ハゲ、髪はなくとも愛はある
前回までのあらすじ!
変人ハゲと変態バージンの旅に、百戦錬磨の娼婦が加わったぞ!
活気ある賑やかな雑踏と、明るい音楽。
打楽器の刻むリズムに合わせて弦楽器がメロディを奏でている。
砂漠の街、ロックシティ――。
アイリアのいた娼館街とは比べものにならないほどの面積と人口密度を持ち、多くの人々は笑顔で行き交う。
街の中心部にある市では多くの売り子が声を張り、昼時前の主婦らは金銭と引き替えに肉や野菜、果物、水などを購入している。
砂漠以上の熱気のなかでも子供らは楽しげに走り回っていて、喧噪が途絶える瞬間というものがない。
「うむ。良い街だ」
甚五郎が瞳を細めて市を見回した。
「そう? あたしは普通だと思うけど?」
アイリアが甚五郎の隣でフードを目深に引き下げた。
日焼けでも気にしているのだろうかと、甚五郎は考える。
「子供らが笑顔で走り回っていられるのは、ここが良い街であることを示している。独裁者がいては、こうはならないのだ。私はかつていた世界で、そういう国を多く見てきた」
「そっか。そうかもね。あたしはずっとこの街を拠点にしてきたから、そういうのに慣れちゃってたのかもしれない。うん。確かにそうね。……いいところ」
「うむ。この街の人々の笑顔には曇りがなく、皆輝いている。素晴らしいことだ」
胸の前で両腕を組み、ニヒルな表情で満足げにうなずく甚五郎の背後で、銀色の髪の少女が険のある声でぼそりと呟く。
「……ジンサマの頭も脂ギッシュに輝いてますけどねっ!」
甚五郎が胸を押さえて片膝を突く。
「うぐっ!? かはっ! く……。は……はは……。ど、どうしたというのだシャーリー。そのようなことを言うだなどと、ずいぶんと機嫌が悪いではないか」
「別に」
銀色の髪を揺らして甚五郎とアイリアを追い抜き、シャーリーがどすどすと先を歩いてゆく。
甚五郎とアイリアは一度視線を合わせてから、不機嫌そうなシャーリーのあとに続いた。
シャーリーは市の雑踏のなかを、どんどん歩いてゆく。
追いつこうと足を速めた甚五郎のスーツジャケットを指先でつかみ、アイリアが小声で囁いた。
「ジンさん、あたしの前を歩いてもらっていいかな?」
「私はかまわんが、どうかしたのか?」
「ううん。なんでもないよ」
アイリアは自らのフードの前を引っ張って、鼻のあたりまで布で覆って顔を隠している。
「ふむ」
周囲を見回しても、別段おかしな動きをしそうなものはいない。
立ち止まっていると、アイリアが両手で背中を押してきた。
「さあさ、早く行った行った。キティがまた怒るよ。にゃ~んにゃんってさ」
「む、そうだな」
早足でシャーリーに追いつき、横に並ぶ。
シャーリーは視線もくれようとはせずに、また少し足を速めた。
けれどもう一度甚五郎たちが追いつくと、今度は胸一杯に空気を吸ってゆっくりと吐き出し、いつもの笑顔を向けてきた。
「ジンサマ、もう少しで宿に到着します。ほら、あの看板のお店です」
シャーリーが指さす先には、風でくるくると回転している丸看板の宿屋があった。
しかしそのようなことよりも、甚五郎はシャーリーのまばゆいばかりの笑顔に胸をなで下ろしていた。
思春期の娘というのはなかなかに難しい。風が吹けば機嫌が変わる。
「うむ。いや、すまないな、シャーリー。予定になかった我々まで泊めてもらうことになろうとは」
「いいですよ。ジンサマでしたら平気ですもん。砂の魚亭の良いところは、お料理がおいしいところと水魔法のベッドです。砂漠の街なのに、とても涼しく眠れるんですよ」
「おお、それはいい」
機嫌良く話す甚五郎とシャーリーの背後から、アイリアが声をかける。
「ごめんね、キティ。あたしも焼け出されて一文無しになっちゃったから」
「……ま、仕方ないです。そのかわり――」
ぐびっとシャーリーの喉が動いた。
「アイリアさんもジンサマも、わたくしの部屋ではイヤラシいことはしないでくださいねっ!」
「へ?」
アイリアが目を丸くする。
「しないわよ。さすがに」
シャーリーが立ち止まって、アイリアを睨む。
「変なことしようとしたら、すぐに追い出しますからねっ」
「あははっ、あたし、もう娼婦は辞めたから大丈夫よ」
「うむ。私とてアイリアを金で買おうなどとは考えていない」
甚五郎が眉を歪めて不思議そうに呟くと、シャーリーは勢いよく頭を振って両手を腰に当てた。
「ちーがーいーまーすっ! そんなお二人だからこそ言っているんですっ!」
「?」
「?」
「どうしてわからないのですかっ?」
甚五郎とアイリアが同時に首を右に傾げた。
「ふむ。何が言いたいのかいまいちよくわからんが、シャーリーのベッドを汚すようなことはしないから安心しなさい」
「う、うう……、むいいぃぃぃ~~~~~っ!!」
銀色の髪を掻き毟ろうとした手を、かろうじて直前で止める。その指先だけがわちゃわちゃと動いて空を掻いている。
「うぐ、むー! わたくしはベッドの汚れの話をしているのではありません!」
甚五郎とアイリアが、今度は同時に首を左に倒す。
「キティ、何が言いたいのかさっぱりわかんない。はっきり言って?」
「そ、そんなこと、わたくしの口から言わせる気ですか!?」
「うむ。すまんが頼む」
怒りのためか、シャーリーの顔色が真っ赤に染まっていく。
「ジ、ジンサマがそうおっしゃるなら……仕方ないです……」
ごくりと唾液を飲み下し、シャーリーがぎろりと二人を睨む。
難しいのだ。思春期の娘というものは。
「では、言いましょう! 覚悟はいいですかっ?」
甚五郎とアイリアが居住まいを正す。
シャーリーが固く目を閉じて、大きな声で叫んだ。
「いずれジンサマの正妻となるわたくしとしましては、一夜の過ちであれば気にしたりしませんっ! わたくしは、そのような度量の狭い女ではありませんからっ!」
甚五郎の左右の眉がこれ以上ないほどに高低差をつけた瞬間、アイリアがあさっての方向を向いて口もとを手で押さえた。
「はぶっ、ぶ、ふぁふぁぁ~~~~~~~~~っ! ぶふ、ぷ、くく!」
その肩がわずかにぷるぷると震えている。
「ですがっ、お商売ではない女性がお相手となると話は違ってきますっ!」
絶句した甚五郎の口がぽっかり開き、その逞しい肩を背後からバシバシとアイリアが何度も叩いている。
笑いをこらえ切れていない。
「ぷぶっ、ぶはっ、ジ、ジンさんったら、いつ婚約したの? ふぁぁ~~~~っ!」
「うむ。まるでおぼえがない」
熱くなったシャーリーに、二人の声は届かない。
シャーリーは右手を拳にして力説し続けているが、もはや脳内パニックに陥った甚五郎の耳にも、意味を持つ言葉としては入ってこなくなっていた。
今やシャーリーの妄言をまともに聞いているのは、足を止めて奇妙な三人を遠巻きに眺めている雑踏の人々だけだ。
そしてシャーリーはそのことに気がついていない。
「――というわけですっ! わかりましたかっ!?」
「う、うむ? よくわからんが、とりあえず宿に入らんか?」
「なんでわかんないんですかーっ!?」
アイリアがあわててシャーリーと甚五郎の間に身を入れた。
「キティ、かわいいキティ。落ち着いて。一回落ち着いて周りを見ようか」
「なんですかっ!! ……周り?」
銀色の髪を揺らして、シャーリーが周囲を見回す。
「ひょー! お嬢ちゃん大胆だねえ!」
「おばちゃんはお嬢ちゃんを応援してるよ! がんばんな!」
「ママー、あれ何やってるのー?」
「ぶふッぷくぅ、ロ、ロリコンとは目を合わせちゃいけませんっ」
ようやく自らを注視する衆目に気づいた瞬間、顔どころか首、そして手足から指先に至るまで、シャーリーの肌が紅潮してゆく。
「あわ、あわわわわ……っ」
「いいぞー、お嬢ちゃん! なかなかの告白だったねえ!」
「ち、ちが……」
声は次々に飛び交って、どんどん上書きされてゆく。
「ぎゃっははは! そこのハゲオヤジ、そんな頭して若え子たぶらかしてんじゃねえよぅ!」
「うぬっ、聞こえたぞ! 今のは誰だ!? 訂正してもらおう! 私はハゲではないッ、あくまでも薄毛だっ!!」
輝く頭皮に青筋を立ててまじめに怒る甚五郎に、なぜかドッと歓声が沸く。
「ぎゃはは、どう見てもハゲだよぅ! お嬢ちゃんはそんなハゲでいいのかよぅ!」
「む、今のは貴様かぁ! ――とぉ!」
「ひぇ……」
甚五郎が太った男に飛びかかってゆく。
もはや砂の魚亭前は、お祭り騒ぎだ。
「ほらほら、キティ。ジンさんがみんなの視線を惹きつけてくれてる間に逃げるわよ~。はい、走って走って」
アイリアがシャーリーの背中を押し、砂の魚亭の両開きの扉を開けて店内へとこっそり逃げ込む。
入り口でアイリアが振り返った。
「やり過ぎちゃだめよ、ジンさん?」
その背後では、ハゲと口走った男の顔面を、甚五郎が片手でつかんでいた。
「フ、わかっているさ。――羽毛田式お仕置き術の一つ、顔面爆砕アイアンクロォォォー!」
「だから爆砕とかやりすぎだって、もー!」
砂漠の街ロックシティに、今日一番の活気がみなぎってゆく。
小娘、違反切符ものの暴走……。