その四
6504
尽くさねばならぬ人が居る、仕えたいと思う人が居る。これが私が世の中で見付けた一番大きな幸福でした。私の体験の範囲ではこれに勝る幸福はありません。私には他に見付けられませんでした。
あなたの幸福とは何ですか。またそれを『手に入れて』いますか。必死に探すべきでしょう。率直に言ってのらくらしている暇は無いと思います。いいですか、見付けていない事を責めているのではありませんよ。それは至難の業です。私にはそれを見付けていない人を責める資格などありません。しかし探していない人、探す行動を起こしていない人に対して、それをすべきだと言う事は出来ると思います。
6505
死にたいと思っても中々死ねるものではありません。また死なないが良いと思います。だってまだあなたは世の中というものを全然知らないではありませんか。世の中をよくよく知って、それに絶望して死ぬのならまだしも、全然知らないうちにそれに絶望するのはおかしいではありませんか。知らないままでは絶望する事すら出来ない筈ではありませんか。
生きて出来る事というのは結構多いものです。小さな事なら無数にあるといっても可いでしょう。それらの小さな事のうちの一つでも出来るなら、出来たなら、多分あなたは死のうなどという気を最早起こさないでしょう。そういう感情が自分の中に湧いてくる事が無くなるでしょう。そういう実感を体験してほしいのです。敢えて言いますが、死ぬのはそれからです。それからでも遅くありません。楽しみを味わい尽くさんとの欲望は人を生存に導く事をしません。しかし自分の為すべき使命はそれをするのです。
6506
訪った事も無い土地を舞台にお話を書く。だが、今現に自分がその場に立っている様に、車窓の風景も駅前の小さな町の様子も向こうに見えるその小さな町を区切る低い山々も、空の色も陽の光も近くを流れる川の流れも全部見えるのです。そしてその小さな町を歩く人達の細かな表情まで。彼等が話している内容も聞こえます。駅の踏切で粗末な服を着て何も食べる事の出来ないままただ汽車の通り過ぎるのを眺めている虚ろな目をした少年の姿、その心の中も。
何が私にそういうものへと駆り立てる情熱を供給するのでしょう。説明出来ません。気が付くと私はそういった不思議な光景を追い求める様になっていたのです。そしてその中に自分を置き黙って辺りを眺めている事が、自分の一生にとってとても大事なものである事が次第に分ってきたのです。私は説明出来ないからといってその価値を否定しません。私が価値を否定するものは、一見直ちに『これは違う』と私の感覚が正しく指摘します。私は自分の命を育んでくれるものの傍に居たい。その時に私は心の底から子供になれるからです。なっても可いからです。その子供の純粋をもって私は私の大切な父母の前に立っていたいのです。
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食べ物が無い暮らし、悲惨です。ですがそれは思い遣りの何も無い暮らしと同様に悲惨なのです。飲み水の無い暮らし、生きて行けません。ですがそれは愛情の全く無い暮らしと同様に生きて行けないのです。そしてここで重要な事というのは、食べ物にせよ飲み水にせよ、純真な思い遣りや愛情よりはずっと手に入り易いものであるという事です。前二者及びそれに代表される諸々の物的材料は不足枯渇する事はあってもそれでも見出し易い。後二者とそれに代表される諸々の精神的価値は一般にそう簡単には手に入りません。一つにはそれが発見するもの見付け出すものではなく、自分が創り育てて得るものだからでしょう。
自分は何が足りないと駄目ですか。全ての人間にとってではなく、あなた自身あなた個人にとってです。何が足らないと干乾びますか。命の灯が消えますか。それをちゃんと把握しておいて下さい。生きていく為に必要です。人間が人間らしく生きていく為に必要なものは何らかの能力ではありません。斯ういう自己に必須のものが何かを知っている事です。
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