
振り向いた甚五郎の瞳に、月に照らされた小川が映る。
右手の川上方面はわずかに拓けていて、火を熾したあとの炭などが転がっている。おそらく王国騎士団か冒険者ギルドの野営跡だろう。
だが、それにしては少々手狭か。五十名が眠れる広さではないだろう。
シャーリーが崖上で背伸びをして指さす。
「あそこです、ジンサマ。冒険者ギルドの人たちがキャンプを行った痕跡があります」
「む? 王国騎士団は別のところで野営をしているのか?」
シャーリーがぶんぶんと首を振った。
「王国騎士団は馬車ですので、そもそも森は通れないのです。徒歩でなら森を直線で抜けるのが近道ですが、馬やラクダがあるなら回り道をして平原を行ったほうが遙かに楽で早いです」
なんとも、同じく命を懸けた仲間とは思えぬチームワークだ。
甚五郎は深いため息をついた。
瞬間、ぴりっと肌に電流のようなものが走る――!
「――ッ!? 止まれッ、ふたりともッ!」
川辺まで下りた甚五郎が、突如としてシャーリーとアイリアを両手で制した。
間髪を容れずアイリアが腰の短剣を抜き放って身構え、シャーリーも遅れてレイピアを抜く。
三者の頭を過ぎるは、狼の背部を一撃で粉砕した大型の魔物だ。
「~~ッ! ――シャルロット・リーンの名に於いて命じ……る……?」
だが――。
川のなか、輝く黄金の瞳。月光を反射する金色の体毛。
肩高は甚五郎の身長ほどだ。
「あ……」
シャーリーがぽかんと口を開けて、次の瞬間満面の笑みとなった。アイリアは笑いながら、あきれたような口調で呟く。
「ちょっとぉ、あんた。なぁ~んでふつうにいるのよ」
甚五郎は身構えた体勢を解いて、筋肉の緊張を抜いた。
大きなため息のあと、ハゲ上がった頭部に手をついて、口もとに笑みを浮かべる。
「ふ、ふははっ、ふはははははっ!! まったく、貴様というやつは! ことごとく、私の想像を超えおってからに!」
「ほんとよ、もう。人騒がせな子ねえ」
アイリアが腰に短剣を戻した。
「先ほどまで悲しみ思い悩んでいた時間と、貴様に無残に殺された後頭部の長き友らをどうしてくれるというのだ!」
「……いや、ジンさん、それはもういいでしょ……」
甚五郎が松明を投げ捨てて小川に足を浸け、黄金の獣へと歩み寄る。そうして獣の胸部を、棍棒のような右腕でドンと叩いた。
肉の弾ける大きな音が、深き森に響き渡る。
だが。だが、かなりの威力であるにもかかわらず、金狼は痛がるそぶりすらない。
――ウォウ?
「……フ、貴様。我々とともに来るか?」
月の光と松明に照らされた黄金の狼は、口に大きな魚を咥えて千切れんばかりに尻尾を振っていた。
――ウォウ!
シャーリーが心の底から嬉しそうに金狼へと飛びついたのは、その直後のことだった。
次回から普段通りの雰囲気のハゲに戻りまぁ~す!
髪の毛は……ありまぁす!




