ハゲ、掘る
前回までのあらすじ!
ハゲが激オコなでっかい狼をべろべろ舐め回してよ~しよしよしよしゃしゃしゃ!
ざあっと湿った風が森の木々を揺らした。
戦いを終えてみれば、実に穏やかで静かな森だった。
湿った土の匂いや明るい木漏れ日。
空を覆うように茂った樹木の葉が強い陽光を遮ってくれるため、温暖で過ごしやすい。
ジャングルというよりも富士の樹海を思い起こさせる。
「なんと美しい森だ」
「そうね。砂漠に隣接している地だとは思えないわ」
二本の短剣を腰の鞘に収めたアイリアが、戦いで乱れた呼吸を整えるために大きく胸を張って深呼吸をした。
甚五郎は金狼に視線を戻して呟く。
「こやつはこの森の主なのかもしれんな」
すっかりと気を落ち着けたらしい金狼が、甚五郎のスーツのジャケットを噛んで引っ張った。
――グル、グルル……。
「ぬ?」
決して強くではなく。親愛の情を込めたような瞳で、そっと。
「私をどこかへ案内したいのか?」
金狼がジャケットを噛んだまま、甚五郎に頭を垂れる。
甚五郎が困ったような表情でシャーリーに視線を向けた。
「シャーリー、ここから水場までまだ遠いか?」
少女はようやく正気に戻ったかのように、手にしていたレイピアを鞘へと滑り込ませる。
「いえ、もうそれほどは離れていないと思います」
「ふむ。少々寄り道をしてもいいか?」
「あ、はい。わたくしは問題ありません」
「あたしもかまわないわよ、ジンさん」
木筒に口を付け、水を飲んでいたアイリアが金狼を指さす。
「その子についていくの?」
「うむ。少々気がかりがあってな。どうにもおかしいと思わないか? 我々はこの金狼にとって捕食対象ではないようだ。食べるためでないなら、なぜあれほどの執着を見せ、襲いかかってきたのか」
アイリアが事も無げに呟いた。
「テリトリーに踏み込んだからじゃないの?」
「違うな。シャーリーは先ほど、この森には人間の集落があると言っていた。テリトリーに踏み込むだけで襲いかかるような危険な獣であれば、すでに冒険者ギルドや王国騎士団に報告がいっていたはず。だが、そのような話は聞いたことがないどころか、こやつの存在すら知らなかった。――そうだな、シャーリー?」
「あ、確かに……そうですね……」
甚五郎は金狼の鼻先に手をやって、眉間を撫でる。
「本来であれば、ヒトを襲うような狼ではなかったということだ。この森の狼は絶滅していなかった。ヒトを襲わずその姿を隠し、ひっそりと静かに生き延びていたのだ」
アイリアが小さく何度もうなずく。
「なるほど。そんな金狼が突然襲いかかってきた理由を知りたいのね」
「そうだ。でなければ、またこやつはヒトを襲うやもしれん。原因があるのならば、我々で取り除いてやらねばなるまい」
きりっとした表情で、甚五郎が微笑みを浮かべる。
「ジンサマ、すごいです……! そのようなことに気がつくだなんて……!」
「ジンさんって、普段はめちゃくちゃなことばかり言ってるくせに、時々鋭いわね」
「フ、おだてるのはよさないか。頭皮がこそばゆいではないか」
「あはは。それでは、金狼さんの案内で移動しましょうか」
シャーリーが腐葉土に落としていた外衣を胸当ての肩に装着し、布を身体にまとった。
甚五郎が不思議そうに尋ねる。
「それは日焼け対策か? ならば外衣よりは、アイリアのように貫頭衣をまとったほうがフードもついていて直射日光から毛根を守れるぞ」
「あ、いえ。これは……」
口籠もったシャーリーに代わって、アイリアが両手を細い腰にあて、口を開いた。
「魔法使いは大地や空、水、炎から魔力の元となる元素を得て魔法を使用するのよ。で、元素を肉体に取り込む際には、着ている服が邪魔になるってわけ。露出が多いほどいいのよ。だからとっさに脱ぎやすい外衣をまとっているのよ。――そうでしょ、リーン家のお嬢様?」
「う……」
シャーリーが苦い表情をしたことで、アイリアが額に手をあてた。
「やっぱり!」
甚五郎が怪訝な表情で、頭髪なき頭部に手を置いた。
「リーン家? 確か魔法を発動させる際にはシャルロット・リーンと名乗っていたな」
「う、はい……」
――グル……。
金狼が甚五郎のジャケットを再び引っ張った。
「ふむ。なんのことかは知らんが、あとにしよう。今はこやつがヒトを襲った原因を解決するのが先だ。犠牲者が出る前にな」
「そうね」
甚五郎が歩き出すと、金狼がようやくジャケットを放した。そうして甚五郎の前に立って、彼らを導くように歩き始めた。
苔むした岩を乗り越え、倒木をくぐり抜け、巨大なシダ植物を掻き分けて、ひたすら金色の獣のあとについて歩く。金狼は時々足を止めて振り返り、甚五郎たちを待つような仕草を見せた。
どれくらい歩いただろうか。
やがて金狼は、大木と一言にしてしまうにはあまりに巨大すぎる、高く、太く、天すらも突き破らんばかりに聳え立つ、一本の大樹の前で立ち止まった。
大樹があまりに大きく、広げた枝葉が広範囲にわたっているため、大地には巨大な影が落ちている。
ゆえに他の大きな植物は育たず、その場だけがほんの少し開けた草原となっていた。
「わっ、すごい……」
シャーリーが感嘆の声を上げた。
「うむ。凄まじい生命力を感じる。む! 何やら髪が生える気がするぞ!」
「あはっ、何よそれ。――あ、ジンさん、あそこ見て」
大樹の根元には、大きな洞があった。それこそ、甚五郎はもちろんのこと、巨大な金狼ですら足を曲げずに入れるほどの。
金狼は迷うことなく、洞のなかへと入ってゆく。続いて甚五郎が、そしてシャーリーが、最後にアイリアが暗闇へと踏み込んだ。
「あ……」
なかには木の葉が敷き詰められていた。
そして、その上には――。
「そうか。そういうことだったのか」
甚五郎が呟く横で、シャーリーは口もとを手で覆って目を見開いている。
その視線の先、木の葉と木の枝のベッドには、一匹の狼が瞳を閉じた状態で、目覚めることのない眠りについていた。
金狼とはサイズが違う。普通の狼だ。
――クゥ……クゥ……。
金狼は狼の前で四肢を折ると、哀しげな声で鳴いてその汚れた毛皮に舌を這わせた。
汚れ。血。傷。そう、傷だ。
背中。大きく裂けたというよりも、鈍器のようなもので叩き潰されたかのようで。血に濡れた毛皮はすでに乾燥し、固まっていくつもの束ができていた。
おそらくは即死だっただろう。
その枕元には、砂漠で狩ったものと思しきサンドワームの大きな肉片が置かれていた。
狩りから戻ったら殺されていたのだろうか。
金狼は哀しげな声で鳴き、狼の亡骸に舌を這わせ続けていた。まるで涙を流さずに泣いているかのように。
甚五郎が金狼の首筋をそっと撫でて呟く。
「……最後の仲間か、それともおまえのつがいだったのか、子供だったのかはわからんが」
――クゥ……クゥ……。
金狼は狼の亡骸を慈しむように、ひたすら舐め続けている。
治れ、治れ。起きろ、起きろ。そんな声が聞こえるようで。
「哀しいなあ。つらかったなあ。たったひとりに、なってしまったもんなあ」
甚五郎の頬を大粒の涙が伝う。
シャーリーが濡れた視線を逸らして、アイリアの大きな胸に顔を埋めた。
アイリアはシャーリーの肩を抱き、静かな声で呟く。
「金狼は、この森に踏み込んだ異端者であるあたしたちを、この子を殺した犯人と勘違いしたのね。だから襲ってきたんだ」
「うむ。だが、これは人間の仕業ではないな。このような殺し方は人間にはできん。一撃で背部の肉を内臓ごと吹き飛ばしている。私自身も含め、どれほどの怪力でも不可能だ」
甚五郎がジャケットの袖で涙を拭って、狼の亡骸を枯れ葉のベッドから両手で抱え上げた。
金狼はほんの少しだけ唸ったが、それ以上は何もしてこなかった。
「ジンさん、その狼どうするの?」
「埋葬しよう。金狼はそのために私たちを住処に導いたのだろう」
洞から出て、視線を左右に振る。
「大樹の近くがいいだろう。いつでも会いに行ける」
甚五郎は抱えた狼をそっとその場に横たえると、大樹の隣にあった苔むした岩を肩で押して引っぺがした。
そうしてしゃがみ込み、濡れた腐葉土を両手で掻いて穴を掘る。
ただただ無言で。
シャーリーが膝を抱えてすすり泣くなか、金狼は亡骸の横から片時も離れず、穴を掘り続ける甚五郎と、石を運ぶアイリアの様子をじっと眺めていた。
男は指先が裂けても、道具はおろか石すら使わずに穴を掘り続けていた。どれだけ服が汚れても、どれだけ汗が滴ろうとも、その手を止めることはなかった。
金狼は長い間、男を見つめ続ける。
やがてシャーリーも立ち上がり、石を運び始めた。
そして日が暮れる頃には、大樹の根の横には小さな石を墓石にした墓が完成していた。
――オオオオォォォォ……!
金狼が夕暮れ時の空に吼える。何度も、何度も。
大樹の幹にもたれ、未だに涙の止まらぬシャーリーの肩に手を置いて引き寄せ、甚五郎はその銀色の髪を静かに撫でた。
金狼はいつまでも、暮れかけた日に吼えていた。
…………え、ちょっと……ボケようよ!?




