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ハゲ、はじめてのぴんち㊦

前回までのあらすじ!


でっかい狼がハゲの頭皮を囓り取ろうとしているぞ!

 一瞬の躊躇いもなく、シャーリーが外衣を脱ぎ捨てて詠唱を開始した。


「――シャルロット・リーンの名に於いて命じる」


 だが、詠唱が終わるよりも早く。

 最初に飛びかかったのは、小麦色の肌のアイリアだった。

 長い黒髪を振り乱して跳躍し、両手の短剣を金狼の胴体部へと振り下ろす。


「やあっ!」


 しかし金狼は甚五郎の頭部を咥えたまま身を屈め、地を這うように超スピードで横へと回避した。


 ――グルルルル……ッ!


 甚五郎は為す術もなく引きずられるが、それでも上顎と下顎を押さえる手の力は弱まってはいない。

 まだ抗っている。抗えている。生と死の狭間で。


「わ、私の頭皮にかまうんじゃない! 逃げるんだッ!」


 見当違いのことを叫ぶ甚五郎を黙殺してアイリアは再び身を屈め、地を蹴った。

 今度は金狼の前脚へと右の短剣を振るう。鋭く。疾く。


「ジンさんを放せぇぇーーーーーーーーッ!」


 群青色の長いスカートが激しく躍る――!


「――旧き盟約に応じよ、汝、風の精霊シルフ!」


 シャーリーの詠唱が完了したその瞬間、金狼の前脚に薙ぎ払われたアイリアが背中から倒れ込み、腐葉土を勢いよく巻き上げて転がった。

 そのアイリアを跳躍で越えて、シャーリーがレイピアを抜きながら足下に渦巻く緑に風に乗り、一直線に金狼へと突撃してゆく。

 人間に生み出すことの可能な限界速度はもちろんのこと、ともすれば魔物の速度すらも超越して。


「イッヤアアアァァァァーーーーーーーーーーーッ!!」


 金狼がシャーリーに視線を向けた。

 シャーリーはレイピアの柄を両手でつかみ、まるで一陣の疾風であるかのごとく、その切っ先を金狼の横っ腹へと突き出す。


 だが。だが金狼は、それすらも。その速度すらも回避して。


 レイピアは空間を貫いていた。

 四つの脚が腐葉土を蹴ったのだ。表面の濡れた枯れ葉を粉砕し、奥底に眠る泥を跳ね飛ばして。


 跳躍――。


 しなやかに、音もなく。

 甚五郎という巨体の傑物を咥えたまま、高く、高く。そうして重力に逆らうかのように、大木の表層に脚を付けた。


「~~ッ」


 だが、シャーリーもあきらめてはいなかった。

 シャーリーは勢いそのままに進行方向にあった木を蹴って、視線を高く上げながら金狼を追って跳躍する。

 まるで肉体に翼でも生えているかのように。


 金狼に負けぬほどに高く、鋭く。


 重力に任せて大木から滑り落ち始めた金狼へと向けて、緑の疾風が吹き抜ける。

 金狼が再び大木を蹴ってシャーリーの攻撃を躱そうとした瞬間――!


「ぬふぅッ!」


 頭部を咥えられたまま甚五郎が自らの両足を高く振り上げ、大木の枝へと巻き付けた。

 跳躍に失敗した金狼が、金色(こんじき)の瞳を大きく見開く。


「今だ、シャーリー!」

「~~っ!」


 シャーリーのレイピアが金狼の体毛を刺し貫く――寸前、金狼はついに甚五郎の頭部を口から離した。そうしなければ、レイピアの刺突攻撃を躱せないからだ。

 大地に着地した金狼へと、再びアイリアが躍りかかる。


「はあっ!」


 しなやかに肉体を傾けることで短剣を回避した金狼が、バックステップで大きく距離を取ってアイリアの追撃を躱した。


「逃がさない!」


 アイリアが大きく前の開いたスカートに手を入れ太ももに隠していたナイフを取り出し、金狼へと放つ。

 飛来するナイフをサイドステップで躱して、金狼が再びうなり声を上げた。


 ――グルルルル……!


 アイリアの投げたナイフが、虚しく腐葉土の大地へと突き刺さる。

 緑の風に包まれたシャーリーと甚五郎が同時に大地に着地したのは、ちょうどその瞬間だった。

 片膝をついて着地した甚五郎が、頭皮に空けられた穴から大量の血を流しながら視線を持ち上げ、ゆっくりと立ち上がる。


 後頭部。穴の空いた場所。


 ここには、いたのだ。確かに存在していた。つい先ほどまで。

 額軍の侵略により前頭部と頭頂部からは撤退を余儀なくされた長き友(頭髪)ら、生存部隊が。

 だが、いなくなった。獣の牙によって駆逐されてしまった。ほんの一部ではあるけれど、殺されてしまった。


 甚五郎の瞳から涙がこぼれ落ちる。


「……貴様が……今……無造作に噛み砕いた……髪の毛たちは……」


 びきびきと、音を立てて筋肉が膨張してゆく。昨日までよりも、今朝までよりも、先ほどまでよりも。強く、堅く、太く、逞しく。

 涙とともに。


「――ッ、昨日誰かが守りたくて、守れなかった髪の毛だァァァーーーーーーーーッ!!」


 その叫び、雷轟のごとく。

 空間を震わせ、深き森を揺らし、鳥たちを飛び立たせて。

 たとえばこの森にオーガやワイバーンが潜んでいたとしても、身の危険を感じて逃走を選んだだろう。


「……?」

「……?」


 シャーリーとアイリアは額に縦皺を刻み、同時に首を傾げていたけれど。

 だが、金狼は退かない。その瞳に冷徹な光を宿し、再び牙を剥く。


 ――ガアアアアアァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーッ!!


 その咆吼は、甚五郎の魂の叫びすらも呑み込むほどに、強く、大きく、激しく。まるで激情に駆られ、血の涙を流すかのように。


 哀しく。


 その強き咆吼に、シャーリーとアイリアが同時に息を呑んで耳を塞いだ。

 今さらながらに、己が何を相手にしてしまったのかを実感したようだ。


「シャーリー、アイリア、あれはなんだ? 魔物か?」


 シャーリーが銀髪を揺らして首を左右に振った。


「……わかりません。あんな魔物がいるだなんて聞いたこともありませんでした」

「あたしも。たぶんだけど、ただの狼じゃないかな。一匹だけの突然変異かも。まあ、あの規模だと人にとっては魔物と言わざるを得ないけど」


 甚五郎は油断なくかまえながら、うめくように呟く。


「私には神の一柱に見える。このまま続けても勝てんぞ。勢いでどうにかなる相手ではない」

「それでも、ジンサマを置いては逃げませんから! 絶対です!」


 シャーリーが甚五郎を睨み上げる。

 甚五郎は金狼から視線を外さない。


「……そうだな。問答する暇もなさそうだし、情けないことだが、先ほどはふたりの存在に救われた」

「ジンさん……」


 だが、彼我の力の差はいかんともしがたい。

 甚五郎という重量を咥えた上で魔法を使ったシャーリーと同じ速度で走り、技に長けたアイリアの短剣ですら掠めさせないほどに肉体はしなやかで、甚五郎の両腕の力をも凌駕するほどの筋力を持っている。

 大声で威嚇すれば多少は縮み上がるかと思いきや、逆にさらなる咆吼を返してくる始末だ。


 ふと考える。

 ……何がやつをそこまで駆り立てている? 捕食のための獲物として見た場合、我々はかなり手強い部類のはずだ。その上、可食部も多いとは言えない。それこそサンドワームでもを狙ったほうが楽なはずだ。

 ならばなぜ、貴様はそのような目で我々を見ているのだ。まるで憎しみでも込めたかのような目で。


 ――グルルルル……!


 金狼が頭を下げ、額に皺を刻みながら低く唸った。


「食うためではないな。もてあそぶためでもない。……殺すため……ならばそこにあるのは怒りの感情か?」


 言葉に出して呟く。


 ――ガアアアアアァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーッ!!


 四肢を折り、金狼が金色の軌跡を残して跳躍する。

 その瞬間、甚五郎はシャーリーの肩に左手をのせ、アイリアの肩に右手をのせた。


「来るわよ! ――え、きゃっ!」

「~~ッ、わっ!?」


 身構えたシャーリーとアイリアを左右に突き飛ばし、甚五郎は再び両手で金狼の上顎と下顎をつかんで受け止める。


「ぐぬっ!」


 掌から肘を伝って腕の付け根にまで、鋭く重い衝撃が走り抜けた。

 金狼の勢いと重さに押され、ずずっと革靴が腐葉土の地面をめくり上がらせながら滑ってゆく。


「ぬ……ぐぅぅぅぅ!」


 甚五郎の背中が大木にぶつかり、大木が大きく揺れた。

 だが、受け止めた。


「ぐ……く……っ!」


 パンパンに張った筋肉が、青筋を立てて震えながら蒸気を発する。

 歯を食いしばり、それでも甚五郎は瞳を見開いて、自ら金狼へと顔を近づけてゆく。


「ぐ……ぅぅ……ッ!」

 ――ガ……グル……ッ!


 獣臭。手で押さえた牙の隙間からは、唾液が伝う。金狼が首を振り、どうにか甚五郎の手を振りほどこうとするが、甚五郎は牙に突き刺さる指先から血を流しながらも、決してその手を放さない。

 額と後頭部に空けられた穴から血液が流れ出し、瞳に入り込む。

 視界が赤く(にじ)んでゆく。


「ジンサマ!」

「……手を……出すな……ッ! ――ぐうぅ……ッ!」

「でもジンさん!」

「頼む……! くっ、う……、ほんの少しの間でいい……!」


 両者の顔がさらに近づく。

 甚五郎の視線と金狼の視線が正面からぶつかった。愁いを帯びた黒の瞳と、凶暴なる金色の視線が混ざり合う。


 その瞬間、金狼からの圧力が軽くなった。それはほんの一瞬。だが、確実に。

 金狼が迷ったのだ。この男に対し、己が抱く感情をぶつけることを。


 甚五郎の口もとに笑みが浮かぶ。否、その瞳にさえも。

 そうして雄々しく叫ぶのだ、この男は。このハゲは。


「我が心の師より盗みし絶技! ――羽毛田式愛玩術のひとつ、無防備ナメナメッ!」


 直後、甚五郎は金狼の上顎と下顎を押さえていた手を放す。そうして金狼の牙が食い込むよりも早くその金色の胸元に飛び込んで、全身で抱きついた。


 ――ガゥ!? ガ……ガアァァ!


 戸惑う金狼の体毛へと、無防備な頭皮を擦りつけるように顔を埋め、両方の腕で金狼の首をわしゃわしゃと掻き毟る。

 そうして男は口を開く。


「よーしよしよしよし! レロレロレロレロ!」


 一瞬飛び退きかけた金狼を放さず、その口もとに首を伸ばし、牙を隠すように閉ざされていた口をベロベロとナメ始めた。


 ――ギャフ……ゴフ……ッ!?

「レ~ロレロレロレロかわいいでしゅねぇ~! レロレロいい子でしゅねぇ~! どうちて怒ってるんでちゅかぁ? ん? ん? レロレロ! この薄毛のおいたんに教えてくだちゃいねぇ~! レロレロレロレロ!」

 ――ガフ……ガフゥ……?


 大暴れする金狼に引きずられ、振り回されながらも、甚五郎は決してその両手を放さなかった。そうして、しつこいほどに己が内より溢れし愛情をぶつけるのだ。この男は。金狼へと。


「よ~しよしよしよしわしゃしゃしゃしゃ~しよしよし」


 やがて金狼の瞳から狂気が抜け落ちてゆく。

 逆立っていた体毛も、徐々に落ち着いて。


 ――フキャ……フキュ……。


 ガクガクと四肢を揺らし、金狼が腐葉土の上にべたりと座り込み、そしてついに横倒しとなって腹を見せた。

 それでも甚五郎は攻撃の手を緩めず、今度は四つん這いになって首もとにのり、わしゃわしゃと両腕を動かす。

 もはや人智を超越した二体の獣の戦いは、和睦の様相を呈しつつあった。


「もうだいじょぶでちゅよ~。怖くないでちゅよ~。レロレロレロレロ。薄毛のおいたんは敵じゃありまちぇんからねぇ~。かわいいねぇ~、きれいだねぇ~。

おいたんもそんな毛が欲しいでちゅよぅ~」

 ――キュゥン。


 やがて、金狼が甚五郎をナメ返す。

 主に穴を穿ったその頭皮を。流れ出る血液をナメ取って、その傷口を癒すように。


「ふははっ、おいたん痛いでちゅよ~。ざらざらしていて、生きている毛根ちゃんも死んじゃいまちゅから、ナメ返してくれなくても大丈夫でちゅよ~。よ~しよしよしよしゃしゃしゃしゃ」


 それでも金狼は親愛を込めた瞳で甚五郎の頭皮をナメ続ける。

 ざりざりと、ヤスリで削るかのような音を立てながら。


「よしよし、いたた、や、痛い、ちょっと、マジでやめよ? 一回やめよ?」


 レロン、レロ~ン。


「おい」


 レロン、レロロロ~ン。


「……貴ッ様ァッ、いい加減にせんかぁ!」


 突然の怒号とともに、甚五郎が拳骨を金狼の頭部へと落とした。

 深い森に、どごん、と重い音が響き渡る。


 ――キャン!? キュゥゥン……。


 金狼がしょぼくれた声で鳴いた。


「まったく貴様というやつは。あまり調子にのるんじゃあないぞ?」


 そうして腰砕けとなってしまった金狼をその場に置いて、羽毛田甚五郎はただひとりで立ち上がる。

 その逞しき両腕を大胸筋の前で組み、慈愛に満ちた瞳を細めながら。


 意外といえばあまりに意外な結末に、魂の抜けたような表情でその様子を眺めていた美しき元娼婦の隣で、銀色の髪の少女は赤面しながら口もとを両手で覆って呟いていた。


「う、う、うらやましい……。羽毛田式愛玩術、わたくしにもかけて欲しいです……」


 元娼婦がくわっと瞳を見開き、銀色の少女のほうを勢いよく振り返った。


「――えっ、その発言、引くんだけど……」


よーしよしよし、なんか書いてて不安な気持ちになってきた。

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