深井 仁
時間はいとも簡単に加速する。同時に簡単に停滞し得る。
友達遊ぶ時はあっという間、ラーメンができるまでの3分間は永遠に等しいほどに感じる。
しかし今の俺にはどんな時間も刹那の如く過ぎ去っていく。頭の中は常には音楽が流れ続け、その分時間も流れ続けている。
退屈だった日々はもはや影もなく、今日は早くもRIZ二度目のバンド練習だ。
(今日はこの間やったニルヴァーナを詰めていく感じか……前回は自分の声量に翻弄されて周りの音全然聞かれへんかったからなぁ……音出しの段階での確認とかしっかりしていかんとなぁ……。)
いつものように俺の家のインターホンを押し、細見が迎えにやってくる。
深井さんの家まで約十分。俺は細見といつものやり取りをこなしながら今日の練習へ思考を巡らしていた。
十分なんて時間を何秒程度しか感じないほどに。
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「はよーっす。って今日は小林まだ来てないの?」
玄関を開ける深井さんに俺は尋ねた。前回小林は俺たちより少し早く来て深井さんと先に練習していた。別に俺たちが遅れてきたわけではない。つまりは小林は意図して早く来た可能性が高かった。
(ちょっと早く来て深井さんと仲良くなろうとかそんな感じやなかっんのか?俺の勘違いやろうか?まぁ正直人の家を訪れるのに時間より早く来るのも失礼な話だ。それはそれでいいやろ。)
結局小林は20分近く遅刻してきた。
「いやマジすんません!!来る前にもっかい復習しとこう思たらなんか熱入っちゃって……。」
バンドマンとは時間にルーズな人が多いらしいが、練習していたという言い訳にあまり追及するのもどうかと思うし俺はスル―する。
「もう!!遅刻はダメだよ小林君!!!」
(やばっ!!めっちゃ可愛いじゃないっすか深井さん!!何が「もう!!」やねん!!こんなことやったら俺も遅刻してくればよかったぁ~~深井さんに怒られたい!!叱られたい!!って俺は結局変態か!!)
我ながらこの深井さんへの変質者的な愛情はどうかと思う。もう深井さんだったら何でもいいんじゃないだろうか。
ほどなく練習は始まった。始まる前に細見に「イコライザー」についての知識を貰ったので少し使用してみることにした。
音とはその大きさだけで聞こえ方が良くなったり悪くなったりするものではない。小さくてもしっかりバンドの中で聞こえる音こそ良質な音といえるだろう。そういった音を作るために最も初めに使うこととなるのが「イコライザー」だ。
「イコライザー」は音の音域、高音、中音、低音のバランスを操作する機能で、無駄な音をカットし、他の楽器などと重ならない音域を前に出すことでその音を強調できる。出すとこ出して引っ込めるとこは引っ込める。女性の理想的なスタイルみたいな法則だ。
ボーカルは基本的には低音をカットしつつ、中音を操作することでより耳に届きやすくなるらしい。人にもよることだからあまり絶対的なことは言えないが……。
特に俺は「渋さ」が持ち味のようで、あまり大胆に低音をカットすると俺の魅力を失うことに繋がりかねないらしい。どうやら帰ってまたネットで検索することが増えたようだ。
俺のイコライジングが上手くいったかどうかはわからないが、前回よりは確実に聞こえ安くなった気がする。
周りの音も聞こえ易いし、前回あまり周りを気にできなかった分、一個人の「歌唱」としての練習というよりも、バンドとしての「演奏」という練習をしている実感が前回よりも一層感じられ、二度目だというのに実に新鮮な練習に思えた。
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休憩がてらに深井さんがジュースとお菓子を台所に取りに行ってくれた。ホントに気の利く女性だ。
入れ替わるように稔さんが入ってくる。
「よう!!やってるか若いの!?って紫はおらんのか?」
この人は本当に仕事をしているのだろうか。そうだとしたら何の仕事をしているのだろうか。暇人すぎないか。
「今ジュースとか取りに行ってくれてます。本当に気の効く娘さんですねぇ。助かります。」
細見が営業の人みたいによいしょするが、
(それは俺の台詞だろー!!!なんでお前が先に言っちゃうかなぁ?かなぁ!?)
小林も似たようなことを思っているのだろう。細見に苛立ちの視線を送る。こいつとは本当に気が合いそうだ。しかしまぁ深井さんとのことで決着がつかない限りしばらくは仲良くなれそうもないが。
「そうやろそうやろ。そんでまぁそんな俺の自慢の娘に次ぐ自慢の息子を連れてきた!!お前らみたいな若いもんに対するアドバイスは俺みたいな爺がやるよりもえぇ思てな!!ハイここで新キャラ登場です!!みなさん拍手!!」
稔さんがそういうとガレージの裏口から仁さんがすごすご姿を現した。
「父さんそういうのやめようよ。なんか恥ずかしいやんか。」
深井さんを男子にしたようなイケメンが入ってくる。もしこの世が男性だけになって、どうしても男性とお付き合いしなければならないような状況になったら俺はこの人を指名するだろう。まぁ間違ってもそんなことが起こらないことを望んでいるが。
仁さんはいかにもロッカーな父の稔さんとも、天然な深井さんや母の珠子さんとも全然違う聡明で実直な人格をしていた。どうやったらこの家族の中にここまでの人格者が誕生するのだろう。疑問に思えて仕方がない。
現在は夏休みということもあり、実家に帰省している大学生らしい。
淡路島には大学がないのでもちろん島の外で一人暮らしをしているのだが、OUT CASTの練習の際はこちらに帰ってくるのだそうだ。二週間に一度くらいなので苦はないそうだが、それであの完成度のライブをできるのだから素晴らしいとしか言いようがない。
「紫がやっとバンドを始めるって聞いたもんでね。ちょっと興味があってよかったら練習とか見させてもらってもいいかな?できる限りのアドバイスはするよ。」
(あぁ……めっちゃカッコいい。この人にだったらやっぱ掘られても……って何考えてんねん!!!俺はそんな趣味はないです!!!俺はそこまで深井さんのDNAを求めてるんですか?勘弁してくれ俺!!)
しかしセミプロみたいな人にアドバイスをもらえることは実にありがたい。俺たちは快く承諾し、深井さんの帰りを待った。
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「ほな俺はこれで!!仕事行ってきまーす!!あとはお若いもん同士でどうぞぉ~。」
おそらく深井さん以外の全員のメンバーが思っただろう。「仕事してたんだ」と。
稔さんが帰って休憩も十分に堪能した俺たちは練習を再開した。
見られているという意識があるからだろうか。俺は少なからず緊張していた。皆もそんな感じで硬い表情が見て取れる。ふわふわといつもの感じなのは深井さんだけだ。
「ほら、そんな緊張しないでいいからさ。僕から見たらまだまだひよっこなんだし、あまり気負わず掻ける恥は今のうちに掻くくらいのつもりでやりなよ。」
笑顔弾ける仁さんに促され、緊張が集中に変わった。
ある意味今までとは違う研ぎ澄まされた感覚で演奏ができた。俺たちの現在のベストが尽くされた演奏だったのではないかと思う。
ここに一体どのようなアドバイスが入るのだろうか。俺としてはかなり良かったのではないかと思うのだが。
「君たち一緒に遊びに行ったりとかしてる?」
俺にはあまり理解できない言動に思えた。周りを見渡してみるの同じように疑問符が頭の上に浮いている。
「正直言って君たちはまだまだバンドになりきれてないよ。」
少しショックだった。自信があった分、それを否定されるのは辛いものがある。それをまた尊敬するバンドのギタリストに言われたのだからなおさらだ。
「個々のレベルはすごく高いと思うよ。高校生でここまでの技術を持っているっていうのはすごいとしか言いようがない。でも……。」
(でもなんですか!?そんな焦らさないで殺すなら一気に殺してくださいぃ~~~!!!……でもなんかこの焦らされてる感じちょっと……快感?って俺にそんな趣味無いって!!!)
皆が真剣な面持ちをしている中で訳のわからん想像をしている俺はいったいなんなのだろう。変人の仲間入りはもう始まっているのだろうか。
「一体感がないんだよね。まだまだお互いのことをよく知らないっていうか。まぁ単純に仲が良くなったら解決できる問題でもないんだけど……現に仲の悪いバンドってのもあるとは思うしね。でも僕は練習だけでバンドは完成しないと思うんだ。お互いのリズム、教科書通りのカチカチの音楽より、多少ずれても自分たち同士だけでは完成されてる空気感を出せるバンドこそ真のバンドだと僕は思う。」
なんて素晴らしい言葉の並びなんだろう。本当に格好いいと俺は思った。まだまだペーペーの俺たちにここまで真剣にアドバイスをくれる。俺は軽く感動すら覚えるほどにその言葉を受け止めていた。
「っというわけで……お互いのことを知るためにも今から遊びに行きましょう!!!」
なんというか、色々と訂正したい。
この人は遊びたいだけなんじゃないだろうか。
聡明とか実直とかこの人を形成していたものがどっかに飛んでいってその辺の田んぼに突き刺さる音が俺には聞こえた気がした。
しかし俺たちがまだまだお互いを知らないことは事実だ。
俺たちは苦笑いしつつも街へと繰り出す準備を始めるのであった。
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「ホントに!?まだ練習二回目なの?」
街で遊んだ帰り、紫がそんなことを言うので僕は思わず聞き返してしまった。
「そうだよ。まだまだこれからだからまた色々アドバイス頂戴ね!!」
そうあっけらかんという妹に僕は心底驚いたという顔をしていたことだろう。
調子に乗ってアドバイスなどしてしまったが、練習二回目に「一体感」なんてアドバイスは早計にもほどがある。
まだまだお互い手探りで当然なのだ。
それなのに僕はそんなアドバイスをした。それ以上に練習をしているものだと錯覚してしまうほどに彼らの演奏が上手かったからだ。
「お前いいバンドを組んだね。」
気付くとそんなことを言っていた。笑顔でうなずく妹の頭をわしわしと撫でてやる。
そんなように和みながら僕の心には驚きと同時に安心が芽生えつつあった。
紫はまだまだ上手くなれる。彼らと一緒にいればもっと大きくなれる。
兄として僕も負けるわけにはいかないが、そんな焦燥よりももっと大きく、彼らを見守りたいという静かな思いが僕の心に響き渡るようだった。