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ハゲ、その愛ゆえに

前回までのあらすじ!


なんか突然現れた得体の知れんハゲが、プロレス技でワイバーンを犬神家状態にしたぞ!


 地面に横たわったワイバーンへと、甚五郎が不機嫌そうに吐き捨てた。


「やれやれ。あまり私を苛つかせるんじゃあない。ストレスは頭皮に酷なのでな」


 わずかに残った両サイドの髪を整え、ハゲ上がった頭皮に付着した砂を優しく払い除けながら。

 だが、甚五郎は忘れていた。もう一体の存在を。


「危ないっ、おじさん!」

「むお!?」


 振り返った甚五郎の守るもの無き頭部を、オーガが丸太のような前脚でなぎ払う。


「――ンがっ!?」


 鈍く重い音が響き、甚五郎の肉体が空中で三度回転して大地へと叩き付けられた。大地で肉がたわむ音がして、背中から落ちた甚五郎が血を吐く。


「がはあっ!?」

「うわああああっ、お、おじさ――ああもう、だから言ったのに!」


 少女はとっさに足下のレイピアを蹴り上げて空中でつかみ、甚五郎の腹部を喰い破ろうとしたオーガの目を狙って突き出す。


「やっ!」


 鋼を研ぎ澄ませた切っ先は、わずかばかりその眼球を引っ掻いただけで、あっさりと弾かれてしまった。


「さ、刺さらない……!」


 ――ギャアアアアアァァァァァァァーーーーーーーーーーッ!?


 眼球を押さえて悲鳴を上げたオーガが、少女へと向けてでたらめに両の前脚を振り回す。


 オーガの膂力はワイバーンの力など遙かに凌駕している。ワイバーンにすらレイピアを弾かれた少女の力では、とでもではないが受け止めることなどできはしない。力で圧倒的に劣る細腕の少女にとって、オーガはあまりに相性が悪い。


 ゴォッと風が巻き起こり、少女の頬をかすめて黒色の毛に覆われた豪腕が通り過ぎる。


「く!」


 顔をしかめて汗を飛ばしながら仰け反った少女の胴体へと、オーガが立て続けに豪腕を振り回した。


 避けきれない。この体勢では。

 だが、少女は囁く。誰にも聞こえぬよう、誰にも聞かせぬよう、小さな声で。


「――シャルロット・リーンの名に於いて命じる。旧き盟約に応じよ、汝、風の精霊シルフ」


 少女の周囲に緑の風が吹いた。

 直後、少女は身体を背後に倒して豪腕をかいくぐると同時に、緑の風に乗って糸繰り人形のように不自然に跳ね上がって体勢を立て直す。


 少女の動きが変化した。

 砂の大地であるにもかかわらず、少女はレイピアを持ったまま短いスカートを翻らせ、その不自然な風に乗るかのように右へ左へと華麗に回避する。


 それでも余裕などない。風の精霊の力を借りてなお足をもつれさせ、汗を飛ばしながら、かろうじて躱しているだけに過ぎない。

 魔法が使えるとはいえ、そもそも人間の、それも少女ひとりでどうにかなる程度の魔獣であるならば、王国騎士や冒険者がこんなに犠牲になることはなかったし、合同討伐隊など組まれることだってないのだ。

 そしてその程度のことは、少女にだってわかっていた。それでも。


「この――ッ!」


 豪腕をかいくぐり、緑の風に乗ってレイピアを茶褐色の腹部へと突き立てる。

 だが、剛毛に覆われた皮膚を貫くことはできない。せいぜい小傷を付けるだけで精一杯だ。


 逃げることは簡単だ。自在に吹かせられる精霊の風に乗って走ればいい。

 けれど、甚五郎と名乗ったこの頭髪がかなり不自由な男を連れてとなると、難易度は跳ね上がる。そもそも、彼を運んでオーガから逃げ切れるだけの腕力が少女に備わっているのであれば、刃はオーガにも突き刺さるのだから。

 時間を稼ぐことしかできない。


 身をひねって豪腕を回避し、わざと隙を見せることでどうにか甚五郎とオーガを引き剥がそうとするが、どうにもうまくいかない。

 貪欲なるオーガが、ありついた(ハゲ)から離れようとしないのだ。

 それでも少女はあきらめない。


「やっ、はっ!」


 オーガの鼻先でレイピアを振るい、血液さえ出ない小傷を繰り返し負わせてゆく。豪腕や牙をかいくぐり、緑の風に乗って背後に回り込んで背中を穿つ。

 むろん、ダメージは見込めない。ただ、オーガの怒りを、ほんの少しこちらに向けることさえできればそれでいい。


 けれど――。


 噛み付きを跳躍で回避し、何度目かのオーガの背後に着地した瞬間、狡猾なる魔獣は後ろ足で砂を蹴った。


「――ッ!」


 少女が瞳を手で覆った直後、振り向き様にオーガの爪は少女のレイピアを強く払っていた。


「あ!」


 けたたましい金属音が響き、レイピアの刃が折れ曲がった時点で、少女の足下から緑の風が雲散霧消する。

 魔法の触媒にしていた刃が折られてしまったからだ。


「そんな――っ!」


 緑の風によって軽減していた肉体の重量が、少女のそれへと戻る。

 少女が戸惑ったその刹那、彼女の小さな身体は豪腕に薙ぎ払われていた。


「~~ッ!?」


 砂を巻き上げて転がり、それでもどうにか四つん這いとなって咳き込む。


「かはっ、げほっ、か……はあ!」


 胸当ての上からでなければ、今のでもう死んでいた。運が良かった。

 だが。地響きとともに迫り来るオーガの巨体に立ち上がろうとして。


 その鼻先。牙、涎、獣臭、体熱。


 太陽の光すら遮るあまりの巨躯に、小さな身体が(すく)んだ。萎縮したのだ。

 絶対的な恐怖を感じてしまったその瞬間、肉体は抗うことをあきらめていた。

 少女は震えながら膝をつき、血肉に狂った怪物の眼を見上げる。


「あ、あぁ……」


 オーガが少女の肉体を掻き斬るべく、爪を高く持ち上げた。

 だが、その瞬間――!


「おおおおお、りゃああああぁぁぁ!」


 男は雄叫びとともに立ち上がり、派手な音を立てて自らのワイシャツを左右の手で勢いよく引き裂いていた。

 まるで鎧のような筋骨隆々とした肉体を惜しげもなくさらして、その男、羽毛田甚五郎が天まで轟く雄叫びをもう一度上げた。


「フー、フー……! ぐ、おおおおおぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーっ!!」


 喚く! 響く! 轟く!

 ワイバーンの咆吼よりも、オーガの咆吼よりもなお大きく! 空間を四方八方にびりびりと震わせて! まるで雷轟のごとく!


 臓腑の底から溶岩のように噴出する怒りに任せ、甚五郎はオーガを睨み付けた。


「……二日酔いとはいえ、ふいを衝かれるなどと……戦闘勘が少々なまっていたか……。……リングから……はぁ……離れていた期間が長すぎた……。だが――ッ」


 オーガもまたそれに呼応するかのように、裸ネクタイとなった甚五郎へと視線を向ける。

 甚五郎は血走った瞳で凄惨な笑みを浮かべ、オーガをゆっくりと指さした。


「貴様……。私の頭を……攻撃したな……。抜けたぞ、今……。確実にな……」


 怒りに食いしばった歯から血を流し、片手で自らの頭皮を触りながら鬼の形相でオーガへと一歩踏み出す。

 先ほどまでとは違う何かを感じとったかのように、オーガが小さくグルルとうめいて一歩後退した。


「三本は……逝った……。髪は長き友と書く……。オーガとか言ったな……? 貴様は無辜(むこ)なる私の友を……奪ったのだ……」


 甚五郎は底知れぬ怒りを限界まで圧縮し、かろうじて言葉を紡ぐ。


「……許さんぞ……」


 体躯はおよそ倍ほども違う。

 だが、両腕を広げてゆらりゆらりと不気味に迫る裸ネクタイの甚五郎に、オーガが気圧されたかのように後退してゆく。


「オーガよ。私がうらやむほどに、黒々とした強靱なる体毛を持つ種よ。貴様らはその罪を絶滅して償うがいい」


 やがてオーガは持ち上げていた前脚を砂の大地に置くと、甚五郎に背を向けて走り出した。本能で何かを察知し、逃げ出したのだ。


「逃がさん! うおおおぉぉぉっ!」


 その背に追いすがるように飛び乗って、甚五郎はオーガの背後から筋肉でできた太い首に右腕を回し、左腕と絡めた。


「ぐ、ぬぅぅぅらっしゃああっ!」


 締め上げる。

 化け物の強靱なる筋肉ごと、気道を、血管を、血流を。渾身の力を込めて。


 めり、めり。


 体組織を圧し潰す嫌な音が響き、甚五郎の腕がオーガの首へとめり込んでゆく。

 茶褐色の剛毛に覆われたオーガは前脚を振り回してどうにか甚五郎を振り払おうとするが、甚五郎は決して離れない。


「無駄だ。自慢の爪も、自らの背中にまでは届くまい。羽毛田式殺人術のひとつ、めり込みチョークスリーパーホールドからは決して逃れることはできん。私から長き友(頭髪)を奪ったことを、あの世で悔いるがいい。――(フン)ッ!」


 血管を浮かせた甚五郎の腕が、さらにオーガの首にめり込む。


「おおおぉぉぉッ!」


 砂煙を上げて跳ね回り、時には自らの体重と大地で挟み、どうにか甚五郎を引きはがそうと頑張っていたオーガの動きも、次第に鈍くなってゆく。

 やがてオーガは大量の唾液を垂らしながら、ゆっくりと砂の大地にその身を横たえた。


「ふ~……」


 数秒後、甚五郎が腕のロックを解いて立ち上がる。


「ふん。頸椎をへし折ってやるつもりであったが。やれやれ、私も相当なまっているな」


 砂を巻き上げる強い風のなか、陽光を汗ばんだ頭皮で反射させながら、甚五郎は素肌に下がったままのネクタイを軽く締めた。

 そのすぐ横でへたり込んだままだった少女が、口をぱくぱくと動かす。


「オ、オ、オーガを、す、素手で力任せって……に、人間……ですよね……?」

「ん? 私のことかね? もちろん人間だが、それがどうかしたかね?」


 甚五郎は肌に付着した砂を払い、転がっていたビジネスバッグを拾い上げた。

 彼の残り少なくなった髪を、熱砂の風がわずかに揺らす。


「フ、不毛な戦いだった」


 わけのわからない戦いを目の前にして、およそ五十メートルほど離れた位置で杖や弓を構えたまま二体の怪物を取り囲んでいた王国騎士たちや熟練の冒険者たちでさえ、誰も口を開く者はなかった。


彼は強いが毛根はか弱い。

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