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ボクが魔王を目指すただ一つの理由  作者: 日向タカト
第一話「勇者の息子と魔王の娘」
7/8

第六章「ビューティフルドリーマー」

「ううん……えっと……」

 気が付けばジェイドは、黄金の草原に立っていた。

 先ほどまで学院の北の森でシャスと戦いをしていたはずだ。

「ここはどこだ……」

 あたりを見回すが、黄金色が広がっているだけだった。時折風が吹き、草がその身を靡かせると風紋が刻まれる。

 何もない。

 自分はシャスの胸に七曜の神剣を刺したはず。

「なのに、ここは」

 一体どこだ?

 どうして自分はこんな場所にいるんだ。

 理解できない。

「キャハハ、待ってよ、シャスー」

「やだよー」

 戸惑うジェイドの足元を二人の子供が走り抜けていった。二人に見覚えがあった。そうだ、シャスに似ているんだ。二人の子供はジェイドに気付いた様子はなく草原を走り回る。

 もしかして、ここはシャスの心の中ではないのか? それなら納得がいく。走り回る子供は幼いシャスということになるのではないか。彼女は今と変わらず黒い髪、額から小さな角が二つ覗いている。そしてシャスを追いかける子供の方は知らない。だがシャスに似た面影があった。もしかしたら、彼女はシャスが話してくれたお姉さんなのかもしれない。

「ここはシャスの心理風景、原風景、記憶の一部、どういってもいいわ」

「うわっ、びっくりした」

 突然、傍らから声がした。

 視線を横に向けるがいない。

「こっちよ、こっち。下よ」

 声に従って下を見ると、さきほどまでシャスと草原を走り回っていた女の子がいた。

「初めまして、ジェイド・カリュス。私はアイビス・サルミニア、シャスの姉よ」

「姉? でも、君はあそこに……」

 指さす先ではシャスを追いかける女の子――アイビスの姿がある。

「あれはシャスの記憶に過ぎないわ。といっても、私もシャスの中に残ってる残留思念や記憶の断片といった存在でしかないけどね」

「えっとつまり……ここは……」

「ここはシャスの心の中といったらいいかしら? シャスは罪と贖罪の書で、もっとも罪と思っている状況を繰り返し見せられてるの。彼女にとって思い出したくもない出来事をね」

「じゃあ、これはシャスの罪の再現?」

「……まあそうね」

 走り回る幼い頃の自分たちの後を追いかけるように、アイビスはゆっくりと歩き出した。ジェイドは彼女の後に付いていくしなかった。心の中であったとしても、自分がどうしてここにいるのかわからない。

 無邪気に走り回っているようにしかみえない。

 一体これからどうなるのだろうか。

 なによりも、自分はシャスの罪を知ってもいいのだろうか。

 自分がここにいるのは、他人の心に土足で踏み込んだようなものではないか。

「あなたには知る権利があると思う。だって、あなたがここにいるということはそれに意味があるのよ。そうじゃなければ、ここに辿りつけない」

 アイビスはこちらの心を見透かしているかのようだった。

 自分がここにいるのは、七曜の神剣のおかげかも知れない。ヴァンが言っていた七曜の神剣の意味というのは、自分の想いと意志を相手に届けることではないのか?

 それなら、今の状況も納得できる。

 七曜の神剣に託した自分の想い(やいば)が、シャスの(おもい)に届いたのかもしれない。そして、こうやって自分とシャスが向き合う場になったんじゃないか。

「記憶っていうのはね、都合がいいように出来てるの。シャス自身、ホントはあの日ここで何があったかをちゃんと覚えていない」

「それだったらどうして自分が悪いなんて思ってるんですか」

「記憶の改ざんでしょうね。ほら、始まるわよ。私の記憶で補完してあるから、あなたには真実の出来事がわかるわ」

「ということは……シャスは、真実ではなく自分で改ざんしてしまったものをみているの?」

「そうね。それならまだいいんだけど、きっと罪と贖罪の書によって悪い方向に修正されたものを見ているんだと思うわ。あれが真実の始まり」

 指さした先、アイビスの幻影が、誰かにぶつかった。

「ごめんなさい」

「ああ、いいんだよ。君はアイビス・サルミニアかい?」

「おじさんはだれ?」

 登場した男を見て、ジェイドは動揺した。

「なんで……どうして……」

 なぜ……この人が……ここにいるんだ。

 見間違えるはずがない。

 なんで……。

 自分に似た面影、いつも通りぼさぼさの頭に、無精髭を生やした彼を間違えるはずがない。

「俺かい? 俺は元勇者だよ」

 オズマ・カリュス。

 自分が探している父親がどうしてシャスの記憶の中にいるんだ。確かシャスはアイビスの一件があったのは十年前といっていた。そしてオズマがいなくなったのも十年前だ。時間が一致する。

「勇者? 何をしにきたの?」

 そうだ、アイビスの幻影が言っている通りだ。彼は人間界から何も言わずに姿を消して、どうしてこの場所にいるんだ。

「自分の成すべきことのためかな。ごめんな、アイビス・サルミニア」

 オズマは謝罪しながらも、魔法術式を展開していた。魔法術式発動時に洩れる発光を最小限に抑え、アイビスには気付かれないようにしている。魔法術式の効果で一振りの剣を出現させた。その剣がジェイドに更なる驚きを与えた。

「なんで……七曜の神剣が……あるんだ」

 あるはずがない。あるはずがない。アレは自分が持っている。オズマは自分に七曜の神剣を預けていったはず。それなのにどうして……。

 自分の中の何かが揺れた気がした。

 決意、決心、そういった何かが揺れた気がする。しかし、それをグッと抑えこんで、目の前の光景に目を向けた。

「どうしたの? おじさん」

 再度のアイビスの問い、今度は答えずに、オズマが七曜の神剣に似たその剣を振り下ろした。アイビスの小さな悲鳴が聞こえた。

 血が飛び散りアイビスは凶刃に倒れた。オズマは倒れ伏すアイビスを無表情に見下ろし、剣を振った。刀身に付着していた血が、黄金色を穢した。

「ねぇ、アイビスー!」

 そこに事情を知らないシャスが駆け寄ってきた。

「アイビス……? え? なに、これ……」

「すまないな、お嬢ちゃん。君も同じように――」

 幼いシャスは状況を理解していたわけではないだろう。しかし、血だまりに伏せっている自分の姉を見て、恐ろしいことが起きていることを感じ取ったのだろう。それはシャスにとって受け入れがたい事実だったはずだ。

 その証拠にシャスは徐々に表情を強ばらせて、泣きそうに顔を歪めた。

「いや、いや、いやいやいやいやいやいやいや」

 シャスが頭を掻きむしり、拒絶するように頭を振った。

「錯乱しちまったか。可哀想に」

 同情と憐れみでシャスを見つめるオズマが、再び剣を振り上げた。

「いやあああああああああああああああ」

 シャスの絶叫とともに魔力が吹き荒れた。それに圧されるようにオズマがたじろいだ。

「アイビス、アイビス!」

 シャス自身もうなにもわかっていないのだろう。幼い身体からありえないほどの魔力が出てきているのがわかる。魔力を放出しつづけているせいか、額の角は伸び、手の爪は伸びて鋭利さを持った。

「すごいな……さすがはヴラドの娘だ」

 感嘆しながらも、オズマは口の端をつり上げた。

「――――!」

 シャスは魔力を帯びた爪を振り翳して、オズマに襲いかかる。だが当然届くわけがない。相手は三界大戦を収めた勇者だ。経験値も地力も違う。それでもシャスは何度も何度も攻撃を繰り返す。

「まったく」

 オズマはどこか呆れながらも、構わず剣を振り上げた。刃が振り下ろされるよりも前に、

「――――!」

 シャスは幼いながらも高速で魔法術式を展開した。放たれたのは炎だ。オズマはなんなく防御したが、炎で視界を遮られた。

 相手がたかが子供だということや自分が勇者であったこと、子供の放つ魔法術式程度どうということがないということからくる慢心がオズマにはあったのだろう。

 炎を目隠しにする形でシャスが、オズマに爪撃を繰り出した。ただの爪撃ならオズマを傷つけることはできなかったのかもしれない。だが、シャス自身無自覚に爪撃に魔力を帯びさせていたため、オズマの右腕を切り裂いた。それは一度だけでなく何度もおこなわれ、シャスの両手が血で染まっていく。

 シャスの攻撃に、オズマの顔が歪んだ。

「くっ!」

 思わずオズマが剣を落とした。流血する腕を押さえながらシャスを見つめる。

「くっそ……。今日この場でしかチャンスがないというのに……ここは引くか。これ以上は、ヴラドかヴァンが、この子の魔力に気付いて駆けつける可能性がある」

 オズマは剣を魔法術式で再び圧縮して身体へ封印した。

「またチャンスを伺うとするか」

 オズマは魔石を取り出し、魔力を流し込んだ。これにより魔石に封じられていた魔法術式が発動する。光がオズマを包み、そして光と共にオズマの姿が消えた。おそらく移動系の魔法術式だったのだろう。オズマが消えてしばらくするとシャスが正気を取り戻した。そして血を流し倒れているアイビスに駆け寄った。

「アイビス? アイビス!」

 声を掛けるが反応がない。そして自分の手に付着してる血を見て、

「ごめんなさい、アイビス。ごめんなさい、アイビス……ごめんなさい」

 まるで自分がアイビスを傷つけたと勘違いしたかのように何度も謝罪を繰り返した。

 その一連の出来事をジェイドは眺めるしかできなかった。何も出来ないことはわかっていた。これはシャスの記憶にある光景だ。過去の出来事が再生されているに過ぎない。

「これが……」

「そう、これがシャスが罪だと思っている事の真実。といっても、あの子忘れてるんだけどね」

 シャスがひとしきり泣くと、周りの風景が変わった。まるで再生し直すかのように、またシャスとアイビスが走り回り始めた。

「ずっと繰り返すのよ、この世界ではね。さあ、行きましょう」

 アイビスはゆっくりと歩き出す。ジェイドは走り回るシャスとアイビスの幻影が気に掛かるが、アイビスの後を追うことにした。どこまでも続く黄金の草原、終わりがないように思える。地平線の向こう側まで黄金色が続いている。

「外の私はどうなってるの?」

「シャスの話だとずっと眠り続けてるそうです」

「そうなの……。生きてるならいいわ。それで妹からはどうして魔王を目指すか聞いてる? だいたい想像はつくけど」

「……えっと、自分が魔王を目指すのはお姉さんの代わりで、お父さんの目的を代わりに叶えることだってことぐらい」

 ジェイドの答えに、アイビスは苦笑を浮かべた。

「あの子、ホントに変わらないわね。まあ、あの子は責任を感じているのよね」

「自分の罪に?」

「そうよ。それも仕方ないわよね」

 アイビスはどこか悲しそうな声で返事をした。

「だったら、僕が本当のことを――」

「それはダメよ、シャスが混乱するだけだもの」

 それっきり二人の間に会話はなくなった。

 どれほど歩いただろうか、黄金の草原は変わらず、日は沈まず、時間経過を感じさせるものはなにもない。

 ただ前へ、前へと進む。

「着いたわ」

「……草原しかないんだけど……」

 他の場所と変わらない。何もなく草が生えているだけだ。

「待っていなさい」

 パチン、とアイビスが指を鳴らすと、中空が歪む。そこには膝を抱え丸くなったシャスの姿があった。彼女はまるで眠っているようだ。

「私が一度だけ、シャスを目覚めさせる。だから、シャスをお願い」

「お願いって、ねえ!」

 アイビスの姿が霞んでいく。

「それは自分で考えなさい。大丈夫、アナタが伝えたいことを伝えればいいのよ」

 アイビスが消えると同時にシャスが目を醒ました。ゆっくりと草原に降りて、シャスは眠そうに目を擦った。

「う……ううん……ジェイド……どうしてここにいるの?」

「僕が聞きたいぐらいなんだ……」

 どうしたものか。

 何を話そう。

 いや、話すことはある。

 いまさら迷うことなんてない。

「なあ、シャス。聞いてほしいことがある」

「聞きたくない。また私のことを否定するんでしょ? あのときあなたがいったように、私が魔王を目指しているのは贖罪よ」

 一度言葉を切って、彼女は涙を浮かべた。

「君の夢を傷つけたことは謝る。ごめん。だけど、僕は君が辛い思いでいる気がしたんだ。だから――」

 ジェイドの言葉を遮り、シャスが小さく俯き加減に口を開いた。

「私がしたことは許してもらえない。許してくれる人もいない、それでもずっと私は走り続けてきたの。それなのにあなたは私を否定する。どんな思いでいたかも知らくせに。私が……どれだけ……。こんなことならあなたに話すんじゃなかった!」

 シャスは自分がアイビスを傷つけたと思い込み、それを原動力にしてきたんだ。だけど、さっきみた光景が真実だ。でもシャスはそれを知らない。血を流す姉と、血で濡れた自分の手を見て、幼かったシャスは自分がやってしまったのだと思い込んでしまった。あの日からシャスは止まらずに、ずっと走り続けてきたのだろう。

 これからも自分が悪いと思い込んで走り続けるのは悲しいと思う。だから、シャスと向き合おう。

「じゃあ、問うよ」

 息を吸って、気持ちを落ち着ける。

 また傷つけるかもしれない。

 でも、避けるわけにはいかない。

 ここでシャスと向き合わないとダメだ。

「君がいう『贖罪』は魔王になることなんだろう。それは君が誰かを理由にしてるだけじゃないのか。君自身の理由だけでは魔王を目指すことができない。だから、自分を納得させる理由として縋ってるだけだろ」

「違うわ!」

「じゃあ、君自身の理由を教えてくれ! お姉さんでも、お父さんでもなく、君が魔王を目指す理由を! 僕はただ君に他人の代わりの夢なんてみてほしくないだけなんだ」

「私自身の理由……?」

「借りものじゃない、君の理由だ」

「わからない、わからないよ……そんなの」

 泣きそうな表情で頭を左右に振る。

「わからないはずはない。借りものでも、誰かの代わりでも、贖罪であっても、君はお父さんとお姉さんの夢をみていたんじゃないか。きっとあるはずだ。それは些細な理由(もの)かもしれない。けど、君の中で揺るがなくあるはずなんだ」

「私は……」

 金色の瞳が迷いを表すように揺れる。

「君は、シャス・サルミニアは、同族殺しといわれても、魔王になるだけの理由があるんじゃないのか。そうじゃなければ、君はお姉さんの代わりに魔王になろうと思わなかったはずだ」

 そうだ。彼女を支える芯といえる何かがなければ、ここまで来ることはなかっはずだ。彼女を支える根源とも言える何かがあるはずなんだ。

 シャスがゆっくりと口を開いた。

「私は……ただお姉ちゃんが、いつか目を醒ましたときに笑ってほしい。よくがんばったねと誉めてほしい。独りよがりかもしれない。でも、私は……」

 まるで自分に言い聞かせるような口調だ。

 笑って欲しい、誉めて欲しい。人によっては大したことじゃないかもしれない。それでもただそれだけのことを望んでシャスは罪を背負い、贖罪と知りながら、魔王になろうとしていたんだ。きっとそれはジェイドの想像を絶するほどに辛いことだっただろう。

「シャス。君は頑張ってきたんだろ、ずっと誰にも弱音を吐かず、誰にも涙を見せず、ずっとずっと」

「私は……そう、私はずっとがんばってきた……」

「君は君の理由のために魔王を目指せばいい。いつまでもお姉さんの代わりだといって、贖罪を、咎を、背負う必要は無い」

 正解なのかわからない。

 でも、少しでも彼女が背負っている罪の意識を軽減できればいいと思う。罪と贖罪の書が、対象者の罪を媒体にしているなら効果があるはずだ。最初はそう思っていた。今は違う。今は、シャス自身の理由を見つけて欲しかった。

 ジェイドはシャスの手を取る。温かな手を握り、金色の瞳を見つめた。涙を零すシャスがくしゃくしゃになりながら笑顔を作って頷いた。

「さあ、シャス、いこう!」

 ジェイドはシャスの手を引いて走り出した。無限にシャスに傷を再生し続けるこの場所から脱出するために走る。


 世界が砕けた。


 ジェイドが意識を取り戻すと、周囲の様子は元に戻っていた。北の森だ。自分の手には七曜の神剣が握られており、シャスの胸を貫いている。

 状況を理解し、ゆっくりと剣を引き抜いた。彼女からは血は一滴も流れていない。シャスを刺す直前に刃の属性を物理から魔力に変更していたため、シャスに傷はない。

 ――さっきの光景はやはり七曜の神剣の効果か?

 自分の意思を刃に変える特性によって、相手の意思と共鳴反応を起こして、シャスの心にアクセスすることができたのかもしれない。

 安心したところで自分が天翔で足場を生成したことを思い出した。身体が落下を始める高さにして三メートル弱、膝をクッションに着地した。

「シャス……」

 いまだ暴走状態の彼女に言葉を掛けた。

 自分にできることは全部やったつもりだ。

 彼女へ伝いたい言葉も全て伝えた。

 少なくとも自分が現実世界へ戻ってきたことが証拠だと思う。

 だからジェイドは彼女に声を掛けた。

「もういい、シャス」

「……私は……」

「僕は君と一緒に魔王を目指したいと思う。こんなところで、僕らの決着をつけるべきじゃない。そうだろ?」

「ジェイド……」

 徐々に瞳が金色を取り戻し始める。ゆっくりと地上に降りてきて、彼女の背中にあった翼が消えた。

「私もそう思う。……ありがとう、ジェイド」

 暴走状態で力を使い切ってしまったのか、シャスはその場に倒れ込んだ。慌てて、彼女を抱き留めて、

「カルファ、頼む!」

「うん!」

 駆け寄ってきたカルファにシャスを預けて、この場を作り出した張本人に向き直った。

「レイリー!」

「ふ、ふん!」

 一歩、一歩、相手を威圧するように足を進める。ジェイドは胸の奥からわき上がる思いを押さえつけるのに必死だった。

 どうして彼はこんな状況を作ったのか。

 彼女をここまで追い詰めたのか。

「さあ、レイリー、僕はここにきた。君が僕に用があるというなら聞こう。さあ、どうする」

「……わかった。戦おう。俺がベルモット家の誇りを保つために」

「誇り? 君がそれをいうのか。魔導書を使ってシャスの心を傷つけて? 何が誇りだ」

 言葉を重ねて、自分が怒っていると自覚した。四大貴族がたかが己の矜恃のために、人を苦しめたのか。そう思うだけで怒りが増大していく。

 七曜の神剣の切っ先をレイリーに向ける。

「この前とは違う。僕はこの神剣を使う。手加減はするけど、もう戦うことができない程のダメージを与える。覚悟があるんだな」

「こいよ!」

 彼がジェイドの宣戦布告を受け入れたのは、それこそ四大貴族の矜恃だろう。この状況で逃げるわけにはいかない。結果がどうであろうと戦うことを決めたのだろう。

 ジェイドが七曜の神剣を構え直し、レイリーが魔法術式を展開した。

「お待ち下さい!」

 声は上空からだ。

 夜空から白い羽根が舞い落ち、ライラが二人の間に割って入った。ラルドルとの戦いでボロボロになったのか彼女の侍女服は破れ、傷だらけなのがわかる。

 レイリーの前に立ち、両手を広げた。

「邪魔をするな、ライラ」

 主人の命令に侍女は首を振った。

「嫌です。ジェイド様、主と戦うというのであれば私を倒してからにしてください」

 ボロボロの身体を沈めて、抜刀の構えをした。彼女の主を守ろうとする姿は称賛に値する。しかし、敬意を払い相手をするわけにいかない。

 自分の相手は彼女の後ろにいるのだから。

「ライラ、退いて。僕はレイリーに用があるんだ――いてぇ」

 戦意をなおも高めていたジェイドの頭をヴァンが叩いた。

「もういい、ジェイド・カリュス。下がれ」

 ヴァンは呆れながら、ジェイドを押しのけた。

「あとは妾に任せろ。それにシャスのことはお前がどうにかしただろ? だからあとは妾の仕事だ。今回の話は魔導書の管理に問題があり、準一級以上の魔導書が一般生徒の手の届くところにあった。妾の管理責任だ。だから――」

 ヴァンを中心に魔法術式が展開される。半径にして十メートル、複雑な術式が魔力によって構成されていく。

「妾がなぜ図書館館長と呼ばれているのか教えてやろう」

 ふははは、と勝ち誇るような笑い声をあげて、ヴァンが魔法術式を起動させた。

 満月が輝く夜空に、巨大な扉が出現した。

「さあレイリー、罪は軽くしてやる。いや、むしろ、巻き込まれたくなかったら、罪と贖罪の書を手放せ」

 言葉は静かだ、感情もない。

 しかし、真祖の威圧に耐えられるわけがなかった。

「ひっ……!」

 レイリーは罪と贖罪の書を投げ捨てるようにして、放り投げた。魔導書の行方を追って、ヴァンは頷いた。

「賢明だ。こい、零番図書館」

 それが合図だったかのように上空にあった巨大な扉が開いた。

 扉から建築物――零番図書館が召喚された。

 轟音とともに零番図書館が着地し、粉塵が巻き上がった。

 図書館の扉が開く、扉の奥には無数の本棚が見える。

「妾が図書館館長と呼ばれるのはな。この零番図書館を管理しているからだ。罪と贖罪の書よ、お前を封印指定魔導書と認定し、零番図書館へ送る!」

 扉の奥、決して見えない深淵の奥から黒い手が伸びてきた。かすかに見えた扉の奥、ただ暗闇があるのかと思ったが、無数の手が、無数の怨霊がいた。怨嗟の声が響く。不気味なほどだ。まるで地獄へ生者を墜とそうとしているようだった。

「お前たち、扉の奥を見るなよ、引きずり込まれるぞ」

 何かを掻きむしるかのように黒い手が伸び罪と贖罪の書を掴んだ。一組の腕だけではなく、他の腕も、寄越せ、寄越せと言わんばかりに魔導書に群がる。

 奪い合いを起こしながら、黒い手は零番図書館の扉の奥へと引っ込んでいった。

 バタン。

 扉が閉まると夜の静寂と別の静寂が不気味に広がった

「安心しろ、罪と贖罪の書よ、零番図書館の中では怨霊たちがお前を永遠に読み続けてくれる。本としての役割は全うできる。零番図書館よ、ご苦労だった」

 パチンと指を鳴らすと、図書館は再び上空の扉の奥へと戻っていった。そして扉を出現させた魔法術式も消えた。

「さて、レイリー」

 怒ってはいない。

 だが、ヴァンは邪悪な笑みを浮かべて、

「罪は軽くしてやるといった。だが、許してやるとは言っていない」

 ヴァンが新たな魔法術式を構築し始めた。

「覚悟しろよ?」

 北の森の夜を、レイリーの悲鳴が切り裂いた。

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