その六
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生活は苦しくとも、馬鹿の真似はやめておきましょう。却って苦しければ苦しい程に、故意に『もっと苦しく』してやりましょう。それで音をあげる自分なのでしょうか。それでは『凡人』ではありませんか。
反発して下さい。反抗して下さい。敵対して下さい。運命にです。喧嘩は一生必要な事ですよ。
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実際、冬の道東道北など行けたものではないと分かっているのですが、それでも一度冬の北海道を訪ねてみたいものです。話に聞くマイナス二十度、それ以上の寒さというものが何んなものなのか、実地に体験してみたいです。多分、鉄道の駅からホテルに行くまで、たったのそれだけの道程で私はもう音を上げ、以降一切外には出られないでしょうが。以前一度だけ仕事の出張で冬の北海道を経験しました。札幌とそれから宿泊は定山渓温泉。其処で私はマイナス十五度の吹雪を三秒間だけ正面から身に受けましたが、直ちに限界を悟りました。私が堪える事が出来たのは三秒間だけです。それ以上居ると死にます。或いは死なないまでも、以後私の社会的信用がゼロになるに十分な奇異な言動をとり永く笑いものにされるでしょう。私はそういった体面に関しては結構ナーバスです。みっともない自身を人前に曝すのは嫌なのです。
雪と氷、そして酷寒。でも、北海道の真冬の本当の厳しさつらさは、それらに拠って自分が周囲と完全に隔絶されて仕舞い、家族だけとしか会う事も交信する事も出来ない、その孤独、閉塞、不安にこそ在るのではないかと思います。今はネットもニュースもあるのですからそうでもないかも知れませんが、聊かなりとも開拓当時の人達の『気持ち』を肌で感じたいと思うのです。その中に私の身を置いた時、私は何を想うでしょうか。何を願うでしょうか。それは現在の、そんな人外の環境の土地に生活している訳ではない、普通に街に暮らしている私と違わないでしょうか。それとも本当に違ってくるのでしょうか。それを知りたいのです。因果な事に、私はそういう事を『確かめる』のがこれまた滅法好きなのです。お分かり頂けますよね。
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疲れ果てても、へとへとでも、大切な人の為であれば頑張れるでしょう。脚を一歩踏み出す毎に痛みを感じる身の上でも、それが自分の大切な人の為であれば自分の命を削ってでも先に進みたいと思うでしょう。これが人間が生きる上での最大の力です。これ以上の力を人間は手にする事が出来ません。
自分の最大の力は軍艦の速力の様に必要に応じていつでも決まった『分量』を取り出せるものではありません。それが出来るのは機械です。何らかの装置です。人間にはそんな事は出来ません。その代わり人間は大切な人の為であればもうこれで終わりという事無く、自分が死ぬまで、それを承知の上で、しかもそれを喜びにして力を生み出す事が出来ます。ここを分かって下さい。何が言いたいのかというと、自分を最大限に発揮したいなら自分が仕え奉じるものを獲得しましょうという事です。『私にはそれは要らない』、そう宣言する人に対して私は何も言う事が出来ません。接点をもち得ないのです。
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私が三歳半の時の鉄道写真を見ました。場所は南稚内。残る行程最後の一駅に向かわんとするC五十五一号機牽引の急行利尻です。結構長い編成を一直線に優雅に横たえ、進行しようとしています。三月ですが足元の線路の間、その外側も、完全に凍り付いています。零下十度以下になった時の、あの雪が凍った様子がそのまま写っています。晴天早朝の空気は一切の不純物を含まず、厳格で容赦の無い透明さを見せています。その澄み切った過酷な空気の中、機関車と客車の輪郭が際立っています。何と美しい姿か。
これが私がまだものを想う事が出来なかった、しかし私が生まれた後に本当に在った、遠い昔の現実の光景なのです。写真に見入っていた私は思わずぶるっと震えました。最早望めない事ですがこの光景が若しも今でもあったとしたら、私は私に絡み付く誘惑を振り解いてじっと耐える事が出来ないと思います。貯えを崩して稚内に、宗谷本線にすっ飛んで行って仕舞うでしょう。
「あなた、やめて下さい。お金の事は兎も角、斯んな季節に北海道の道北なんて、危険です」
「左程危険ではない。済まぬ、これは捨て置けぬ。斯んなものは我慢出来ない。十年一度の私の我儘だ。許せ」
「僕も行くー」
「御前はまだ幼く、元服してもおらぬ。危険故許せぬ」
「危険なんでしょ! あなたっ!」
何だか私の科白が偉そうですが、多分奥さん子供とそんな一幕があるのだと思います。しかし現実にはその心配はありません。私の強固な忍耐を一撃で粉々に打ち割って仕舞うその絶大に魅惑的な光景は最早無いのですから。
私は過去を今に伝える写真と自分の想像力、その二つで旅をしましょう。現代では既に辿る事の出来なくなって仕舞った旅、その時間と空間を私の側に引き寄せましょう。そして吾身をその世界に置いて其処で知らない人達に出逢いましょう。それが私が『書く』という事なのです。私が小説を書く事の背後にはこれがあります。他の下らない事と一緒に出来ましょうか。あなたも自分の『したい事』の動機として、これかこれ以上のものを背負って下さい。間違い無く、迷う事無く、自分の宿命と謂える程の。
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