ハゲ、滾る
前回までのあらすじ!
魔人に頭部をなじられたハゲがぶちキレて、魔人を犬神家状態(再)にしたぞ!
だが、甚五郎は構えを解かなかった。
その額から、一筋の汗が頬を伝う。
数秒後、頭から突き刺さったままだった異形の両手が、大地を押した。引き抜いた頭部を振って砂を払い、血走った目を甚五郎へと向けながら両足を地面に付ける。
あたかもダメージなど受けていないかのように、首を左右に倒して鳴らして。
だが、異形に角はなかった。尖塔形の角のあった箇所からは、人のものとは違う黒い血液のようなものが流れ落ちていたのだ。
「キレたぜ……人間……。絶対に……許さねえ……。俺様の角をッ! もしも生えてこなかったらッ、てめえはもちろんさっきのチビ女の髪を引き抜いた上で腹を割きィ、生きたまま臓物を引きずり出してハゲタカの餌にしてやるぜェェェ!!」
半笑いで口もとを押さえて、甚五郎が異形を指さす。
「ぷ、ぶふぉ~~っ! ぶははっ、黙れハゲ」
「おめえが言うなハゲェェ!」
「なんだと、貴ッ様ァァァ!?」
「ぶっ殺すッ!」
ハゲた男とハゲた異形が再び組み合った。
肥大した両者の筋肉から、白い湯気が大量に立ち上る。
「私はハゲなどではない! たとえ三千万歩譲ろうとも、側頭部と後頭部に生存部隊がいる限りは薄毛だと言えよう! だが、角を失った貴様は紛う事なきハゲだ!」
「だったらてめえの生存部隊も毟ってやんよォォォ!」
異形が甚五郎の腕を取って振り回し、その巨体を背中から建物へと叩き付ける。
「がはッ!」
木製の柱に土を固めた壁が倒壊して、仰向けに倒れ込んだ甚五郎へと瓦礫が降り注いだ。
「ヒャハァ! 頭部はどこだァァァ!」
だが、異形が甚五郎の埋まった瓦礫へと飛び乗った瞬間、瓦礫から生えた甚五郎の腕が異形の足をつかむ。
「な――ッ!?」
「んどりゃあ!」
お返しとばかりに振り回して隣の建物へと叩き付けた。頭から突っ込んだ異形が、瓦礫を振り払ってすぐさま立ち上がる。
「ケッ、それだけかよ、このどハゲがァ!」
異形の拳が甚五郎の頬に突き刺さる。骨同士のぶつかり合う音が響いて、甚五郎から汗と血液が滴となって散った。
視界が歪み、それでも歯を食いしばる。
「何度も何度も私のことをハゲハゲ言いおって! ハゲと言うものがハゲなのだッ!」
甚五郎は足を踏ん張り、掌打を異形の鼻面へと叩き込む。ほとんど無意識に手首をねじり関節を入れる。異形の脳を揺らすために。
「うがッ」
肉の弾ける音が響いて、異形の顎が大きく持ち上がった。
しかし追撃に放った昇天張り手を躱され、脇腹に異形の回し蹴りをもらって吹っ飛ぶ。だが甚五郎は両脚で着地をすると、迫り来る異形の、角を失った額へと頭突きで返す。
「うおらァ!」
「ンがぐ!? ンの石頭がッ!」
頭部の傷口から真っ黒な血液を流して、異形が拳を握り込んだ。
突き出された異形の拳を掌で受けた直後、もう片方の拳にこめかみを打ち抜かれる。
「いい加減死ねェ! このどハゲがァ!」
「ぬふうッ!」
視界にノイズが走る。
それでも倒れない。
腹部へと突き出された異形の膝を腹筋を締めることで受け止め、その勢いを利用して身体を回転させ、裏拳で異形の首を薙ぎ払う。
「何度も言わせるんじゃあない! 私は薄毛だッ!」
「いぎ!? く、知るかァ!」
吹っ飛んだ異形は、しかしそれでも両脚で大地を掻いて拳を握り込んだ。その異形へと甚五郎が飛びかかってゆく。
打ち、受け止め、躱し、放つ。
赤と黒の血液が混じり合い、乾いた大地に雨となって降り注ぐ。
皮膚が破れ、肉が弾け、骨は軋み、内臓が悲鳴を上げ続ける。
だが。だが、やがて、異形は気づく。気づいてしまった。
全身から血を流して肩で息をしている甚五郎が、凄惨なものではない、不可思議な笑みを浮かべていることに。
「てめえ人間ッ、気色悪ィんだよォ!」
「ぐあッ!」
異形の蹴りを腕をたたんで受け止め、威力を殺しきれずに吹っ飛び、家屋の壁を突き崩した甚五郎は、しかしさらに口角を引き上げた。
そうして不気味に嗤うのだ。この男は。
「………………ふ、ふはは、――滾る……ッ!!」
「ああ?」
久しく忘れていた。全身の細胞が同時に覚醒し、限界まで絞り出すこの感覚を。
心臓は全身へと最大限まで酸素をのせた血液を送り出し、脳内から余計な情報がすべて消え去って、痛みすら快感に変わりゆくこの状態を。
あの熱量を――!
四角いリングの上に立っていた頃のことを。
全身が、筋肉が、肉体を形成するすべての器官が、己を使えと激しく騒ぐ。
熱く、もっと熱く! 血液が沸騰するほどに、燃やせッ!
「うおおおおおぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
気づけば甚五郎は空を見上げて雄叫びを上げていた。
迫り来る魔人の腕を払って前蹴りで距離を開けさせ、笑みを消して呟く。
「感謝するぞ、マジンとやら。おかげで……取り戻せた……」
「ヒャハハ! 妄言はくたばってからにしなッ!」
超高速で頬へと突き刺さった異形の拳を首の力だけで押し返し、甚五郎は猛る。
「そぉぉぉりゃあああっ!!」
甚五郎が右脚を勢いよく振り上げて、異形の頸部へとハイキックを繰り出す。しかし異形は黒の体液を滴にして飛ばしながらも、かろうじて両腕でそれを受け止めた。
「ちィ、こンの馬鹿力が! だが、ヒャハ! 片脚もらったぜェ!」
「フ」
膝関節を叩き折るべく異形が腕を持ち替えた瞬間、薄く嗤った甚五郎の左脚が高々と振り上げられる。そうして拘束されていた右脚と左脚を異形の首へと巻き付け、甚五郎は異形の肩へと飛び乗った。
「ぐがッ!? て、てめえ、なんのつもりだッ!?」
「足の力は腕のおよそ三倍。逃れられんぞ。そして、くたばる前におぼえておくがいい。貴様の角を毟り取った男の名は、甚五郎だ」
勢いを付けて身体を背後に倒し、大地に両手を付け、倒立状態で異形の首を両脚で締め上げたまま、甚五郎が全身をひねる。
「頭髪を軽んじる者は滅びよ。羽毛田式殺人“禁”術、頭皮狩りフランケンシュタイナァァァーーーーッ!」
下半身の力で異形の首をロックしたまま、その頭部を大地へと全力で叩き付ける。
重量のある音が鈍く響き、大地が上下した。異形の頭部が弾け、黒の血液が大地にびしゃりと四散する。
「か……っ!? く、こ、この野郎、ぶっ殺――」
「フ、なんたるタフネス・ガイか。だが、まだだ。死ぬんじゃあないぞ、ハゲた異形よ」
そう、終わらない。甚五郎の全身がさらに熱を帯び、筋繊維が引き締まる。
「おおおおぉぉっ!」
「あが……ぎぐ……ぅ!?」
頭部の上半分を大地にめり込ませた異形の首を両脚でさらに絞め上げ、甚五郎は両腕の力だけで平然と大地を走り出したのだ。
異形の頭皮を、地面で激しく摺り下ろしながら。
「おおおぉぉぉらあああぁぁぁぁ!」
「いでっ!? あぢぃ! ちょ! あぢ、やめ、やめろ、熱つつつ! 頭皮が灼け、灼けちまう! 痛で、うごンっ! おいこら、ふざけんなてめ、こんな技ッ! ――痛がッ!?」
異形の頭部が石にぶつかっては跳ね上がり、再び地面に打ち付けられてから大地を削って引きずられる。
「うごごごが! 待て待て待て待ってくれぇぇぇ! わかった! 俺様の負けだ! これ以上されたらもう角が生えなくなっちまうががががっ!」
「フハハハハハ、ならば先のようなことは二度とせんと誓えぃ! ご婦人に手を上げるなど不届き千万! おうらああぁぁぁぁ!」
引きずられ続ける異形の頭部から、ぶすぶすと黒煙が立ち始める。
甚五郎はけたたましく嗤いながら、両腕を脚の代わりにして走り続ける。
「しません! もう二度と女性を襲ったりしませんからァ!?」
「本当だな!? だらあああぁぁぁぁぁ!」
「燃えちゃう! 俺様の頭皮が燃えちゃうぅぅ! 絶対! ほんと!」
「あと、私をハゲ呼ばわりしたことを謝れ! うりゃりゃりゃりゃあああ!」
「ぐ――ひがががががッ、わ、悪かったァァァァ!」
甚五郎がようやく両腕の動きを止めた。
「フ、まあ良かろう」
異形を拘束していた両脚を解いて地面に付け、そうして胸を張って両腕を組み、異形を冷たく見下ろす。
「去るがいい。マジンとやら。今回だけは見逃してやろう」
「ぐ……く……ッ」
異形は片足を立て、憎しみに燃えた瞳で甚五郎を睨み上げるも、甚五郎は平然と言ってのけた。
「なんだ? まだやる気か? さっさと手当を施さねば、毛根が……ん? 違うな……角根? ……なんかそれっぽいものが死滅するぞ」
「く……。俺様は誇り高き魔人! さっきの約束だけは守ってやるッ! けどよォ、てめえの命を狙わねえとは言ってねえぜェ!」
「フ、好きにしろ。角根が惜しくないのであればな」
舌打ちをして、異形が後ずさりで路地裏の闇へと溶け込むように姿を消した。
「ヘッ! てめえのツラァ、おぼえたぜ、……ジンゴロ……」
足音が遠ざかってゆく。
その音が聞き取れなくなってから甚五郎は大きなため息をついて、その場に崩れるかのように膝を突いた。
さすがに疲れた。水分も栄養も足りない状態で撃退できたのは僥倖だった。もう力が入らない。よもや自ら封印したはずの忌まわしき禁術まで使わされるとは、恐ろしい相手だった。
「く……、シャーリーたちは……」
「ジ、ジンサマ!」
ふと声のしたほうに視線をやると、シャーリーが先ほどの女性に肩を貸して、半壊した建物の柱の陰からこちらを見ていた。
「……シャーリー。無事だったか。良かった。すまないが私も限界だ。水を探してきてくれないか……」
「は、はい! だ、大丈夫でしたか? ま、まさか魔獣だけじゃなく、魔人まで素手で撃退するなんて……」
「うむ。いや、正直かなり危なかった。おそらく肉体同士の純粋なる勝負では勝ち目はなかった。だが、やつはもう去った。今日のところは心配はいらんだろう」
あれだけの技を喰らいながら、魔人は最後まで平然と立ち上がっていたのだから。
角根を死滅させるために頭皮を削るという、肉体ではない精神の勝負に持ち込まなければ、撃退させることすらできなかっただろう。
おそらくこの肉体が万全の状態であっても、だ。
「……早く全盛期の力を取り戻さねば……」
炎と月光で汗ばんだ頭皮を輝かせ、甚五郎は己の掌に視線を落として拳を結んだ。一瞬で筋肉が肥大化し、血管が浮き上がる。
だが、この戦いで一歩近づいた。四角いリングで戦っていた頃の己に。
細胞が激しく熱を発し、筋肉が躍動による充足を得て、精神は興奮と昂揚に満たされ、痛みすら快楽へと変わってゆく、あの頃の感覚を――。
甚五郎の口もとに、凄味のある笑みが浮かぶ。
「ジンサマ?」
「…………滾る、滾るのだ……」
「え?」
だが、まだ足りない。
「……この世界には……恐ろしいものが潜んでいる……だが……だからこそおもしろい…………」
身体が左右に揺れて、地面が迫った。
瞼が重い。
彼は自分を薄毛だと思い込んでいる。