第五章「孤独な栄光」
シャスとケンカになり、ジェイドが野営に戻ってきたのは、シャスとケンカ別れになってから十分後だった。シャスが先に戻ってから、自分が彼女に言ってしまったことを考え直していた。それでもやはり彼女のやっていることは贖罪だとは思う。彼女自身の理由を、自分が否定するのは間違っているとは思う。
けど、やっぱり納得できないでいた。
シャスは自分が誰かを理由にすることで、自分を納得させているように思えた。その一方で、何か彼女自身の理由がある気がしてならない。
野営につくと調理中だったカルファが声を掛けてきた。
「あれ? ジェイドちんだけ?」
「え? シャス、先に戻ってない?」
「いや、儂もカルファもみておらんが……」
「そんな……はずは……」
ジェイドとのやり取りで高まった感情を落ち着かせるために、寄り道をしているのかもしれない。
「……え、なに、シャスちん一緒じゃないの?」
カルファの疑問にジェイドは先ほどまでのシャスとの状況を説明した。いくつかの事情はシャスのことを考えて伏せてはいるが、カルファもラルドルも呆れていた。
「それはジェイド、お主が……」
「ジェイドちんが悪いよ」
「……自覚してる」
わかっている。
今も、自己嫌悪に苛まれている最中だ。
「でもさー、問題はシャスちんがどこいったかだよー」
「探すしかなかろう」
いくらシャスが強いと言っても、夜の森では迷ってしまう可能性がある。探しに行く必要があるが、彼女がどこにいるのか手がかりがない。
「けど……ん?」
迷い、視線を落とすと、そこには魔石が転がっていた。気になって手にとってみる。月明かりに照らせば薄く透明な魔石が青色を纏った。
綺麗な正八面体の結晶だ。
傷一つない。
つまりこれは魔力が結晶化してできた自然鉱物ではなく、誰かが意図的に魔法を封じ込めて結晶化したものだと言える。自然鉱物であれば、傷はもちろん多少角が欠けていたり、透明度が低く濁っているものだ。
「どうしたのじゃ?」
「いや、魔石が」
「貸して。……うーん、なんか魔法術式が封じられてるね」
「やっぱり」
「ちょっと待ってね、再生するから。えっと、ここがこうで、こうだから、えい!」
カルファに手渡すと、彼女はいろいろな角度から魔石を確認して中に封じ込まれているの再生方法を確認し始めた。カルファが魔力を込めると、魔石が発光し魔法術式が浮かび上がった。そして中空にレイリーが映し出された。どうやら魔石に映像が記録されていたようだ。
レイリーがいる場所は、木々の密度が低い。いや。周囲に木々はなく、ある程度の空間が確保されているようだった。
「はい、主、映像記録の術式展開しました。いつでもどうぞ」
声からして魔法術式を発動させているのはレイリーの侍女であるライラだろう。
「ごほん」
わざとらしくレイリーは咳払いをして口を開いた。
「勇者の息子、この間はどうも。さすがに、俺も面前で恥をかかされていささか怒っているんだよ。君とシャス・サルミニアにね。で、簡単に言えば、今日は俺が君らにやり返そうと思う」
「はい、ここで地図表示に切り替えます」
映像が切り替わり、北の森の全体像が映された。
――編集でカットすればいいのに。なんで残してるんだ。
ご丁寧なことに、ジェイドたちの現在地に赤いマーカーが置かれている。そこから東へ矢印が伸びていき、開かれた場所を示していた。
映像が戻りレイリーが映され、アングルは彼の後ろへと移動していく。
映し出されたものを見て声をあげた。
「シャス!」
映像には土で作ったであろう――おそらくはレイリーの創成魔法によるものだ――台座にシャスが寝かされている。台座にアングルが移動する際にかすかに魔法陣のようなものが見えた。
一瞬のことであったため、どのようなものかはわからない。しかし、レイリーがシャスに何かをしようとしているのはわかった。
またレイリーに切り替わった。
「ぜひとも勇者の息子には、きてほしいな。たっぷりと前回のお礼をしたいので待っているぞ」
ふんぞり返るレイリーは余裕の笑いを残して消えた。
「はい、カットです。主、お疲れ様でした」
そこで映像も切れた。ラルドル、次にカルファと視線を合わせて頷いた。
「いこう」
「いいのか、お主は? シャスとケンカしてるのじゃろ?」
「それはそれだ。今はレイリーに捕まってるシャスが心配だ」
「ふーん、ジェイドちんがね。でも、カルファはそういうの嫌いじゃないよー」
「ほかのクラスメイトと違って、苦戦は必死じゃろうし、儂も本気を出さないとダメかのー。いざとなれば竜玉を使うかの」
「竜玉?」
「ほれ」
ラルドルがポケットから赤い小さな玉を取り出した。
「成人する前の竜人族が、完全竜化するために必要なものじゃ。簡単に言えば、高純度の魔力結晶体じゃよ」
この状況でラルドルはとても楽しそうだった。思えば、ラルドルの本気というものを見たことがない。竜人族の種族特性である、部分竜化も完全竜化も、ジェイドは目にしたことがなかった。それらすら使ったことがないのに、ラルドルの近接戦闘における力は圧倒的だ。
――七曜の神剣を使うことになるかもしれないか。
ジェイドは自分の右手を見つめて、頷いた。オズマから受け継いでからこの剣を使ったことはない。自分に使いこなせるのか、わからない。
でも、使う必要があるなら、使う。
「さていくかのう」
ラルドルを先頭に夜の森を行く。
心配だったのは魔獣による襲撃だったが、戦闘意欲により昂ぶっているラルドルを恐れているのか、その姿も気配も感じることはなかった。
ラルドルの闘気ともいえる、それは一緒にいるジェイドやカルファにとっても肌に刺さるような痛さを生んでいた。
このオリエンテーリング中、戦闘態勢になってもラルドルからここまでの戦意を感じたことはなかった。ラルドルがレイリーとの戦いを楽しみにしているのか、それとも深く静かに怒りを燃やしているのか。
歩くこと三十分、ラルドルが足を止めて、ジェイドたちを手で静止させた。
「さて、お主を倒さないといけないのかのう」
正面に侍女天使がいた。彼女の奥には、ジェイドたちが目的とする開けた場所――レイリーが指定した場所がみえる。
侍女天使は――ライラは、ゆっくりと一礼した。
「この先にて、レイリー様がお待ちです」
「なら、道を開けてくれない?」
ジェイドの問いに、首を振った。
「なりませぬ。ここから先は、お通しするわけにはいきません。主から、私を超える力が無ければ意味がないと言われておりますので」
「だけど、僕はいかなきゃいけない!」
一歩踏み出し、そのまま気持ちも速度も加速させてジェイドが行く。しかし、それを引き止めるように、
「待て」
ラルドルがジェイドの奥襟を掴んだ。急停止を強要される形になり、襟が首を絞めた。
「ぐえ……ラルドル、何するんだよ!」
ラルドルに抗議するが、彼は呆れ顔だ。
「感謝されるいわれはあっても、文句はないのー」
「はぁ?」
「さすがですね、ラルドル様」
「そりゃあのう。ジェイドよ、お主が無警戒にあのまま飛び込んでいたら、首と胴体が別個になっていたぞ」
彼の言葉を示すように、ジェイドの前髪の一房が宙を舞った。
――攻撃? いや、魔法術式の展開はなかった。直接攻撃? でも、ライラとの距離は五メートルはある。どうやったんだ。
疑問に頭を巡らせるジェイドの代わりに、ラルドルが前に出た。
「ふむ。儂らは先を急ぐ。仕方ない、推して通る。カルファ、手間かけるが、ジェイドを連れていけ」
「え? え?」
「できるじゃろ?」
「……もーーー!。ジェイドちんいくよ」
カルファから魔法術式を行使した時の発光があった。なにかを行使したのだろう。ジェイドの手を取ると、カルファが走り出した。天翔ほどの速度はないが、充分に早い。
当然、ライラが道を塞ぐように立ちふさがり、ホウキに手を掛けた。
「させません!」
右手が閃く。
しかし、わずかに早く、ラルドルが割って入る。
「それを儂がさせん」
「くっ」
ライラは攻撃の手を止めた。
その隙にジェイドはカルファに手を引かれて走り抜ける。
「ラルドル!」
振り向きながら、ここに残る彼に声を掛けた。
「心配するな、すぐにいく」
「すぐに……ですか……心外ですね」
「ふむ。ならば本気でやろうかのう」
ラルドルは腰を落として、構えた。
●
ジェイドがカルファに連れられてライラの脇を無事に抜けたことを確認したラルドルは戦闘態勢へ自身を移行させた。警戒心を向上させ、筋肉に適度な緊張を与える。
ライラの攻撃は、彼女が左手に持っているホウキからおこなわれているのこと、その正体もわかっている。あのホウキが仕込み刀になっており、その抜刀術だ。
――先のジェイドへの攻撃を考えると、攻撃範囲もそれなりかのう。
自身の推定に頷いて、ラルドルが走る。
竜人族の強靭でしなやかな筋肉は、ラルドルが望むようにすぐに加速を最大まで引き上げる。
「抜刀術は見事。しかし、それだけでは儂は止められん」
「お褒めにあずかり光栄です。しかし、それは慢心では?」
ホウキの柄に添えられていた右手が霞む。
抜刀だ。
刀身の軌跡も、輝きも、何も感じさせない。それは過程を飛ばして、結果のみを得るかのようだった。だが、ラルドルは怯まない、恐れない、だから己の速度を緩めない。
金属音に近い音がした。
その音にライラの細い瞳がわずかに開いた。疑問を呈しているようだった。今の音はなんだと。ラルドルは返答の代わりに口の端をつり上げる。その頃には彼我の距離は縮まり、ラルドルの攻撃圏内だ。
短く、鋭く、息を吐く。
「はっ!」
拳を振り上げ、打撃する。
ライラは後方に跳んだ。
打撃は相手を捉えることなく大気を殴打することになった。
一度目の攻防はそこまでだった。拳を振り抜いた形で、ラルドルが視線を上げ、ライラに向けた。
「やるの……。擦りぐらいするかと思うたのだが」
「こちらのセリフです。抜剣が効かないとは、さすが竜人族ですね、部分竜化ですか?」
「まさか……竜鱗に近い皮膚にただの剣が通るわけなかろう」
「失礼しました。ではこちらもまともに戦いましょう」
宣言を証明するように、ライラのホウキが淡く光る。
「参ります」
抜刀術ではなく剣を抜き身にして、ライラが踏み込む。体勢を戻したラルドルは剣の動きを追い、身体を動かす。警戒すべきは、天使族の神聖魔法だろう。ホウキに対してライラが神聖魔法を使い、刀身の攻撃力向上効果をおこなっている可能性が高い。
相手の初動からラルドルは取るべき回避行動を決めていた。これは頭で考えているわけではない。これまでの修練と実戦の積み重ねによる動作だ。
だが、それが仇となった。
ライラが初動のままの速度であれば、ラルドルは回避ができただろう。だが、彼女は天使族が持つ白い翼で大気を撃ち、新たな速度を獲得した。
ラルドルは小さく舌打ちして、防御を選択する。
右腕で斬撃を受け止める。先ほどのように竜人族の肌の防御力では防ぎ切れず、切り傷が生まれる。
構わない。
刃を受け止めつつも、近寄ってきたライラを打撃する。ここからは拳と刃の応酬だった。ライラが剣を振るえば、ラルドルが回避しすぐに距離を詰め直して打撃する。ラルドルの打撃を受け止め、ライラは距離をわずかにとって斬撃を繰り出す。
生命のやり取りの中で、ラルドルは楽しげに笑った。
彼にとってなによりも楽しいモノは、こういった自分の実力を出せる相手との戦いだ。
●
ジェイドはカルファに連れられて走っていた。距離にすれば大したものではない。元々、ライラと遭遇した場所からレイリーが提示した場所まではさほど離れていたわけではない。
「カルファ、大丈夫?」
「簡易式契約魔法発動したから良かったけどね……代価にため込んでた精気とか魔力だしちゃったから、今回の件が片付いたらジェイドちんから精気をもらって補給するから覚悟しておいてね」
今、カルファが使っている加速術は、契約魔法による身体能力を向上させているらしい。契約魔法にはそういう使い方もできるのか。
ジェイドは感心しながら、カルファの文句に同意した。
「オリエンテーリングが終わってからにしてくれよ……」
問題はレイリーが何を考えているのかだ。先日、レイリーとの一悶着が原因だろう。しかし、なぜ彼はジェイド自身を狙わずに、シャスを狙ったのか。彼女を捕らえた上で、なぜ自分を呼び出したのか。
それらの答えは、もうすぐわかる。
「ジェイドちん、そろそろつくよー」
「カルファ、ありがとう。じゃあ、ちょっと下がってて。あとは僕の用事だし」
レイリーが指定したその場所は、まるで森をくりぬいたように木々がない。その中央に自分が主だといわんばかりに、本を脇に抱えたレイリーの姿がある。彼の後ろには台座のようなものがあり、シャスが眠っている。
「やっと来たか勇者の息子」
「ジェイド・カリュスだ。覚えてくれないかな、レイリー・ベルモット」
「ふん」
レイリーは不機嫌そうに鼻に皺を寄せる。まるでお前の名前など覚えるに値しないといっているようだった。
「目的は僕だろ。シャスを解放しろ」
「俺は構わないけどね。――起きろ、シャス」
台座に横たわっていたシャスがゆっくりと身体を起こす。ふらふらしながら、台座から降りてレイリーの横へと並んだ。俯き加減のままであるため、彼女の顔がハッキリと見えない。
「さて、シャス。あの勇者を殺せ」
「……はい」
か細い声が聞こえた。
なぜ、レイリーがシャスに命令をしているのか。
なぜ、シャスは彼の命令を聞いているのか。
疑問が浮かんだ。
だけど、解決へ導くほどの時間はなかった。
「ジェイドちん!」
「わかってる!」
シャスが魔法術式を前面に展開した。
――さすがにシャスの魔法展開は早い。
天翔を発動させる。
撃ち出される魔弾を回避しながら声をあげた。
「レイリー! シャスに何をした!」
「ちょっと、協力を仰いだだけだよ。少しだけ魔導書の力を借りたけどね」
魔導書?
そうか、だからシャスが眠っていた台座を取り囲むように魔法陣が描かれたいのか。だとしたら、今のシャスの状態を考えれば、精神操作系の儀式を施したと考えるべきか。だとしたらどうやって解除すればいい? どうする。
「カルファ! シャスを解呪できるか」
「契約魔法でできるけど、それでも一度だけ。永続的な回避はできないと思うよー。あと対価が釣り合わない」
「……くそ……」
なおも降り注ぐ魔弾を回避するので精一杯だ。絶え間なく行使される弾幕に近づくことすら許されない。
「……めんな……ごめ……さい……」
シャスが呟く言葉が徐々にはっきりしてきた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
それは誰かに対する謝罪だった。謝罪の声はやがて、
「ああああああああああああああああああ!」
哀しみを含んだ叫びへと変わった。
耳をつんざくような叫びだ。しかし、それよりも声から感じ取れる哀しみの方が痛い。彼女の哀しみに呼応するように、彼女の背中に黒い翼が広がった。
翼に実体はない。正体はシャスから漏れ出た魔力が形を成したものに過ぎない。咆吼とともにシャスが顔を上げたことで、月明かりに照らせた。
控えめな突起だった角は、魔力の暴走によるためか五センチ近く伸びている。鮮やかな金色だった双眸は血のように赤く染まっている。
大人しくどこか柔らかさがあったシャスの面影はそこにはない。
ダン、ダン、ダンと大気を穿つようにして巨大な魔法術式が刻まれる。
「やばい……」
巨大な魔法術式に集まる魔力量にさすがにジェイドもたじろいだ。シャスへの注意をそのままにレイリーに視線を向ける。
「おい、レイリー。シャスを止めろ、この魔力量……やばいぞ!」
レイリーは泣きそうな程に困り果てた顔をした。
「……止める方法がわからない……」
「はぁ?」
「俺はこの魔導書に書かれている通り、儀式を実行しただけだ。もちろん儀式実行前に何度も魔導書を熟読したが止める方法なんて書かれていない。それにこんな状況になるなんて思っていなかった!」
ふざけんな。叫びたくなるのを抑える。
現状、シャスはレイリーがおこなった儀式によって操られている。その解呪方法は不明だ。レイリーの思惑から事態がズレているのだろう。
ならどうやって事態を収拾する。
どうしたらいい。
どうする。
最悪なことに当事者のレイリーはもう当てにならない。ならば、カルファにいって契約魔法で解呪するか?
「カルファ、今のシャスを解放する場合、どのぐらいの代価になる?」
後方に待機しているカルファに問いかける。
「ちょっとまってー!」
なぜか胸の谷間から羊皮紙を取り出して何かを書き込んでいる。簡易式の契約魔法は見せてもらったことがあるが、本来はああいった羊皮紙で契約書を作るものなのだろう。
「うーん、控えめにいうとねー。ジェイドちん、ちょっと街一つ分殺戮して血を集めてきて」
「それはできないな……」
自分でどうにかするかない。
だが、その解決策を見いだす前に、臨界点を迎えそうになっているシャスの魔法術式の対処が先決だ。だが、自分にはあれだけの魔力を受けきれる術も、背後にいるカルファを守る術もない。
なら取るのは一つだ。
カルファを捕まえて一度退避だ。
踵を返し走る。
天翔の速度で走る。
轟。
逃げるジェイドの背後で、大気を巻き込む形で、特大の魔力が放たれた。形状はあってないようなものだ。ただ光の奔流とも言える魔力の流れが、破壊の意味を持って迫ってきている。
徐々にジェイドとの距離が縮まってくる。
「逃げるなバカもの」
声がした。
この場の緊張感に合わない退屈そうな声だ。
思わず振り返った。
迫る強大な魔力、その余波で生まれた風に、銀色の髪を靡かせる真祖の姿がそこにあった。
「まったく、ひどい魔力を感じて様子を見にきてみれば、なんだこの状況は。生徒が騒いでるだけなら適当に見逃すが、これはそういうわけにもいかないか。マリオンと久しぶりに酒が飲めると思っていたのにな」
嘆息。
しかし、彼女はジェイドの方を振り向かずに言葉を続けた。
「満月でよかったな。さすがに妾もこの魔力を防ぐのは面倒だ。――ブラッド・フォート!」
赤黒い障壁が展開される。
対魔障壁がシャスの魔力を受け止める。
バチバチと音が鳴る。
空に浮かぶ満月と月の眷属である真祖が揃っている。一体どこにヴァンが負ける可能性があるだろうか。ただでさえ、満月は魔族の魔力を引き上げる。それに加えて不老不死といってもいい真祖がいるのだ。たとえシャスの放った魔力が強大であったも、遅れを取らない。
「さて、ジェイド。状況を教えろ」
対魔障壁を展開し、舞い散るような魔力燐光の中、ヴァンはやっとジェイドの方を向き、牙を口から覗かせて笑った。
●
ライラとラルドルの攻防は一進一退となり、今はお互い膠着状態だ。ラルドルの衣服は切れ、あちこちに切り傷がある。それらは熱を持ち、痛みを訴えている。
一度、乱打、乱撃の応酬を終えてから、ライラは再びホウキに納刀し、腰を落として構えている。それは自分の攻撃圏内に入れば、問答無用に切り捨てるといっているように思える。
ジリジリとラルドルは距離を詰める。
ライラの抜刀術をもってすれば、彼女の攻撃範囲に踏み込んだ瞬間に切り捨てられるだろう。だから、ラルドルは間合いギリギリから一気に攻めようとしている。
「おぬしほどの実力があれば、レイリーなんぞのお守りに留まる必要もなかろう」
「そんな恐れ多い、わたしはただのベルモット家の侍女でございます」
控えめな返答とともにライラの右手が動いた。
――その距離でか? しかし、まだ間合いの外側。斬撃に乗せて遠距離攻撃可能な手段があるのか?
生じた疑問に従って、ラルドルは咄嗟に防御した。
斬。
予想していたのは斬撃を媒体にした遠距離攻撃だった。しかし、違う。襲ってきたのは斬撃だった。
銀線が己の首元目がけて飛んでくるのがわかった。
防御を首へとずらす。両腕が赤い線が奔った。
「……なんじゃ……」
ジェイドへの初撃と同じだ。間合いの外側への直接攻撃だ。やはり魔法術式の展開はなかった。ならば、事前の魔法術式展開が不要なものになる。
相手が天使族であることを考慮すれば、結論に至る。
「……神聖系による祓いか」
「どうでしょう?」
「ふむ」
もう一撃、様子を見るか。
見極める必要がある。
斬撃を受けた距離から後方へ跳躍する。しかし、ライラは再び抜刀した。
「……!?」
ライラが抜刀したことへの驚きではない。再び刃が眼前に迫っていることへの驚きだ。上体を逸らして、刃を回避する。
斬撃を受ける瞬間、ある感覚を覚えた。
それはまるで自分がライラの方に引き寄せられるような感覚。
ラルドルは周囲を見渡した。
しかし、自分が移動した形跡はない。
だが、事実として得た感覚がある。
過去の斬撃を思い出してみて、同様の感覚があった。
なるほど、と納得した。
――そういうことか。
初撃を含めて三度目の攻撃だ。ラルドルは正体を掴んだ。
「斬撃の障害になる距離を禊ぎ落としておるのじゃな」
距離を禊ぎ落とすことで、どれだけ離れていても斬撃の瞬間だけ、ライラとラルドルの距離を失わせた。それが刹那であることから、ラルドルは斬撃が飛んできたかのように錯覚した。
「……名は縮地剣。私の間合い外であっても、距離を切り落とし、斬撃を届けます」
「カラクリがわかれば、どうということはない」
「そうですか……」
四度目の太刀のために、ライラが腰を落として、ホウキの柄に手を掛ける。
「やられる前に、やればいいだけじゃのう」
グッと足に力を込める。
――部分竜化、白竜脚解放。
竜人族の子供は成人するまで、竜玉の補助がなければ完全竜化することができない。しかし、己の身体の一部分を竜化させる部分竜化は自在に出来る。自分の中に眠る竜の遺伝子を呼び起こすことで、強大な力を得る。
「これで終いじゃ」
全力で地面を蹴り、走る。踏み込む度に大地が抉れる。それだけの力を推進力に変換しラルドルは前へ、前へと突き進む。迎え撃つライラは相手の動きを慎重に、迅速に見切ろうと努めている。
一撃で切り伏せることが出来ればライラの勝ちだ。しかし、その一撃が通用しなければ彼女の負けになる。
わずか数メートルの距離を移動するには、瞬きほどの時間も必要がない。
一秒を永遠に引き延ばしたような時間の中で、ラルドルはライラの手が閃くのを視た。銀線が夜を切り裂く。回避はしない。体勢を変える。右肩を相手に切らせる。それでもラルドルは止まらない。
「すまんの」
短い謝罪。
左手でライラの顔を鷲掴みをそのまま地面へ倒す。
「かはっ」
ライラは押し倒された衝撃で、体内の空気を吐き出す。ラルドルはライラから離れ、埃を払う。
「お主のレイリーに対する忠義は見事じゃ。しかし儂はのう、優秀な侍女は主を正しい方向に導くことも必要じゃと思うのじゃ」
「……わたしは……」
何かを言いかけてライラが空へと手を伸ばす。
「いくらでもやり直せると思うのじゃが」
さて、と一息吐こうとしたときだった。
ジェイドが向かったはずの場所から、轟音が聞こえ、巨大な魔力光の柱が天を貫くように夜を薙いだ。
「急ぐかのう……」
竜化した脚のまま、ラルドルは走り出した。
●
「なるほど、話からするとレイリーが使ったのは、罪と贖罪の書か」
「……なんですかそれは」
「対象者が過去にやった出来事に対する罪の意識を増幅させ、そして贖罪を求める。今回の場合はレイリーがシャスにいうことを聞かせようとしたのだろう。シャス相手には最適な方法だろうな」
ヴァンは銀髪を払い、翡翠色の瞳でジェイドを見た。彼女が言わなくてもわかっている。シャスにとって何がもっとも罪なのか。
――同族殺し。
今も魔力を放出しつづけているシャスの様子は、まるで自分の咎を嘆いているようだ。
「じゃあ、どうすれば……」
「レイリーのバカはなにもわかっていないが、儀式が完了して罪と贖罪の書とシャスはリンクしている。それを切ってやればいい」
「どうやって」
「なんの為の七曜の神剣だ。お前はまだ七曜の神剣の性質を理解していないのか。その剣は、使用者の想いを刃に変える。それがどういうことかわかっていない。ここから先は自分で考えろ。七曜の神剣の意味、お前が今成すべきこと」
「つまり……」
「ふん。簡単だよ。お前がシャスをどうにかしろってことだ。リンクが切れたら、魔導書は妾が図書館館長として適切に対処する」
「わかりましたけど、さすがにあの魔力の嵐に突っ込む勇気は僕にはありませんよ」
「そこはがんばれ、男の子」
クククといつものようにヴァンは喉を鳴らして笑う。覚悟を決めるしかないかと項垂れ、前を向いた。暴走しているシャスはもはや狙いすらつけずに、魔法術式を紡いでは魔法を撃っている。
空に雷が、大地に炎が放たれる。シャス・サルミニアという一人の魔神を中心に、暴虐が広がっている。
「ねえ、ジェイドちん」
「ん? どうしたの、カルファ」
「あのね、あんまりこういうこというべきじゃないと思うんだけど。シャスちんさ、今回のオリエンテーリング中、ジェイドちんのことを話してたし、聞いてきたんだよ? 私からみてジェイドちんがどんな人なのか、どういう話をするかって」
だから、
「ジェイドちんはちゃんとシャスちんと向き合う必要があるんだと思う。謝らないといけないことがあるなら謝るべきだと思う。伝えたいことがあるならちゃんと伝えないといけない。だから、シャスちんを助けて!」
「カルファ……」
「そうじゃのー、それがお主の義務じゃ、いってこい。儂も手伝ってやるからのう」
「きたのかよ、ラルドル」
あちこちに切り傷があるラルドルが、ジェイドの背中をパンと叩いた。よろけそうになりながら、踏みとどまり、もう一度前を、シャスを見た。
君の夢を、目標を、贖罪だといったことは謝ろうと思う。でも、僕はもっと君にちゃんと未来をみて欲しい。
「圧縮術式展開、七曜の神剣」
右手に出現した七曜の神剣を握り直す。
刀身はない。
自分の想いを刃にするのだから。
今日初めて使うのだから、うまくできるかどうかわからない。ヴァンが言っていた七曜の神剣の意味はまだわからない。
「大丈夫だ、ジェイド。七曜の神剣はお前の想いに応えてくれる」
「はい」
シャスと戦う。
彼女を正気にするために。
ちゃんと謝るために。
だから、七曜の神剣、僕に力を貸してくれ。
柄の先から刃が形勢されていく。
「七曜の神剣!」
ジェイドの想いを媒介にして、七曜の神剣が刃を得た。
一度、二度と剣を振り感触を確かめる。
「ヴァンちゃん、ラルドル、カルファ。シャスを止めてくる、連れ戻してくるよ!」
「いってこい」
「シャスちんをお願い!」
「シャスが言うこと聞かなければ、ぶん殴ってもいいぞ」
頷く。
魔弾を放ち続けているシャスへ向かう。ジェイドは魔弾の着弾位置を見極めて、回避しながらシャスへと近づいていく。
「ああああああああ」
一際大きなシャスの声だ。
狙いもろくに付けていなかった魔弾が、ジェイドへと向かってくる。シャスが、いや罪と贖罪の書がジェイドを敵として認識したのだろう。
攻撃が激化する。
対魔障壁が使えないジェイドは、魔法術式に対して回避するしかない。魔弾の数が増えようと、炎や雷、氷や風が迫ろうと走り続けるしかない。
「シャス!」
あと少しだ。二〇メートルも距離はない。
宙に浮いているシャスを見据え走る。
「いっけえええ!」
最後の魔弾を回避して、シャスへと切っ先を届けようと地を蹴り、跳躍した。
だが、
「ジェイドちん!」
最後の魔弾は回避した。
切っ先もシャスに届こうとしている。
しかし、届かない。
最後の最後、対物障壁が展開されていた。
わずかに、あと数ミリが届かない。
「くっそ!」
力を込めて前へ、前へと剣を押しやろうとするが動かない。
ジェイドの正面に魔法術式が展開された。
――やばい。
認識と同時に魔法術式が発動した。魔弾の直撃を受けて、ジェイドが弾き飛ばされる。カラカラと七曜の神剣が転がっていく。
うつぶせのまま、ジェイドが動かない。シャスの魔法術式展開が早かったことで、金剛の使用が間に合わなかった。
「……ぐっ……」
右手を土ごと握りしめ、ゆっくりと立ち上がる。正面から魔弾を受け、出血しているが致命傷ではない。口の中に入ってしまった土を吐き捨てる。肩で息をして、転がっている七曜の神剣を確認する。
そう簡単にはいかないか。
「まだだ……まだ……」
よろめきながら七曜の神剣を拾う。
消えてしまった刀身を再生する。
イメージしろ。
刃だ。
イメージしろ。
折れない刃だ。
それは自分の心、自分の決意、自分の想いだ。
七曜の神剣は所有者の想いを刃に変える。想いが強ければ強いほど、七曜の神剣は強くなる。それが神剣の性質だ。
「いくよ、僕は」
ゆっくりと、一歩、二歩と歩き出す。
待ってろ、シャス。
徐々に速度を上げる。
そんなに泣くな。悲しそうに声をあげるな。
走り出す。
七曜の神剣を持ち直し走る。
降り注ぐ魔弾の雨を縫うように走る。
「あああああああああああ」
シャスが再び叫ぶ。
先ほど、強大な魔力を放ったものと同じ巨大な魔法術式が展開される。
――さっきはヴァンちゃんのおかげで防げた。
しかし、今、自分には防ぐ手立てはない。
「ラルドル!」
自分にないなら、友に頼るしかない。
たった一言で彼はジェイドが何を望んでいるのか理解した。
「まかせろ! お主は走れ!」
ラルドルの鋭い檄が飛んできた。一瞬だけ、彼の方を向いた。彼は歯を見せて笑い、そして赤い玉――竜玉を咥えて砕いた。
「うおおおおおお」
ラルドルは咆吼し、地面に四肢を突き立てるような姿勢を取った。彼の筋肉が一気に膨張する。彼の姿は人から竜へ変わっていく。
完全竜化だ。
竜玉に込められた魔力により、種族の遺伝子に眠る竜を呼び起こし、自らの身体を変化させる。
竜人族の成り立ちには二つの説がある。一つは竜と人が交わり、その個体を増やしたという説、もう一つは竜が自己種族の保存として人型を取ったという説だ。どちらの説が正しいのかはいまだ不明だ。いや、真実を知りたければ、古代から生きている神竜クラスと対話すればいい。それが可能ならばだ。
どちらの説にせよ、共通することがある。それは竜人族は、竜の遺伝子を持ち、制御できるということだ。
「ガアアアアアアアアアアアア」
一匹の白竜の咆吼が大気を震わせる。
巨大な爪を地面に食い込ませて体躯を固定する。
「ジェイド、一度だけじゃからな、チャンスを逃すな」
「ああ!」
後方のラルドルに頷いて、迷いなく走る。
巨大な魔法術式が発光する。
術式が魔力に意味を与える。破壊の意味を。それを受けて魔力は与えられた意味を実行するために発動する。
それをみてラルドルは竜化した口内に、魔力を充填していく。
大気の、森の、この学院島からありったけの魔力をかき集めているような錯覚に陥る。
巨大な魔法術式が発動した。
押し寄せる魔力の波をみて、
「滅多にみれんぞ! 竜の息吹!」
竜の口腔からとっておきの一撃が放たれた。
竜種最大の攻撃である竜の息吹は、口腔に集められた魔力にただ一つ、殲滅の意味を与える。何重にも意味を重ねたものだ。
ラルドルの口から光の帯が奔る。大気を割り、漏れ出た魔力を炸裂させながら、シャスの巨大な魔法術式から放たれた魔力にぶつかる。
魔王の娘の一撃と、竜の息吹が衝突した。
魔力同士の邂逅は音と炸裂光を生む。
ジェイドはその衝突の脇を一気に駆け抜ける。
「天翔!」
体内魔力を推進剤にして、加速する。加速する。加速する。魔力で構成させた翼をはためかせ宙に浮いているシャスを目指す。
一歩宙へと踏み出せば、魔力で足場が精製されては砕け散る。そしてまた一歩と踏み出す。そうして、徐々にシャスとの距離を詰めていく。
ジェイドが辿った軌跡には青い魔力の欠片が降り注ぐ。まるでガラス細工の階段を壊しながら駆け上っているようだった。
シャスの腰あたりまでの高さに至り、彼は飛んだ。
「うおおおお」
裂帛。
気合い。
決意。
七曜の神剣を突き出し、両手で支える。
彼女と目が合う。正気などどこにもない。
赤く染まった瞳がこちらを見る。
――ごめん。
心の中で謝る。
七曜の神剣の切っ先が、シャスの胸に吸い込まれていく。
バチッ!
またも対物障壁が立ちふさがる。
「邪魔だ!」
切っ先を僅かに食い込ませる。
元々、七曜の神剣の刃の性質は使用者の想いに依存する。だから、ジェイドは一瞬で七曜の神剣の性質を変更した。
「お願いだ、七曜の神剣! 僕の想いをシャスに届けてくれ!」
実体を持ちつつも、物理的な意味を成さない、魔力の刃へと変える。その結果、対物障壁を抜け、彼女へ刃が届いた。
感触はない。
実感もない。
結果はある。
刃がシャスを貫いた。




