第九話 嘆きの叫びが天を貫く! 竜よ、力だけがすべてではないと知れ!!
戦いのゴングは両者の遠吠えによって始まった。
あらゆる生命の本能に呼びかけ恐怖を呼び起こさせるオーガの咆哮と、最強種たる竜の咆哮は、だがどちらも互いを怯ませることはなかった。
そしてアネモネはすぐさま竜に向かって走り出す。竜種のブレスぐらいはアネモネも知っている。それが炎か、氷か、雷か、或いは別のものかは分からないが、広範囲に広がるブレスを防ぐには距離を詰めて戦う必要があると考え、一気に間合いまで走り抜けようとしたのだ。
対して門を守るドラゴンにはまだアネモネに対して侮りがあった。最初の咆哮で怯えて戦いにならぬだろうと考えていたし、稲妻のような速度で自らに走り出すなど思ってもみなかった。だから、戦いの覚悟もなかったドラゴンがアネモネの攻撃を受けるのは必然であった。
「ふんっぬ!!」
そしてアネモネが狙ったのはまずは足である。まるで千年生きた巨木のような太い足ではあるが、アネモネの強靱な拳による貫き手であればその鱗ごと貫くことも可能だ。貫かれたドラゴンと、その血液を浴びたアネモネが同時に苦痛の声をあげる。
(灼けるような痛みだな)
アネモネはドラゴンの腕から抜いた右手を見ながらそう思った。竜血を浴びた腕が白い煙を上げている。アネモネはその腕をフンッと振って血を飛ばす。
(まあ、耐えられぬほどではないか)
竜の身に流れる血は竜気と呼ばれる竜特有の魔力が大量に含まれており、それをそのまま浴びてしまうと他の生物には刺激が強すぎて焼けただれてしまうのである。だがアネモネはその痛みを取るに足らないと考え、今度はドラゴンの足に左の貫き手を放った。
『この雌猿がッ!』
その痛みにドラゴンの思考はアネモネへの憤怒に染まった。先ほどまでの上位種が下位種への見下したような怒りではない。それは、この相手を倒すべき敵として認識し、闘争本能を燃やすための燃料としての怒りだ。
そしてドラゴンは痛みに耐えながら貫かれた足でもって、アネモネへと蹴り出した。だが、この近距離からの蹴りでは重みがない。ただのオーガならば兎も角、目の前のそれを蹴り飛ばすなど出来るはずもない。
「甘いッ!」
故にアネモネはその蹴りを全身で受け止める。アネモネの足元の煉瓦づくりの床がビキッとひび割れたが、その鋼鉄の如き足はまったく微動だにしない。
『馬鹿力がッ』
ドラゴンがうめいた。蹴り出した足がまるで何かに固められたようにガッチリと動かない。それどころかギリギリと足がねじ曲げられて、
「ハハハハハハハッ」
アネモネの笑いとともに、貫かれた右足がアネモネの膂力に勝てずにあらぬ方向へと曲がっていく。
(なんだ、こいつは? どこにこんな力があるというのだ!?)
ドラゴンは驚愕するが、アネモネは自らの力が日々の鍛錬の成果であることを知っている。よく育てた筋肉は決して裏切らない。魔術や武器、そんなものに頼らなくとも己の肉体があれば困難にも乗り切れる。アネモネはそれを知っている。そして乗り切れなかった時、それが自分の純潔を散らすときだと知っている。故に所詮卵でしか子供を産めない輩などに負けることなどないとアネモネは知っている。
「ォォォォオオオオオ!!!」
アネモネの咆哮とともに竜の右足が完全にねじ曲げられる。骨は折れ、筋が断裂する。そして竜は絶叫した。矢でも剣でも魔術でもない。それは初めての痛みだった。
(人間と相対したときはこんなことはなかった。我は炎を吐いて、爪で抉り、その牙で噛み砕いて敵を殺した。だが我を上回る力で我が肉体を破壊するものなど未だかつて見たこともないッ)
そしてドラゴンは溜まらぬと翼を広げた。空を飛び、そこからブレスを吐けばこんな小さな生き物など簡単に殺せると考えた。考えてしまったのだ。だが、それは最悪の行動だった。
「勝負を投げたか」
空に舞い上がった竜を見てアネモネがそれを馬鹿にしたように笑った。
ドラゴンはそのアネモネの様子を見て怒り、喉袋に竜気と魔力をため込み、ブレスを生成する。だがそれを吐き出すよりも早く、アネモネはその場に転がっている建造物の破片を手に取った。アネモネの腕くらいはある破壊された城門の巨大な柱の欠片だった。それをアネモネは全身全霊の力を込めて投げたのだ。広げた翼めがけて。
欠片は見事に翼の付け根に当たった。そしてその勢いで翼が千切れ飛んだドラゴンから悲鳴が上がった。
そして翼がなければ竜とて飛べはしない。ドラゴンはそのまま空より地上に落下しながら、痛みによる悲鳴から生成したブレスを吐き出してした。それは黒い炎のブレスで、そのブレスが当たった建造物やたまたま近くで見ていた魔物たちが腐食していく様がアネモネの視界に入った。
「ウルォォォオオオオオ!!」
そんな中をアネモネは叫びながら駆けていく。敵の底が割れたがまだ死んではいない。その肉体性能に反し、どうにも戦いベタでその精神も脆弱で、恐らくは今まで弱いものしか相手にしてこなかったのだろうと思わせる相手ではあるが、ここまで追いつめれば或いは化けるかもしれないとアネモネは期待した。
『くっ、お前は!?』
だがドラゴンは駆けてくるアネモネを見ながら恐怖した。高笑いをしながら駆けてくる鬼に恐れ、あまりため込まずに散漫なブレスを吐き出すが、当然それは避けられてしまう。温すぎてアクビのでる攻撃だ。
アネモネの右ストレートがドラゴンの鼻に直撃する。ドラゴンは情けない悲鳴をあげる。アネモネはそのまま、ドラゴンの砕けかけた鼻を蹴り飛ばしながら高く飛び上がった。ドラゴンは残された翼と両腕をクロスさせて次の攻撃を防ごうとするがアネモネの踵落としに片翼は完全に砕かれ、両腕も表面上は強力な竜の鱗に阻まれ破壊しきれなかったが、だが衝撃によって内部の骨にヒビが入った。そしてドラゴンから何度めかの悲鳴が轟く。だが死んではいない。であるならばアネモネが止まる理由はない。
(こ、ころ、殺される!?)
ドラゴンはもはや体裁など取り繕わず逃げの一手に出ることにした。この小さき鬼には勝てぬ。それを理解したのだ。だがアネモネはドラゴンを逃がさない。アネモネは獲物を逃がすような真似をしない。それにアネモネは侮らない。
例え今は弱気に見えてもあのブレスが脅威であることには違いない。距離をとってブレスを吐かれれば未だ勝負は見えないと理解している。故にアネモネは執拗に追いかけ、ドラゴンの喉袋を貫き手で破壊し、掴んで傷口を広げてブレスを吐かせないようにした。その際に竜の血がアネモネの全身に飛び散りアネモネの肌を灼いたが、だがアネモネはその痛みすら心地よいと笑った。それを見たドラゴンの心に生まれたのは未曾有の恐怖だ。
そんな竜の心情など関係なしにアネモネは淡々と攻撃を繰り出していく。骨がヒビいって動かし辛くなった腕の肩を踵落としで破壊して、完全に動かせないようにし、回し蹴りで腹を蹴り、そのまま両手で腹の皮を掴みその握力だけで千切り、強引に引き裂いた。その間もドラゴンはどうにか首より上だけはガードするように努めていた。竜種の回復力ならば意識と魔力さえあれば回復させることは可能ではある。だがそれも今の段階なら……であり、これ以上壊されればそれもかなわない。なにより痛みと恐怖でドラゴンは目から涙を流し、鼻汁と鼻血を散らし、情けなく涎をたらしながら『止めろ』だの『もう許して』だのと声をあげ続けた。周囲の魔物たちもその光景に恐れおののき、失禁しているものすらいた。魔王の指揮の元で自分たちを従えていた強大な竜を小さなオーガのようなものが蹂躙しているのである。なお、その中でもオーガ族だけは歓喜の声を挙げていた。大興奮である。
『止めてください。お願いします。我が悪うございました。痛いのは嫌だ。もう殴らないで。殴らないで。殴らないで。殴らないで。殴らないでぇええええええ!』
もはや竜の口からは謝罪と懇願しか出てこない。目の前の暴力の権化から逃れるすべはもはや許しを請う以外に道はないと理解しているのである。それをアネモネは喜々として聞かぬ降りをして拳を振るい続けていたが、その声がか細くなるに連れ(……頃合いか)とアネモネは考え、拳を引いた。
それに気付いたドラゴンが情けない顔でアネモネを見る。
『も、もう…殴らない…のか?』
その様子にはもはや最初の威厳などどこにもなかった。虐待に耐える子供のごとき姿にアネモネは満足そうに頷いた。
最近分かったことだが言葉が通じると言うことはこういうことだ。コミュニケーションによって戦いを終わらせることが可能なのだ。人の世界に溶け込み、僅かながらそうしたことも学習しつつあるアネモネは自分とドラゴンの関係性のバランスを拳によって崩し、対話の可能な状態へと変えたのだ。アネモネは人の群れを率いることによって暴力だけがすべてではないということを学んでいた。
「我が群れでは勝者は敗者のすべてを手に入れることにしている。お前がそれに従うのであれば、その命、生かしたまま私のものとしよう」
つまりは自分に従うか否かだ。その言葉の意味が分からないドラゴンではない。が、ドラゴンはアネモネの背後にある城を見た。
『我は……今は魔王様の従僕なのだ』
そう答えるドラゴンはアネモネの瞳に暴力的な光が宿るのを感じ、賢明に首を横に振った。
『いや、お前の言うとおり、我自身が下るのは良しとしよう、しかしあくまで契約は魔王様なのだ。あの方を倒さぬ限り我の意志ではそれは覆らない』
魔術の契約によって結ばれているドラゴンは主を変えることは出来ない。細かい事情は知らぬが、アネモネはドラゴンの言葉を理解すると頷いた。
「なるほどな。では私が魔王を我が夫とするか、或いは殺すかすれば良いというわけだな」
『……然り』
アネモネの言葉にドラゴンが恭しく頷く。ドラゴンにアネモネに敵対する気持ちはなかった。実際に立ち会い、アネモネの強さを認めたドラゴンはもはや心の上ではアネモネの従僕であった。これ以上、あの拳に逆らう気力はなかった。
「ならば、しばし待て。すぐに結果を聞かせてやろう」
そう言ってアネモネはドラゴンから背を向けて、歩き出したのだ。目の前にある巨大な城に向かって。
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竜を下し、周囲の魔物もアネモネに対しては遠目から見守るだけだった。オーガ族だけは興奮の坩堝であったが、そうした種族なので止むを得まい。
そして城の中に邪魔なく入ることに成功したアネモネだが、そこで待ち受けていたのはデュラハンやスケルトンなどの非生物系の魔物であった。
「骨か金属の皮しかない相手ではあまり相手にならぬな」
そう口にしながらもアネモネは拳を振るうが、彼らは恐怖など感じない。さきほどのドラゴンを下し、竜の血にまみれたアネモネに対して大概の魔物は恐れおののくようだが、こうした本来無生物である魔物にはアネモネを脅威と感じる本能はなかった。故に数でもってアネモネに迫り、アネモネはそのたびに拳を振るって敵をしとめてきた。スケルトンは破壊してもすぐに再生するので砕ききるのが手間ではあったが、日々地道な反復作業を鍛錬としているアネモネにとって闘いに対する手間など手間ではなかった。
二階に上がった広間で遭遇したのはデュラハンの変異種らしきものの集団だった。首のない馬が引いた炎や雷を纏った車輪の馬車が迫ってきた時にはさすがのアネモネも若干肝が冷えたものであったが、勢いに任せて跳び蹴りで馬車に乗るデュラハンを破壊し、突進してくる馬を張り手で受け止め、その衝撃で馬体を弾け飛ばしたりもした。
そして速さに慣れた後は馬車と馬車を飛び乗りながら魔剣ごと叩き折って撃退したりもした。
「ふん。あまり強いヤツはいないようだな」
現在三階。突如置物の甲冑が変形し襲ってきた鎧竜と呼ばれる魔物の首を握り潰しながらアネモネはそうつぶやく。すでに城に入って三十分、城を守る魔物の数に押されてまだ魔王を発見できていないが、だがアネモネの前に立ちはだかった魔物の中でアネモネがこれはというのは一体しかいなかった。
その一体とは城の二階で遭遇した東洋の鎧で構成された鎧武者という魔物であった。これにはアネモネも命の危険を感じた。居合い切りと呼ばれる特化された殺傷攻撃は当たれば自分とて容易に切り裂かれるだろうとアネモネはその構えから予測した。最終的には離れた位置から投石をして、それを切り裂いた瞬間を狙って最速で蹴り込んで倒したのだが、正面から挑まずに倒した反省が残る闘いだった。
(あれにも対応できるようにならねばな)
もっと目を鍛えねばと、精密な動作を練り上げ、掴めば或いは……と考える。
そう考えながらも周囲を警戒し、先へ進んでいくアネモネだったが、しかし途中から空気が変わったのに気付いた。
(ふむ。よくは分からんが、なんだろうな。先ほどとは違う場所に思える)
そのアネモネの認識は正しい。進み続けていくと周囲の壁の質も変わり、どこか生物めいた様相になり、やがては血管のようなものが脈打ち始めていた。試しにアネモネがそれを千切ってみるとダクダクと紫の液体が流れ落ちた。
「奇妙な」
そうアネモネは口にするが、だが特に害を及ぼすものではないと考え、気にせずに先に進んでいく。
そしてアネモネが王の間にたどり着く頃には周囲はまるで内蔵と骨によって構成されたかのような奇怪な姿に変わり果てた。
そんな王の間の中央にある王座にひとりの巨大な裸の男が鎮座していた。その周囲にはすでに死に、腐り始めている女の死骸が何体も転がっている。いずれも恐怖に顔をゆがませ、手ひどく乱暴された後があった。
その様子をアネモネはチラリと見たが、いずれもヒョロヒョロとした女ばかり。なるほど、これでは満足させることも出来ずに死んだとしても止むを得まいと頷いた。
「何か、気になることでもあるのかな?」
ひとり何かを納得した風なアネモネを王座にいる男が尋ねる。アネモネがその男を見るが、どうにもアンバランスといった感じの姿だった。身長はおおよそ3.5メートル。異常に発達した筋肉だが、それと繋がっているはずの頭が肉体と一致していない。妙にサイズが合っていないし、いかにも優男という風なその男の顔なのだが、それが首から下の筋肉隆々な肉体と一致しないのだ。なによりもアネモネにはその肉体に見覚えがあった。
「その身体、兄のものだな?」
そう、男の首から下はアネモネが殺した兄の肉体そのものだった。アネモネが破壊した箇所はどうやら修復されているようだが、だがその筋肉の付き方をアネモネが忘れるはずもない。
「兄? ああ、そうか。お前はあの群れを潰した雌オーガだったか」
そう男は言って頷いた。
「群れの仲間がゾンビになっていたときに兄の姿がなかったとは思っていたが、ここにあったとはな」
アネモネの言葉に「くっくっく」と男から笑いが漏れた。
「このオーガの肉体は普通ではなかった。私の復活に適したものだったのでいただかせてもらった。魔物の種の中でも優秀な存在が変わる変異種ではなく、本当の突然変異である異常種と呼ばれる珍しいタイプのオーガだったのだよ。お前の兄は」
「まあ兄の筋肉の付き方は普通ではなかったからな」
男の言葉にアネモネは同意する。
「復活させた当時は私自身が死霊だったので、他も巻き込んだようだとは思っていたのだが、今の話からするとお前の所に行ったのか」
つまり、ガルーとの戦いの前にオーガゾンビが現れたのは目の前の男のせいだったようだ。もともアネモネとしても過去に起きたことなど気にしてもいない。それよりももっと切実な思いがある。
「あれは臭い」
耐えきれない悪臭だった。まあ腐った肉である。内臓の臭いも半端ではない臭さだ。敏感なアネモネの鼻はあれに耐えるのは難しい。
「まあ私もゾンビは城の中に入れんな。あの臭いは吐き気がする」
そしてアネモネの意見に男も同意のようだった。確かにゾンビたちはこの城の中にはいなかった。
「それで、お前はここに何をしにきたアネモネ女王陛下?」
「私を知っていたか?」
「私が手に入れるべきものを今管理している者の名ぐらいはな。まさかオーガとは思わなかったが。しかし、大方資金繰りに困ってこの地でとれる黒金でも狙ってここまでやってきたのだろうがご苦労なことだな」
「いや、そのようなことは今はどうでも良い」
アネモネは紅潮する顔で男を見た。どうやら目の前に目的の男が現れたことで緊張しているようだった。だが乙女心に疎い男にはアネモネの表情の意味が分からない。それが恋する乙女の熱視線だとは気付けなかった。
「貴様が魔王ヴァンスなのだろう。私は貴様が我が夫と相応しいか否かを知りたいだけだ」
「ふざけたことを言う」
王座に座っている男、ヴァンスはアネモネの言葉に不快な顔をしたが、だが何かを思いついたのか「まあ良い」と言いながらアネモネを見た。
「久方ぶりにこの世に戻れたのだ。この身体の性能の確かめがてら、オーガの雌というのを試してやっても良いかもしれんな」
そう口にしたヴァンスはそのギンギンに突き勃ったモノを隠そうともせず、立ち上がる。この身体で蘇ったのはよいものの、部下たちに拉致させた女たちで試したところこの身体に耐えきれなかったのだ。ヴァンスは自らのリビドーを発散する道具を求めていた。故に例え醜女であろうとも、この猛りを鎮められるような女であるならば誰でも良かったのだ。
そしてその性欲に澱んだ男の視線に対してアネモネも舌なめずりをする。アネモネは相手の意図を正確に把握し、なおかつ喜びの声をあげた。
「くくく……楽しみだ」
アネモネは戦いとその後のことを考え、興奮した目つきでヴァンスに視線を向けた。そのあまりにも鋭い少女の視線にヴァンスもたぎる気持ちをさらに高ぶらせ、下腹部のそれがさらに怒頂する。闘争本能と性的興奮を混じらせた両者の気迫がその場を支配していた。
そして人間を支配する王と魔物を支配する王の闘いが始まる。
ついに第二の彼氏候補が登場。また引きですが次回で魔王戦も決着です。