5 旅支度
「出発は明日の夕方だ。それまで君の旅支度を整えないと」
「食料ですか?」
「いや、服とかカバンとか野営用の道具とかいろいろいるでしょ。そもそも包丁一本でどうするつもりだったの?」
「?」
首を傾げたいのは俺の方だよ。
店を出る頃にはもうすっかり日が傾いていて、流石に貸し借りのできないパンツのみ急ぎで調達し、今晩の宿を探すことにした。
飯が安くて多くてうまいところ、個室、という条件で昼は食堂、夜は酒場、二階で宿屋を経営しているという宿を選んだが、深夜になっても階下から賑やかな声が聞こえてくること以外は満足だったので、うるさくても寝られるタイプの人間にはおすすめだ。
下の酒場でたらふく飯を食い、部屋に運んでもらったでかい桶で順番に湯を使った。風呂から上がった俺が先に風呂に入ったカエンを探すと、二台のベッドの内の片方の毛布が盛り上がっていた。そっと近づくとすうすうと寝息が聞こえる。
部屋が同室なのは節約と、兄妹で田舎から観光に来たということにしてあるからだ。
刺客やらなんやらが寝込みを襲いにやってくることに比べたら、騒音ぐらいは気にもならないんだろう。お城の柔らかい天蓋付きベッドより、安宿の硬いベッドの方が安心できるとは、難儀なものだと思う。
一月かけて住んでいた山に戻る予定だが、王都から離れるごとに、町と町の距離は空いていく。旅路の後半はどうあってもほぼ野宿の旅程なので、理由はどうあれサバイバル適性があったのは良かったな、と俺ものそのそと向かいのベッドに潜り込んだ。
***
「おはようございます、ミズキさん!今日は絶好の家出日和ですよ!」
翌朝俺が目を覚ますと、若干隈の薄れたカエンが準備満タンでベッドの脇に仁王立ちしていた。いつの間にかカーテンが全開になっている窓からは、朝日が差し込んでいて、覚醒したばかりの目には少し眩しい。
カエンは、もし尻尾が生えてたらブンブン振り回しているだろうご機嫌具合だった。いや、生えている可能性もあるのか。セクハラになりそうだから聞いてないけど。
「おはよう、いい朝だな。俺が身支度をしてる間に下に行って朝飯の用意を頼んでおいてくれ」
「まかせてください、いい席取ってきますからね!」
言い終わるが否や、颯爽と扉の向こうへ消えた背中を見送り、俺は布団から抜け出て支度を始めた。
最初はあまり王女様を顎で使うのもどうかと思ったが、何かやることがある方が精神的に落ち着くようで、昨日から事あるごとに何かやることはないですか?肩でも揉みますか?と煩いので今は適当に仕事を与えている。
幼い頃にばあちゃんから読んでもらった神話ではだいたい、竜はプライド激高のやばい種族として書かれていたけど、多分何かの間違いだろう。これじゃまるで犬っころだ。
段々と捨て犬を拾った程度の問題のような気がしてきたが、成り行きとはいえ王女家出幇助の主犯だ。
俺が誘拐したことにならないよう、王都を離れたら「元気にやってます。ちゃんと帰るので探さないでください」と手紙を書かせよう。無いよりマシだろう。はぁ。
昨日は長旅で疲れていたところに迷ったり刺されたり逃げたりと、怒涛の展開で最悪だもう勘弁してくれという気分だった。しかし一晩寝てすっきりと疲れが取れると、この状況もまあそこまで悲観したものではないと思えた。
元来俺は深刻なことを考えるのは苦手だった。だって半分くらいはあの、水辺でのったり岩に寝そべって日向ぼっこなんてやってる生き物の要素でできているのだ。趣味は入浴。
同居人がひとり増えるのもまあ問題無い。ばあちゃんが亡くなってベッドが一つ空いているし、何もない山奥なら捜索の手が伸びるリスクも少ないだろう。何より一人で食べる飯は味気ないものだ。久しぶりに誰かと食べる飯は確かに美味しかったのだ。
下の食堂でトーストと茹で卵、簡素なスープといった朝飯を済ませ、さっそく俺たちは宿を飛び出し、晴天の王都へと繰り出した。約束の時間まではまだ余裕があるが、買い物もあるし、何より俺はまだ王都の観光をしていなかった。
昨日は結局ろくに街並みなんて見てる余裕も無かったし、少なくとも今後6年間は足を踏み入れることはないであろう街だ。
俺たちはガイドブックに載っているような名所を中心に忙しなく回っていった。
王都は複数の源泉が湧く温泉街として有名だ。火の国では火山が多く、温泉街として有名な街はいくつかあるが、最も大きく、最も人も物も集まる街はやはり王都だ。
人通りの多い中央通りを歩く。街道から平民街を通り貴族街、そして火山を背後にそびえ立つ王城を繋ぐメインストリート。
貴族街の近くは専門店が立ち並ぶが、平民街の方になると色とりどりの屋台が多く広がる。
整備された白い石畳の道に、同じく石造りの建物たちが並ぶ。平民街の裏道に入ると木造の建物も見られるが、基本的にこの国では石造りの建物が多い。国民の半分は火属性なせいで、喧嘩のたびに小火を起こすせいだ。
石畳の隙間から漏れ出る蒸気で白く霞んでいる中央通りを、並ぶ屋台を冷やかしながら二人で歩く。
湧き出る高温の蒸気を使った甘い蒸し饅頭や、火山で捕れた怪鳥の卵、甘辛い肉を厚めのパンで包んだ肉汁滴るパオズ。喉を詰まらせたカエンのために買ってやったさっぱりした瓜のジュース。
「あったかい足湯に浸かりながらの冷たいアイスは卑怯だと思います・・・・・・っ!」
「あー生き返る。これ無限にいけるな・・・」
俺、アイス屋になろうかな。
本気で将来を考えるくらい、この組み合わせは最高だった。
地熱により常に気温が高い地域では氷は貴重なので、寒い時期に北の方から切り出してきて断熱した氷室で保管するか、水属性の人間が魔術で作るかの2択になる。
水属性はこの国では一割程度しかいないのでけっこう重宝され、氷製造は水属性の人間の就職先としてなかなか割りが良い。
俺も道中旅費が足りなくなった時に、立ち寄った村の氷室でひたすら氷柱を作って金を稼いだことがある。
「さすがにお腹いっぱいです」
「屋台を全制覇する勢いだったな。ほら、後はこの店で終わり」
二人が重たい腹を抱えながら入ったのは革用具の店だった。この店の主力商品である、特殊な魔獣の皮を使ったカバンは、容量を無視して物を入れられるので、旅人だけではなく、日常使いとしても人気だ。
「機能は変わらないから好きな物を選びな」
「わたしが選んでいいんですか?」
「カバンの口より大きい物は入らないから、あんまり小さいのはやめときな」
「はい!」
カエンは女の子向けの華やかな色の商品が並ぶ棚の前で座り込んで悩み始めたので、俺は放っておくことにして別の棚を見て回る。
ちなみに俺のカバンは、ばあちゃんのお下がりだが、実用性一辺倒の人だったので装飾も無いシンプルな作りの黒のザックだ。
村に戻ればなかなか買う機会も無いので、ついでに革小物をいくつか選んでから戻ると、カエンはまだ棚の前でなやんでいた。
「こっちと、こっち。どっちがいいと思いますか?」
そう言ってカエンが並べて見せたのはどちらも肩掛けのカバンで、ワンポイントで刺繍されている花の種類が違う。どちらの花も名前は知らなかったが、片方は見覚えがあった。
「右」
「ミズキさんの好きな花ですか?」
「いや、そういうわけじゃないけど。ここに来る途中に水棲の魔獣が棲みついてる湖があって。俺は酷い目にあったんだけど、湖の側で群生してた花は綺麗だったなぁって思い出した」
薄紅色の綺麗な花だった。帰りに同じ町を通るから、カエンに見せてやろうと思った。
「じゃあこっちにします!」
選んだカバンを抱え、宝物みたいに抱きしめて笑うカエンの頭をポンと撫でながら、やっぱり尻尾が見えるんだよなぁ、と俺は思った。
観光を終え、買い物を終え、最後に昨日の魔道具店に、頼んだ物を取りに向かっていた時のことだった。
「あ、さっきの店に買った物忘れた」
「え、戻りますか?」
「いや、ちょっと走って取ってくるから、先に店に入ってて」
「はい!先に待ってますね」
俺は油断していた。
最初は警戒していたけど、でも、今日一日何も起こらなかったから。
食べ歩きにはしゃぎ、買い物を楽しみ、後は王都を出るだけだったから。
遅れて店に着いた俺が見たものは、商品が割れ、ガラスの飛び散った棚、額から血を流したムルカ、そして床に投げ捨てられた買ったばかりの肩掛けカバン、散乱した真新しい旅支度だった。