2 はじめての王都
「いやあ本当に助かりました。これで借金も返せそうです」
「ばあちゃんは自分が死んだら全部薪にしてくれって、言ってたんですけどね。役に立ってよかったです」
机いっぱいに山積みにされた魔術書や紙束を背に、俺の両手を握りぶんぶんと上下に振りながら感謝を伝えてくるのは、ばあちゃんの甥でこの家の当主のサラミツさん。50代ほどで貴族なのに腰が低く、恰幅の良い、人の良さそうな雰囲気の男の人だ。
ばあちゃんが亡くなったことを手紙で伝えた際、ばあちゃんが昔実家から持ち出した物があれば返却をお願いしたいと頼まれたのだ。
どうも息子さんが悪い女にハマり、勝手に家の金を使い込み、さらには借金までしていたらしく、ただでさえ元々没落気味だったのに借金の返済で、屋敷が抵当に入れられる間際まできていたらしい。
ダメ元で手紙を出したものの、まさか俺が国の端の辺境から本当に持ってきてくれるとは思っても見なかったみたいだ。
多くの物を持ち運ぶ時に使う魔道具は特殊な魔獣の胃袋でできていて、いくら物を入れても体積と重量が変わらない。ただし量と重さに比例して消費魔力が増える上に、魔力の供給が足りなくなると中身をぶちまけ爆発四散する。
もしこの量を国の端から運んでくるとなると、かなりの運賃を取られたと思う。着払いを嫌がった理由は分かる。
今日持ってきたものは、ばあちゃんが50年前に実家を出た時に持ち出した大量の魔術書がほとんどで、俺が持っていたところで正直さっぱり価値が分からないものだ。
売りに出すにしても俺には伝手もないし、これでばあちゃんの親戚の人が助かるなら一月かけて運んできた甲斐もあるというものだろう。
これらは全て、学院などの学術機関がそれなりの値で買い取ってくれることが決まっているそうだ。
「是非なにかお礼をさせていただきたいのですが、見ての通り金も権力も無い没落貴族でして。せめて王都への滞在中はいくらでもこの邸を使ってもらって構わないのですが・・・・・・」
「いえ、お気になさらず!用事も済んだしもうお暇しますので」
質の良さそうだがくたびれた服を着た主人、周りの家と比べてだいぶ野性的な様子の庭、差し押さえ済と書かれた紙がぴらぴらと揺れる家具たち。それでも王都の一等地に邸があるところを見ると、どんなに没落していようがやはり貴族の邸だ。
辺境の山奥で山小屋に住んでいる身としてはものすごく居心地が悪いし、正直今も落ち着かないから早く慣れ親しんだ我が家に帰りたい。
到着時に長旅でお疲れだろうからと入浴を勧められ、世話をすると言われてメイドが付けられた時にはもうどうしていいか分からなかった。ただ風呂に入るだけなのに世話ってどういうこと?
持っている服の中でも一番マシなものを選んで着てきてみたけど、それでもここまで来る間に随分じろじろと見られていたような気がする。貴族街に入ってからすれ違ったのは馬車くらいで、誰も歩いている人なんかいなかったし、そもそもフードで顔半分を隠した奴が貴族街を歩いていれば怪しまれて当然だと思う。不審者感が強いのは自覚してるし。
「代わりに一つ、お願いがあるんですが」
この『人の頼みを断れない呪い』がどうにもならないものだと気づいた時、ばあちゃんに言われたことがあった。
決してタダ働きはするな。
俺が決して頼みを断れないことが悪人にバレたら、どんな悪事に加担させられる分からない。たとえ善人でも要求がエスカレートしていけば、俺がどうにかできる範囲を超えてしまう。
だから俺は、何でもホイホイ頼みを聞く都合のいい人間だと思われないように、どんなに小さいものでも必ず対価は貰ってきた。
「お店の紹介をお願いします。壊れてしまった古い魔術具があるんですが、道中の道具屋では修理が難しいと言われてしまって」
「それならば腕の良い魔術具店を知っているので紹介状を書きましょう。大店は付き合いのある客以外の注文を取らない店も多いので」
「助かります」
書いて貰った紹介状を懐にしまい、俺は貴族街を後にする。
見上げれば太陽がちょうど真上にかかりそうな頃合いだった。お腹は空いていたけど、修理がどのくらいかかるか分からないし、先に紹介してもらった店に行ってからの方がいいだろう。
サラミツさんは昼食をご馳走してくれると言ってくれたけど、俺は貴族の食事マナーなんて分からない。貴族の人がどんな食事をするのか分からないけど、適当に野菜を炒めた大皿料理を中央にドンッと置かれて終わりではなさそうなことぐらいは分かる。きっと見たことが無い使い方も分からない食器がテーブルに並ぶのだろう。無理。
城下の大通りは人で溢れかえっていた。もうすぐ昼時だからだろうか。王都に来るまでに立ち寄った町でも、王都に近づくにつれ人が増えていくなぁ、と感じていたが、ここはそれ以上だ。家族連れも多くて、幼い子供を連れた母親はみな子供の手を握っていた。一度はぐれてしまったら、二度と会うことはできないのではないかと思うような人混みだ。
はじめて来た王都に戸惑いながら、俺はサラミツさんに書いてもらった地図を片手に魔術具店を探した。店は表通りではなく裏通りの、少し奥に入ったところにあるらしい。
角を一回曲がり次の角を右に、突き当りをまた右に⋯⋯ううぅん。地図によると店がそろそろ見えてきてもいいはずだけど、段々と人の少ない荒れた通りに向かっているような気がする。
地図が間違っているか地図の読み方が間違っているのか。おそらく後者だろう。
何しろ俺は今まで地図を使ったことがなく、今回の遠出のために王都までの古びた地図を引っ張り出し、麓の村の村長に教えを請うた地図初心者だ。住んでいた山には地図などあるはずもないし、麓の村から向こうへは出たことがなかったので必要なかったのだ。
「誰かに道を聞くか⋯⋯」
諦めて誰かに道を聞くために、すっかり人の気配のなくなった通りを見渡すと、さらに奥の小路から誰かの話し声が聞こえてきた。幸先が良いぞと声の方に向かうと、そこは袋小路になっていた。黒いフードを深く被った子供が一人と、これまた上下共に黒い服を着た黒尽くめの男が二人。
「すいませーんちょっとお伺いしたいんですけどー」
地元民だったらいいなと、俺が道を聞くためにさらに声をかけようとしたその時、大人のうちの一人が腰に下げた何かを手に取り、大きく振り上げた。銀色に鈍く反射したそれはナイフだ。そのナイフが向かう先に目線を動かせば、その先には子供がいた。
振り下ろされた切っ先が子供に向かい、咄嗟に身を捩った子供が被っていたフードを掠めて落とす。パサリと肩に落ちたフードの下、子供の頭には角が生えていた。俺は今、もしかしなくてもやばい現場を目撃している。
声をかけたことで黒尽くめの男たちは俺の存在に気づき、そのうちナイフを握っていない方が俺の方に近づいてきた。早く逃げろと頭の中で警鐘が響く。混乱の中地面に張り付いたように動かない足を無理やり引き剥がし、咄嗟に今来たばかりの道を戻ろうと半身を翻しかけたその時、声が聞こえた。
「たすけて⋯⋯っ」
助けを求める声だった。
その声が俺の耳に届いた瞬間、自分のものではない何かが俺の喉を動かし、決して自分のものではない衝動が俺の体を動かした。
「ハイ!よろこんでぇぇぇぇぇぇ!!」(ああああああ死ぬ死ぬ死ぬ流石に今日こそ死ぬ)
俺は子供を抱き込むようにして、再び振り下ろされたナイフと子供の間に滑り込んだ。一瞬遅れて右肩に鋭い熱と重みを感じる。めちゃくちゃ痛い。最悪だ。己の不幸を嘆きたくなってくるが、まずはこの状況を何とかするほうが先だ。
不幸中の幸いと言っていいのか、俺はこのような状況は初めてではなかった。だから痛みの中でも思考は冷静だった。
深々と突き刺さっているだろうナイフをそのままに、ミズキの腕の中でガタガタと震える子供の頬を軽く叩いて正気に戻す。
「あ、あああ、ナイフ⋯⋯刺さって、血が、ごめ、ごめんなさいっ⋯⋯!わ、わたしのせせいで⋯⋯」
「落ち着け、しっかりしろ!謝罪も礼も後でいいから。走れる?」
「は、はい!」
「よし!火属性?火属性だよね?俺が合図したらありったけの火魔法をあの辺に頼む」
赤髪赤目のカラーリングで火属性じゃなかったらその方がびっくりだ。まあこの国の人間の半分は火属性だから確率二分の一で当たる賭けだ。
俺は一瞬息を止め、右肩にぶっ刺さったままのナイフを引き抜くと、振り向きざま背後にいた男たちの方にぶん投げた。男たちが飛び退き距離を取った瞬間、合図をし、宙空に多量の水の塊を出現させる。
攻撃魔法でもなんでもない、ただ周囲から水を集めてくるだけの生活魔法の一種だが、同時に放たれた火魔法と反応し、大きな破裂音を響かせながら水蒸気が爆発的に広がった。狭い袋小路なら煙幕代わりには十分だ。
俺は一面の白い視界の中、助けた子供の手を引いて走り出した。