ハゲ、ひとときの休息
前回までのあらすじ!
どさくさに紛れてハゲに告白した小娘!
しかしハゲは頭皮のようにつるりと受け流すのだった!
鳴り響く音楽。
打楽器と弦楽器の刻む陽気なリズムに合わせ、半透明の薄布をまとった踊り子が、小さな舞台でステップを踏んでいる。
柔らかな曲線を描く肢体をくねらせ、笑顔で汗を飛ばし、腕を広げてひらり、ひらり。
そこに木製の小さな管楽器を吹きながら、少年が加わった。
踊り子はすぐさま少年の腕をつかみ、その周囲で楽しげにスキップをして、爽やかな音を奏でる少年をくるくると引っ張り回している。
コミカルにつんのめり、それでも笛を吹くことをやめない少年に、ホールから観客たちの笑い声と拍手が上がった。
「ジンサマ、ここです、ここ」
遅れて宿屋の入り口をくぐった甚五郎に、丸テーブルが並べられたホールからシャーリーが手招きをしている。
木製ジョッキで果実酒を運んでいるウェイトレスや楽しげに歓談している酔っ払いを避けて、甚五郎はシャーリーのいる席へと歩を進めた。
「お部屋はもう取ってますので、先に夕飯にしましょう。ちょうどショーの時間だったみたいです。砂の魚亭は、ショーの評判もすごくいいんですよ」
「うむ。これは楽しそうだ」
「はいっ、わたくしもここのショーは初めてでしたが、踊り子さんのダンスがとっても綺麗ですねっ」
シャーリーが楽しそうに言って、リズムに乗せて身体を左右に揺らした。
「フ、そうだな。まるで天女の舞のようだ」
「でも楽器の男の子はちょっと可哀想ですねっ。あはは、ほら、今にも転びそうで――あっ、……やった~……」
踊り子に振り回されすぎて少年がすっ転び、それでも仰向けになったまま足を動かして笛を吹き続けている。踊り子はといえば、肩をすくめて戯けたようにステップを踏むばかりだ。
やがて少年は自ら跳ね上がり、お返しとばかりに演奏をしたまま、笛の先で踊り子の背中を突き始めた。
踊り子が大げさに身体をくねらせ、踊りながら逃げ回る。
それに合わせて、音楽がコミカルに楽しく激しく変化した。
「ふははっ、おもしろいショーだな」
楽しげなシャーリーに瞳を細め、甚五郎は簡素な木造の椅子に腰を下ろした。
古びた音がギィと鳴ったが、椅子の足が折れるほどではない。意外に頑丈だ。
同じく木造の丸テーブルには、シャーリーとアイリアがすでに腰を下ろしている。
他、六つの丸テーブルには、それぞれに客が着座しているが、そこに王国騎士や冒険者ギルドのメンバーの姿はない。
おそらく一日早く、王都へ戻る旅路についてしまったのだろう。
椅子に座ると、すぐにアイリアが半眼となって覗き込んできた。
「ジンさん、やりすぎてないでしょうね。この街で目立つのは勘弁してよね」
「うむ? 心配はいらん。ちょっとこめかみのあたりをヘコませてやっただけだ。ふははははははっ!」
「……指の跡ついてんじゃないのよ、もう。あんまり派手に暴れたら自警団に訴えられて捕まるわよ」
「心配いらん。古より拳を交えた男同士は、固き友情で結ばれるものと決まっている」
「ごめん、ちょっと意味わかんない」
アイリアが未だ被ったままのフードのなかに手を入れて、ため息をついた。
「アイリア、フードは取らんのか? ……蒸れてしまうぞ?」
「あたしの髪はジンさんのとは違って、蒸れたくらいじゃ抜~け~ま~せ~んっ」
「うぐっ!? ぬふぅ……っ……、だ、だが――」
「仮に抜けたとしても、ジンさんの毛根のない頭皮とは違って、すぐ生えてくるから」
「……ぬふぅっ!?」
シャーリーがウェイトレスを呼び止めて、料理を注文している。
衆目は依然としてステージ上の踊り子だ。
甚五郎は咳払いをひとつして、アイリアに身を寄せて囁いた。
「アイリア、何か心配事があるのであれば私に聞かせてくれないか。いったいこの街に何があるというのだ」
「……」
フードを被ったまま視線を左右に揺らして、アイリアはため息をつく。
「何があるっていうか……ん~……」
言いづらそうに口籠もる。
「私では力にはなれんか?」
「うん」
清々しいまでの即答に、甚五郎が苦い表情をした。
「全部、これまで自分がしてきたことだから。過去なんてそう簡単に消せないわ。だからジンさんだって正義を貫いているのでしょう?」
「そうか。そうだな」
それだけだ。甚五郎は追及しない。
それならそれでかまわない。自分でどうにかしようとするのは良いことだ。必要なのは彼女の戦いをそっと見守り、いざとなったときに、暖かな手を差し伸べてやることだ。
それは、少なくとも今ではない。
甚五郎がアイリアの背中を大きな手で軽く叩いた。
「頑張れ。貴女の背中には、いつも私やシャーリーがいる」
「え……ええ」
少し戸惑ったようにうなずいてから、アイリアは頬をわずかに赤らめて「ありがとう」と小さく呟いた。
しばらく踊り子と笛吹きの少年に視線をやっていると、様々な料理が運ばれてきた。
フリルのついたエプロンドレスをまとったウェイトレスが、膝を曲げて静かに皿を並べてゆく。
「滋養強壮に効く、森のマタンゴと葉野菜のサラダです」
大皿に盛られた葉野菜と果実のサラダには、見たこともないキノコが添えられている。色合い的に、食べれば肉体が大きくなったり残機が一名増えたりしそうだ。
「こちらはミノタウロスの腿肉を、じっくりと時間をかけてハーブとローストしたものとなっております」
子供の頃に漫画で読んだような巨大な骨付き肉は焼きたてで、こんがりと焼かれた肉の表面では脂の泡が次々と弾け、食欲をそそる香りを漂わせている。その臭気にどこか爽やかさすら感じられるのは、ハーブの効果だろうか。
「お、おお……こ、これが……あこがれの漫画肉というものか……」
「こちらは北の地で取れた丸芋をスライスして揚げ、シンプルに塩をふりかけたものとなっております」
付け合わせは揚げた芋だ。まだ湯気が立っているあたり、揚げたてなのだろう。
次は焼きたての香り漂うナンのようなものが運ばれてきた。
「小麦を練って焼いたナハハハァ~ンです」
「微妙に違う……」
別のウェイトレスが丸形のトレイを持って近づいてきた。
「え、ええ、まだ来るの?」
そんなアイリアの心配をよそに、ウェイトレスは木製ジョッキに赤色のジュースをなみなみと注いでゆく。
「どうぞ。こちらはいっぱいご注文くださったお客様にのみ提供しているサービスです。おかわり自由となっておりますので、遠慮なく申しつけくださいね」
「それでは、ごゆっくりおくつろぎくださいませ」
二人のウェイトレスがスカートの端を指先でつまみ、同時に膝を少し曲げて挨拶をすると歩き去っていった。
甚五郎とアイリアが視線を合わせてから、シャーリーに尋ねる。
「シャーリー。私たちは通貨を持っていない。このような高価なものは――」
さっそく木製ジョッキに口をつけたシャーリーが、数回瞬きをして微笑んだ。
「あ、平気です。わたくしが立て替えておきます」
「しかし返せるあてなどないぞ。私たちは大人として、キミのような幼気な娘から返せるあてのない借金などをするわけにはいかん」
ごくごくと喉を鳴らしていたシャーリーが、眉を寄せて不思議そうに首を傾げた。
「何を仰っておられるのですか。あるじゃないですか。ジンサマがおひとりで倒したオーガとワイバーンには、多額の懸賞金がかけられていたのですよ。本来であれば王国騎士団と冒険者ギルドの合同討伐隊五十名で山分けになる予定でしたが、第三者であるジンサマがチョチョイとやっちゃったので、ジンサマは今総取り状態で大金持ちなんです」
んぐ、んぐ、と音を鳴らして、シャーリーがジョッキを傾けてゆく。
気づけば、演目を終えた舞台の踊り子と少年が、客席へと深々と頭を下げていた。
「……」
「おかげで合同討伐隊の方たちは空振り。無駄に砂漠越えをしちゃったわけですが。ちょっぴり恨まれちゃったかもしれませんね」
甚五郎の口がぽかんと開いた。
なるほど、と理解する。
それで討伐の最大功労者である自分たちに、彼らはどこかよそよそしかったのか。言われてみれば納得だ。
「ですので、王都の冒険者ギルドに申請すればお金は必要分ずつもらえますし、小さなお屋敷であれば、地価の高い王都にだって即金で建てられるくらいはありますよ」
「お、おおう。何やら会社帰りに竹藪で三千万ほど拾った気分だ……」
シャーリーが少し拗ねたように唇を尖らせ、アイリアに視線を向ける。その頬が、少し赤く染まっている。
「アイリアさんはジンサマに助けられたと同時に、ジンサマのことを救ってくださった恩人でもありますから? ご相伴にあずかる権利はあると思いますよ。…………わたくしの大好きなジンサマなら、きっとそう言うはずです」
アイリアが甚五郎に視線を向けた。
「いいの?」
「うむ。そういうことならばよしとしよう」
アイリアと甚五郎が同時に料理に手を伸ばした。
な~んか気になる言葉が聞こえたなぁ、などと考えながら。
その瞬間、不満げな表情でシャーリーが同じことをもう一度繰り返す。
「わたくしの大好きなジンサマなら!」
とたんにアイリアが首をねじって視線を逸らした。
「ンク、ぷ、ぷぶ、ンふっ、ふぁぁぁぁ~~~~~~~っ!! キティかわいすぎっ!! ふぁ、ふぁふぁ~~~っ!!」
アイリアの引き笑いを横目に、甚五郎が優しげな口調で囁く。
「うむ。私もシャーリーのことは大切に思っているぞ」
「ちーがーうっ! ちーがーいーまーす! そ~れとは~、ちがうんれすぅ~っ! そういうあの~あれ、ん~? なにゃあ? そういうそれとはでんでんひがいましてぇ~!」
アイリアが楽しげに自分の木製ジョッキを傾けてから、視線を上げた。
「ふぁ、ふぁ~~っ!! ン、ン、んくぅ! ん、う、ううん! うん。…………発酵酒よ、これ。ブドウの。…………ぷくぅ、ばふん! ふぁ、ふぁふぁ~~~っ!!」
「だろうな」
シャーリーは据わった目で芋を貪り食い、ナハハハァ~ンとかいうナンのような食べ物を口に詰め込んでいる。
「もむ、むぐ、むぶ……っんぶ?! ……もむ」
すでに口内がぎゅうぎゅうなのに、さらに詰め込もうとしているあたり、もはやどんぐりを巣に持ち帰ろうと欲張るリスのようだ。
喉に詰まったのか、平たい胸をとんとんと叩いてまたしても発酵酒をあおった。
「んっんっんっ、ぷはぁ~」
「ぷふ、んぷぅ! も、もう手遅れね、これ! ふぁ、ばふんっ、ふぁふぁ~~~っ!!」
「手遅れだな。……まあ、とりあえず我々も食うか」
シャーリーは椅子に座ったまま、ぐらんぐらんと左右に揺れている。
「うぁ~ん、ほんろはあてくし、ジンしゃまとふらりでとまりらかっらのよぅ~!」
「ぷふぁ!? ふぁふぁ~~~~っ!! も、もうやめてキティ、腹筋が死んじゃうっ! うぶっふぁぁぁ~~~~っ!!」
甚五郎が骨付き肉の骨を持って、豪快に肉へとかぶりつく。
肉汁がじゅわっとあふれて唇を焼いたが、その程度の火傷など気にならないほどに――。
「うまい……!」
「聞いれまふ? みじゅまほーベッロ、ふらりで使うちゅもりらっらのにぃぃ~、うぇ~んうぇ~ぃうぇっへっへ~!」
このうまさは絶品だ。手が止まらない。
フォークとナイフを止めて、アイリアがシャーリーから甚五郎へと視線を移した。
「んふ。ジンさんって、ほんと何があっても動じない人よね」
「じたばたしても始まらん。とりあえずシャーリーのジョッキのなかの酒を水と入れ替えておこう」
「さすがにバレない?」
左右に揺れていたシャーリーがぴたりと身体を止めて、鋭い視線をアイリアへと向けた。
「ら~いりょぶれすぅ~。ばれませぇん! にゃはははは!」
甚五郎が大きな肩をすくめて苦笑いを浮かべた。
「本人もああ言っている」
宿屋発、妄走特急小娘、発車しま~す。