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ハゲ、はじめてのぴんち㊤

前回までのあらすじ!


小娘に夜這いされかけたハゲの頭皮!

しかしその頭皮は、触れられる前から気づいてしまうほどの敏感肌だった!

 食堂で朝食を採り終えて砂の魚亭を出ると、シャーリーが砂漠の街ロックシティの入り口で銀色の髪をなびかせて振り返った。


「ジンサマ、この方角に二日ほど歩けば、いよいよ王都シャナウェルですよー」


 邪気のない笑顔で瞳を細め、シャーリーはめいっぱいに両手を広げる。

 直射日光から素肌を隠す外衣(マント)が、ぱたぱたとはためいた。


「うむ? まだ二日もかかるのか? もう少し砂漠越えの準備をしてからのほうがよくはないか?」


 シャーリーがぶんぶんと首を左右に振った。


「平気です。砂漠はあと半日も歩けば終わりますから。そこから先は、徐々に森に入ってゆくのです。森に入れば川もありますし、集落なんかもありますからそこで一夜を明かしましょう。ですので、王都到着は明後日ですね」

「ふむ。ならばよかろう」


 甚五郎はパンパンに膨らんだビジネスバッグを肩に持ち上げて、素肌でネクタイを揺らしながら歩き出す。

 その後を、あわててシャーリーとアイリアが続いた。


「ねえ、ジンさん。その鞄、容量少なくて不便じゃない?」


 甚五郎の右隣についたアイリアが、後ろ手を組んで斜め下から甚五郎を見上げ、不思議そうに尋ねる。


「そうだな。だが日本の戦うサラリーマンにとって、ネクタイとビジネスバッグは最大の武器でもあるのだ。何年も使い込んできた相棒は、簡単には手放せん」

「なになに? ニッポン国の戦士って、その平べったい鞄を振り回して戦うの!?」

「うむ。うーむ? ……うむ、その通りだ」


 若干、認識の差を感じながらも、大まかには合っていると信じ、甚五郎は力強くうなずいた。

 アイリアとは反対の左隣についたシャーリーが、やはり甚五郎を見上げて眉をひそめた。


「ねくたいってなんですか?」

「これだ」


 甚五郎がスーツのジャケットを肩まではだけさせ、素肌の中央で揺れている細長いネクタイを片手で取ってシャーリーへと見せる。


「ああ、そのまるで用をなしていないお乳バンドです?」

「ふははっ、違うぞシャーリー。これはお乳首様を隠したり、女性がお乳房様の型崩れを防ぐために装備する類のものではない。これから戦場へ赴く(おとこ)らの覚悟の証、ある種の戦闘服なのだ」


 揺れるネクタイの奥。ぴくり、ぴくりと、左右の大胸筋が交互に動いている。

 歩いているだけで、否、眠りから目覚めているだけで、肉体が自動的に戦闘モードを起動させるようになっている。まるであの四角いリングで戦っていた頃のように。

 シャーリーの額に刻まれた縦皺が、一層深くなった。


「はぁ……。防御力はあまり……というか、まったくなさそうですが……」

「それで良いのだ。ネクタイを装備して気を引き締めれば、おのずと毛穴も引き締まる。毛穴の緩みは気の緩みだからな。それに鎧兜などを装着しては、蒸れる一方であろう」

「いえいえ、頭の話はしていませんよ?」

「おっと、そうであったか。ふははははっ」


 甚五郎が頭に手をやって、毛根を失いし頭皮をぺたりと刺激した。

 どうでもいい会話をしているうちに、自警団の詰めるロックシティの門をくぐり抜け、再び黄土色の大地へと出た。


 市中とは違って固められていない砂は容赦なく足を沈ませ、体力を奪い取る。

 自然、会話の量も減っていった。

 甚五郎はシャーリーとアイリアの歩調に合わせ、最後尾を歩く。こうすることでふたりの女性の様子もうかがえるし、先頭をシャーリーに任せれば方角を間違うこともない。


「シャーリー、アイリア、平気か?」

「まだまだ大丈夫です」

「あたしは砂漠の生まれだから慣れてるわ」


 アイリアの背中から臀部(でんぶ)へと流れる美しい曲線のラインに視線を奪われながらも、甚五郎は邪念を振り払って力強くうなずく。


「ならばよし。少しでも体調が悪くなりそうであれば、すぐに私に言うのだぞ。私のバッグのなかには、筆記用具の他に水の入ったボトルやカレー味の果物もある」

「承知しました、ジンサマ。………………カレーアジ?」


 アイリアがにやりと笑って口を開いた。


「あ、もしかして~、わざと弱ったふりしたらジンさんが背負ってくれるの?」


 その言葉に、シャーリーが勢いよく振り返る。


「アイリアさん、ずるい……!」


 時折、彼女らの声の調子で体力を計ることも忘れてはならない。先日の砂漠越えでは、そのおかげでいち早くシャーリーの異変に気づくことができたのだから。


「よさないか、ふたりとも。無駄に喋って体力を使うものではない」

「冗談よ。最大戦力のジンさんこそ、体力を温存しといて欲しいところだもん」


 アイリアの言葉に、しかし甚五郎はニヒルな笑みでこたえた。


「だが、質問のこたえは(イエス)だ。私にはキミたちの自己申告でしか体調を知る術はないからな。……フ、疑わしくとも、ふたり同時に背負って砂漠を歩くくらいの覚悟はできている」


 本気で言っているのだ、この(ハゲ)は。羽毛田甚五郎という人物は、そういう男なのである。


 全身で振り返って後ろ歩きをしていたシャーリーと、視線だけを向けていたアイリアの顔が同時に真っ赤に染まった。ぽかんと口を開け、瞳を潤ませながら。

 だが、次の言葉でふたりは同時に白目を剥いた。


「私にとってシャーリーとアイリアは、とても大切な仲間だからな」

「ですよねー……」

「わかってたけど~……」


 いがみ合いかけていたふたりが、視線を合わせて苦笑いを浮かべた。

 甚五郎は心に誓う。先の砂漠越えのような失敗は、二度とするまいと。


 ビジネスバッグで直射日光から頭皮を守りながら、ひたすら黒の革靴で灼けた砂を踏みしめる。

 太陽が高くなった。

 途中で足を休め、ぬるくなった水分と昼食を採って再び歩き出す。

 砂漠で夜を迎えるわけにはいかない。気温が下がりすぎるし、もしも休憩中にサンドワームに襲われたらと考えると、一刻も早く抜けるべきなのだ。


 ロックシティを出てからここまで、サンドワームは姿を見せてはいない。それはおそらく、前日にロックシティを旅立った五十名からなる合同討伐隊がサンドワームを退治しながらこのルートを通ったからだ。

 現に、サンドワームらしき干からびた死体は何度か見かけた。

 だが、時間が経過すればするほど、新たなサンドワームの出現確率も上がるだろう。

 いや、それ以前に――。


「ジンサマ、またサンドワームの死体です。王国騎士や冒険者ギルドの方々がこのルートを使った証ですし、方角は合っているようです。もう少しで砂漠の終端が見えると思いますよ」


 甚五郎は、しわしわに萎えた巨大な肉食ミミズの死骸に視線を向けながら、少し間を空けて静かにうなずいた。


「……うむ」


 シャーリーは気づいていなさそうだが、元冒険者を自称するアイリアは、サンドワームの死骸に眉根を寄せている。

 それもそのはずだ。矢傷や切り傷だらけで干からびて死んでいる個体は理解できる。合同討伐隊に狩られたのだろう。だが、たった今発見したこの個体は、その胴体部がごっそりと削ぎ落とされているのだ。


 そして周囲に、当然あるべき肉片がない。


 人間ではない。サンドワームの肉は、人間にとっては有害な毒だ。ならば鳥か。いや、傷口から察するに猛禽の類ではない。

 まるでひと噛みで持って行かれたかのようで――。

 やはり合同討伐隊が打ち倒したサンドワームを、もっと凶暴な魔物が、喰い破ったと考えるのが妥当だ。

 だが、周囲にそれらしい足跡はない。一晩で風化してしまったか。もしくは――。


「……空……か……?」


 アイリアが目配せを送ってきた。


「……ジンさん。これ」

「うむ。一刻も早く砂漠を越えたほうがよさそうだ」

「そうね」


 幸い、景色は黄土色一色ではなくなってきている。砂の大地には岩が見え始め、サボテンの他にも草むらが徐々に増え始めていた。

 視線の先、はるか遠方には、かろうじて森の緑も見え始めている。

 シャーリーは銀色の長い髪を外衣に包まれた背中で揺らしながら、鼻歌交じりに順調に歩を進めている。

 その背をしばらく見つめていたアイリアが、甚五郎に視線を戻した。


「教えなくていいの?」

「無用な心配をかける必要はあるまい。おそらく何者かはサンドワームの肉を食し、今は満腹となっているはずだ。ペースを乱さず森まで避難し、そこで一夜を明かそう」

「わかった」


 アイリアが小走りでシャーリーに追いつく。


「ふむ……」


 オーガならば可能性はある。だが、不思議とこの死骸からはもっと大きな凶暴性を感じ取れてしまう。

 ひとりでならばいざ知らず、シャーリーやアイリアがいる状態では、可能な限り接触は避けるべきだろう。


 甚五郎は早足でシャーリーを追い、最後尾についた。

 やがて太陽が傾く頃、砂漠は草原と化し、木々が現れ始めた。

 シャーリーが木筒で喉を潤して、元気に振り返る。


「ジンサマ、アイリアさん、ようやく森ですよー! 水場までもうすぐです! どうにか日暮れまでには到着できそうですねっ」

「うむ、そうだな」


 安堵の息をつく。

 例の死骸を発見した場所は、もう振り返っても確認できないほどに離れている。どれほどの魔物がどれだけの縄張り(テリトリー)を持っているのかは知らないが、ここまで来れば問題はないだろう。


 たとえばそれが、RPGや物語の世界に出てくる、大空を翔る古竜(エンシェントドラゴン)でもない限りは――。


 見上げる空に不穏な影はない。太陽は少し傾いてきたけれど。

 今はまだ木々もまばらな林だが、いずれ森が深くなれば空からの外敵に発見される危険性もおのずと減ってくる。


 甚五郎はシャーリーの外衣に守られた背中を逞しい腕で押して、木漏れ日を頭皮で反射させながら穏やかな口調で囁いた。


「シャーリー。すまないが、少々腹が減った。ペースは上げられるかね?」

「あははっ、ジンサマはのんきですねえ~」


 シャーリーは木筒を革製のナップザックに戻すと、軽い足取りで再び進み始める。アイリアが空を警戒するように見上げながら、すぐにシャーリーの後ろについた。


「ジンさん、どう思う?」

「私はこの世界の生物の生態に詳しくはない。すまないが、なんとも言えん」

「そっか。そうよね」


 しばらく進むと、森がその深さを増してきた。

 今や見上げる空は完全に木々に蓋をされ、大地も黄土色は完全にその姿を消して、そこそこの距離を歩いてきたとはいえ、先ほどまでとは打って変わってやや湿った腐葉土となっている。

 甚五郎が革靴に付着した枯れ葉を見つめて、不思議そうに首を傾げた。


「この世界では、大地に突然このような変化があるのか?」

「砂漠と森が隣接していることでしたら、それはこの下に大きな地下水脈が――」


 ――オ……ォォォ……。


 遠吠えが聞こえた。

 言葉を切ったシャーリーが、周囲を見回す。

 木々に反響しているのか、どちらから聞こえてきたのか方角が絞れない。


「何ですか……? 今の……?」

「シャーリー、ここらへんには危険な魔物も存在しているのか?」

「いえ、聞いたことがありません。ん……。昔は狼の森と呼ばれていたのですが、今はもうヒトや魔物に狩られちゃってほとんどいないはずです」

「さっきの遠吠えなら、たぶん狼のものじゃないわよ。人狼(ワーウルフ)でもないし、……経験上、オーガや剣歯虎(サーベルタイガー)の肉体サイズに近い生物から出る響きだと思うわ」


 アイリアが艶やかな唇に指をあてて呟くと、シャーリーが引きつった笑顔を浮かべた。


「ま、まさか~っ。そんな凶暴な魔物がこんな集落のある森なんかに――」


 ――オオオォォォ……ッ!


 近づいた。

 やがて、右手前方から野鳥が飛び立つ音が響いた直後、高速で草木を掻き分けて駆ける音が聞こえ始めた。


「……これは……。狙われてる? だとしたらヒトの足じゃ逃げ切れないわね」


 アイリアが腰のあたりに差していた短剣を抜き放つ。


「いや、逃げろ」

「ジンサマ?」


 頭部から、額から、首筋から、とめどなく冷たい汗が滴る。


「おそらく勝てん」


 筋肉が萎縮し、凝固してしまった。

 子供の頃に野犬に襲われた記憶が甦る。決して心的外傷(トラウマ)の類ではない。成長してからは、犬など恐ろしいと思ったこともなかった。


 だが、違う。これは違うのだ。


 幼少期、大型犬が飛びかかってきたときと同じ絶望感。己が生み出す力のみではどうしようもない力量の差。生物的なレベルが違っている。

 先日の魔人どころではない威圧を放つ怪物が、確実に迫ってきているのだ。


「何言ってんの。だからあたしたちがいるんでしょ」

「わ、わたくしもやれます!」


 レイピアを抜いたシャーリーを、甚五郎が尋常ならざる様子で怒鳴りつけた。


「やかましい! さっさと逃げろと言っているッ!!」


 近い。木々が揺れているのがわかる。いや、もう見えている。

 金色の体毛が木漏れ日のなかでまっすぐにこちらを目指し、大地を蹴って草木を揺らして――迫る!


 オーガのように、ずんぐりとした肉体ではない。

 それには、野生のしなやかさがあった。

 柔らかな肉体でありながら、鞭のようにしなる全身の筋肉。木漏れ日を受けて輝く金色の体毛は美しく、まるで後光を背負っているかのようで。

 金狼だ。それも、通常では考えられぬほどの巨体を持つ。


 甚五郎は目を奪われる。そのあまりの美しさに。そしてそれは一瞬の後、畏怖へと変化していた。

 アイリアが腰を低く身構えた。


「だめよ! 逃げたって追いつかれる! 背中を襲われるくらいなら!」

「私が残ると言っているんだ! ――シャーリー、アイリアの手を引いて走れ! キミの魔法を使えば逃げ切れるはずだ!」

「で、でも、ジンサマを置いては――!」


 詰め寄ったシャーリーの胸ぐらをつかみ、アイリアのほうへと乱暴に押し出す。


「さっさと行かんかぁーーーーーーーッ!!」


 瞬間、木漏れ日から落ちた影が、体格の良い甚五郎を完全に呑み込む。

 金色の体毛を持つ巨大な狼が牙を剥き、甚五郎へと飛びかかったのだ。天地を揺るがす、雷轟のような咆吼を轟かせながら。


 ――ガアアアァァァァァァーーーーーーーーーーーッ!!


 甚五郎の目が大きく見開かれた。


「ジンサマ!」


 先ほどまでシャーリーの立っていた空間を巨大な爪で引き裂き、その鋭い牙で甚五郎の頭部を噛み砕かんとして、獣が大口を開けた。


「ぬおぉぉッ!」


 凝固した筋肉を鞭打ち、大地に押し倒されながらも甚五郎は両手を巨大な獣の上下の口蓋にねじ込んで噛み付きをかろうじて押さえる。


「ぐぅっ!?」


 だが甚五郎の力を以てしても、獣の口蓋は徐々に閉まりつつある。鋭い獣の牙が甚五郎の後頭部と額に穴を空け、腐葉土に赤い血が滴った。

 甚五郎の両腕の筋肉が血管を浮かび上がらせ、限界まで膨張する。


「ぐ、く……ッ、させはせん、させはせんぞ! 貴様が今囓り取ろうとしているものは、かつて旅立った我が長き友(頭髪)らの帰るべき地なのだ……ッ! ぐ……ッ!」


 だが、抵抗虚しく牙は徐々に甚五郎の頭部に食い込んでゆく――。


頭皮が……頭皮が持って行かれちゃうッ!

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