第一話 その男は天へと散った!悪党どもよ、我が怒りの拳を受けよ!!
兵士ニライ・アーマンはその日、女性のオーガと出会ってしまった。
ニライはオーガが人間の女をさらって子をはらませることは伝え聞いていたが、オーガに女性がいるなどとは初めて知った。
見た目も普通のオーガよりも小さく(それでもニライよりも随分と大きいのだが)、角も若干額から出っ張りが出ている程度である。顔は作りだけならば美醜で言えば醜に該当するとニライには思えたが、しかし引き締まった精悍そうな表情はそれはそれで評価出来るモノで在るとも言えた。何より、あのオーガ特有の上に引っ張られたようなひきつった様相ではないので、一目見ただけではオーガというよりは大柄な鬼人族の女にしか見えない。
ニライがそれを女オーガに尋ねてみると、どうも角が伸びる際に引っ張られているようだという答えが返ってきた。オーガも角の伸びない子供の頃はこの女オーガとあまり変わらない顔をしているらしい。
まあ、そんな会話が行えるほどにはニライは女オーガとコミュニケーションが取れていた。ここに至るまでの会話の中でニライもこの女オーガが思ったよりも理性的で思慮深い性格であることを理解していた。そして現在女オーガとニライがいるのはオーガの集落に一番近い街バモラである。
「これが街か」
女オーガがそう言って回りを見た。女オーガは常にオーガの群れの中心にいて大事に育てられていたため、街などというものは初めて見る。実は人間も男はほとんど見たことがない。街行く人間も露店の品物もすべてが珍しかった。
「いきなり暴れまわったりとかしないでくださいよ」
ニライは内心ではビクビクとしながら隣にいる女オーガに忠告する。
そのニライの言葉に女オーガは頷き、
「人は食わない。欲しいモノがあっても力尽くでは奪わない。街の中の鳥や牛、豚などは金という金属と交換して食べるだったな。承知している」
と、言った。これはニライがここに来るまでに、この女オーガに言い含めていたことだった。意外なことにこの女オーガはニライの言葉に素直に従っていた。ニライの言葉に従い、ついて行けば強い男と出会えると信じているようだった。
(任務途中だが、こいつはチャンスだ)
ニライは女オーガを見ながら思う。現在のニライは軍の正規の任務から離れ独断で行動している。兵士の鎧も脱ぎ、一般人の恰好をしている。脱走は重罪だが、この女オーガをどうにか上手く使えれば一儲けが可能なのではないかと考えていたからだ。
故郷を捨て、オルト帝国の兵士となったニライだったが、回される仕事は雑用事ばかり。オーガ討伐では囚われた女どもを皆殺しにすると言う汚れ仕事をさせられ、今度は単独でのオーガの群れの捜索である。このまま軍に残っても飼い殺されるか野垂れ死ぬのは明らかで、ニライは軍に未練も義理も感じていなかった。
「では。まずは、そのオーガの角を売り払って身なりを整えましょうか」
ニライは女オーガを見て言う。
「確か、冒険者ギルド……というところでこれを金というモノに変えるのだったな」
女オーガは背中に担いだマキのようなものを見る。それはあのオーガたちの死骸から回収した角だった。
「ええ、その通りです」
人間の街に向かう際に必要なものは何かと女オーガに尋ねられたときにニライが口にしたのが金である。そして金を手に入れるには……と尋ねられたときに目に付いたのがオーガの角であった。
とはいえ彼女の仲間の角である。それを売り払うという発想に機嫌を損ねられかねないかとニライは恐怖に駆られながら尋ねたのだが、女オーガは気にした様子もなく、農作業のように仲間の死骸から黙々と角を抜いて取っていた。
その際に女オーガはこう口にしていた。
「敗者のすべてを手に入れるのは勝者の特権。それは人の世であっても変わらぬだろう?」
女オーガのその言葉にニライは頷くしかない。
「それにこれが戦士の武具となるのであれば、死したる後も闘争の場にいられると兄達も喜ぶだろう」
そう口にする女オーガの言葉に辛うじてニライは身内を思う心を見た気がしてどことなく安堵する一場面もあった。
そんなやりとりがあったことをニライが思い出しながら歩いているうちに、冒険者ギルドの事務所にまで辿り着いた。
「いらっしゃいませ……と、ニライさんじゃないですか」
ニライと女オーガが中に入ると、受付の女性がニライに声をかける。知り合いらしかった。
「やあミュー、ひさしぶり」
ニライはへらっと笑いながら手を挙げて挨拶をする。
「あらあら。冒険者を止めて兵隊になったって聞いてたけどまーた戻ってきたの?」
ミューという受付嬢は、後ろにいる女オーガをキョロキョロと気にしながらもニライと言葉を交わす。
「まあちょっと用があってね。こっちの人の冒険者登録とオーガ討伐報酬をいただきたいんだけど」
「ああ、はいはい。登録ね。それにしてもすごい身なりね」
さすがに裸は不味いだろうとニライは女オーガにボロ切れのような布で誂えた服を着せていたが、しょせんはボロである。物乞いにしか見えぬ格好だが、その大層な肉体が物乞いなどではあり得ないと語っていた。
「鬼人族の方でね。旅の途中で着るモノを盗まれたらしいんだ。集めていた素材は無事だったから、これを売ってさっさと服を買っておきたいんだよ」
ニライの説明のつたなさは、ニライの指さした女オーガ自身と背中のモノのインパクトのおかげで完全に無視されていた。
「これは…3〜40組分はあるわね。もしかして例のオーガの?」
ミューの驚きの顔にニライが頷く。ミューも分かったわと言って、ギルドの登録申請書を渡した。
「ええと、読めます?」
その紙を不審な顔で眺めている女オーガにミューが恐る恐る尋ねる。
「読めぬ」
即答だった。
「ああ、じゃあ俺が書くから」
そう言ってニライが横から入りペンを取る。
「ええと、今日の日付と、目的は強者探しに……あれ、名前って聞いてましたっけ?」
「母は私を娘と言っていた」
「まあ、そうでしょうが」
ニライは困惑した顔でそう返す。
「それ以外は分からないな」
「じゃあとりあえずでも良いんでなんかありますかね?」
「強い男が好む名を知っているか?」
「好む名ですか」
ニライはうーんと唸り、
「今だとそうですね。冒険者や兵士たちの間では歌姫アネモネ・レーンの名が親しまれていますと聴きますね」
「では、それで頼む」
間髪入れずの女オーガの返答にニライは「分かりました」と答え、名前の欄にアネモネだけを記入する。ニライはその紙をミューに手渡すと、ミューは呪文を唱えて申請書をカードへと変えた。そして帳簿を開き、記入内容がコピーされているのを確認するとカードを女オーガ改め、アネモネに手渡した。
「それではアネモネさん、こちらのカードは再発行可能ではありますが、その場合には別途のお金がかかりますのでなくさないようにお願いします」
アネモネはカードを珍しそうに眺めながら頷いた。
「そのカードはこの街以外の冒険者ギルドでも使用できますがその場合には一度冒険者ギルドで記録し直す必要がありますので、受付でカードを提出してください。また犯罪を犯した場合は使用停止にはなってしまうので気をつけてくださいね」
ミューの言葉にアネモネが頷き、ニライの方を向いて尋ねる。
「何かを要求するときは金を出せばいいのだな」
「まあ、大体は」
ニライはその言葉に若干の不安を覚えつつも肯定する。
そしてアネモネはニライの手を借りて、兄の角を一本だけ残して、その他のオーガの角をすべて売り払い、今度は武具店へと向かった。
「いらっしゃい。おや随分と大きい人だねえ」
武具店の親父がアネモネを驚きの顔で見ている。
「親父、冒険者用のある程度の身なりの良い服装一揃いをこの人にまずは頼む」
ニライの言葉を聞き、アネモネの身なりを見た親父は頷いた。そして奥から大柄の男用のシャツとジャケット、それにフリーサイズのズボンとスカートを持ってくる。スカートと言っても女性用ではない。寒さを凌ぐための防寒具として用意されたものだ。
ニライの「これを着てください」という言葉にアネモネは頷き、バサリとボロ布を脱ぎ捨てると、出された服を着始めた。
その脱ぎっぷりには思わず親父も見とれたが、その中からたわわな乳房が出てきたときにはさすがに目を丸くした。だが、その視線はすぐに鍛え抜かれた筋肉に移った。
(美しい……)
さすがに血塗れでは街に案内できぬ、と川で身を綺麗にしてもらったときにもニライはアネモネの肉体を見ていた。だが何度見てもそれはまさしく芸術品のような筋肉の付き方で、すいつくように視線が集中してしまう。
それはただ護られていることに堪えられなかったアネモネが日夜鍛え続けた結果の賜物。本来は生来の能力のままに成長し鍛えることなどしないオーガ族の中でただ1人研鑽し続け、もはやオーガという枠からすらも逸脱してしまった肉体が、アネモネという個体をどうしようもなく美しく見せていた。
「む、少しきついな」
「あ、はい。それはここを弛めてですね」
思わず唾を飲み込みそうになったニライは、アネモネの言葉に正気を取り戻し、ズボンの紐を弛めてサイズを合わせた。
(危ない、危ない)
その肉体に頬ずりしたくなっていた自分をニライは戒める。目の前の女はオーガで、そして強者の子を生むためにここまで来た。そうした目で見て万が一にも「ならば挑戦してみるか」などと言われてしまっては命がないだろう。
「なるほどな。確かにこれを着ていれば寒さもないも同然だな」
ニライの心情など気にも留めていないアネモネは、身体を曲げたり、屈伸をしたりして着心地を確かめる。
「そ、それでアネモネさんはどんな武器をお使いになります?」
「武器か」
アネモネはニライの言葉に考え込む。生まれてこの方、まともな闘いは兄達との戦闘のみ。
(……兄は棍棒を使っていたが)
だが、アネモネは今朝の闘いのなかで、兄の棍棒を使ったときよりも己の拳で殴り殺したことの方が多かったように思える。
「いらんな。私にはこれがある」
そう言って握りしめた拳を見せた。それは巌のように硬そうな拳だった。思わずニライと武具店の親父が見とれて唾を飲み込むほどに。
アネモネは靴も必要はないと言い、その他には戦闘用ではないが分厚い鉈と加工用のナイフ、そしていくつかの店を回り、旅に必要な装備を購入した。
「強いヤツがいるっていうならまずは西のヌマって国の闘技場でしょう」
あらかた欲しいモノも手に入れ、今日泊まる宿に金を払って部屋を取った後、昼食を近くの食堂で取ることにしたアネモネとニライだが、概ねアネモネの準備も整ったのであれば続く話題は強者がどこにいるのかということになる。
「ヌマ?」
アネモネがそう問い返すとニライは手に持った鶏肉を頬張りながら答える。
「はい、ヌマ共和国です。そこには人族や鬼人族、蜥蜴人族なんかが競い合う闘いの場があるんですわ。アネさんが強い男を捜すというんならまずはそちらに言ってみると良いと思いますね」
「男たちが戦う地か。興味深いな」
そう言ったアネモネだが、だがひとつ気になることがあった。
「ところでニライ、そのアネさんというのはなんだ?」
「ああ、おかしかったですかね? アネさんを見ていたらアネモネさんというよりはアネさんって感じだったんでつい」
ニライが慌ててそう言うがアネモネは「そうか。まあ良い」と返す。
「後は強い相手というとここから北に行くと、竜の里の管理下にはない竜朱山という山がありますね」
「北か。兄から聞いたことがある。竜どもが群れをなして襲いかかるところだと」
「ええ、その山の麓には竜退治の戦士たちがわんさかいるって話です」
竜と戦う男たちであるならば確かに強者であろう。アネモネはまだ見ぬ男たちを思い、にんまりと笑う。その様子をニライは恐々と見ながら、続いての候補を上げる。
「あとは各地にいる達人と戦うという手もありますが」
「達人?」
「これはそれぞれの槍や剣などの流派の師範たちなどです。一人一人が一騎当千と謡われていますね」
そこまで聞いてアネモネは外の世界が想像以上に複雑であることを理解し、悩ましい気持ちになっていた。
(よく分からんな。私は強い男に抱かれたいだけなのだが)
集落の中にいれば迷うこともなく用意されたものが、自分の手で捜すとなるとこんなにも難しいとはアネモネは思わなかった。
しかし常に寡黙な顔をしているアネモネの心情などニライにはわかるはずもなく、昼食を終え、ひとまずは宿に戻ろうということとなり、席を立った。
その帰り、人通りもない路地でアネモネはニライに気になっていたことを話す。
「気を悪くしないで聞いて欲しいのだが」
その低姿勢のアネモネの態度にニライは「なんでしょう?」と不安げな顔で返す。
「お前は何故私にここまでよくしてくれるのだろうか?」
さすがにアネモネもバカではない。自分が人と敵対しているオーガであることは理解しているし、人であるニライがアネモネに尽くす理由も思い付かない。
ニライはその言葉にどう返そうかと悩んだ。最初はこの女オーガの力を利用して何かしら一儲けするつもりだったのだ。闘技場に出れば恐らくは優勝する実力もあるだろうし、冒険者としても活躍し、そのパーティで一緒にいるだけで金も入ってくるだろう。そうした気持ちは今も変わってはいないが、利用してる……などと言うにはニライはこの女オーガが気に入りすぎていた。なんとかしてこの女オーガとともに旅をして、一緒に歩んでいけたらと思い、少し考えてからニライはアネモネを見た。
「それはですね」
ニライが口を開こうとしたところで
「見つけたぞ、逃亡兵め」
背後からの声と共に、ニライの首が舞った。
「おお」
その剣筋の鋭さにアネモネは思わず賞賛の声を上げる。
綺麗に首を飛ばされたニライの身体はそのまま崩れ落ち、首の断面が血をバーバーと吹き出しながら声の方角の方に倒れた。
「ぐあっ、死んでから抵抗するか、この役立たずは」
首を跳ねた死体から浴びせられた血を存分に浴びた中年の兵士が悪態をつく。そして一通り罵りながらニライの身体を蹴りつけた。
「まったく、ろくでもない男ですな」
「左様。まさかオーガ怖さに故郷まで逃げ帰っているとは」
中年の兵士の後ろにいた取り巻きらしき兵たちが口を揃えて、ニライを罵り、そのまま前に出て死体の上に唾を吐く。
その様子を見ていたアネモネに中年の兵士は「なんだ?」と返す。さすがに一目見て下手に関わらないほうが良いとは中年兵士も理解はしていた。だが中年兵士はオルト帝国兵団の部隊を率いている隊長だった。そしてメンツというやっかいなものを持っている。
「いや、お前はこのニライのなんなのだ?」
もっともアネモネにはそうした事情は意味をなさない。ただ気になることを口にするだけだ。
「俺か。俺はこいつの上司だ。こいつは俺が命じた任務を放棄し、自分の故郷に逃げ帰った臆病者だ。で、あるからして今ここで成敗した。何か文句でもあるか?」
そうまくし立てる中年兵士の言葉にアネモネは(つまりはニライの長と言うことだろうか)と考え、であれば致し方なしと判断した。
「いや、特にはないな」
「ふんっ」
中年兵士はアネモネが自分に反発しないのを確認してその場を離れようとした。
「ああ、ちょっと待て」
だがアネモネは立ち去ろうとする中年兵士に声をかける。それは、まるでついでのような口調だった。だから中年兵士もさほど警戒心もなく振り向いた。
「なんだ、いったい?」
だが中年兵士が再びアネモネに向き合うと、目の前に巌のような拳が見えた。唐突に見えたそれに中年兵士は驚愕したが、それが中年兵士の見たこの世の最後の光景となった。
そして中年兵士の意識と命とともに何かが砕ける音が響き渡り、中年兵士は3メートルは吹き飛んで地面に倒れ込んだ。取り巻きの二人は呆然とそれを見ていたが、だが我を取り戻すと「隊長」と叫びながら隊長の死体に駆け寄る。
「し、死んでる」
「なんてことを……」
取りまきどもが顔を青くして、隊長であった肉塊を見ていた。その顔はもはや生前の形を保っておらず、取りまきたちはゾッとした。
「ふむ」
そして当のアネモネはすかっとしたのでこれで良しと頷いた。確かに長が群れの下の者に逆らわれたのであれば制裁をするのは当然のこと。しかしそれはアネモネには関係のないことだ。胸の奥にある僅かな苛えを抑えるためにアネモネは己の拳を自身の心の赴くままに振るったのだった。
「おっと、そうだったな」
アネモネはニライからは人間の世界では何かあれば金を払う必要があると言うことを聞いていた。そして金というのはそれに見合った金額を出せば良いとも聞いている。
「これぐらいだな」
そういってアネモネはチャリンとさきほどの昼食のお釣りを隊長の死骸に投げた。こんな脆い長では群れも維持できまい。であれば、その代価もただ同然だろうと考えたのである。
「貴様、なんのつもりだ」
しかし取り巻きの兵たちはその行為を怒りを持って見ていた。
「何を怒っている?」
二人の殺気の篭もった視線にアネモネは平然と尋ねた。
「我々がオルト帝国第十二兵団と知っての所行か、貴様?」
「いや、知らん」
兵の問いにアネモネは間髪入れずに返した。知らないのだから仕方ない。しかし、それを侮辱ととらえた兵たちは剣を抜き、アネモネに切りかかった。
「なるほどな」
アネモネはその二人の剣裁きが、さきほどの中年ほどのものではないと感じ(だとすればあれが長なのも致し方ないか)と思いながら、その振るわれた剣を親指と人差し指だけでつまみ上げ、そのまま互いの喉に突き合わせた。
「「ッ……!!」」
喉元を共に貫かれた兵たちは、声すらも出せずに驚きの目で互いを見ながら互いを血飛沫で汚しながら崩れ落ちた。
「ふむ。せっかく手に入れた服というものだ。汚したくはないしな」
アネモネは血飛沫が飛び交う前に後ろに下がっていた。そして特にすることもないので、同じように二人の死骸にも小銭を落として、その場を後にした。
アネモネが宿に戻ると、宿屋の店主がニライのことを尋ねてきたので「泊まれなくなったようだ」と答えた。死んでしまってはもう泊まることもできまい。或いは亡霊となれば可能だろうが、だが夜になってもニライが来る気配はなかった。当たり前だが。
そしてアネモネは1人ベッドの中で眠りにつこうとして、思えば1人で夜を過ごすのは初めてであることに気付いた。
(ニライがいればそんな思いもせずに済んだかもしれぬな)
そんな少しの寂しさを覚えながらアネモネは夢の中へと沈んでいった。
夜は更けてゆく。こうしてアネモネと名乗ることとなった女オーガの七歳の誕生日は終わりを迎えたのである。